北海道GM規制をめぐって

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すでに数日前のニュースだが、北海道のGM(遺伝子組換え)作物規制のニュース。すでにGM作物の研究開発については、「届け出制」ということで決定済みだが、今度は商業栽培に関するもの。

<GM作物>実施した場合、懲役含めた罰則科す方針 北海道 (毎日新聞 – 1月27日)
 北海道は26日、許可なく遺伝子組み換え(GM)作物を実施した場合、懲役を含めた罰則を科す方針を固めた。無許可で栽培した生産者には1年以下の懲役または50万円以下の罰金になる。道は罰則を盛り込んだ条例案を定例道議会に提案し、来年1月の施行を目指す。・・・

北海道の規制案については、政治的圧力の産物とか、非科学的とか色々言われているが、多少なりともこの件に関して関係者にも取材しつつフォローしてる観点から言うと、必ずしもそのような切り口で切っていい話じゃないのは確か。まだ、さまざまなステークホルダーの意見分布の全体像をつかみきっていないので、あまり多くは現時点では書けないのだが、少なくとも、社会的に摩擦の多い新技術をどう扱うかに関して、今後の糧となりうるいろいろな経験が詰まったケースと見たほうが生産的だと思ってて、そのうちちゃんと文章にすべく、来月あたりも北海道に飛ぼうと思っている。また道庁にしても、単にGM作物が現時点では消費者から敬遠され、いわゆる風評被害が容易に起こりうるからという消極的な理由からだけでなく、少なくとも現状のGM作物(第1世代)の設計思想の基本にある大規模大量生産農業のパラダイムは、日本で追求しようにも限界があり、違うかたちで日本ブランド、あるいは北海道ブランドを作り出したいという、GM問題に限られない前向きかつ視野の広いヴィジョンで動いていたりする。
それで、これに関連して、興味深いブログ記事を見つけたのでご紹介。

