初日から腹いっぱい

投稿者:

16時半頃(現地時間)、シャルル・ド・ゴール空港に無事着いて、空港内でテキトーに時間潰して、19:18発のタリス号に乗り、20:35頃ブリュッセル南駅に到着。先日はこの駅の近くで「車炎上」があったみたいだが、とりあえず駅から見る限りは静かだった。
その後、在来線に乗り換えて一駅先の中央駅に移動。そこから徒歩でホテルに向かう。最初に駅から進んだ方角がちょっと違って、やや遠回りしてしまった。そのうえ、スタッフが一人しかいない受付でけっこう待たされながらも、なんとか21:20頃に部屋に入れた。(外はけっこう寒かった。)
その後、荷解きしたり妻に到着メールを送ったりしたあと、22時過ぎにレストランが立ち並ぶブッシェー通りに食事に出かけた。入ったのは、去年3月に来たときにも入ったAux Armes de Bruxelles。日曜の夜のこんな時間だというのに、けっこう人が入っていてにぎやかだった。

ブリュッセルということで、ムール貝と魚料理の二品を頼んだが、ちょっと見通しが甘かった。写真のように、ムール貝はたっぷり鍋に入ってくるから、そのスープも含めれば、これだけでもかなり量がある。魚を食べ始めてあたりでちょっと後悔。おまけにデザートまで(欲望に負けて)頼んでしまったので、すっかりお腹はいっぱい。初日からこんなんで大丈夫かと、帰国する一週間後の体重が気になった。明日は、現在パリに出張中の食いしん坊S氏が合流するので、夜は(余計に)しっかり食べることになる。せめて明日はデザートは頼まないようにしようと心に誓う。


ちなみにさっき、明日からの会議のプログラムを見てたら、オープニングの基調講演者の一人が中国科学技術協会(Chinese Association for Science and Technology)の人であることに気づいた。そうそう、最近、科学技術政策の国際的シーンでは中国のプレゼンスがとても大きくなってるのだ。自分は参加してないが、去年の国際リスクガバナンス・カウンシルの基調講演にも中国の政府関係の人がいて、「市民参加が重要」なんてことまで含めて話していたそうだ(中国政府関係者から「市民参加」なんて言葉を聞くとは思わなかった、と参加した知人が言っていた)。今年のカウンシルの会場は北京だったし。はっきりいって、アジア代表は中国、てなかんじになってきてて、日本の影が薄い感じがする。明日の会議も、果たして日本人は何人来てるのだろうか。小生とS氏だけだったら、ちょっと哀しいぞ。
そういえば、9月に京都で「科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム(STSフォーラム)」という政治家主催の会議があったらしい(「らしい」というのは、去年の結果から、内容に何も期待が持てないので、全然チェックしてなかったから)。「科学技術の光と影」がテーマだったというこどだか、これに招待された小生の知り合いの欧州の研究者は、たいそう幻滅を味わったそうだ。「科学技術と社会(STS)」であるのに、政財界中心の話ばかりで、科学技術社会論(STS)の内外の蓄積がまったく反映されていないことなどが理由だそうで、後日、欧州委員会への報告にはメタクソ書いてやったそうだ。ちなみに以下の日経ネット関西版でも指摘されているように、「科学技術と社会」といいながら、市民社会には門戸を閉ざし、欧州の科学技術政策では基本課題になってる市民参加云々の視点やセンスもないことを露呈している。(欧州に関してはたとえばScience in Society Forum 2005、とくにUlrike Feltさんの報告を参照。)フォーラムは経済に関する「ダボス会議の科学技術版」ということで開催されているのだが、本家のダボス会議が、世界的な反グローバリゼーション/オルタ(もう一つの)グローバリゼーション運動の高まりを受けて、一昨年当たりから市民社会組織との対話を重視し始め、同時開催されてる世界社会フォーラムとの連携企画なども行ってるのに対し、科学技術版・日本版ダボス会議は、そういう動きやセンスが哀しくなるくらい鈍い。(まぁ、この記事も「情報発信」という一方向的なコミュニケーション(?)しか語っていないから、相変わらず昔の路線にとらわれていると言えるのだが。)

