遺伝子組み換えイネの栽培実験

投稿者:

昨日に続いて、専門関係の話題。
朝日新聞の記事「スギ花粉症予防組み換えイネ、栽培実験へ 全農など」でも紹介されている遺伝子組み換えイネの栽培実験の話題。実施主体の(独)農業生物資源研究所には、情報提供のためのプロジェクトの紹介ページ「スギ花粉症緩和米の研究開発について」「農業生物資源研究所で行う遺伝子組換えイネの第1種使用(圃場試験)について」、またその説明会のプレスリリース「農業生物資源研究所で行う遺伝子組換え作物の第1種使用(圃場試験)についての説明会のご案内 」がある。


 この組み換えイネのことは、昨年(社)農林水産先端技術産業振興センター(STAFF)が開いた「市民会議~食と農の未来と遺伝子組換え農作物~」(小生は企画委員として参加)で、説明者の1人だった農業生物資源研究所の田部井豊さんが説明していたので知っていた。スギ花粉のアレルギー反応原因物質(アレルゲン)の一部分をつくる遺伝子が組み込まれており、この米を食べてアレルゲンに体を慣らすことで、花粉症予防につなげることをねらっている。アレルゲンの一部しか作らないので、体への負担や副作用が少なく、かつ予防には十分な量を作れるらしい。今後は、圃場試験(3年間)のほか、食品としての安全性の確認を行っていくという。
「遺伝子組み換え作物の第2世代」とも呼ばれるこうした組み換え作物は、一般に、現在普及している除草剤耐性品種や害虫抵抗性品種と比べ、組み込む遺伝子も多く、開発が困難であるといわれている。食品と栽培作物としての安全性をクリアすれば、実用性のある初の第2世代組み換え作物ということになるのではないだろうか。
ちなみに、実用性のある第2世代の例として、これまで必ず取り上げられているものに、ビタミンAのもととなるβカロチンを多く含む「ゴールデンライス」がある。開発途上国でビタミンA不足による失明などで苦しむ人々を救う米として喧伝されているが、遺伝子組み換え反対運動の側からはさまざまな批判がある。一つには、この米を食べることで摂取できるビタミンAの量は非常に少なく、一日に必要な量を摂るためには、なんとご飯を7kg(!)も食べなきゃいけないという指摘もある。
この「欠陥」は将来的には技術的に克服できるものかもしれないが、もう一つの批判はより本質的である。そもそも途上国でビタミンAが不足しているのはなぜかといえば、それは、必ずしも干ばつなどの自然災害や耕作に適さない土地が多いからではない。コメ、コムギ、その他の換金作物栽培に特化したモノカルチャーによって、緑黄色野菜を自給栽培できなくなっているというところも多い。世界で最も飢餓に晒されたアフリカ諸国には、実は農作物輸出国というところも少なくない。国民の自給食料の生産を犠牲にして、先進諸国向けの換金作物を作っているのである(これを「飢餓輸出」という)。より根本的で持続的な解決法は、換金作物の他に自給用の多様な作物を十分栽培できるようにすることや、換金作物についても、十分な収入が得られ、それで必要な食料を購入できるようにするなど、社会経済的・政治的な状況改善である。とくに後者については、国内市場をもっと豊かにしたり(そうすれば栽培農家も収入が増えるし消費者も多様で新鮮な食材を得られる)、また、途上国産品の国際競争力を相対的に低くしたり途上国の国内市場の破壊をもたらす結果となる先進国(米国と欧州)の輸出補助金による「ダンピング」政策の見直しも含まれる。
もちろんこうした「社会的」解決は、技術的解決よりもはるかに困難なものであり、技術的解決に光を見いだしたい誘惑は強いだろう。しかし、このゴールデンライスという「技術的解決」が解決するというビタミンA不足という事態は、実際には社会的歪みが作り出している危機のほんの一面でしかない。要するに、ビタミンAが不足している地域というのは、栄養素全般が不足しているのであり、そのなかにはゴールデンライスが供給するβカロチンを体内でビタミンAに変換するのに必要な栄養素も含まれているのである。
このように欠陥が多いゴールデンライスについて小生は、「反対派のプシュタイ、推進派のゴールデンライス」と呼んだりもするのだが、その意味は別の機会に書くとして、それが体現する問題について、小生の共編著書の一つ『ハイテク社会を生きる』から、次のくだりを引用しておこう。

それと同時にこの問題は、GM作物に限らず、科学技術で現実の社会問題を解決しようとするときに陥りやすい一種の「罠」を自覚させてくれる点でも意義深いものだ。その罠とは、やや抽象的な言い方をすれば、問題をできるだけ単純化して、最小限の変数(要因)だけを動かして物事を解決しようとする傾向のことだ。たとえば飢餓問題を本当に克服しようとすれば、南北間や途上国国内の不平等な政治的・経済的な関係だけでなく、過度の肉食化(とくに穀物消費量の多い牛肉消費量の超過)など、主に先進国の消費者の食文化のあり方まで含めて、実に多くの要因を動かし、社会の成り立ちを変えていくような政治的・経済的・文化的な取り組みが必要となってくる。これに対し科学技術による解決というのは、頭のなかの想像としても実際に起こることとしても、そうした社会的な変化やそのために必要な実践を最小限に抑え、科学的・技術的に動かせる要因だけに限定して問題を定式化し、解決法を考える「技術的思考の視野収縮」とでもいうべき単純化に陥りやすいのである。その結果、当初の問題の根本は手を付けられることなく温存され、場合によっては科学技術を利用すること自体が問題をいっそう深刻にしたり、より効果的な代替的方法が採られる余地をつぶしてしまうこともある。それにもかかわらず、そうやって自ら作り出している圧倒的なマイナスを無視して、科学技術がもたらすわずかなプラスだけを見て「進歩」だと礼賛するのは、自ら窓を閉め外の日の光を遮った真っ暗な部屋の中で電灯をつけて、「ほら明るくなったでしょ。これも科学技術のおかげです」といっているようなものだ。緑の革命の「奇跡の種子」や「ゴールデンライス」による収量増大やビタミンAの増量は、そうした自作自演の自我礼賛、擬似的解決の典型ではないだろうか。

