「科学技術と社会」をめぐる科学技術政策―ゼロ年代から10年代へ(1)

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先週末、とあるところから、「科学技術と社会」の関係にかかわる科学技術政策のここ5~6年の動向の振り返りと、今後の展望についてヒアリングを受けた。

どこからのヒアリングかは、諸々事情があるためシークレットだが、ヒアリングを通じていろいろ考えたことがあったので、自分用のメモとして、書き散らしておく。他にも、明日(もう今日か)のクローズアップ現代で話す「遺伝子組換え動物」の問題で考えたこともいろいろあるので、それも近いうちに書くつもり。来週頭くらいかな?

今回のだけでもけっこう長くなるので、2回に分けて書いてみる。

まずは、これまでの振り返りということで、ゼロ年代後半の科学技術政策の話から。とくに遣り残された課題について。(このあたりの話は、拙著『科学は誰のものか』でも簡単に触れたが、大幅に端折ったので、ここではやや詳しく書いておく。)


ゼロ年代後半の科学技術政策――「コミュニケーション」というキーワード

ゼロ年代後半の「科学技術と社会」に関する科学技術政策の出発点は、「これからの科学技術と社会」と題した特集を行った2004年(平成16年)の『科学技術白書』(以下『16年白書』)である。(当時書いたエントリーはこちら。)

そのなかで示されたゼロ年代後半の政策アジェンダを一言で示すなら、それは「コミュニケーションの推進」ということになるだろう。白書の第3章の章題は「社会とのコミュニケーションのあり方」であり、そこには、(お決まりの)「科学リテラシーの向上」という課題に加えて、「今後,科学者等が社会的責任を果たす上で求められるのは,今までの公開講義のような一方的な情報発信ではなく,双方向的なコミュニケーションを実現するアウトリーチ(outreach)活動である」として、「サイエンスカフェ」や「サイエンスショップ」といった欧州の双方向的なコミュニケーション活動の例が紹介されていた。

これに刺激される形で、サイエンスカフェが2004~2005年にかけてあちこちで開催されるようになり、いまや全国で年間1000件以上開催されるほどになっている。サイエンスショップのほうは、未だ我が阪大と、ご近所の神戸大にしかないものの、とりあえずスタートした。

また『16年白書』が出版された直後には、文科省科学技術・学術審議会人材委員会「科学技術と社会という視点に立った人材養成を目指して -科学技術・学術審議会人材委員会 第三次提言-」が発表された。そのなかでは、「対話型科学技術社会を構築していく人材の養成」ということで、「研究者の意図や研究内容を社会にわかりやすく伝えるのみならず、社会の問題意識や認識を研究者の側にフィードバックする役割も担う者としての活躍が期待される」ような科学技術コミュニケーターを養成することが提言されていた。11月には、(独)科学技術振興機構(JST)の主催で「これからの科学技術と社会-科学技術と社会のよりよいコミュニケーションをめざして-」という国際シンポジウムが六本木アークヒルズで開催され、自分も登壇者の一人として参加した。

こうした流れを受けて翌年秋からは、北大、東大、早稲田で、それぞれ「科学技術コミュニケーター」「科学技術インタプリター」「科学技術ジャーナリスト」を養成する5年間の教育プログラムが、科学技術振興調整費の助成を受けてスタートした(これらは現在も、各校の内部経費で継続プログラムが稼働中である。それと、これらのプログラムの話が立ち上がったころに書いたエントリーはこちら)。

ちなみに「双方向的な科学技術コミュニケーションの推進」という課題は、『16年白書』の3年前、2001年に「社会のための、社会の中の科学技術」という理念を柱にスタートしていた第2期科学技術基本計画でもすでに挙げられていた。第1章「基本理念」の「4.科学技術と社会の新しい関係の構築」には次のように書かれていた。

