「たら・れば」BSE答申まとまる

投稿者:

米国・カナダ産牛肉の輸入再開問題で、とうとう食品安全委員会プリオン専門調査会の答申がまとまった。マスコミ報道は、どこも「年内に輸入再開へ」、「食品安全委員会、輸入再開を事実上容認」の見出しで踊ってる。確かに、政府の方針から見た現状はそうなんだろうが、全体として無批判な現状追認、もしくは現状歓迎ムードが漂ってて、相変わらずアホくさい。明日の社説では、多少は批判的な見解を書くところもあるんだろうか。


各紙の記事でもいちおう触れられているし、また共同通信の記事「『結論の独り歩きは困る』 BSE問題で調査会座長」が正面から取り上げているように、今回の答申はあくまでも、特定危険部位の除去や「20ヶ月齢以下の牛であること」などの「輸入再開条件」が満たされているならば、北米産牛肉と国産牛のBSE汚染リスクの差は非常に小さい、というものでしかない。
そして、この肝心の前提条件そのものが満たされているかどうかはデータ不足で不明であるため、リスクの同等性そのものは「科学的に評価することは困難だ」としていることが重要だ。(リスク論的に言えば、感染牛など「ハザード(危害要因)」の分布とそれに対する「曝露」の度合いが不明なのだから、リスクなど計算できるはずがない。)先日、とある研究会でお会いしたある調査会委員の先生も「たら・ればの結論など科学ではない」とおっしゃっていた。
この一番のポイントをふまえて、吉川座長も「結論の独り歩きは困る」と述べ、答申案の結論はあくまで条件付きであることを強調したそうだ。
それでも、結局は「年内に輸入再開へ」なんて見出しをつけてしまうマスコミは、吉川座長の指摘をないがしろにして、結論を独り歩きさせてしまうのだろう。本来ならば、この「結論」の前提である輸入再開条件こそ、一番よく分かっていないことだし、年末までに明らかとなる見込みなどまずないのだから、せいぜい「輸入再開のなお残る壁 輸入再開条件の是非」という見出しが相応しいはず。
ましてや、思考力や理解力というものが小さじ一杯程度でもあれば、間違っても「専門調査会、輸入再開を事実上容認」なんて見出しはつけられない。なにしろ調査会の答申は、目隠しした状態で「いま信号が青ならば渡っても大丈夫」といってるのと同じなのだから。いったいどこの馬鹿が、この言葉のままに子供に道を渡らせるだろうか? それは単なる仮言名法であり、輸入再開に関する「事実」的なことなど、調査会の結論からは導けない。「事実上容認」しているのは、調査会ではなく、政府の側であり、そういう責任の所在をあいまいにしてしまうマスゴミは、その罪深さを少しは自覚すべきだろう。
ちなみに共同通信の「現地で“抜き打ち”査察 牛肉の危険部位の除去確認」は、農水省・厚労省は、抜き打ち現地調査をする構えであることを報じている。しかし、アメリカ相手にどこまで有意味な調査ができるかはほとんど絶望的なんじゃないだろうか。と畜場の数も多いうえに、アメリカ政府も精肉業界の協力など、これまでの経緯をみればほとんど見込めないのだから。
そういえば、英国で最初にBSEが発見され、人への感染が疑われたとき、英国政府が発表した結論も、科学者たちの出した結論の一部を独り歩きさせたものだった。科学者たちは「現在入手可能な証拠に基づけば、人に感染するリスクはほとんどありそうにない(most unlikely)」としていたが、政府の発表では、この前提条件「現在入手可能な証拠に基づけば」が抜け落ち、「リスクはほとんどありえない」、あるいは「リスクはない」という部分だけが独り歩きしてしまったのだ。
ちなみにこの英国の事例では、他にも、科学者の委員会の審議自体にさまざまなかたちで省庁からの介入があったことが、政府の調査委員会BSE Inquiryの膨大な分量の報告書によって明らかにされている。(こういうところは、英国と日本が違うところ。日本もBSEが国内で発生した後、BSE問題調査検討委員会が作られ、その報告書が今日の食安委を含む食品安全行政への改革をもたらしたのだが、報告書の詳細さの点では、大人と子供の差がある。)英国BSE問題については、まだ翻訳はないが、次の本もとても詳しい。(この著者たちとは、来月から共同研究をすることになってる。来月半ばのブリュッセル出張の用件の一つは、その打ち合わせ。)

Patrick Van Zwanenberg, Erik Millstone. BSE: Risk, Science And Governance, Oxford University Press, 2005.