ついでにいうと、「技術的思考の視野収縮」の問題は、要は過度の専門化による「タコツボ化」の問題でもあるが、それは社会的側面、社会科学的洞察の無視だけに限られない。たとえばゴールデンライスは、ビタミンA摂取に関する栄養学的事実を無視している。また、しばらく前にNHKの「クローズアップ現代」でも取り上げられた「ホウレンソウの遺伝子を組み込んだブタ」も同様だ。これは、ホウレンソウの根から不飽和脂肪酸であるリノール酸を生成する酵素(脂肪酸不飽和化酵素FAD2)の遺伝子をブタに組み込むことで、さまざまな生活習慣病の要因となる飽和脂肪酸の量を減らしたブタを生み出すもの。最初にこのニュースに接したときの小生の印象は、「ブタとホウレンソウを一緒に食べるんじゃだめなの?」とか、「ブタしか食べるものがないのではないんだから、そもそもブタをそんなに食べなければいいじゃん」というものだった(ちなみに、先日、クローズアップ現代にコメンテーターとして出演した南山大の小林傳司さんから、とある委員会の帰りに新幹線のなかで面白い話を聞いた。打ち合わせの際に、キャスターの国谷さんと小林さんの「どうしても言いたい一言」というのが、まさにこの第一印象だったのだが、ディレクター(?)から「せっかく取材させてもらった開発者に悪いので、それだけは勘弁してください」といわれて、カットしたそうだ)。
で、もう少し調べてみようと思って、まずは「リノール酸」でググってみると、これが面白い。たとえば「リノール酸系植物油・・・とり過ぎ「よくない」―誤っていた!「動物性脂肪へらし植物油を」・・の勧め!」や、そこでも紹介されている日本脂質栄養学会の「『リノール酸摂取量の削減および油脂食品の表示改善を進める提言』について」をはじめとして、リノール酸の有害性を指摘するページがいろいろヒットしたのだ。要するに組み換えブタの設計コンセプトの根幹である「リノール酸で健康向上」という前提が間違っていたわけだ。
ちなみに遺伝子組み換えに対する小生のスタンスは、どちらかといえば反対派寄り(運動の中核にいる知人もいるし)だが、「遺伝子組み換えなら何であれ絶対反対」ではない。上の引用が意図するのは、「社会的問題」の解決において科学技術はしばしば本質的に不可欠な役割を果たすが、本当にそれを有効なものとするためには、同時に、その問題の原因となっている社会的要因や、その技術を有用なものにするために必要な社会的条件も動かさねばならない、ということである。したがって、このような条件をクリアし、またさまざまな技術的オプションのなかで、安全性や有効性、経済的実行可能性、持続可能性などさまざまな評価軸のなかでベストだとされるならば、それが組み換え作物であろうとなかろうと、それを使えばいいという「是々非々」のスタンスである。組み換え作物に小生が批判的であるとすれば、それは第1に、上のような「技術的思考の視野収縮」に陥ったものや言説があまりに多く、その結果、他のより有効で本質的な解決を無視したり阻害するからである(もちろんこの傾向は遺伝子組み換えに限らない)。
とりあえず、今回の花粉症予防イネがどうなるのかは、これから始まる栽培実験や食品安全性検査の結果次第だが、それらと同時に、この技術的解決が「視野収縮」に陥っていないかどうかも、ちゃんと検討していく必要があるだろう。作物による医薬品生産といった第2世代では、それが通常の作物と混ざらないようにするための栽培上の工夫だけでなく、流通や消費の場面での分別管理が不可欠である(薬というのは、病気の人には薬でも、健康な人には毒となることもある)。安全性評価は格段に難しくなるが、実験計画では、後者の点も含めて安全性の確認や研究が行われるらしい。おそらく、というか確実に、この実験に対しては激しい反対の声が上がりそうだが、そうした対立の行く末も含めて、今後の展開を注視したい。
まぁ、他にも遺伝子組み換えについては書きたいこと、書かねばならないことがたくさんあるのだが、今日はこのへんにしておこう。たとえば、先月末に行った北海道の「北海道における遺伝子組換え作物の栽培に関するガイドライン」について、関係者に行ったインタヴューの話などある。今日は締めくくりとして、そのなかで、ひとつだけ、とくに特筆に値する点を書いておこう。それは、ある意味、あまりに当然のことなのだが、いわゆる「推進派」とひとくくりにされる人たちも、実は意見はいろいろ多様であるという点だ。このことがなぜ特筆に値するかというと、それは、しばしば反対派は、そうした人々を何か一つの意思で結ばれた一枚岩の集団のように考えがちだからだ。それはひとえにコミュニケーション不足とそれに伴う疑心暗鬼が生み出す一種の「陰謀論」であり、反対派そのものに問題があるわけではないが、両者の間で議論を進める上でかなり大きな障害になっているように思う。細かいことは別の機会に譲るが、たとえば北大農学部の教官有志が規制案について北海道庁に提出した「意見書」をめぐっても、いろいろ研究者の間で意見があったという(なかには電話で大論争したという先生もいたりする)。また遺伝子組み換え作物の巨大メーカー、モンサント社の商売戦略の評価や、種子の特許についての考え方も、人によってさまざまだ。他にもいろいろ面白い意見の多様さが見られたのだが、それはまた別の機会に書くことにする。
============================================
オマケのリンク
内閣府「科学技術と社会に関する世論調査」の結果
内閣府は10日、「科学技術と社会に関する世論調査」の結果を発表した。科学技術に関するニュースや話題に「関心がある」人(「ある程度」を含む)は52.7%で、98年の同様の調査より5.4ポイント減った。特に女性と29歳以下の若い世代に無関心層が多い。政府は「科学技術創造立国」を掲げて、科学離れ対策に取り組んでいるが、十分な効果が表れていないことが示された。(毎日新聞、2004年04月19日
 「十分な効果」という前に、「おもしろ理科教室」みたいな子供だまし的な取り組みの仕方自体が問題あるんじゃないかと思うのだが、どうだろう?ちなみにうちの学部の大部分の学生はいわゆる「文科系」だが、小生の講義は毎年200人近く(一学年は平均250人程度)とるし、もっと自然科学よりの授業も受講生は多い。自然科学系の先生のゼミだって、手堅い人気があるぞ。ま、この調査についても、いずれ論評しよう。
もう一つ。
ドキュメンタリー映画Super Size Me
小生のHPでもリンクしてあるFlashアニメミートリックスも痛快かつ怖いが、これはもっとすごそう。マクドナルドばかり一日三食、一ヶ月間食べると体にどのような影響が出るかという実験を描いたもの。スーパーサイズというのは、(日本にはない)特大サイズのことで、実験では、、「スーパーサイズにしますか?」と聞かれたら必ず同意し、全部食べるという条件で、3人の医者の監視のもとで行われた。実験台=主人公は、監督も兼ねたMorgan Spurlock。Slashdotの記事「毎日三食マクドナルドばかり食べると... 」が紹介しているところによると、その結果は

なんと始めてわずか数日で食べたハンバーガーを嘔吐するようになり、頭痛と欝に悩まされ、性欲も減退し始めるという劇的なもの。それでもなんとか一ヶ月が過ぎ去ったとき、彼の肝臓は「ほとんどパテ」状態になっていたという。医者の一人によれば、肝臓の検査結果はショッキングなほど「非常に、非常に異常な」ものであったそうだ。Spurlockの体重は12キロ増え、コレステロール値は165から230に増加し、顔に斑点まで現れはじめた

う~、思わずゲロリそうになります。
「ファーストフードばかり食べてた友達が入院した」というのは、よく聞く都市伝説だが、どうもそれは伝説ではないということか。まぁ、そうだろうなとは思うが、「ほとんどパテ」というのは怖すぎ。ガクガクブルブル((;゜Д゜))ガクブルガク

 

1つ星 (まだ評価がありません)
読み込み中...

2件のコメント

  1. 遺伝子組み換え作物は非組み換え作物と同程度には安全です。

    GMO反対派の戯言に騙されてはいけません。遺伝子組み換え作物は非組み換え作物と同程度には安全です。むしろ見方によっては「より安全」なケースさえありえます。

ただいまコメントは受け付けていません。