「社会のための、社会の中の科学技術」という観点の下、科学技術と社会との間の双方向のコミュニケーションのための条件を整えることが不可欠である。
・・・
情報の提供については、科学技術の専門家が責任を負うことはいうまでもないが、専門的情報は、一般人の理解を越える場合も多いので、その解説者の存在が重要になる。研究者や技術者自らが、あるいは専門の解説者やジャーナリストが、最先端の科学技術の意義や内容を分かりやすい形で社会に伝え、知識や考え方の普及を行うことを責務とすべきである。また、社会から科学技術の側に意見や要望が適確に伝えられる機会や媒介機能を拡大するとともに、科学技術関係者がそれらをくみ取り真摯に対応することが必要である。

そしてこの方針は、『16年白書』を経て、2006年からの第3期科学技術基本計画で、より強く打ち出されるようになった。またその年の秋には、関係者の努力により、JST主催で「サイエンスアゴラ」という科学技術コミュニケーションのイベントが東京お台場の日本科学未来館で開催され、その後も毎年11月に開かれている。

「未完のプロジェクト」としてのゼロ年代科学技術政策?

さて、そんなふうにして「科学技術と社会」に関するゼロ年代の科学技術政策は、「コミュニケーションの推進」を軸にして進められてきた。その結果、先にも述べたように、年間1000件以上もサイエンスカフェが開かれるようにもなり、「科学技術コミュニケーション・バブル」なんて呼ぶ声もある。

とはいうものの、こうやって振り返ってみると、実はそこには、とっても大きな大きな「欠落」もある。個人的な感覚では、現在のその「欠落感」は、この「バブル」が始まる前、あるいは始まりだしたころに書いた以下の文章のときと殆ど変わっていない(3番目のは、『朝日新聞』2006年7月31日夕刊「かがく批評室」に書いた元原稿)。

すんごく大雑把に分類すると、科学技術コミュニケーションの目的には次の2つがある。(もちろんこれらには重なる部分や連続的な部分は多々あり、必ずしもきっちり分けられるものではない。)

1. 啓蒙・教育系

  • 科学(技術)に親しむ/科学(技術)を楽しむ。(「楽しい科学」「面白い科学」)
  • 科学リテラシーを高める。(基本的な概念や法則、思考法、実験法など)
  • 科学技術に対する支持を広げる
  • 研究成果の社会還元 (研究広報、啓蒙書執筆など。ここでは科学好き・技術好きのためのものとして。)

2. 社会・政治系(=ガバナンス系)

  • 社会的判断・意思決定のための情報・知識の提供、問題点指摘、アジェンダ設定
  • 科学技術が関わる政策形成への市民の関与・参加
  • 合意形成・紛争解決
  • 現代におけるシティズンシップ(市民性)の涵養
  • 研究者の「説明責任」(社会の行く末や人々の人生に大きな影響力をもち、かつ多額の公的投資が行われている科学技術について社会に説明する政治的・会計的アカウンタビリティ。)

しかるに、これらのうちゼロ年代に進んだのは、もっぱら「啓蒙・教育系」ばかりであり、科学技術の社会的問題にコミットする社会・政治系=ガバナンス系は、ほとんど進んでいない。『16年白書』や第3期科学技術基本計画には、「政策への国民参加の促進」が謳われ、とくに白書には、「政府,科学者コミュニティ,企業,地域社会,国民等のそれぞれの主体間の対話と意思疎通を前提として,各主体から能動的に発せられる意思を政策形成等の議論の中に受け入れられるような,いわゆる科学技術ガバナンスの確立が重要」なんてことまでが、指摘されていたにもかかわらずだ。(対助成機関・対財務省の「会計的アカウンタビリティ」は、書類仕事等の増大などで現場の研究者が困惑するほど強化されているのだが。。)