それともう一つ、米国牛肉問題で思うのは、米国牛を輸入したがってる外食産業は、輸入解禁したら、食肉処理の実態が怪しい従来の取引先の大手ミートパッカーとは縁を切って、牛の生育履歴もしっかりしてる小規模生産者や精肉業者と新たに契約してしまえばいいんじゃないだろうか。もちろん、大手企業出身の幹部がたくさんいる農務省(USDA)や、大手からたくさん献金もらってる議員たちは憤慨するだろうが、これはあくまで「商売」である。市場取引において、より信頼性のある売り手から買うというのは、ごくごく当たり前の自由主義経済の商行為であるはずで、政府が介入すべきことじゃないだろう。(それこそ、アメリカの伝統であり、最近は日本も追従してる「小さな政府」論の根本だし。)外食産業と商社の中の皆さん、ぜひトライしてみてはいかがでしょう?

 

1つ星 (まだ評価がありません)
読み込み中...

10件のコメント

  1. 専門委員のコメントにあった「スタートライン」という表現がありました。
    アメンドメントが機能するように、公衆の関心がなくならないことを祈ります。
    「はい、これで決着」と考えたい人達が沢山いるのでしょうが。

  2. 「関心の継続」というのが一番難しいですね。
    世の中、いろいろありすぎるから。
    マスコミにしたって、「健忘症」はひどいですし。
    上に書いた「とある研究会」で、K里さんが「定点観測の必要性」というのを言っていました。

  3.  うちの四年生が、今、食品安全委員会関連の議事録を分析しているのですけど、消費者団体側や主婦から、「輸入再開を!」という声は、ほとんど上がっていないようですね。
     前もこの日記に書き込みましたが、なぜそこまで、リスクベネフィット論まで無視するのか。消費者が抱えうるリスクを肩代わりする覚悟がないなら、求めてもいない商品を供給すべきではないと思うのですが。

  4. 新聞に、食品安全委員会が、今回の答申に対しての国民からの意見をメールで募集していました。
    反対意見が多ければ、輸入再開はなくなるのでしょうかね?国民の意見の何を聞いてくれるのか、私も投書してみようかな。。。
    国民審査…かな?

  5. >宗像さん
    「輸入再開を!」といってるのは、もっぱら米国牛肉に依存してきた外食産業団体ですね。新聞社のアンケート調査によると、「団体」ではなく一般の消費者では、過半数ではないにしろ、何割は輸入賛成の人もいるみたいですが。(それでも女性は男性に比べて、反対の割合が高いですね。)
    12月2日の研究会は、その「四年生」にもぜひ声をかけておいてください。(あと藤本君もですね。)
    農水省・厚労省がどう考えてるのかはわかりませんねー。米国会計検査院の報告も含めて、あれこれの状況証拠を見る限り、とても輸入再開の前提条件は満たされていない、少なくとも満たされているという客観的証拠はない状況なわけで、まともに考えれば、輸入再開は、科学とは何の関係もない「政治的判断」でしかないわけですが。個々の役所よりもっと上の「首相官邸」の意思なのでしょうね。仮にリスクベネフィット論があるとすれば、牛肉輸入再開を拒み続けた場合にあるかもしれない経済報復措置で、他の産業分野に支障が出ることを考えてのことかもしれませんね。潜在的にはトータルで100万頭の感染牛がいたとされてる英国で、今のところvCJD感染者数は160人程度、ということで、日米関係重視の小泉政権としては、「無視できるリスク」と勝手に考えているのかもしれません。
    そのうち、首相をはじめとして閣僚が、「アメリカンビーフは美味しくて安全」なんて、ステーキをばくばく頬ばる(使い古された)パフォーマンスの映像がお茶の間に流れるんでしょうね。
    >arcadiaさん
    ぜひぜひ意見、提出してください。
    上に書いたように、農水省・厚労省はともかく、政府トップとしては、おそらく「輸入再開はじめにありき」でー結論は決まっているのでしょうが、反対意見が多ければ、それがいかに政治的にゆがんだものかがはっきりするという意味は大いにありますしね。黙ってしまったら、「国民の多くは賛成している」と勝手に解釈されてしまうだけですから。