GM作物の栽培に罰則を科そうとする北海道幻影随想さん

この記事の一番のポイントは「GMO反対運動はモンサントを利するのみ」ということ。その詳しいロジックは上記記事を読んでいただきたいが、これは小生も考えていることで、研究開発サイドの専門家が主張するだけでなく、ある意味、推進派と反対派の折り合いがつけられるポイントになりうるものだとも考えている。ここで「折り合い」というのは、別に、「推進」または「反対」で両者の意見が一致しちゃうことではない。それぞれの立場はありながらも、その緊張関係の中で、共通目標や課題をみつけ、その達成や解決のためには何をしたらいいかを議論しあう場と時間を持てるようになることだ。
そうしたいわばオープンエンドな「呉越同舟」(←私の好きな言葉の一つ)の舟となりうるのが、実はすでに研究開発について設置が決まっている「食の安全・安心委員会(仮称)」だったりする。そのような場で、推進・反対どちらの立場にとっても共通課題となりうるのが、日本農業の種苗を外国資本からどう守るか、日本の風土に適した作物を日本独自にどう開発するかだというわけである。もちろん、この開発にあたって投入される技術は、必ずしもGMに限られたものではない。さまざまな技術オプションの一つにGMがあり、ある目的実現にとって、食品安全、環境安全、社会経済的影響、社会的ニーズなどの総合的観点からそれがベストとされるなら、使えばいい。実際、これから温暖化が進んで、気候変動が激しくなったりすると、GM技術が活躍すべき場面は多くなってくるように思う。その際に、メリットだけでなく、さまざまな問題点をできるだけ早い段階から洗い出し、生産者にも消費者にも好ましいものにするためには、意見や立場、あるいは経験や価値観――科学者・技術者としての経験・価値観だけでなく、生産者や消費者としてのものも含めて――が多様であったほうが良いという考えだ。そうした議論において、立場の違いを橋渡しし、合意の形成の取っ掛かりとなりうるものの一つが、いわば「外国資本から日本ブランドをどう守るか」というテーマだと思うのである。
その点で、幻影随想さんの上記の記事は、このようなテーマを共通課題にする必要性を後押しする論理として考えるべきだと思う。
しかし、問題点を感じたところも一つある。それは「GM作物の食品としての安全性は既に科学的に証明されている」という主張。
これのどこが問題なのかというと、この主張は現時点で実用化されているものについては正しいとしても、将来開発されるものすべてにあてはまる「全称命題」ではないということ。幻影随想さんは個別の特称命題として書かれてるんだと思うのだけど、全称命題としてこれを主張することはまずい。国際的に共有されたGM生物の安全管理の原則に、「GM生物の安全性は、GM技術そのものの使用(プロセスベース)ではなく、個々の開発品目について是々非々で検討すべし」という「プロダクトベース」という考え方がある。全称命題としての「GM作物の食品としての安全性は既に科学的に証明されている」という主張は、この国際原則に反している。
第二に、「科学的に証明されている」といくら言っても、今時の消費者は容易には納得しないという事実がある。それはあくまで「現時点」の科学的証拠に基づく証明であり、将来どうなるかはわからないじゃないか、BSEやフロンガスの例を思い出せ、といわれるのが関の山である。へたすると、「そんなことを断言する科学者は不誠実で信じられない」とソッポを向かれかねない。(これは実際、農水省が2000年に一般市民を集めて開いた「遺伝子組換え農作物を考えるコンセンサス会議」の参加者の感想の一つでもある。)もちろん、このようないわば「科学の無知」という不確実性、「未知のリスク」に対する懸念に対しては、「そんなことまで心配してたら何もできない」という反論はありうる。実際、われわれは、科学技術に限らず、日常の生活の場面でも、そうした無知や未知のリスクには大部分ほっかぶりして生きているし、そうでなければ何もできない。(何もしてなくてもUFOが自宅に墜落するというSMAPのCMがあったな。)けれども、そうした「ほっかぶり」を決めて「エイヤッ」と飛び出すときに必要なのは、現時点での科学的証明だけでは不十分だし、「そんなこといってたら何もできない」というクリシェだけでもない。もう一つ大事なのは、未知のリスク、不確実性を引き受けることにどれだけ意味や意義、価値があるか、という科学を超えた価値的・社会的正統性である。さらにいえば、そうした正統性を考える議論に自分たちも加わりたい、自分たちの意向も聞いて欲しいという政治的正統性や、危険な兆候を的確に監視し、被害の未然防止や最小化、万が一被害があった場合の補償などのためのシステムや能力、モラルが専門家集団や行政、企業に備わっているかどうかという制度的・道義的正統性もやはり重要だろう。このような広がりのある科学技術の正統性の議論を「科学的証明」だけに切り詰めてしまうことは、それだけで消費者の要らぬ不安や不信を招くだけだろう。(だいたい「科学的に証明されている。専門家がそういうのだから黙って信じろ」では、科学ではなく宗教であるし。)