「科学技術ガバナンス」あるいは「政策への国民参加」という点では、たとえば2006-2007年に北海道庁が行った遺伝子組換え作物に関するコンセンサス会議(同会議は、一般市民が科学技術の社会的影響について評価する「参加型テクノロジーアセスメント」の手法の一つ)のような実質的成果は確かにあったし、その具体的運営に、上述の北海道大学の科学技術コミュニケーター養成ユニット(Costep:現在の名称は北大高等教育機能開発総合センター科学技術コミュニケーション教育研究部)が関わったことで会議が実現されたという点で、それは紛れもなく2004年以降のコミュニケーション推進の成果の一つではあった。また、科学ジャーナリズムについては早稲田のサイエンス・メディア・センターの設立はとても大きな一歩だと思う。

しかし、これらはどちらかといえば例外的というべきだろう。

さらに枠を広げて考えてみると、この「偏り」はいっそう著しいことがわかる。

『16年白書』や第3期科学技術基本計画を見れはわかるとおり、「科学技術と社会」に関わる政策には、コミュニケーション以外にも、生命科学などの「倫理・法的・社会的問題(Ethical, Legal and Social Issues:ELSI)」への取り組みや、レギュラトリーサイエンス(第3期計画の文言では「、安全性の評価や試験法の考案、データの収集・整理・解析など、リスク評価のための科学技術活動」)の推進も謳われていた。しかし、これらの「科学技術ガバナンス」に向けた取り組みも、とくにこれらが進んでいる欧米諸国と比べると、かなり見劣りする状況で、政策課題としては、ほとんど手付かずと言っていいくらいだろう。(もちろん、それでも地道に研究している研究者たちはいるのだが、その人たちが活躍する職場はそれほど増えてはいない。)

要するに、「科学技術と社会」に関わるゼロ年代の政策では、コミュニケーションが啓蒙・教育系に特化し、コミュニケーションも含めたより広いガバナンス系の文脈がすっかり脱落し、置き去りにされてしまったのである。

サイエンスカフェの「政治的背景」

さきほど、「ゼロ年代には啓蒙・教育系ばかりが進んだ」と書いたが、それを最も象徴しているのが、日本でのサイエンスカフェの普及の仕方である。

サイエンスカフェは1998年に英国で誕生したもので、その元来の目的は実に社会的・政治的なものだった。

当時の英国社会は、1996年のBSE危機(それまで人には安全とされていたBSEが人にも感染することを英国政府が公式に認めたことによる大混乱)と、それに引き続く遺伝子組換え(GM)作物の安全性論争で、科学技術や科学者、政府に対する国民の深い不信感が広がっていた時代だった。後に英国議会の科学技術政策局(POST)が発表した報告書は、これを「信頼の危機」とも呼んだ。

信頼の危機には二つの側面があった。一つは、いうまでもなく、安全宣言を繰り返し主張してきた政府に対する不信感の広まり。そしてもう一つは、BSEやGM作物の安全性を保証するはずの科学に対する不信感の広まりだ。BSE危機が明らかにしたのは、最善の科学をもってしても予見しえないリスクがありうること、「安全だ」「正しい」というのは、あくまでその時点で入手可能な証拠に基づいたものであり、新しい証拠によって、その主張は覆る可能性があるという科学の「不確実性」の実態だった。それは、要するに本来の科学の姿にほかならないが、当初政府が、「BSEが人にうつるリスクは極めて小さい」という科学者たちの結論(89年2月のサウスウッド委員会の報告書)を、あたかも永遠不変の絶対的な真理であるかのように安全宣言の根拠として再三にわたって喧伝した分だけ、科学に対する信頼の瓦解は激しかったのだ。

その結果、これまた政府や科学者、企業が「安全だ」と主張したGM作物に対しても、懐疑の目が向けられたのは当然の成り行きだった。安全を主張するために「正しい科学知識」を持ち出しても、所詮は「現時点の証拠」に基づいたものに過ぎないと思われてしまうし、不信の前では、たとえ正しいことを言っても信じてもらえないわけで、全く力をもたなかったからだ。それに対し、なおも「正しい科学」を教え込もうとしても、かえって「やつらはBSEと同じ過ちを繰り返すつもりか」という具合に、余計に不信を買うだけになってしまったのだ。