  6. >平川先生「日米関係重視の小泉政権としては、「無視できるリスク」と勝手に考えているのかもしれません。

    そうそう、問題はそこです。フレーミング論を用いて表現すれば、「そのような問題の捉え方に合意できない」、と表現できるし、中西リスク論であっても、それは「社会的に合意されていないエンドポイントで定量化している」、と言うことになるのだと理解しております。
    この4年生は高口君と申します。12月2日の件、来週のゼミで声をかけておきます。

  7. 宗像さん
    >そうそう、問題はそこです。
    まったくそのとおりだと思います。
    リスクが受容可能かどうか、無視できるかどうかは極めて政治的で公共的な問題であり、社会の合意を必要とするというのはリスク論のイロハですからね。「いつ合意したんだよ?」「勝手に無視してんじゃねーよ」と言いたいです。
    それとフレーミング(問題設定)のところも今回は露骨にひどいですね。これは、リスク論では、リスク評価で何を、どんな基準で、どのように評価するかを定める「リスク評価方針」の問題ですが、この点で今回の審議の前提になった農水・厚労省から食品安全委員会への「諮問書」には大きく分けて2つの問題点があるように思ってます。
    ひとつは、大変実効性に疑いのある米国の国内規制と、まだ実施されていないし、それもまた実効性が疑わしい日本向け輸出プログラムが「守られているとして」という前提の上で、日本と米国でリスクが同等かどうかを評価せよ、となっていることです。端的にいえば、その妥当性を確かめる手がかり(データ)がほとんどない大変危うい仮定の上に乗っかって答えを出せといってるわけで、その「評価結果」は、現実的にはほとんど意味がないわけですね。もちろん科学というのは多かれ好くなかれ、理想化や仮定をもうけるものですが、これはひどすぎ。
    この問題は、次のようにも言い表せます。つまりこの諮問は、リスク評価に必要な「ハザード→暴露→リスク」という筋道のなかの要素のうち、ハザード(感染牛数の割合やその異常プリオン保有量)についても情報も、暴露(牛から牛への感染に関しては飼料規制の程度、牛から人へは危険部位除去の程度)に関する情報も大幅に欠落し、しかも、本来はリスク評価の一部であるそれらの評価は、リスク評価者である専門調査会にとっては「満たされているとして」という与件になっていて、リスク管理者(農水・厚労省)側に預けられているということです。これはもう、リスク評価の「練習問題」にはなりえても、本番にはなりません。
    第二の問題は、コーデックス委員会(国際食品規格委員会)の推奨モデルでは、リスク評価方針を作るのは「リスク管理」の仕事だけれども、リスク評価者(専門家)はもちろん、消費者も含めた利害関係者と協議して決めるという、極めて政治的で公共的なことになっているのに、そういう協議が、専門調査会メンバーにすらほとんどなされた様子がないことです。これについての批判は専門調査会の審議の中でもあがってたと思います。
    このあたり、12月2日の研究会ではじっくり突っ込んでみましょうね。

  8. ジャマイカの今 と 牛肉問題

       
       Nice to meet you.
       
