2001年9月11日。
日本で国内初のBSE感染牛が確認された日の翌日。
そのニュースを一気に吹き飛ばした米国同時多発テロ。
もう8年なんですねー。あれから。
あの夜は、ふつうにニュースステーション観てて、突然、ビルに飛行機が突っ込む映像。
すぐさまNew York TimesやCNNのサイトにアクセスして記事を探すと、「続いて2機目の飛行機が」とか書いてあって、「え?」と思ってたら、テレビでもそのシーンが。
「とうとう(いや、やっと)このときが来たか…」
というのが、その瞬間の正直な思い。
そして数日後、次々と犠牲者・行方不明者の名前が判明し、「もしや…」という予感が的中。
「ICU(国際基督教大学)の連中、こういうのに巻き込まれるやつ多いから、誰か犠牲になってるかもねー」と、ともにICU卒の夫婦で話していたのだけど、確か2人犠牲になってて、その一人がぼくの友達だった。
その後、しばらくしてから、彼のことを思って書いた昔の日記。
読み返してみて、思わず涙腺が緩みそうになった。
以下、再掲。
「小川、もう一度、君と議論がしたい」(2001.10.31)
テロとその報復について思うことに書いたことですが、こちらの趣旨にも適うものなので、転載しておきます。
以前、書いたように、今回のテロ事件には僕の大学時代の友人が巻き込まれました。野村総研に勤めていた彼は、当日は世界貿易センタービル北棟106階の会議室で開かれたセミナーに出席していたと考えられています。
事件後すぐから、彼が大学時代住んでいた寮生を中心に、連絡と彼の奥さんを支えるネットワークが作られ、彼とはセクション・メイトだった僕のところにも時折、近況が伝えられてきます。(「セクション」とは、ICU(国際基督教大学)独特の一年のときの英語集中プログラムFEP――Freshman English Program――のクラスのこと。)
最近届いたそのメールに、彼の寮での先輩だった津崎陽一さんの次のタイトルで始まる文章がありました。
「小川、もう一度、君と議論がしたい」
それは、まさしく、彼が事件に巻き込まれたと知った瞬間に僕の頭によぎったこと、僕の想い、僕の悔しさでもあります。そこで早速、津崎さんと連絡をとり、その文章の転載を許可していただきました。
この文章に語られているように、実際、彼はとんでもないやつで、「大学って、やっぱ面白いな。こんなやつがいるんだから」というのが、はじめて会った頃の印象。セクション・メイト同士よく語り合った、あのバカ山の芝生が懐かしい。(ICUって、入試がヘンテコリンなせいか、偏差値輪切りの単なる学力秀才とは違う、彼みたいなぶっ飛んだやつが時々いるんだよね。)僕がいま「科学技術社会論」なんていうのを専門にしている最初のきっかけは何かといえば、やはりそれは彼との出会いだったと思う。彼の顔写真を映したニュースを見て、それを思い出しました。
ニュースを見てもう一つ蘇った記憶は、彼が就職を決めた直後に、”D館”という建物の学生ラウンジですれ違ったときに交わした短い会話。「俺は銀行に行くことにしたよ。いま一番世の中の動きが見えるのは金融の世界だからね。」独特の落ち着きをもった低い声で彼はそういいました。当時はバブル真っ盛りで、同期の理系の連中までもたくさん銀行や証券会社に就職したウカれた時代でしたが、「う~ん、さすが、こいつは相変わらずだな」と、彼らしい答え方に感心したものでした。
そして登りつめた世界貿易センターの最上階。世界を揺るがす大事件に遭遇し、彼は何を考えたのでしょうか。彼のことだから、何かすごいことを考えて行動に移していたのかもしれません。それを物語る証人も、証拠も今はなく、結果的に彼の努力は、あの暴力の前では報われなかったとしてもね。きっと今も、空の上で、調査能力を駆使しながら、時には、自由になったその魂で、ペンタゴンやホワイトハウス、CIAの機密資料に目を通し、あるいはテロリストたちの秘密の通信に耳をそばだて、この世界の行く末に思考を進めているのかもしれません。
文章の転載を許可していただいた津崎さんに深く感謝いたします。
「小川、もう一度、君と議論がしたい」
今年、僕は、ベルリンフィルを聴くための短い旅行をした。そのとき、立ち寄った本屋で、2冊本を仕入れた。ArasseのLEONARDO DA VINCIとSCHIRMERから出ていたLEONARDO DA VINCI Der Vogel Flug。メモをとりながら、僕は一人の後輩と心の中で対話を繰り返していた。小川卓、君のことだ。
たとえば、ダビンチのメモの一つの絵について。この絵、最初は、何のへんてつもない風景画にみえる。そのうち、雨が書き込まれていることに気がつく。それから広がって雲、遠くの海にも目がいく。循環?そろそろ震えがくる。この絵全体がぐるぐる周りはじめる。そう、そこには全宇宙(コスモス)の壮大な循環が描かれているのだ。ため息をつく。そして僕は隣の後輩に、囁く。「この感じわかるだろ」
小川が、水戸一高の先輩、立花隆の影響のもと、自然科学全体について相当の知識と見識をもっていたのは(僕のあった大学一年時にしてすでに)、有名なことだ。その頃の(1984年?)、電話部屋でのクイズ遊びのことを覚えている。たまたま部屋にあったその年の「現代用語の基礎知識」をネタに、だれかがそこに出ていた用語を片っ端からクイズ調に質問した。答える側に、小川と数人の新入生がいた。社会科学関係の用語は、それでもまあみんなそこそこ答えていたが、理科系になってからは、声が小さくなり、最後は小川の独壇場だった。「天文」「物理」「化学」基礎科学はもちろん、「通信」「情報」「コンピュータ」まで、どの分野でも100%答えられる。質問者は最後は意地になって枝葉末節の質問をするが、それでも、小川は答え続ける。様子を見ていた僕は舌を巻いた。暗記屋にはこんな芸当はできない。こいつは、自分の中に独自の世界像を持っていて、内発的な興味で楽しく勉強しているから、こんなにできるんだなと、そのとき思った。