こうしたことから、一般市民を相手にした科学技術コミュニケーションについての考え方にも大きな変化が現れた。それまでの英国の科学技術コミュニケーションは「一般市民の科学理解(Public Understanding of Science: PUS)」と呼ばれていて、その目的は、上記の「啓蒙・教育系」が主流だった。またその前提には、「一般市民が科学技術に不安を覚えたり反対したりするのは、彼らが科学技術について無知だからであり、正しい知識を与えれば不安や反対は解消される」という「欠如モデル(deficit model)」と呼ばれる考え方があったことが指摘されている。PUSは、1985年に英国ロイヤルソサエティが同名の報告書を出版して以降、推進されてきたものだが、そうなった背景の一つには、60~70年代を通じて、公害・環境問題によって、科学技術に対する懐疑が国民のあいだに広がっており、それによって新しいテクノロジーの導入が阻害されたり、経済に悪影響が出ることを危惧した産業界や科学界の思惑があった。

しかしながら、上記のように人々の科学の不確実性への懸念や、政府・企業・科学者に対する深い不信が結びついた「信頼の危機」の前では、所詮は「現時点で正しいこと」を教えるだけのPUSのようなアプローチは全く機能しなかった。危機の原因は、人々の無知ではなく、科学の側の無知であり、あたかもそれを全知であるかのように装ったことに対する深い不信だった。

その結果、科学技術コミュニケーションの重点は、専門家から素人への知識の伝達に重きを置いたPUSから、双方向的な対話や、意思決定過程への参加・関与を重視した「科学技術への公共的関与(Public Engagement in Science and Technology: PEST)」というスタイルへと大きく転換したのだった。政府としても、科学と政治両面において失われた信頼を取り戻し、正統性を再調達するために、科学的なプロセスも含めて、政策決定過程の透明性と開放性、アカウンタビリティを高めると同時に、科学の不確実性を一般市民に対して率直に認める方向に舵を切らざるをえなくなり、2000年には、上院科学技術特別委員会が報告書Science and Society – Third Reportを、2001年には議会科学技術局(POST)が報告書 OPEN CHANNELS: Public dialogue in science and technology [PDF356KB]を出版することになる。

ちなみにこのような「民主化」や、科学の不確実性の認識の重視は、英国だけでなくEUレベルでも2000年前後から進められた。その背景には、EU全体にとっても深刻だったBSEやGM作物の問題だけでなく、「民主主義の赤字(democratic deficit)」問題を突きつけられていたEUのガバナンス改革もあり、後者の文脈では、2001年5月にDemocratising Expertise and Establishing Scientific Referential Systems (専門性の民主化と科学の参照システムの構築)という報告書が作成されている。これは、現代の政策決定において専門性(自然科学も含む)は、判断のためのエビデンス(根拠)を提供する点で重要だが、他方で常にその妥当性が問われ、様々な主体によって争われており、妥当性と信頼性を高めるために、科学的なプロセスも透明性や開放性・多元性(多様な主体の参加・関与)、アカウンタビリティを高めるべきだと提言するものだった。(ちなみに、「重要だが妥当性が常に問われ争われている」ことは「専門性のパラドクス」や「専門性のジレンマ」と呼ばれているが、来年度からの第4期科学技術基本計画で推進されることになっている「科学技術イノベーション政策のための科学」では、このジレンマの認識が決定的に欠けており、要するに「お花畑な実証主義」に留まっているように思われる。来週、その関連のワークショップに参加するんだが、ぜひこのポイントは指摘しておかなくちゃ。)