         このページは必要に応じて更新してゆきます。
       ?
    ———…

  9. 平川先生。
    T大F研の藤本卓磨です。宗像先輩には厳しくしごかれています。
    明日の研究会への招待ありがとうございます。
    研究会で金子先生に聞きたいことをまとめてみました(長文失礼いたします)。
    当日、私が間違っている点などをフォローしていただけると幸いです。
    プリオン専門調査会34回目の配布資料に基づいて、最後の論点について質問したいと考えております。
    各委員のコメント(34回配布資料)
    金子委員  資料2-2 提案した結論の文面
    リスクの同等性は、科学的には未だ不明であると言わざるを得ない。
    ただし、~遵守される場合を仮定すれば、~リスクの差は非常に小さいと考えられる。
    金子委員 当日配布資料
    ~2つの同等性を科学的に結論づけるのは無理があり、厳密には不明とせざるを得ないと考える。しかし、リスク管理機関から要請されたように、諮問の前提条件が遵守されていると仮定すれば、過去検討してきた評価結果が導かれ、その解析手法は科学的である。ただし、これらを科学的評価と記載するだけでは、全体像を見失った結論になってしまうと考える。さらに付け加えると、先に指摘した点(我が国の評価と違い、十分な実証データに基づいた科学的検証ができていない)を明示しておかないと、「我が国における牛海綿状脳症(Bse)対策に係る食品健康影響評価」の価値にも影響を及ぼしかねないと考える。
    吉川座長 資料2-3 (金子座長代理の御意見に関するコメント)
    この段落が、リスク管理機関の責任回避に使われることを避けるためならば、諮問の意味が科学的同等性を問うものであれば、現時点では不明であると言わざるを得ないという回答でいいと思います。他方分析結果は分析結果ですから、これはただし書きで書くよりは、他方で書き出す方が適切かと思います。
    山本委員 資料2-5 金子委員の意見に対して不明な側面もあることは一番はじめのリスク評価の方針のところに書いてあり、何度も出てくると、リスク評価の作業そのものが科学的に行われなかったという印象を与えかねませんので、削除した方がよいと思います。同等性の定義は大変難しいものですが、「同等性を問われれば、現時点では、科学的に不明であるということ」と「リスクの差が小さい」という結論は矛盾するものになります。とくに、リスク評価は科学的に行っており、同等性評価は科学的に行っており、同等性評価は科学的に行わなかったという文章は英語になったときに理解されないと考えます。論点1.なぜ金子委員のみしか、結論の文面に対して最後まで科学的評価であると受け取られることを拒もうとしなかったのか。(審議会の場における医学者と農学者との科学に対する姿勢の違いから来ているのか。農学者は医学者よりも審議会の答申における科学的厳密性にこだわらないのか)
    2.金子委員が提案した結論の文面で「ただし」という言葉をなぜ文面から落とすのを認めてしまったのか。3。なぜ「同等性」について委員自ら定義することをさけ、さらには「同等性」については全く言及せず「リスクは小さい」という結論になってしまったのか。(これにより政治的に答申が利用されることを事実上許してしまっている)
    4。なぜ答申を受け取る段階で委員は自ら行政側にできないと突き返すことはできなかったのか(金子委員の発言を読むと、実際のところ突き返したかったのではないか)
    5。裁判判決のように少数意見として盛り込むことはなぜできなかったのか。
    6。今回の委員会の教訓とは何か。そして教訓を生かすにはどうすればいいのか。
    7。答申制度のインプット/アウトプットの仕方の問題なのか、それとも委員自身の姿勢が問題なのか。それ以外が問題なのか。
    8。リスク分析とリスク評価を同じ委員が行ってしまっているが問題ではないか
    最後に。当日、平川先生にアドバイスいただきたいこと。
    同等性の定義/運用はどうなっているのか。調べるのにアドバイスをいただきたいです。
    それでは、明日アドバイス等いただけることを楽しみにしています。
    ご指導をよろしくお願いします。

  10. 平川先生。
    先ほどのコメントのなかで間違った点がありました。
    再度、最終答申の内容を確認すると、「同等性について困難だ」という結論が言及してありました。山本委員が委員会の場で発言した点は矛盾したままになっています。明日までには聞きたいことを洗練させて考えておきます。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください