朝ナマやってますが

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土・日と北大で研究会があるので、今日(金曜)から札幌に来てます。
ホテルの目の前の選挙ポスター板には、ムネオちゃんのもあったりして。。。
研究会のレジュメを作りながら見てるのは朝ナマ。今日のテーマは皇室問題。
先日の皇太子のまさ子さん擁護発言には「お、ひろくん、男を上げたな」とか、「女性天皇いいじゃん」なんて単純に思ったりもしたけど、エキセントリックなミンゾクハの方の発言はやっぱりイタイなぁ(苦笑)。もう激しくイタすぎ。あまりの逆ギレに、見てるこっちが赤面しちゃったよ。
話題は、家族の崩壊やら少子化の問題、夫婦別姓の問題にまで及んでるが、そのあたりの自民党の改憲論者のオッサンの発言というのは、しょせん、飲み屋のオヤジのグチ以下だな。こういうオヤジの頭の中では、出生率が下がるのも、家族が崩壊するのも、ポストがアカいのも、地域社会が崩れるのも、子供の犯罪が増えるのも、ぜーんぶ現行憲法やら、(口に出してはいわないけど)女性の社会進出やらニキョーソやらキョウサントーのせいに脳内変換されるらしい。もろもろの社会問題すべてを単一の要因のせいにできちゃうなんて、なんと非現実的でおめでたい世界観の持ち主なんだろうか。単純に理解できることは、その理解が間違っている証だというのが、本来の保守の美徳たる現実感覚だと思うんだが、それとは反対の思考で不安を覚えないこういうオッサンは「観念論的保守」とでも呼ぶべきか?
ところで、皇室問題だが、たとえば対人地雷廃止運動に熱心だった故ダイアナ妃のように、まさ子さんも外交官の経験を活かしつつ人道的活動を自由にやったりしたら面白いんじゃないだろうか。イラクやアフガニスタンをはじめとする世界の紛争地域や貧困地域では、たくさんの日本人がボランティアで働いている。もしも天皇や皇室が日本という国、あるいは国民の象徴だというのであれば、そういうがんばってる人たちを映す象徴として天皇家や皇族が行動して見せるというのは、国際貢献=自衛隊ハケーンという単純図式よりはるかに「国際社会で名誉ある地位を占める」ことに役立つと思うのだが、どうだろう?
ついでにいうと、天皇家自らがそういう人道的活動を(象徴的に)エンパワーする活動したりすると、天皇制ハンターイしてたサヨはどうするんだろう(立場なくなっちゃう?)とか、逆に、この前のイラク人実事件でバッシングに走ったサヨ嫌いの人たちはどう反応するのかとか、ちょっと楽しみだったりする。後者の人たちには、「人質家族が謝罪もなしに政府を批判したのが気に食わん」ということ以外に、「俺たちは我慢して会社勤めしてのに、勝手なことしてやがって」という屈折したひがみみたいのを感じたりもしたのだが、そういう「サヨ嫌い」「プロ市民嫌い」の人たちの目には、「自由に行動し人道支援する皇族」というのは、どう映るんだろうか。
まぁ、天皇制の問題というのは、日本という社会、政治文化にとってそんなに簡単な問題ではないのだろうけど、「リベラルな皇族」という姿というのはぜひ見てみたい気がする。
追記:


ちなみに明日(というか今日)からの研究会は、日本の科学論の古典を読もうという企画で、いま読んでレジュメ作ってるのは、中山茂『科学と社会の現代史』(岩波現代選書、1981年)。1968年を転回点とした科学技術と社会の関係の変化、社会の中での科学技術の存在様式の変化を振り返るというものだが、1980年頃の地点からこれを振り返る中山さんの視線と、それを含めて、この時代を振り返る自分自身の視線の重なりやズレが、ちょっと奇妙な遠近法の現実感覚を与えてくれるのが面白かったりする。環境問題や科学技術の問題をめぐる日本の政治や社会運動の1980年頃までの姿が、実はついこの前まで、あるいは今もなお「過ぎ去らぬ過去」として現存してたりするのを改めて確認できたりして、1980年の中山さんの視線と自分の視線の時間差ステレオ効果で、どこか居心地の悪い――過ぎ去らぬ過去の重みに対するじれったさかもしれない――自分たちの歴史的位置感覚を感じたりする。今度中山さんと飲むときには、そんな話もしてみようかな。

 

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