『MASTERキートン』

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2月20日からNetflixで配信されてる『MASTERキートン』。もう25~6年前の作品で、今どきの作品と比べるとだいぶ映像は粗いのが気にかかるけど、ついつい観てしまっている。

日本人の父と英国人の母をもつ平賀=キートン・太一には3つの顔がある。一つは、「ヨーロッパ文明ドナウ川流域発祥説」という彼自身の仮説を証明することを生涯の夢とするオックスフォード大学出身の考古学者。2つめは、フォークランド紛争や在英イラン大使館人質事件でも活躍した英国陸軍特殊空挺部隊SASの伝説的な元サバイバル教官。そして3つめは、ロンドンのロイズ保険組合のオプ(調査員、探偵)。「マスター」は、元SASの教官(マスター)と、考古学者だけれどもまだ博士号を取れていない修士(マスター)の2つの意味がある。

また彼は、オックスフォード大学在学中に、数学専攻の日本人留学生の女性と結婚し、一人娘、百合子をもうけている。

しかしながら、いろいろうだつの上がらない彼のもとから、妻は小さな娘を連れて日本に帰国して離婚。その後、「自分の空想癖に嫌気がさして」、自分を叩き直そうと思って軍に入隊。そこで上記のようにエリートとなるも、むなしさを覚えて除隊。改めて考古学者の道を歩もうとするも、仮の仮説は大胆すぎて、なかなか学会に認められず、学者としての定職(大学教員)にもつけない。そんなわけで、ロンドンのロイズ保険組合の調査員(オプ)をして生計を立てている。物語は、このオプとしてのキートンが、元SASサバイバル教官としての経験を活かしながら、さまざまな難事件を解決することが主軸で、そこに考古学者としての幅広い知識と強い想いが彩りを与えながら進んでいく。


そんな物語の原作が描かれたのは1988年から1994年で、まさに東西冷戦集結前後の頃。東西ドイツ統一、ソ連崩壊、IRA(北アイルランド問題)、極左組織によるテロリズム、民族問題、外国人差別などなど。そんな時代の、とくに欧州の社会情勢もエピソードに盛り込まれていて、当時の時代の「空気」の匂いも蘇ってくる。(そして、ウクライナやガザの紛争のように、未だ時代は当時と地続きであることも自覚する。)

EU発足(1993年11月1日)より前で、当然ユーロもなく、物語に登場する通貨は、マルクやフランなど各国ごとのもの。シェンゲン協定も発効前だから、列車で国境を通過するときもパスポートのチェックがあった時代。

たとえば、アニメ版にも収録されている「貴婦人との旅」。スイスのバーゼルに向かう列車がドイツのデュッセルドルフ駅に止まった時、キートンの客室に乗り合わせてきた老婦人との珍道中の話。

物語の最後に明らかになる彼女の素性は、ザクセン南部に広大な領地をもつベルフ家当主の妻で、1945年に彼女らの家の庭の中に東西ドイツの国境線が引かれ、ベルリンの壁が出来たと同時に通行不可になってしまった。その際、たまたま東側に遊びに行っていた息子がそのまま行方不明に。さらに息子を探すために東側に潜入した夫も帰ってこない。それから10年後、夫と息子を待ち続けた妻は、二人の消息を求めて東ドイツに潜入し、そこで地下レジスタンスから、夫は獄死、息子は東ドイツの軍人になっていることを知らされる。その際彼女は、「財産は東側の抵抗運動に使ってくれ」という夫の遺言を伝えられ、それに従って彼女は一生東側から追われる身となっていた。

自分がこれを読んだのは、東西ドイツ再統一から何年もたった後だったが、それでも、あの1989年11月9日、ベルリンの壁崩壊の映像の記憶は新しかったから、このストーリーの緊迫感と老婦人の悲劇は生々しくリアルだった。

このストーリーでとくに印象深いのは、財布とパスポートを盗まれたという彼女とドイツからスイスへの国境を超える時、食堂車で酔っ払ったふりをして歌って、パスポートの確認に来た車掌たちをかわすシーン。シェンゲン協定が発効して約29年(スイス加盟からは15年)たった今では、そんなスリリングな体験はやろうとしてもできないのだけど、それでも、ヨーロッパに出張したときに、時間かかっても長距離列車で移動してしまうのは、このシーンが忘れられないからだったりする。


他にも心が震えるストーリーはたくさんあるのだけど、職業柄、とくに好きなのは「屋根の下の巴里」の回。キートンの生涯の恩師、ユーリー・スコット教授とのオックスフォード大学での思い出とパリでの思いがけぬ再会の物語。

その回でキートンは、東京の大学(非常勤講師)をクビになって、とあるパリの社会人学校で講師をしていた。ところがその学校も、政府の計画で間もなく廃校の予定。キートンの授業は生徒たちにとって好評だったが、それでも長年、その学校に通っている生徒の老紳士からは、「戦線の授業、なかなかだよ。そうだな…Bプラスをあげましょう」とイマイチのことを言われてしまう。