サイエンスカフェの「日本的変奏」――公共性・市民性の欠落

英国でサイエンスカフェが始まったのは、このような科学技術と社会をめぐる政治的布置の変化の最中だった。

つまりそれが目指したのは、政策決定には直接結びついてはいないものの、紛れもなく「科学技術への公共的関与(PEST)」の一形態であり、科学技術を一般市民に「伝える」「教える」ための啓蒙的・教育的場ではなく、多様な職業的・生活的背景や価値観、考え方をもった人々が、科学技術の社会的問題や自分たちの生活・人生にとっての意味を考え、「議論」するための場、政治的な「公共空間」を創りだすことである(この点については我が同僚の春日匠氏の「サイエンス『カフェ』は何処にあるか?」を参照)。仮に、そこに啓蒙的・教育的意味を見出すとすれば、それは科学教育という狭い範囲のものではなく、「シティズンシップ(市民性)教育」という社会的・政治的啓蒙なのだ。

ちなみに日本で最初に書かれたサイエンスカフェについてのまとまった報告に、産総研・技術と社会研究センターが作成した「科学技術と社会の楽しい関係: cafe Scientifique (イギリス編)」という報告書があり、「政策的含意」として、サイエンスカフェ――英国内では”Cafe Scientifique”と呼ばれている――の特徴を次のようにまとめている(pp.16-18. []内筆者補足)。

  1. Cafe Scientifiqueの目的は、科学技術について議論することを、生活に根付いた文化にすることである。
  2. Cafe Scientifiqueでは、[既に出来上がった知識ではなく]現在まさに研究開発が進行中の最先端の科学技術に関するテーマを取り上げている。
  3. Cafe Scientifiqueは、「小規模」でかつ「対面的」なコミュニケーションの場である。
  4. Cafe Scientifiqueは、我々が日常的に出かける身近な場所で開催されている。
  5. Cafe Scientifiqueは、形式化されておらず、そこで結論を出すことはとくに考えていない。

1.と2.について若干補足しておくと、1.では、サイエンスカフェが「議論すること」を目的にしたものであり、既存の知識を教える場ではないことが明確に述べられている。「科学を文化に!」というスローガンは日本でもよく聞かれるが、それが意味しているのはもっぱら、科学(そのもの)に親しみを持ち、その面白さを楽しんだり、知識を生活のなかで活用したりすることであり、サイエンスカフェが狙っている「科学技術について議論することを文化にする」ということとは、かなり違う。後者でも「楽しむ」という要素は大きいが、それは「議論を楽しむ」こと、さらには、自分とは異なる考え方や背景をもった多様な人々と出会い、語り合う「社交」の楽しみだったりする(社交の楽しみは啓蒙・教育系でも共有されていると思うが)。

また「議論する」というと、しばしば科学者からは「専門知識のない素人がいったい何を議論できるんだ?」とツッコまれるのだが、サイエンスカフェでの議論は、科学技術の専門的な内容に関するものでは必ずしもない。そうではなく、科学技術を、社会や生活の視点からとらえたときに見えてくるさまざまな問題点や課題、あるいは期待について議論するのであり、それには必ずしもテーマに関する科学的・技術的専門知識は必要ない。むしろ、参加者(≠聴衆)それぞれの職業上・生活上の知識や経験、価値観、感受性、関心などをもとに、自由に議論するのがサイエンスカフェなのだ。この点について、英国のCafe Scientifique運動の草分けの一人、ニューカッスル大のトム・シェークスピアは次のように述べている(中村征樹「サイエンスカフェ―現状と課題」、『科学技術社会論研究』第5号、2008年、31-42頁より引用)。

重要なのは、専門家の話題提供がカフェの中心になるのではなく、議論と意見交換が中心となることである。参加者は研究者や学生ではなく、一般市民である必要がある。サイエンスカフェの目的は、科学的事実を伝えることではなく、問いを提示することであるべきだ。たとえば、「この研究は私たちにとってどんな意味があるのか?」、「影響をこうむるのは誰なのか?」、「私たちにはいかなる変化がもたらされるのか?」、「なぜわざわざそんなことに注意を向けなければならないのか?」といった問いである。すなわち、本物のカフェの中核に据えられるべきなのは、社会的・倫理的・文化的・政治的な問題であり、場合によっては宗教的な問題なのであって、たんなる技術的な問題ではないのである。

