幻の原稿

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昨日の朝日新聞夕刊(地域によっては今日の朝刊)の「かがく批評室」に、昨今流行りの科学技術コミュニケーションの現状と課題に関する拙稿が出ております。
で、その原稿なんですが、とんだヘマをやってしまい、実は最終稿とは違うものが載っております。どんなヘマかというと・・・


依頼元の記者さんの要望により、当初書いたものの後半部分を書き直したものを先週月曜に送ってあったのですが、先週金曜に3日間の出張から帰って、届いていたゲラに目を通してビックリ。なぜかゲラには元の原稿の文章が。。
あわてて改稿を送信したときのメールを確認すると、「念のために」とメール本文に貼り付けた文章は改稿だったのですが、なんと、添付したファイルが元のままでした。
記者さんも、なんかおかしいなぁとは思ってたそうなのですが、これは完全に小生のポカ。もう変更する時間はないとのことで、結局元原稿のまま掲載ということになりました。
で、せっかく書いた原稿で、このままお蔵入りさせてしまうのも哀しいので、記者さんの許可を得て、ここに掲載することにしました。(掲載稿との違いは、前半をシンプルにして、後半の「課題」の記述を膨らませたことです。)

ここ数年、科学技術コミュニケーションの実践活動や教育プログラムが、急速に全国に広がりつつある。たとえば、喫茶店など気軽な場所で研究者と一般の市民が科学技術について語り合うサイエンスカフェ。教育面では、北海道大、東京大、早稲田大が、それぞれ科学技術のコミュニケーター、インタープリター、ジャーナリストの養成プログラムを昨年から設置している。他にも大阪大や東京工大、お茶の水女子大、日本科学未来館などで同様の取り組みが始まっている。
これらの実践や教育は、力点の置き方は違っても、いずれも、研究者コミュニティから一般市民に科学技術の知識や情報を発信するだけでなく、市民の側から研究者に意見や要望を伝えることも含めた「双方向コミュニケーション」を志向している点で、「科学技術に関する国民の理解増進」といった従来の「啓蒙型」の取り組みとは大きく異なっている。
しかもこの変化は、国の政策によっても後押しされている点が興味深い。五年毎の科学技術政策の基本を定めた科学技術基本計画では、すでに第二期計画(二〇〇一年度~二〇〇五年度)で「社会のための、社会の中の科学技術」という理念のもと、双方向コミュニケーションの必要性が説かれていた。今年度からの第三期計画では、さらに踏み込んで「国民の科学技術への主体的な参加の促進」もうたわれている。
このような科学技術コミュニケーションの国策的推進は、欧州諸国にも共通する動きであり、背景にはいくつかの要因がある。一つは、若者の理工系離れや市民一般の科学技術への関心の低下による将来の科学技術の担い手の減少や、産業競争力の低下を懸念する科学界や産業界の声である。また、産学連携が進むなかで研究予算の先細りが懸念される素粒子物理学など純粋科学に対して、国民の支持を高めたいという科学界の思いもある。
対話や市民参加などコミュニケーションの双方向性を重視する点では、九〇年代半ばから、BSEや遺伝子組換え作物、原子力事故など社会的な論争を呼ぶ科学技術の問題が噴出したことも大きい。その結果、政府や科学技術者への国民の信頼が低下し、従来のトップダウン的な政策決定を改め、国民との対話や合意形成を重視する流れが生まれたのだ。また日本では、大学院重点化以降、半ば余剰労働力化している博士号取得者の新たなキャリアパス開拓として、コミュニケーション人材の育成が求められているという固有の事情もある。
こうした多様な事情から積極的に推進されている科学技術コミュニケーションだが、いくつか深刻な問題もある。一つには、せっかくコミュニケーションについて学んでも、それを活かせる職場があまりないという問題がある。
もう一つ、とくに欧州と比べて大きな問題は、科学カフェなど科学技術に親しむ機会や、関心や素養を高める活動は増える一方で、一般市民もしくは多様な利害関係者が、熟慮と討論(熟議)を通じて現実の科学技術の社会問題や課題を検討し、その結果を研究開発や政策決定の場に反映させる試みや、そのための手法の開発がほとんど進んでいないことである。いわば科学技術に対する「シティズンシップ」(市民権/市民性)の確立という課題が置き忘れられているのである。
その背景には、科学技術に対する人々の苦手意識だけでなく、そもそも政策形成全般での熟議型民主主義の経験や、専門性や財政の面でしっかりした基盤を持つNPOなど市民社会組織が、欧米に比べてまだまだ不足しているという日本社会一般の問題があるだろう。それとともにコミュニケーションに係わる研究者の側も、自分たちの研究内容や考えを専門外の人々にも理解してもらうことには熱心であっても、一般の人々の考えや不安を理解し、その結果を研究内容に反映させようとする姿勢や覚悟は、まだまだ乏しいのではないだろうか。またコミュニケーションの媒介役として期待される人文・社会科学者の関与も少なく、そうした異分野の専門家間のコミュニケーションも希薄である。科学技術に対する親しみやすさや知識の向上もシティズンシップの確立には不可欠だが、よりいっそう科学技術と社会の係わりに踏み込んだ取り組みが必要とされている。

なお、この原稿は、下記のエントリーがきっかけで依頼されたものです。
併せてご笑覧いただければ幸いです。
科学コミュニケーションとシチズンシップ―日欧の違い

 

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