核燃料サイクル見直しへ―政治家間の攻防?

投稿者:

先日のエントリー「核燃料サイクル見直しへ」で、国の原子力委員会(近藤駿介委員長)は、国策として進めてきた核燃料サイクル政策の見直し作業を始めたというニュースについて触れた。これについて、自民党の原発政策改革派の河野太郎衆議院議員と、守旧派の甘利明衆議院議員の朝日新聞「私の視点」(それぞれ4/15付と5/7付)での「対立」が面白い。


「負担の重い再処理はやめるべき」、「六ヶ所村の再処理工場のウラン試験を延期し、国民的な議論をきちっとやりなおすべき」と、核燃料サイクル政策の根本的見直しを求める河野氏に対して、甘利氏は「その多くは事実誤認に基づくものでエネルギー政策をミスリードする危険がある。誤解を正し、原子力政策への正確な埋解に供したい」として、たとえば次のような論点を打ち出している。(なぜ太線強調部があるかは後でわかります)

  1. 原子力発電所の便用済み燃料の成分のうち、処分すべき本当の廃棄物は全体の5%以下であって、残りは再利用出来るウランやプルトニウムである。・・・これは資源の有効活用に加えて、処分する廃棄物の放射能量を滅らすという観点からも合理的な方法である
  2. この廃棄物の分別処理・リサイクル利用にかかる費用は原子力発電全休の原価を大きく変えるものではない。使用済み核燃料の再処理から放射性廃葉物処分、廃炉までの費用は国のコスト等検討委員会の見積もりで18兆8干憶円とされるが、このうち10兆円は制度上の手当でができている
  3. 残りの9兆円は今後80年間にわたる費用で、国民負担として換算すると1世帯あたり月数十円程度の電気代に相当する。それによって達成されるエネルギーの長期安定供給や処分する放射能量を10分の1にするというメリットを考えれば、この額は納得できる

  4. 六ケ所村の再処理工場は、すでに約組95%が完成している。その建設工事費は河野議員の指摘の通り、当初1兆円以内の見通しであったが、建設長期化による費用増、さらには三沢基地の隣接による航空機落下対策などのため、2兆l400億円となってしまった。しかし、原子力関係の費用がいつも予算を大幅に上回るということではない
  5. 世界的に地球温暖化対策が至上命題だ。クリーシエネルギーと言われる天然ガスにしでも二参加炭素の排出量は石油の3割減にしかならない。風力や太陽光発電は他のエネルギーよりコストが高く天気だのみという不安定性がある。その点、原子力発電における二酸化炭素排出はゼロであり、電力供給の安定性は群を抜いている

面白いのは、これ――とくに太線強調部――に対して早速、河野氏が、今日(5月8日)のメルマガ「ごまめの歯ぎしり」で反論していることだ(こういう即応性もネットならではである。ちなみに私は数年前から「ごまめの歯ぎしり」の愛読者である)。
まず甘利氏の論点1については、河野氏はこう書いている。

使用済み核燃料のうち5%は廃棄物だが残りは再利用できる等と書いてあるが、現状のプルサーマルではプルサーマルで使ったウランの再利用までは計画に入ってはいないのではないか。究極的には可能だということと現状とは違う。

付け加えて言うならば、甘利氏は、再処理を放射能除去処理の違いをあいまいにしている。そんな技術・装置(宇宙戦艦ヤマトに登場するコスモクリーナーDなど人類は持っていない。甘利氏はひそかにイスカンダルと交信しているのか?)再処理・サイクルを何度繰り返したところで、ウランやプルトニウムの核分裂生成物が発生し、それらには半減期が極めて長いものも含まれている。下表は、原子力発電にともない発生する放射性廃棄物に含まれる主な放射性核種とその半減期の表である(出典はエネルギー庁の放射性廃棄物関連用語集)。