ちなみにうちのプロジェクトで今年、再生医療をテーマにしてやった連続カフェ(16回で総勢180名参加)では、倫理的・価値的問題から、医療格差や医療保険など経済的問題、規制と推進など政策的問題まで、さまざまな議論が行われた。一部の回では、再生医療の現役の研究者や、医療従事者の声を集めたものもあったが、大部分の参加者は、サラリーマン、OL、主婦、学生などの「一般市民」である。その議論の結果は、「論点冊子101008」(PDF:609KB)としてプロジェクトのサイトで公表されているので、ぜひ読んでいただければと思う。

次に2.では、テーマとなるのが、研究開発が進行中の最先端の科学技術とされているが、これには二つの意味合いがある。

一つは、現代の社会で問題となる科学技術には、実用化されるよりも前の研究開発段階ですでに論争を呼び起こすものが多いということだ。商業化前の「野外栽培実験」の段階でのGM作物の環境影響という問題は顕著な例だし、ナノテクノロジー、再生医療、合成生物学なども、本格的な実用化を見越して、多くの問題点や課題が指摘されている。

そうした問題を、実用化されるまで世の中の人々が知らずに過ごし、ある日突然、それらが明るみに出たとしたらどうだろう?実用化されてしまった段階では、すでに莫大な投資をされてしまっていたり、社会のさまざまなところで使われているがゆえに、容易には「使用禁止」のような後戻りはできなくなる。その結果、問題をめぐる社会的論争や対立はなかなか解けず、むしろますます激化し、政府や企業、科学者に対する人々の不信感も増してしまう。実は、それこそ、GM作物で起きたことだった。そのため、とくに英国では、「対話をするにしても、実用化後や対立が深まった後では遅すぎる」という反省が政府や科学界で生じ、2004年ころには「上流からの公共的関与(Upstream Public Engagement)」という考え方も現れ、ナノテクなどで、実際に市民参加の討論イベントが開催されたりしている。米国では、90年代のヒトゲノム計画で、ヒトゲノム研究の成果が実用化されるのに先立って、その倫理的・法的・社会的問題(ELSI)を研究し、そのために計画の全予算の5%を割くという方針がとられたが、ナノテクでは、そうした研究に加えて、研究開発段階からの社会との双方向のコミュニケーションを通じて、研究開発の現状を社会に発信するとともに、問題点や研究開発の将来の方向性についての市民の意見を反映させる活動に、研究予算の一部を割くことが求められている。

「最先端」ということのもう一つの意味は、「未だ正解のない問題」について議論するということだ。たとえばGM動物(いま米国で話題になっているGMサケとか)の健康および環境に対する安全性の問題については、今年9月にFDA(米国保健省食品医薬品管理局)が開いた公聴会で、招かれた外部の専門家から異論が噴出した。つまり、GMサケは、それ自体が最先端のものであるとともに、その安全性に関する科学も最先端であり、まだまだ不確実性が高く、専門家のあいだでも見解が一致しない「未だ正解のない問題」をはらんでいるわけだ。また、先日のエントリーで紹介した『サイエンス』の論文が指摘するような市場効果による環境面への影響は、自然科学的な観点からだけでは見えない問題であり、リスクについて考えるときに経済学者まで含めるかどうかで答えが変わってしまう。それもまた正解の定まらない問題の一つだ。また他にも倫理や価値観が深く関わるような問題では、そもそも「正解」というもの自体が存在しない。社会で問題となる、そして一般の人々も交えて考えるべき問題の多くは、そのように答えがない問題であり、まさに公共的に(=多様な人々の多様な視点で)議論し、答えを出していくべき問題である。サイエンスカフェが扱うのは、そういうタイプの問題なのだ。