そんな時、たまたまパリに彼を訪ねて来ていた娘の百合子にキートンは、「結局、お父さん、学者として才能ないのかなぁ」と嘆く。そんな彼に百合子は、「お父さんにとって、考古学って何なの?」と尋ね、そこから、キートンが考古学を一生の仕事にしようと思ったきっかけとなったスコット教授との思い出が語られる。(ストーリーとしては、その間に社会人学校での授業が挟まる。)

オックスフォード大学史上、一番肝の座った男と呼ばれたスコット教授には「伝説」があった。1941年、ロンドンの社会人学校で週一回講師をしていた教授は、ドイツ軍によるロンドン大空襲に運悪く巻き込まれてしまう。学生たちと瓦礫の中からできる限りの人たちを助け出した後、彼はこう言った。「さあ、諸君、授業を始めよう。あと15分はある。」

そんな突拍子もないことを言った彼の意図はこうだった。「敵の狙いは、この攻撃で英国民の向上心をくじくことだ。ここで私達が勉強を放棄したら、それこそヒトラーの思うツボだ。」「今こそ学び、新たな文明を築くべきです。」

そしてキートンがオックスフォードで教授のもとで考古学の卒論を書いていた頃、結婚していたキートンと妻のもとには間もなく百合子が生まれようとしていた。そのためのお金を稼ぐためのアルバイトで忙しくしていたキートンは、卒論の出来が芳しく無く、教授からはDマイナー(落第)を言い渡されてしまう。けれども、キートンの才能に目をかけていた教授は、「昼間働かねばならないのなら、夜勉強したまえ」と言って、教官専用の書庫の鍵をキートンに渡した。そこには古今東西のあらゆる考古学の文献が揃っていて、キートンは夢中になって勉強し、最終的に卒論はAプラスをもらうことができた。「今思うと、あれが人生最良の時だった。人間はどんん環境に置かれても、学ぶ喜びは得られるんだ。」そんな思い出話を百合子に語る。

そして、社会人学校の授業の最終日。終了間際、キートンは次のように語りだす。「最後に皆さんに、聞いていただきたいことがあります。それはたとえ学校が無くなっても、皆さんに学び続けて欲しいと言うことです。実は私も学問を追求する者として自信を失いかけていました。しかし、ここで皆さんと過ごすうちに気づいたのです。たとえ学校の職を失っても勉強を続けて行きたい。学ぶ情熱がある限り。人間はなぜ学ばないとならないのでしょう?」。

そのようにキートンが話す中、突然、教室のドアが開き、文化大臣を連れた文化庁の役人たちがぞろぞろ入ってくる。実はその教室の後ろの壁には、ピガールという画家が無名時代に描いた壁画があり、政府は、学校廃校後もそれをどこかに移転し保存しようとしていた。大臣と役人たちの訪問は、そのための視察だったのだが、そんな彼らに対してキートンは、「待ちなさい、今は授業中です!」と制止しようとする。役人は「授業といっても、もう10分しかないだろ」と言うが、キートンはひるまない。「いや、まだ10分あります!」、「き……君は、大臣に……無礼な!!」、「大臣でも、静かにしなさい!!」。その迫力に押し黙る大臣たち。そしてキートンは再び生徒たちに語り始める。

「人間は一生、学び続けるべきです。」「人間には知る喜びがある。肩書きや出世して大臣になるために学ぶのではないのです。」「では、なぜ学び続けるのでしょう?」「……それが人間の使命だからです。」そして生徒からの拍手喝采。

そして、数日前の授業で「Bプラス」と評していた老紳士は、「キートン先生、Aプラスあげましょう」と言い、さらに続けてこう言った。「以前、あんたと同じことを言って、私らを勇気づけてくれた大先生がいましてね。その方も、ドナウ文明のことを話してましたけど、Aプラスは彼以来だ。」

「スコット教授だ…。スコット教授がここに…来られた」と知るキートン。

そしてその夜、キートンは生徒たちから「授業のお礼をしたい」とパーティに誘われる。百合子の手招きで店内に入り、笑顔の生徒や社会人学校の校長先生たちと挨拶を交わしながら奥へと進むと、そこにはなんと、もう亡くなったとばかり思っていたスコット教授の姿があった。

「Mr.キートン、立派になったなぁ。」 「……はい!」


この話を初めて読んだのは、自分がまだ大学院生で、「研究者になりたい」という気持ちは強くあっても、先の見通しなんてまったくなかった頃。だから、余計にこの物語は心に響いたし、こうしてとりあえず教授にまでなれた今でも、読み返せば、あの頃の気持ちが蘇ってくる。まだまだたくさん勉強しなくちゃ、勉強したいと気持ちが改めて湧き上がってくるのがわかる。

とまぁ、そんな気持ちになれるこの物語が好きな同業者は、他にもたくさんいるんじゃないかな。そして、同業者じゃなくても、ぜひ読んでもらいたいと思うのも、この物語だ。

というわけで、そろそろ仕事に戻ろう。(ようやく他の仕事があらかた片付いて、研究の時間がやってきた今日この頃。)

 

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