また第三に、次の二重の意味で、「科学的証明」の際に用いられた科学の視野(スコープ)は、どこまでカヴァーしてるかという問題もある。一つには、安全性は食品としてのものだけでなく、栽培作物として周辺環境に及ぼす影響や、社会経済的な影響(幻影随想さんも懸念している外国資本に種苗が独占されるというのもその一つ)だってあるし、それぞれのタイプの影響についても、細かく見ればいろいろある。それらは十分考慮されているのかという問題である。また第二に、それらさまざまな影響を検討する際に、必要な知識が十分に投入されているかという問題もある。しかも、それは必ずしもいわゆる専門的な科学知識だけではない。たとえば生産者がもってる栽培や安全管理に関する実務上の知識も必要となる場面もありうるだろう。これらが不十分なままだとすれば、たとえ現時点でいえる科学的証明についても、盲点がいっぱいあるということになってしまう。
他にも、北海道の規制案については、いろいろ興味深いポイントがたくさんある。これは幻影随想は触れてない問題だが、規制案に対する批判には、規制案は国の法律(カルタヘナ法)に屋上屋を架すものであり、過剰規制だというものがあるが、これはカルタヘナ法と北海道案の中身をちゃんと見ていない誤解に基づく批判である。というのも、カルタヘナ法が対象にしているのは、GM生物が自然環境に及ぼす影響であるのに対し、北海道のは、同法がカヴァーしていない栽培作物に対する影響に絞ったものだからだ。ちなみに栽培作物への影響については、農水省が昨年、ガイドライン「第1種使用規程承認組換え作物栽培実験指針」を作っているが、これは独立行政法人などの試験研究機関の栽培試験を対象にしたものであり、民間研究機関の試験栽培や商業栽培は対象外である。この空白を埋めるのが北海道案というわけである。
ただ、そうなってくると、「なぜ、ここまでGM作物に規制の網をかけるのか」という疑念も湧いてくる。開発サイドから見れば、まるでGM作物を目の敵にしてるようなものだと恨み言をいいたくなるだろう。これについては、もっとよく考えなくてはならないが、とりあえずは、このような厳しい規制は、BSEやフロンガスなど、科学技術の負の側面を目の当たりにしてきた現代社会では、新規の技術の開発・実用化にあたって、以前ならいわば「外部化」あるいは「先送り」、「割引き」できていた正統性調達のためのコストが内部化され、支払わねばならないものになったということとして理解できるのではないだろうか。そして、とくに欧州ではBSE、また日本では高速増殖炉もんじゅをはじめとする原子力事故や薬害エイズ事件などの直後の導入という歴史的偶然から、たまたまGM作物がこの厳しくなったコスト要求の最初の負担者になったということではないだろうか。
ちなみに欧米では、こうしたGM作物の経験を前向きに活かすかたちで、今のところはプラス面ばかりが世間的にもてはやされているナノテクノロジーについて、「社会的インプリケーション研究(social implication studies)」ということで、開発段階からプラス・マイナス両面の社会的影響を予測・評価し、開発に活かそうという研究プログラムがいくつも動いており、日本でもおそらく2年以内には、あちこちで始まる気配である。科学技術と社会のいわば「契約関係」は変わりつつあるのだ。
また、もう一つ、GM作物に絞った話でいうと、カルタヘナ法はいずれ、より広く、外来生物種対策――最近、ブラックバス対策などで話題になってるやつ――のための包括的な法制度の中に組み込まれるかたちに改正される見通しであったりする。小生が経産省のカルタヘナ法策定のための審議会委員をしていた頃にも、事務局の役人の人が、そのようなことを言っていた。確かにカルタヘナ法が担保するカルタヘナ議定書はGM作物をターゲットにしたものだが、その親条約は生物多様性条約であり、その観点から見ても、外来種対策としてのGM規制という位置付けは正当なあり方だろう。こうした観点からも、(GM生物そのものではなく)GM規制の正統性を考えることもできるんじゃないだろうか。

 

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10件のコメント

  1. 冬場の北海道入りは陸路が確実です。トワイライトエクスプレスや北斗星やカシオペア(閑散期は2人部屋をひとりで使用できます。割増料金かかりますが)をおすすめします。八戸まで新幹線で来るのも良いと思います。
    今年の北海道は地面がスケートリンク状態のところが多いので、裏がしっかりした靴でないと歩行が厳しいです。

  2. 拙ブログの記事を取り上げていただきありがとうございます。
    中立的な立場の方の意見はあまり目にする機会がないので興味深く読ませていただきました。
    いずれまたGMについて考えたことをTBさせて頂きたいと思います。
    一つだけ思ったことを
    >「科学的に証明されている」といくら言っても、今時の消費者は容易には納得しない
    「納得した頃にはとっくに多国籍アグリビジネスに市場を乗っ取られた後なのでは」
    というのが私(多分他の研究者も)の抱えている不安です。
    今のままではおそらく
    「海外でのGMO栽培拡大によりGM作物の輸入も拡大」
     ↓
    「輸入作物の消費という既成事実に負けて国内でも解禁」
     ↓
    「なし崩し的にGMOの利用が始まる」
    という流れになる可能性がもっとも高いですから。

  3. 『NHKスペシャル「陸上自衛隊 イラク派遣の一年」』

     こんばんは。今日は先月の29日の午後9時に、NHK総合で放映された『NHKスペシャル「陸上自衛隊 イラク派遣の一年」』を観て考えたことを書きたいと思います。
     この番組では現在、自衛隊が海外派遣を前提とした、実力部隊としての性格を強めていることが論じられま、…

  4. はなゆーさん
    >冬場の北海道入りは陸路が確実です。
    そういえば、このまえ友人が札幌に出張するとき、飛行機が途中で羽田に引き返し、結局何本か後の便で行くことになったと言ってました。この時期、ほんと北方面へのフライトはリスキーのようですね。
    黒影さん、コメントありがとうございます。
    >「納得した頃にはとっくに多国籍アグリビジネスに市場を乗っ取られた後なのでは」
    う~ん、難しいところですね。
    不確実性を呑み込んで「エイヤッ」と飛び出すのをOKとできるような良いものが早く開発されるというのが必要かもしれません。
    それと、反対派はけっこう、「日本の研究者もモンサントの仲間(手先)」みたいな見方をしている人が多いと思います。(ま、実際、それに近い人もいるわけですが。)そうじゃない研究者がいっぱいいるんだということ、たとえば特許を取るにしても、外国企業から日本オリジナルを守るためだとか、何か共通の利害をアピールしていくことも必要かもしれませんね。

  5. 興味深く読ませていただきました。幻影随想も含め、このような議論が出てきたことは、今後のこの問題の在り方を考える上でも重要と思います。ご指摘のように、北海道の問題は、科学的証明で片付くものではありません。そもそも北海道の姿勢は初めから科学的に考えようとはしていませんから。北海道の規制の主旨は北海道ブランドの差別化であることは明白でしょう?北海道産=遺伝子組換えでない=安心 という図式を作りたいだけでしょう?今は、副産物的に前向きな流れも見えてきているかもしれませんが。
    ほぼ100%の豆腐に「遺伝子組換え大豆を使っていません」という表示があります。一方で、植物油は「脂肪が付きにくい」と「トクホ」に指定されていても、その製造には殆どの場合GM(不便別)原料が使われています。多くの食品メーカーや生協は、表示 義務が無いのに使っていない(分別)ときだけ、「不使用表示」をし、使っている (不分別)ときには表示義務がないからと表示をしません。日経BPのFOOD SCIENCEの 調査によれば「食の安全・安心ブランド調査」の1位はキューピーだったそうですが、 キューピーマヨネーズの原料のオイルが不分別原料由来であることはキューピーも認めているとのこと(FOOD SCIENCEの報道ではありません。また、キューピーの姿勢には文句はありません。現状では食品メーカーとして自然な姿勢と思います)。GM原料が一切使われていない加工食品を探すのは難しいぐらいではないでしょうか?それでいて、一部生協(だけとはいいませんが)等は、GMを 目の敵にしたようなキャンペーンをはります。GM由来食品を沢山扱っているにも関わらず(もしかしたら、その認識が無いのかもしれませんが)。これって消費者を欺く行為ではないですか?北海道は、こういう行為に迎合しようとしているだけのように映ります。
    確かに、短期的にはGM栽培は日本農業にとってメリットは少ないかもしれません。今まで、国内産だから「安心」と思っていた消費者も安心できなくなります。国内産がブランドで無くなります。国内で商業栽培しようとすれば、分別流通の仕組みを作らなければならなくなり、かえってコストが高くなるでしょう。しかし、北海道あるいは全国のやる気のある生産者がGM栽培を試してみたいという気持ちを持つのは、日本農業の将来を考えれば当然ではないでしょうか? 確かに第一世代のGMは日本には合わないかもしれない。だけど、国内で消費されるダイズの約7割はGMです。それを試しに栽培してみることは、そんなにいけないことでしょうか?
    問題は、多くのステークホルダーがこの問題、もっと突き詰めれば日本の農業、食糧政策を真面目に考えていないことです。日本の現在の食の豊かさはGM抜きには成り立たないということを国民がまず認識することが必要ではないでしょうか?ヨーロッパでもGMは嫌われ者ですが、GMを殆ど消費していませんから、その意味では筋が通っています。日本では、多くの消費者は納得しないままに、大量のGMをすでに消費しています。おそらく多くの消費者が、GMは危ない、避けなければ、と思っている。そして、自分はGMを消費していないと思っている。とんでもない!この現状がとても奇妙です。GMの是非を論じる前に、消費の現状をきちんと国民に知らせる。それが成されていないことが大きな問題と思います。
    勿論GMは「プロダクトベース」で議論すべき問題です。それさえ多くの人が理解していないことが問題です。「科学」だけで切れる問題では無いかもしれませんが、「科学」が無ければ、議論もできない。議論が出来なければ、本当に問題が起こったときに対処できない。いずれGMに関する事故が(たぶん海外で)起こるような気がします。 アメリカでは組換え植物で医薬品を作る試みが盛んです(GMOワールド・宗谷さんの「製薬農産物栽培」という用語が気に入りました)が、製薬農産物が普通の食用作物に混入すれば、何らかの副作用が出るかもしれない。そういう意味では、「GM作物の食品としての安全性は既に科学的に証明されている」という標記は正しくありませんが、黒影さんが「(すでに実用化されて、日本も大量に輸入・消費している)GM作物」という意味で記述されているのは明らかと思うので、「国際原則に反している」は、揚足とりと感じます。それをいうなら、日本の表示法がそもそも国際原則に反しています。情報提供、消費者の知る権利と簡単に言うけれど「遺伝子組換え原料を使っている」あるいは「使っていない」という情報は、消費者にとってどう役に立っているのでしょう? 毎日消費している食品の多くに入っている組換え原料を危ないと思わせているだけではないですか?そもそも、「プロダクトベース」は国際原則とはなっていないと思います(なるべきとは思いますが)。脱線しましたが、製薬農産物の混入による事故(死者までは出ないでしょう)が起こったら、「やはり遺伝子組換え作物は危ない!」、「実はてんぷら油の殆どは遺伝子組換え作物から作られているらしい!」、「さあ大変!」、ということになりかねない。
    ご指摘のようにいろんな問題が洗い出されてきたのは確かかもしれません。本来、もっと早くに議論すべきだったことを、先延ばしにしてきただけなのかもしれません。「社会的に摩擦の多い新技術をどう扱うかに関して、今後の糧となりうるいろいろな 経験が詰まったケース」としても、黒影さんもご指摘のように、いつまでも弄繰り回している暇は無いように思います。
    いずれにせよ、「前向きに議論しよう」という場を設けて頂いたことは大変有難く感じます。ここでの議論から物事がまともな方向へ進む予感(希望的?)があります。