核種半減期
燃料ウラン  U-235
  U-238

7億年
45億年
超ウラン元素ネプツニウム  Np-237
プルトニウム  Pu-239
アメリシウム  Am-241
  Am-243
キュリウム  Cm-243
  Cm-244
  Cm-245
214万年
24,000年
432年
7,370年
29年
18年
8,500年
核分裂生成物セレン  Se-79
ストロンチウム  Sr-90
ジルコニウム  Zr-93
テクネチウム  Tc-99
パラジウム  Pd-107
スズ  Sn-126
ヨウ素  I-129
セシウム  Cs-135
  Cs-137
65,000年
29年
153万年
21万年
650万年
10万年
1,570万年
230万年
30年
放射化生成物炭素  C-14
コバルト  Co-60
ニッケル  Ni-63
5,730年
5年
100年

長寿命核種をもっと半減期が短い核種にかえる核変換技術にしても、まだまだ研究段階のようだ。こういう科学的・工学的事実を無視した甘利氏の主張は、「事実誤認に基づくものでエネルギー政策をミスードする危険がある」といえるだろう(笑)。(こういうタイプの御仁が、えてして「原子力に反対する連中は科学を分かっていない」というのだろうが、片腹痛しである。また科学的知識の理解以前に、こういう論理のすり替えとか事実の無視、情報隠しとかするから、国民の信頼を損ない、正しい情報すら素直に受け取ってもらえないことをもっと理解すべきだ。この点については私見では、原子力政策の現場で汗を流している専門家や行政官は、ずっと痛切に理解していると感じている。)
よく誤解があるので、ついでに言っとくと、「半減期」というのは、ある時点で存在する放射性物質の量が半分になる時間であり、半減期の二倍の時間がたてば、すべて消えるというわけじゃない。単に1/2×1/2で1/4になるだけである。それゆえ、たとえば最初の量の約千分の一になるには、2の10乗=1024なので、半減期の約10倍の時間がかかることになる。
また放射線は、半減期が短いほど強く、長いほど弱い。いいかえると、短寿命核種は、短期間――といっても1秒以下のものもあれば数10年単位のものもある――といえども高いレヴェルの放射線防護管理が要求される。他方、長寿命核種は放射線は弱いが、核種によってはその化学的性質によって、人体に万が一入り込んだ場合に内臓や骨などに長くとどまり、じわじわと周囲の細胞やDNAを損傷する可能性がある。半減期45億年のウラン238を主成分とする劣化ウラン弾で疑われているのは、後者の危険である。
おそらく甘利氏がいいたいのは、こういうことだろう。再処理をすれば、使用済核燃料に含まれるウランやプルトニウムは分離でき、その際に廃棄物の放射能量は、これらを分離した分だけ少なくなる。これは当然だ。また、原子力委員会が昨年まとめた『核燃料サイクルについて』(PDF5.4MB)や、科学技術振興機構(JST)「原子力百科事ATOMICA」によれば、再処理した場合の高レベル放射性廃棄物には半減期が2万4千年と長いプルトニウムがほとんど含まれていないため、再処理しない場合の使用済燃料の放射能に比べて早く減衰することになり、また重量比では、40%に減少するとある。しかし、それは、あくまで再処理で取り出した燃料を除いた重量である。その燃料を燃やせば、またそこから放射性の核分裂生成物が出てくるし、それらとウラン、プルトニウム、超ウラン元素を含むいわば「再・使用済燃料」の総質量は、エネルギーに転換した分――それはほんのわずかである――だけしか減らない。これは何度再処理・再利用を繰り返しても同じことで、再・再・・・・・・再・使用済燃料の重量は取り出したエネルギーの分だけ少しずつ減りはするものの、「処分すべき本当の廃棄物は全体の5%以下」なんてこととはほど遠い。また使用済燃料の放射能にしても、そもそも上記の表にあるような、プルトニウムよりはるかに半減期が長い核種のことはどうなのか、という疑問も残る(これらはプルトニウムと比べれば重量比が小さいとか、半減期が長い分だけ放射能は弱いということだろうか?)。そのあたりの定量的な基礎データも一緒に公開してくれるといいのだが(そしたら、段ボール箱から学生時代の核物理の教科書を掘り出したり、同僚の核物理学者に尋ねたりして、いろいろ確認できるのだが)。また、どうせ何千年、何万年と管理または隔離(←地層処分した場合)しなければならないのなら、再処理した場合としなかった場合(ワンスルー)のトータルの廃棄物の処分量とそのコストの比較をちゃんと知りたい。とくにコストについては、上記の甘利氏の論点2と3に対する河野氏の反論をみると、再処理のメリットはだいぶかすむんじゃないかと思う。

