平成16年度「科学技術白書」~思えば遠くへ来たもんだ

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読書日記さんのエントリー「サイエンス・コミュニケーション 科学を伝える人の理論と実践」の追記で知ったのだけど、平成16年度の『科学技術白書』(平成15年度科学技術の振興に関する年次報告)が先週末、公表されている。
第1部は「これからの科学技術と社会」。とくに第3章「社会とのコミュニケーションのあり方」には、さっきのエントリーで書いた参加型テクノロジー・アセスメントや、サイエンス・ショップの話なんかも書かれている(サイエンスショップについてはこちらこちらを参照)。小生らのプロジェクト名称でもある「科学技術ガバナンス」という単語まで使われている。(ちなみに科学技術ガバナンスをググッても、今のところはほとんど身内の文書ばかり。)
ほんの4、5年前と比べるだけでも、なんだか隔世の感のある内容。新しい方向に進もうとする行政の中の人たちの心意気さえ感じてしまう。こういう話を、まったく微力ながらも、霞ヶ関界隈も含めてあちこちで喋ったり書いたりしてきた者の一人として、ちょっと(いや、かなり)うれしいぞ。


思えば、小生が科学哲学からSTS(科学技術社会論)に関心をひろげ、STS Network Japan (STSNJ)(1990年3月設立)に入ったりして、あれこれ活動し始めたのが96年の初め頃だった。社会科学的なリスク論の必要性をアピールしようと、97年にはSTSNJ夏の学校「危険社会/RISK SOCIETY/あぶない社会―そのSTS的課題と展望」の実行委員長をやったりした。そのころは霞ヶ関の中の人でSTSに関心のあった人は科技庁や文部省にほんの数人だったろう。研究者の絶対数も少なく(今でも少ないが)、まだまだマイナーな領域ながらも、若さと熱さだけはすごかった。また96年10月にドイツ・ビーレフェルト大学で開かれたアメリカの学会4Sと欧州の学会EASSTの合同会議は、参加した日本人研究者の輪を強め(少しながら)拡げることになった。
おそらく最初の大きな転換点は、STSNJメンバーを中心に、98年3月に東京・京都・広島で開催されたSTS国際会議だったかもしれない。国内からも、従来のSTSNJ界隈の枠を超えて、いろいろな方面からの参加があった。日本初のコンセンサス会議も、この国際会議の一環として開かれた。その後、98年秋から2000年春にかけては、(財)政策科学研究所で、科学技術振興調整費の調査研究『科学技術と社会・国民の相互作用に関する調査研究』が行われた。ちょうどそのころ奨学金の切れた小生は、心優しい(?)先輩研究者の誘いで、このプロジェクトに客員研究員として参加し、報告書作成にひいひいしていた。(研究所が溜池山王の東芝EMIのビルにあり、ちょうど宇多田ひかるがデヴューした頃で、エレベーターとかで会えないかと期待したが叶わなかった。)小生が最初にサイエンスショップやコミュニティ・ベースト・リサーチについて調査したのもこのプロジェクトであり、その効果があったのか、平成12年度の科学技術白書にサイエンスショップについての記述が初登場した。またこのプロジェクトと並行して、研究所が事務局をしていた通産省(当時)の内部研究会に事務局メンバーとして参加したりして、従来の産業政策・科学技術政策を改善し、科学技術と社会の関係を再構築しようという意思にあふれたお役人の姿を見ることができた(その後、いまの大学に就職した後、2002年から1年間、この研究会の後継である「社会と技術研究会」の委員となった。)また2000年秋には、官庁がはじめてスポンサーとなったコンセンサス会議も開かれ、STSの先輩研究者たちが運営委員やファシリテータとして企画に加わった。
また研究面では、日本語でも読めるSTSの文献を作ろうということで、『科学論の現在』や、『公共のための科学技術』>、『ハイテク社会を生きる』などの共著本が次々と書かれたのが2001年ころからだった。
そんなこんなしてるうちに、いろんなとこでSTSの社会的ニーズみたいなものが高まるようになり、2001年秋に科学技術社会論学会(STS学会)も設立。それと前後するかたちで社会技術研究システムが設立され、小生の所属するグループも含めて、いくつかのSTS研究のグループが、それまでと比べるとかなり大きな助成金を得るようになった。科学技術振興調整費でも科学政策提言という枠の助成金で、多くのグループが活動するようになり、昨年秋からは日本学術振興会「人文・社会科学振興のためのプロジェクト研究事業」が始まり、小生らの科学技術ガバナンス・プロジェクトも始まった。研究者や実務家の輪も格段に広がってきた。
振り返るにはあまりに短い歴史だが、その分、STS界隈の人間にとっても驚いてしまうくらい状況は変わってきた。仲間内では「STSバブル」とも呼んでいる。とはいえ、まだまだ研究者は、必要とされている仕事量に比べると圧倒的に少ない。やらなきゃいけないことは富士山並に山積み状態。とても歴史を振り返って懐かしんでる場合じゃない。ふくらんだバブルの中身を詰めなきゃいけない。
というわけで、仕事に戻ろう(苦笑)

 

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2件のコメント

  1. 京都南部にある財 関西文化学術研究都市推進機構の橋本誠司です。 昨年度、今年度と 文部科学省の振興調整費費で「サイエンス・メディエーター制度の推進」調査を学研都市内の6機関(施設)と共同で実施しております。この調査は専門家(研究者)と非専門家(市民)との双方の橋渡しを検討するものです。(サイエンス・メディエーターなる言葉を使用したのは、調査にあたり 既存のサイエンス・インタープリター、リスク・コミュニケーター、学芸員など包含する概念として仮置きしたものです。 この調査でも サイエンス・ショップについても感心があり、先生の著作も参考にさせていただいております。機会があれば(機会をつくって)、先生にもお話をお聞きし、調査の内容について建設的ご意見を伺いたいと思っております。 その折は よろしくお願いします。 失礼します。

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