これに対して日本のサイエンスカフェはどうか。

JSTが運営するサイエンスポータル「楽しむ科学」のコーナーには、全国各地のサイエンスカフェの開催情報がカレンダー形式で掲載されている。それを見ると、圧倒的に多いのは、「科学そのもの」を楽しむタイプのものであり、社会的に論争を呼ぶようなテーマを扱ったものはあまりない。全体としてどれくらいの割合を占めるかは、データがないのでいえないが、形式も、議論の時間はあまりなく、専門家の話を聞くことが中心で、最後に質疑応答がある程度というものが多く、「あれではサイエンスカフェではなく『お茶つき講演会』だ」と嘆く声もよく聞く。日本のサイエンスカフェは、社会的・政治的コンテクストから切り離され、「科学そのもの」を楽しむための理科教育・科学教育の延長のようなものとして捉えられ、実践されている傾向が強いのだ。

サッカーの試合にたとえれば、元来のサイエンスカフェは、科学や技術を、その「ホーム」である研究室や大学の教室から引き離し、世の中の多様な人々が集まる「公共空間としてのカフェ」という「アウェー」に連れ出す試みだが、これとは逆に日本のサイエンスカフェは、カフェという空間を科学技術にとっての「ホーム」に変えてしまうものだといえる。(ちなみに「公共空間」としてもカフェは、互いに見知らぬ人々、普段は出会わない異なる背景をもった人々と交わるという点で、誰にとってもアウェーの場であり、それこそ「公共空間」ということの社会的・政治的意味である。)

もちろん英国や他の欧米諸国でも、啓蒙・教育系のサイエンスカフェは行われているし、「サイエンスカフェは社会的・政治的でなければならない」というわけでは決してない。しかし、「科学技術を社会の側の視点から議論する場」としてのサイエンスカフェが少数派だというのは、やはり本末転倒だといわざるをえない。(あえていうなら、啓蒙・教育目的のものは「カフェ」とは違う呼称にすべきなのだろう。)

なお、個人的な信条でいえば、科学技術がプラスにもマイナスにもこれだけ大きな影響力をもつ現代にあって、科学技術の「面白さ」「楽しさ」ばかりが伝えられるというのは、欺瞞以外の何ものでもないと考えている(もちろん、すべてのコミュニケーションで、プラス・マイナス両面を扱えというわけではない。全体としてのバランスの問題だ。ぼく自身、たとえばNational Geographicsの天文ネタと生き物ネタは純粋な「知的楽しみ」として愛読している)。この点で、2006年のエントリーで引用したジャーナリスト武田徹さんの「ヒロシマの後に科学を分かりやすく語るのは野蛮である」という文章に、ぼくは完全同意である。

それともう一つ。日本のサイエンスカフェが議論型でないのは「日本人は議論が苦手だからだ」という指摘がしばしばあるが、これは必ずしも真ではないと思う。議論ができないとすれば、要はテーマの選び方(科学そのものの専門的な話をテーマにしたら、確かに素人は議論しづらい)や、プログラムの組み方(専門家が長々話をして、黙って聞いていなければならないなら、議論の時間自体が少なくなるのは当たり前)、当日のファシリテーション(議論の舵取り)の仕方に問題がある場合が多いのではないか。また話をしてもらう専門家の意識としても、従来の「講演」の観念が強すぎて、「教育モード」あるいは「広報モード」に留まってしまうという問題もあり、それも結局は開催者の側が事前に、専門家に対してサイエンスカフェの意義を十分伝えていないことからくるミスマッチだったりする(そもそも「広報」を目的とするなら、少人数しか参加しないサイエンスカフェは効率が悪すぎる)。日本人が苦手なのは、議論することそのものではなく、「議論の場」を設定し、運営することなんだと思うのだ。

<つづく>
※ 後半の予定。
・ゼロ年代の日本的な「偏り」の政策的背景
・「科学技術と社会」をめぐる10年代の政策キーワード=「ソーシャルイノベーション」と「ガバナンス」

 

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