19兆円の費用のうち、10兆円は既に制度上手当ができているというが、制度があろうが無かろうが納税者、消費者が費用を負担することになるのは変わらない。コストを徴収する制度があればよいというものではない。
エネルギーの長期安定確保と9兆円という金額を比較しているが、7000億円あればウランを30年間分備蓄することもできることを考えればこの費用は納得できない。

また論点4については

笑ってしまうのは予算に関する反論のところで、「原子力関係の費用がいつも予算を大幅に上回るということではない」!いつも予算を少し上回るということなのか、時々予算を大幅に上回るということなのか、反論になっていないような気がする。

とサラリとスルーして、最後の点については次のように述べている。

原発は、炭酸ガス排出に関するメリットはあるかもしれないが、最終処分という問題を抱えていることには触れていない。温暖化も問題だが最終処分も大問題だ。

技術や政策の選択はつねに、それぞれのメリットとリスク、コストのトレードオフ・バランスの問題だ。「原発は炭酸ガスを出さない」というメリットだけを殊更に主張するのは、危険性のみを訴えるのと同じくらい――あるいはそれ以上に――愚かであり、不誠実なことじゃないだろうか。
ちなみに河野氏の主張の根底に一貫してあるのは、「六ヶ所村の再処理工場のウラン試験を延期し、国民的な議論をきちっとやりなおすべきだ」というように、国民のまなざしに対する自覚と、それに裏付けられて、議論を国民に向けて開こうという姿勢だと思う。これが甘利氏の発言には感じられない。
こういう認識をちゃんと持っている政治家であるかどうか、核燃料サイクル政策をめぐる河野氏と甘利氏のやりとりは、そんな政治家の基本的姿勢の違いも浮き彫りにしているように思う。(ちなみに甘利氏のHPは日本語しかないのに対し、河野氏のHPは日本語、英語以外に、中国語と韓国語のページもある。これもまた政治姿勢、政治観、外交観の違いを表しているといえるかもしれない。)
ちなみに私の知っている原子力の専門家の一人――世間的な分類ではいわゆる「推進派」になるだろう――は、「もちろん私は原子力が必要だと思ってやってますが、国民の皆さんが、多少不便でも原子力なんかない社会の方がいいと選択されるなら、それに従うまでです」と言っていた。また遺伝子組み換えの分野でも、3月に北海道の独自規制について取材させていただいたある研究者は、「専門家が安全だと言っているものを何で行政が横から口出しするんだ」みたいなことを言った仲間の専門家に対し、「国民が納得しないものを押しつけるのは専門家の傲慢でしかない」、「そんな態度じゃ誰も信用しない」、「われわれは国立大学や独立行政法人の人間として、納税者の税金で研究させてもらってるんだ。何が良いかを決めるのは根本的には国民だ」と言って、大げんかをしたそうだ。
もちろん世論――といったって多様なわけだが――が結果的に間違うことはいくらでもあり、政治家や専門家が判断をリードしなければならないことはいくらでもある。しかし、専門家や政治家、あるいは役人が常に正しいというわけではない。誰もが間違いうるという可謬性、特に「自分はひょっとしたら間違っているかもしれない」というアイロニーの自覚こそが、民主主義の――そして科学の――根本精神であるのは、改めて言うと赤面しちゃうくらい当たり前の真実であるはずだ。もちろん「そんなのは建前にすぎない。政治の現実はもっとドロドロきわどいものだ」といえばその通りだろう。しかし、N.ルーマンいわく「規範(=建前)とは反事実的な期待」であり、規範に反する現実があるからこそ規範の存在意義がある(このへん、「現行憲法は現実に合わないから」といってズルズル改憲のほうへ流そうとする動きにもかかわる話だな)。いわば規範とは、無秩序の大海に、すべてが秩序の大陸になるというユートピアはありえないというアイロニーのもとで、秩序の「島」を砂で作り上げ続ける――手を止めれば無秩序の海に島は崩れ去る――ことなわけだ。国民、市民の上に立つ政治家や役人、専門家は、意思決定の責任を負っているからこそ、こういう認識を身につけていなければならない。
最後に、念のため、河野氏のメルマガの全文を引いておきます(メルマガの注意書きに「記事の一部を取り出したり改変しての転載を禁じます」とありますので)。

      ごまめの歯ぎしり メールマガジン版
  河野太郎の国会日記
================================================
2004年5月8日(土)
青森へ
朝七時四十五分の飛行機で、青森へ。
青森市文化会館で開かれた「河野太郎議員と語ろう 再処理のこと」という会合に出席する。会場ほぼ満員の来場者。
六ヶ所村の再処理工場のウラン試験を延期し、国民的な議論をきちっとやりなおすべきだという主張を繰り返す。三十分話をして、一時間会場と質疑応答。そこから三沢空港に移動して午後一時三十五分の飛行機で東京にとって返す。
マスコミからは、記者会見を、という要望があったが時間がなかったので、会場から三沢空港までの移動に主催者がバスを用意してくれ、バスの車中での質疑応答ということになった。
 
昨日の朝日新聞に、僕の投稿に対する反論が出ていた。
笑ってしまうのは予算に関する反論のところで、「原子力関係の費用がいつも予算を大幅に上回るということではない」!
いつも予算を少し上回るということなのか、時々予算を大幅に上回るということなのか、反論になっていないような気がする。
その他に、使用済み核燃料のうち5%は廃棄物だが残りは再利用できる等と書いてあるが、現状のプルサーマルではプルサーマルで使ったウランの再利用までは計画に入ってはいないのではないか。究極的には可能だということと現状とは違う。
19兆円の費用のうち、10兆円は既に制度上手当ができているというが、制度があろうが無かろうが納税者、消費者が費用を負担することになるのは変わらない。コストを徴収する制度があればよいというものではない。
エネルギーの長期安定確保と9兆円という金額を比較しているが、7000億円あればウランを30年間分備蓄することもできることを考えればこの費用は納得できない。
電力会社はプルサーマルを16~18基計画しているというが、温暖化対策で電力会社は新規の原発を20基計画していたのではないか。そのうち具体化してのは何基だったのか。まずプルサーマルを十六基でも十八基でも実現してプルトニウムを処理してから、再処理を始めることを考えるべきだ。
原発は、炭酸ガス排出に関するメリットはあるかもしれないが、最終処分という問題を抱えていることには触れていない。温暖化も問題だが最終処分も大問題だ。
 
アメリカ帰りの時差ボケがひどい。
こんなことはかつてなかったのに、やっぱり四十一歳という年のせいなのだろうか。
===============================================
■編集:河野太郎
■発行:河野太郎
●購読申し込み: http://www.taro.org/
●解除:   http://www.taro.org/
●関連ホームページ: http://www.taro.org/
●ご意見・お問い合わせ: taro@konotaro.org
 
当レポートに掲載された記事は自由に転載・再配布できます。
但し、記事の一部を取り出したり改変しての転載を禁じます。
なお、メーリング・リストや掲示板への再配布も許可します。

 

1つ星 (まだ評価がありません)
読み込み中...