ラルクいっちゃいました

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昨日、3年半ぶりに行っちゃいました。ラルクのライブ@大阪城ホール。
朝からワクワクしながら、午前中は、同志社大で日本公共政策学会の年会セッションの司会&討論者のお仕事をやって、研究仲間のS氏と東洞院錦上がるの定食屋・東錦(←美味い!)でたっぷり昼めしを食べた後、帰宅して、いよいよ妻と二人で大阪へ。(ドキドキ)
会場につくと、いかにもラルク・ファンといったいでたちの若い子も含めて、ぎっしり人が並んでいる。今回は、最初の前売りで買えなかったのだが、急遽先週の木曜にe+から「超限定、参加席チケット緊急発売」のメールが来た。「参加席って、セットの裏側とかかなぁ」と思いつつも、去年の代々木7日間連続ライブもいけなかったし、今回のアルバムSMILEも、ことのほか良かったので、即申込み。とくに「瞳の住人」、ライブで聞いてみたかったんだよね~あの高音ファルセット。
で、その膨れあがった期待は、見事に満たされました!!


まず座席なんだが、「セット裏」を覚悟してたのに反し、なんとステージ横。案外ステージが近い。始まってみると、さすがにPAのすぐ近くなので、音割れがあったりしたが、メンバーも全部見えるし、かな~り悪くない席。ドキドキしながら開演を待っておりました。
そしてライブスタート!いや、驚いた。hydeがすんごい上手くなってる!?
実は、過去には二回しかラルクのライブには来たことないんだけど、hydeのライブでの歌って、アルバムのすんばらしいクォリティの高さに比べて、いまいち雑な印象があったのだが、今回は違った。ライブのノリ、テンションが加わった分だけ、ある意味、アルバム以上に、パフォーマンスのクオリティが上がっているのだ。(妻のblogでも書かれてるが)男性ヴォーカリストは30台半ばあたりから声がピーク、歌唱力のピークはさらにその先と言われることがある。hydeもそうなのかもしれない。ライブとアルバムのパフォーマンスの水準が変わらないあの沢田サマ(←ジュリーね)と同じ域に達しつつあるかも。
期待の「瞳の住人」は、青空へと駆け上がり突き抜けていくようなくサビの高音ファルセットも見事な歌いっぷり。「来る?来る?キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!」と、絶頂に達しちゃいます。鳳がたっぷり翼に大気を抱え込みながら何度か大きくはばたき、一気に高みへと向かっていく、そんなイメージが広がります。(ちなみに私のケータイの着メロはこの曲。)アンコールの最後でやったPiecesも、のびやかにつきぬけるhydeの声の絶頂期を確かめるものとして◎。(過去二回同様、「虹」が聞けなかったのはちょっと残念だったけど。)
それだけじゃない。hydeの声の魅力って、実はやっぱり中・低音域のバリエーションの豊かさだと思うんだが、それをたっぷり生で堪能できたのが昨日のライブだ。深みのあるまろやかな声、地の底から這い上がってくるドスのきいた低音、アンドロジニアスな艶っぽい声、超音波出てるような突き刺すような金属質の響きの声、そこに時折ファルセットの高音を交えて、そのまま歌ったら案外単調になってしまうようなメロディーまでが、万華鏡のような色ときらめきで彩られていく。低音部と高音部の使い分けは、一つの曲を悪魔と天使の二面性に色づけるかのよう。シャウトも、吠えるシャウト、切ないシャウトといろいろ。母音の発音のバリエーションも面白い。それらがみな、ギミックではなく、曲の構成上の必然性をともなっていることもわかる。「声は楽器の一つ」というのを、これほど実感させてくれるロック・ヴォーカリストってなかなかいないんじゃないだろうか。声が歌だけでなく、楽曲全体のサウンドの一部にもなってるんだな。日本語ロックの表現力を革新してるという点では、サザンの桑田のような存在かもしれない。ちなみにライブで一緒に歌ってると分かるのだが、ファルセットの使い方も、発声上の必然性があるようだ。高音のところで、無理して声を出すんじゃなく、すごく力を抜いて自然に出している。いや~、上手いです。こういうところも含めて、hydeの声の魅力が、(年甲斐もなく)ラルクにはまってしまう一番の理由。(でも、歌詞は、たとえば「花葬」みたいに非日常性のきわどさとか毒気とかがテイストだった昔のと比べてややプレインになってきてるのは、ちょっと不満。そのあたりはシングルやアルバムのタイトルの違いにも現われてるかも(→参考)。歌詞が昔どおりなら、瞳の住人は間違いなく「虹」に匹敵する名曲なんだが。。もちろん昔どおりの危ういテイストの歌もいっぱいあるんだけど、hydeもパパになっちゃったしね。また新たな詞の世界が開けてくるのを期待。)
年甲斐もなく、ということでいうと、ラルクの歌にはある種の「懐かしさ」を感じられるのが面白い。一つは、30台半ばであるラルクのメンバーが聞いて育った音楽の傾向が、自分が聞いてきたのと大いに重なっているだろうということから感じる懐かしさ。たとえば、SMILEの最後の曲、”Spirit dreams inside”のサビのコーラス聞いてDuran Duranを思い出しちゃう人はけっこう多いんじゃないだろうか?”Lover boy”でのkenのギター・リフなんかは、Ozzy Osbourneの”Bark at the moon”を彷彿とさせる。
もう一つは、ラルクのレパートリーの中で、(詞ではなく)曲としてのテーマの重なりがあることからくる懐かしさがある。思うにラルクには、いくつか方向性の異なる中心的なテーマがあって、それをいろんなバリエーションで何度も何度も楽曲として表現してるんじゃないだろうか。まぁ、それってどんなアーチストにもあることなんだろうけど、「似てるけど似てない」と「似ていないけど似てる」の微妙なバランスのもとで、あるテーマの可能性をいろいろ試して新しい曲が生まれてくるという感じがする。なんというか、ある種のらせん階段というか、同じところを回りながら昇っていくようなイメージだ。上から見ると同じ位置にある楽曲のあいだに何かが響きあっている。だから、ライブで旧い曲は演らなくても、どこかラルク全部を聞いたという不思議な満足感があったりする。いまここに流れている曲の向こう側に、過去のいくつもの曲が一緒に聞こえてくるかのようだ。
ちなみにラルクの曲に一貫してるテーマをもしも言葉にするなら、それは「風」なんじゃないかと思っている。たとえば二人の間を吹き抜ける切ない風、包み込む風、広く腕を広げた体を大空へと舞い上げる風、地平線の向こうを見つめるほほを吹きなでていく風。あるいはその風は光も伴っている。たとえばReady Steady GoやDriver’s Highのような雲ひとつない青空の下の草原、あるいはアメリカ中西部あたりの乾いた大地をつきぬけるハイウェイを駆け抜ける疾走感あふれる風。Forbidden loverやfateのような迷い込んだ夜の闇、その遠く向こうにまたたく松明の火だけが見える大地や海の上を渡る風。幾とおりもの風を感じる。それもラルクに惹かれる理由の一つかもしれない。
しかし、ファン層についてだけは、さすがに「世代差」を感じてしまうのはイタイ_| ̄|○ あの旗を振るように手を前後に振るイマドキのノリ方はやっぱりなじめない。ハードな曲なら、こぶしを突き出すんだよ~、ヘッドバンキングもしようよ~、オジサンが教えてやろうか、といいたくなってくる(笑)。あとライブに来るのは、圧倒的に婦女子ばかり。もっと男性ファンにも支持されていいと思うんだけどなぁ。。支持してても、チケットとりでは若い女の子には勝てないのか?
ちなみに私のような世代のオジサンでもラルクファンはいるってことを知るためのサイト。一つ一つの楽曲に対する「愛」あふれる評が素敵です。
 40才以上に贈るラルク・アン・シエル
なにはともあれ、今回のライブツアーはきっと素晴らしい出来に違いない。絶頂期に入り始めたhydeの声を記憶に留めるために、ライブDVDが出たら絶対買うことにしよう。

 

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