  6. 赤影さん、コメントありがとうございます。只今、海外にいるので、レスが遅くなりました。拙エントリーがこのような議論のきっかけになれて、嬉しく思っています。
    さて、
    >北海道の規制の主旨は北海道ブランドの差別化であることは明白でしょう?北海道産=遺伝子組換えでない=安心 という図式を作りたいだけでしょう?
    「北海道ブランドの差別化」が主旨というのは、確かにそのとおりだと思うのですが、道庁にも取材して、いろいろお話を伺った印象では、そのニュアンスは消極的なものだと受け取っています。つまり「北海道産=遺伝子組換えでない=安心」というよりは、「北海道産=遺伝子組換えでない=不安を呼び起こさない(=風評被害のリスクがない)」という具合です。
    道庁が今回の規制に乗り出した根本の原因・動機は、大きく分けて二つあるようです。一つは、北海道産でBSEが出て、厳しい消費減に見舞われことだそうです。GMの場合にはBSEと違って実害がある証拠ないので、「風評被害」ということになりますが、それでも交雑の可能性が出れば、北海道農業に経営リスクが生じるのは避けられないので、これはとにかく避けたいというのが根本動機のようです。それは、「北海道産なら安心」というプラスイメージを作り出そうというよりは、「北海道産はヤバイ」というマイナスイメージが生じるのをとにかく避けたいというもので、プラス方向への差別化というよりは、マイナス方向への差別化を避けたいというものになっていると思います。いいかえると、この点では差別化はむしろ望んでいないという見方もできると思います。
    これに対し、第二の動機は、「安全・安心で品質の良い北海道ブランドの確立」という積極的・前向きな方向性をもつものです。ただし、ここでいう「安全・安心」というのは、必ずしも「非GMだから」というものではなく、もっと広義のものを道庁は考えているように思います。もちろん、この動機付けを持つに至る過程・きっけかには、BSEやGM(とくに一昨年の北農研の試験栽培をめぐる騒動)があるわけですが、逆に、それをまさにきっかけとして、米国型の大規模農業プラス輸出補助金による低コスト・低価格化(ダンピング)路線ではなく、手間暇かけて品質を高めたものを作ることで、米国や中国からの輸入品に対抗したい、日本あるいは北海道の風土(栽培条件)や経営規模にあったやり方を追求していきたいと考えるようになったのだと思います。
    ちなみに一つ目の動機である「風評被害の回避のためにGM規制をする」というのは、「マイナスイメージを避けたい」という意味で消極的なだけでなく、風評被害そのものをなくすための努力を積極的にしていない点でも消極的だといえると思います。ただ、少なくとも現状においては(=短期的には)風評被害は、人々の自然な危険回避行動として避けられないものであり、これをとりあえず経営リスクととらえて回避しようとするのは、「現状では」という条件付で合理性があるともいえると考えています。もちろん、それは、現状を放置しておいてよいということでなく、科学的な説明も含めて、風評被害の根を絶やすためのいろいろな努力をしなければならないでしょう。しかしそれには、やはり時間がかかるので、いわば緊急避難的にGM規制をするのは、経営リスクの管理という点では、仕方ないのだと思います。
    それから、二つめの動機に関して「手間暇かけて品質を高めたものを作る」と書きましたが、これについては個人的には、そうしたものを作り出す方法にGM技術も当然ながら含めて考えればいいと思っています。そして、そのためにも、GMに対していろいろな立場の人々や、研究者、消費者、生産者――これらもそれぞれまう値訳は多様な立場や意見があります――などいろいろなバックグラウンドの人々が意見や知識・経験を交換し、一緒に「北海道農業」あるいは「日本の農業」を守り、栄えさせるにはどうしたらいいのか――これには、GM/非GMのいろいろな育種・栽培のハード面での方法論だけでなく、経営方法などソフトな方法論も含まれるでしょう――を議論し、施策や実践に反映できるような場や仕組みが必要なのだと思います。いいかえると、非GMにこだわって、日本農業にとってGMが持つプラスの可能性を潰すことも、反対に、GMにこだわりすぎて、日本農業を真面目に考えて、非GM品種でじっくり土作りから取り組んでいる人たちの努力を潰してしまうことがないようにすることが必要だと思います。
    要するに大切なのは、「GMか、非GMか」という二項対立に陥らない議論をいかにしていくかであり、そのとき議論の共通の土俵となりうるのが、「日本農業をどうするか」という大局的視野なのだと思います。これまで、こういう議論の場は用意されてこなかったですよね。たとえば2000年に農水省がやったコンセンサス会議も、技術関係の部局がやったこともあり、参加者の一番の関心は「日本農業の将来」にあったし、GMに対する態度も賛成・反対に二極化せず柔軟だったのが活かされませんでした。まぁ、高々4日間の会合しかないコンセンサス会議では、こうしたテーマは、総論にしろ各論にしろ議論するのは無理がありますから、北海道が作る委員会が、じっくり議論できる場になるといいですね。そのなかで、GMに関する議論も、たとえば反対派から「推進派に呑み込まれた」といわれたり、逆に、推進派から「反対派にひよった」とか非難されないように、議論に直接参加しなかった人たちが納得できるような透明性のある筋の通った議論ができるといいと思います。
    ちなみに、まだ直接取材していませんが、北海道の農家の人たちの立場もさまざまで、必ずしも賛成派・反対派と二極化してはいないようです。共同研究者から聞いた話では、「いい物を作る一番の基本は土作りだ」という考えと実践を基本にしながらも、GMの可能性についてもオープンな農家の人たちはいるようです。
    そろそろ寝ないといけない時間(こちらはそろそろ1時になりました)なので、今日のところはここまでにしますが、最後に一点だけ。
    >国際原則に反している」は、揚足とりと感じます。
    ここは、ちょっと私の書き方が誤解を招いてしまったようで、申し訳ありません。私も、
    >黒影さんが「(すでに実用化されて、日本も大量に輸入・消費している)GM作物」という意味で記述されている
    と思いましたので、本文でも「幻影随想さんは個別の特称命題として書かれてるんだと思うのだけど」と書いたのですが、もう少しはっきりとした書き方をすべきでした。

  7. 分析されている内容は、ほぼ理解します。しかし、1つめの動機に関しては、風評被害をなくする姿勢が、ガイドラインや条例素案には見受けられません。緊急避難的な措置であるという姿勢もガイドラインや条例素案からは見えてきません。例えば、滋賀県は昨年8月に、やはりガイドラインを策定しました。考え方は、ほぼ同じで、滋賀県産農作物への風評被害を防ぐのが狙いと謳っています。http://www.pref.shiga.jp/g/nosei/idenshi-shishin/をご覧下さい。また、県民理解の促進も盛り込められています。しかし、北海道案は平川さんが、擁護(?)されるような現状があったとしても、表に出てくる案にはその理念が見えません。国の法律に則った試験栽培さえも事実上の禁止ということしか見えてきません。そこが大きな問題と思います。2つ目の動機に関しては、本当にそうなればいいと思いますが、新聞報道などを見ていると、とにかく現在の補助金に依存した農業から脱却することを良しとしないホクレンの姿勢が気になります。
    日経BPの石垣記者が、「GMO“汚染”を防ぐ契機となった画期的なメルクマール」か、「分子農業の知的財産が外国に独占されるきっかけとなった最大の愚策」か、という書き方をされていますが、私はどちらでもなく、平川さんの提唱されるように、「GMに対していろいろな立場の人々や、研究者、消費者、生産者、などいろいろなバックグラウンドの人々が意見や知識・経験を交換し、一緒に「北海道農業」あるいは「日本の農業」を守り、栄えさせるにはどうしたらいいのか」という議論のきっかけになることを節に願っています。これまで、このような機会がなかったというご指摘には全く同感です。幻想随想へのコメントにも書きましたが、日本には農業に関するシンクタンクが存在しないことが問題と思っています。
    ご存知と思いますが、ヨーロッパは、モラトリアムを経て、昨年、Plants for the futureというドキュメントhttp://europa.eu.int/comm/research/biosociety/pdf/plant_genomics.pdfを発表しました。
    その前文の中には、以下のような記述があります。
    ――――――――――――――――――――
    展望のプラットフォーム
    「植物の将来」では、研究者、政策決定者、環境団体および消費者団体、企業ならびに農業従事者など、あらゆる関連利害関係者をまとめ上げることになる。これらのパートナーは、実利的で独断主義に依らない方法で、共通の優先事項に対する同意に達し、これを実行するための行動計画を描き出すために、協力体制をとる必要がある。
    これは困難な作業であるが、共通のビジョンを共有し、これに対して行動した場合の利益は膨大なものとなる可能性がある;競争力があり、独立した持続的な、バイオに基づいた欧州経済は、農業および食品の領域だけでなく、植物をベースとした医薬品、化合物およびエネルギーなど、広い範囲での応用を通じて、欧州消費者の特殊な要求および選択を満たすことになる。
    このプラットフォームの目的は、以下のものへの道筋を示唆することである。
    •欧州消費者に対し、高品質で安全な多種多様の食品を確保すること
    •食糧、飼料およびその他、再現可能なバイオに基づいた製品の生産を目的として、欧州での持続的な農業基盤を生み 出すこと
    •欧州の農業・食糧関連分野の競争力を高め、欧州食料自給率を強化し、消費者の選択肢を確保すること
    本プラットフォームでは、以下のものによってこれらの目標が達成されるようにすることを提唱している。
    •利害関係者間での相互理解とコミュニケーションに基づき、社会的コンセンサスを促進すること
    •このセクターの発展を目的として、首尾一貫した法律の枠組みを示唆すること
    •R&Dへの私的および公的な出資を増大させ、地域的、国家的、欧州全体レベルで、欧州での研究の透明性を高めること
    •このプラットフォームでの研究計画に対する企業の支援を強化すること
    セクターの優先事項を識別した上で、適切で戦略的な研究計画を開発し、ゲノム科学、生理学、農業経済学、生態学、生命情報学およびその他の新たな技能などの領域を網羅する、学際的な手法を獲得すること。
    ――――――――――――――――――
    ヨーロッパは5年間のモラトリアムの中で、このドキュメントを作成し、新しいステップへと踏み出しているのです。日本も企業の研究開発に関しては実質的なモラトリアムに近い状態です。バイテク企業は、ほとんどGMの開発研究から撤退しました。特に食品メーカーは、そうです。種苗会社も危機感を持ちながらも、イメージダウンを恐れて、研究を凍結しています。農水省さえ、北海道での事件などを機に、組換え技術を使わない方向へ舵を切っています。北海道のアクションは、こういう流れを加速する恐れがあるのです。風評被害を懸念した緊急避難的措置ということですが、条例策定が風評被害を助長することを恐れます。風評被害を理由とした条例はやはり情けないです。幻想随想でも書かれていますが、風評被害が起こらないように努力するのが行政の責務だと思います。行政が禁止(実質上禁止でしょう?)するものは良くないものと思うのが、一般市民の率直な感想ではないでしょうか?
    いずれにしろ、日本でも、Plants for the futureに謳われているような、社会的コンセンサスの形成が必要です。ご指摘のように、STAFFのコンセンサス会議は反対派、推進派の水掛け論になってしまった感があります。そうではなくて、日本の食糧政策までも視野に入れた真面目な(STAFFが不真面目だったという意味ではありませんが)国民的議論を巻き起こす必要があると思います。それには、先日もコメントしたように、まず日本の食がGMに依存していることを国民が知る必要があると思うのです。北海道の件は、災い転じて福となるとことを願っています。
    国民的議論のきっかけに、このブログがなればと、前回に引き続き願います。それでは。

  8. 遺伝子組み換え作物、是か非か?@EBRTEE

    「遺伝子組み換え作物、是か非か?」どう思われますか?もしよければ、コメントください。

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