ダビンチを卒論のテーマにしたのは、彼には当然のことだった。
僕の中の、小川は、寮のソーシャルルームの、汚いソファーの上に座っている。手ぶらではない、彼の右手にはいつも、宮本武蔵が巌流島でつかった(といわれている)、和船の櫓から水掻きの部分を削ったような木刀が握られている。その頃の剣道部の顧問は、年齢不詳で、やせていて、時代劇の剣豪を思わせる風格ある人物だった。彼はその先生に惹かれてずいぶん熱心に剣道に打ち込んでいた。なにしろ暇さえあれば、木刀を降っている。小川とはよく話したが、その話の間中彼の手は、木刀を振っていたような記憶がある。
小川を象徴する話を一つ紹介したい。
そう、黒岩ゲームだ。
第一男子寮に、はいった新入生は、「黒岩ゲーム」というのに参加する。
新寮生は、寮にはいったとき、まわりの先輩たちから、とてもとても大事にされる。学食は、こちらですよ。お風呂はこちら。君のこともっと知りたいな。ふーん、君ってすごいんだね。ちやほやちやほや、新寮生がいい気分になるまで、組織的にちやほやする。
一週間ぐらい、その状態が続いて、新寮生が、寮生活への希望に燃え、ぐっすり寝込んだ夜に、ゲームスタート。
彼らは、突然、夜中12時ごろ、青ざめ真剣な顔をした、先輩のルームメートに起こされる。「すまん、ちょっとおきてくれ。うるさいやつがかえってきたんだ。逆らうと何するかわからないから。ちょっとつきあって」。布団をはぎとられ、ねぼけまなこで起きた新寮生は、パジャマから普段着に着替える。それから寮の近くの泰山荘の庭に整列させれれる。ICUの暗い木立の中にじっとしているのは、それでなくても不気味なことだ。まして何の説明もなく集められた新寮生には。何が起こるのか恐怖に震え上がってしまう。
寒さに震えながらの長い長い時間がすぎる。野蛮な声と下駄の音がこちらに近づいてくる。怖そうな見たこともない男がやってくる(小川の時はたしか○○○○がこの役)。先輩たちもこの男を恐れているのか丁重に接している。さてこの男、新入生の顔をじってみまわしてから、汚いバスでこんなことを言う。「おめえら、今まではお客さんだったがな。今日からは寮生だ。(ここで間)。そうだな寮生らしいこと、やってもらおうかな。今から女子寮いって名札(ネームプレート)取ってこい。いいな」
夜中に女子寮? ばれたら退学、悪くすれば痴漢扱いで放校かも。新寮生は、もうパニック。
見かねた寮長が「黒岩さん、もうやめましょうよ。いいじゃないですか」ととりなす。「××(寮長の名前)おれのいうことが聞けねえのか」という答とともに寮長は殴られる。一発では沈まず、寮長は「ねえやめましょう」。もう一発。これで新寮生の最後の味方も沈黙する。
恐怖に震え上がったままの状態で、新寮生たちは、一人ずつ、女子寮に送り込まれ、ネームプレートを盗まされる。
女子寮は大騒ぎ。水をかけられたり、女子寮の寮生につかまったり、新寮生はさんざんな目にあう。
ほうほうのていで、第一男子寮に、帰ってきた新寮生は、屈辱と今後の心配で全員青ざめている。ショックのあまり自室に帰って荷物をまとめ始めた者もいたくらいだ。
全員が帰ってきたところで、再び整列。そのころには、全寮生、女子寮の寮生など関係者も寮のソーシャルルームに集まっている。黒岩さん再登場。新寮生の緊張が最高度に高まったところで、黒岩役は後ろをふりむき。「言ってもいいかな」「いいとも」。
この時の新寮生の変化は、このゲームに最大の見物。この一連の出来事が仕組まれたゲームだったことを、すぐには納得できず、しばらく放心状態が続き、つぎに安心から力が抜けその場に座りこんでしまう。
「第一男子寮へようこそ」
僕のときも、僕の参加した次の2回も、ゲームはこんなこんな風に進み終わった。
ただ一人の男を例外として。
その男は、座り込んでからもう一度たちあがり、上着のうちポケットから何やらとりだして、「これ無駄だったんですね」と言った。彼のとりだしたのは、小型のテープレコーダー。彼は、このゲームの結果が表沙汰になったとき、自分たちが痴漢でないことを証明するための証拠として、このテープを準備していた。さっき起こされたときに、不穏な空気を感じたとしても、懐にテープレコーダーを忍ばせる知恵のでるやつがどれだけいるだろう?
このすごい新寮生が小川卓だった。
教えられてできることではない。機転と実行力は天性のものだ。
地球規模で、大きな社会変動と価値観の変革が始まってるこの時代。求められるのは、機転と実行力をもつ人間だと思う。また、この変動の原動力である、科学技術への理解は、この変動をコントロールするために不可欠だ。小川には求められる資質のすべてがあった。
卒寮以来、君と連絡を取らなかったことが悔やまれる。いつでも議論の続きはできると思っていたんだ。
俺達が、時の河の流れの中に漂う弱い葦でしかないことを知っていたのに。
今は、君と会えなくなったことが、ただひたすら、悲しい。
あれから8年。米大統領はブッシュからオバマに変わった。
世界はどれだけ変わったのか、変わっていくのか。
改めて友の冥福を祈る。