<先望鏡>科学技術の功罪 京都で議論──社会への成果発信がカギ(10月5日)
・・・フォーラムは尾身幸次元科技担当相らが「科学技術版のダボス会議を」と呼び掛けて昨年始まり、今年で2回目。スイスのリゾートを舞台に政財界人がひざ詰めで経済の行方を占うダボス会議にならい、「自由な討論を通じ科学技術のあり方を探る」のが眼目だ。
 3日間の討議では、米南部を襲ったハリケーンを巡り、南アジアの出席者が「同じ規模の水害は途上国にとって日常茶飯事だが、米国は何もしてくれなかった」と詰め寄る一幕もあり、論戦が熱を帯びた。「科学技術の会議というと先進国だけの“金持ちクラブ”が相場だが、途上国からの参加が多く特色が出た」と好感する出席者も多く、来年以降も京都で毎年開くことが決まった。
 ただ、本家ダボス会議のように耳目を集める会議に育つかどうか、課題は多い。1つは討議の成果をどう情報発信するかだ。フォーラムは一般市民や非政府組織(NGO)には門戸を閉ざし、報道も「発言者が特定できる引用は不可」と制限がつく。日程が衆院選と重なったこともあり、取材陣はまばらだった。
 主催者側は「傍聴や報道の制限は、参加者が自由に発言する雰囲気を壊さないため」と説明するが、科学技術と社会のかかわりをテーマにした会議だけに、市民と対話して声を聴く場も必要だろう。

「霞ヶ関」のほうの科学技術政策は、基本は産業振興・産学連携推進なのだが、同時に、センスのいいお役人があちこちに増えてきたのか、けっこう現代的になってきてると思う。これに対し「永田町」の変化は明らかに遅い。それが変わるのはいったいいつのことだろうか。(まぁ、そのためには我々研究者と、日本の市民社会がもっとがんばらないといけないのだが。。)

 

1つ星 (まだ評価がありません)
読み込み中...

2件のコメント

  1.  ご無事の到着、何よりです。一応、テロもまだまだありますから。
     ところで、何の会議に行かれたのですか? 中国? 市民参加? これまでSTSでは、民主主義の補完装置のような文脈で話をしてきたわけですから、根本的な見直しが必要ですよね。
     STSに政治家が乗り出すのは、むしろ自然なこと、歓迎すべきことと宗像は思っております。小中学の教科書で習った日本の民主主義では、民意を反映させるのは政治の役割。そこが健全に機能していないから、バイパスのようなものを検討しているわけで。本道を整備するほうが、宗像は正道であると思っております。
     STS学会の方は、うちのアホ藤本が会場で大爆笑を誘ったこと以外、全て順調でしたよ。あの馬鹿、”Work in Progress”セッションで発表しているのに、「この研究は昨年で終了しました」とか言いやがった・・・。

  2. 会議は、前のエントリーに書いてありますが、Communicating European Research 2005というやつです。科学コミュニケーションに関するセッションが中心ですが、同時に、いろんな研究・開発に関する展示も100以上並んでます。参加者は、たぶん2000-3000人はいるんじゃないでしょうか。
    STSに政治家が乗り出すことは、私も賛成です。というか、もっとたくさん、かつ真剣に乗り出してほしいです。でも、上のエントリーでふれた「STSフォーラム」は、少なくとも今のところは、STSと似て非なるものに留まっているようです。何もしないよりは「マシ」ともいえるかもしれませんが、道のりは遠そうです。
    政治のあり方を考えても、本来はpolicy makerといったら政治家を指すはずなのに、日本ではほとんど官僚になっちゃってますよね。科学技術に限らず、全般的に政策形成能力を政治家あるいは政党や議会が身につける必要があります。この点では、自民党、民主党がそれぞれ独自のシンクタンクを作るということで、少なくとも意識は変わってきてると思います。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください