市民参加型TAワークショップ

投稿者:

週末の二日間、東京の晴海グランドホテルにて、市民参加型TAワークショップを開催、参加してきた。TAとは「テクノロジー・アセスメント(technology assessment)」のことで、ある実用的技術についてメリットやデメリットを評価し、その利用の是非や安全な利用方法を検討するものだ。「市民参加型TA」というのは、その対象となる技術について専門知識のない一般市民が評価者に加わって行われるTAのことで、1980年代後半に、当時は議会の付属機関として設立されたデンマーク技術委員会(Danish Board of Technology: DBT)が開発した「コンセンサス会議(consensus conference)」を始まりとして、その後、シナリオワークショップなどさまざまな手法の開発が進むとともに、90年代を通じて欧米諸国に広まった。


日本では、1998年、1999年に、それぞれ遺伝子治療と高度情報技術をテーマに、小生の専攻分野である科学技術社会論(STS)の研究者が中心となって行ったコンセンサス会議に始まり、2000年には農林水産省の委託で(社)農林水産先端技術産業振興センター(STAFF)が「遺伝子組み換え農作物に関するコンセンサス会議」を行い、さらにその後、さまざまなグループが、日本各地でコンセンサス会議その他のDBTの手法によるものや、独自にアレンジした手法での参加型TAや、対話フォーラム、リスクコミュニケーションなどの実践を急速に展開してきた。その展開の速さは、やってきた本人たち自身が驚くほどで、そのことは、たとえば農水省で遺伝子組み換え農作物に関するコンセンサス会議を発案・計画した方が「4年前、この会議を企画し上司を説得するにあたって、コンセンサス会議とかファシリテータという言葉をインターネットで検索しても、前者はたった4件、後者は0だったが、今では千単位でヒットする」と感慨を込めていった言葉にも示されている。今回のワークショップは、そうした急展開されてきた参加型TAや類似ケースの実践者や研究者を集めたもので、本邦初の試みだった。
TAはもともとアメリカ議会のOTA(Office of Technology Assessment)が始めたもので、当初は対象となる科学技術の分野を中心とした専門家だけで行われていた。しかし、科学技術が社会に及ぼす影響やその管理は、自然科学や工学の専門知識だけではまかないきれない問題であり、行政、政治家、企業、NGO/NPOなどさまざまなステイクホルダーや一般市民も交えた対話が不可欠であるとの認識が広がった結果として、DBTの市民参加型TAが誕生した。その一番のポイントは、通常、科学技術の専門知識なしには判断できない「科学技術の問題」を、生活者、消費者、職業人、ユーザ、受益者、受難者、納税者、選挙民、あるいは他分野の専門家である「市民」のもつ知識や知恵、経験、価値観の観点から多角的に分析・評価するということにあり、そのスピリットは、DBTの論文“Communication about risk: Let laymen lay the foundations”(リスクのコミュニケーション―素人に土台を任せよ)の次の一文によく示されている。

今日、技術に関係するリスクの評価と規制は、逆立ちしたやり方で行われており、このやり方をひっくり返す必要がある。専門家によるリスクの分析から出発する代わりに、まず素人が専門家のために問題を定式化してやることから始めるべきである。そして、評価対象になっている技術の有用性を、リスクの分析と評価の語られざる前提としてしまう代わりに、有用性そのものの価値に関する議論をリスクに関する議論と結びつけるべきなのである。

今回のワークショップの参加者は、大学の研究者や大学院生のほか、行政関係者、省庁の外郭団体職員、NPO主宰者など計21名で、専門分野も、STSのほか、環境政策論、原子力工学、農業技術、社会心理学、倫理学・哲学、政治学・行政学など多岐にわたっていた。また実践内容は、必ずしもTAに限定せず、ゴミ問題や河川改修、リスクコミュニケーション、(何らかの意思決定を伴わない)対話フォーラムなど、射程を拡げたが、いずれも、科学技術が評価の対象となっているか、評価にあたって科学技術の専門知識が重要な役割を果たすものばかりである。それらをめぐる忌憚のない本音トークが、土曜午後の通常セッションに始まり、深夜2時過ぎ(一部は3時?)まで及んだ懇親会、日曜の朝9時から午後3時半すぎまでのセッションを通じて繰り広げられた。主催は、小生のやってる「科学技術ガバナンス・プロジェクト:日本のリスクガバナンス・システムの実態解明と再構築への提言」。内容については、いずれ正式に報告書を作成し、公開できる形にする予定だが、以下、1日目のセッション「参加者各自の活動紹介」のプログラムである。

  1. 「科学技術ガバナンス」プロジェクト 城山英明(東大)、平川秀幸(京女大)
  2. GMOに関するコンセンサス会議 小林傳司(南山大)ほか
  3. 市民が創る循環社会フォーラム 松野正太郎(名古屋大)ほか
  4. 安間川河川整備構想 山口祐子(浜松NPOネットワークセンター)
  5. シナリオワークショップとフォーカスグループインタビューの活動 若松征男(東京電機大)
  6. 「東海村C3」プロジェクト 土屋智子(電力中央研究所)
  7. 反復型「対話フォーラム」〜原子力の分野を例に〜 八木絵香(社会安全研究所/東北大)
  8. 模擬コンセンサス会議の取り組み 石原孝二、西村慶人(北大)

これらの報告の論点は多岐にわたり、どれもとてもエキサイティングで面白かったのだが、一つあげるならば、いずれの実践でも、「素人」である市民の独自の知識やものの見方、考え方、知識や情報についてのニーズをどう活かすかが、専門家とのコミュニケーションや、事業の政策決定における合意形成の要であるという論点が重要である(参考リンク: 「リスクをめぐる専門家たちの”神話”」)。GMOに関するコンセンサス会議については、小生もあちこちで書いたり発言しているので省略するが、たとえば市民が創る循環社会フォーラムでは、「循環型社会とは何か、何が必要か」という問題を、専門家や行政が物質循環とその制御という物理的タームでもっぱらフレームするのに対し、労組、処理業者、メーカー、リサイクル業者、NGO、消費者、ジャーナリストなど多方面のステイクホルダーによる会議では、物理的側面以外に、「責任」や「情報共有」、「ルール」、「インセンティヴ」、「生命と自然の尊重」、「努力した者が報われること」など、社会的・文化的側面を重視した幅広いフレーミングが行われたという。「東海村C3」プロジェクト(C3=Communication, Community, Collaboration)でも、専門家や行政が事故発生確率としてとらえる「原子力のリスク」について、地域住民は、「地元経済の原発依存体質の強化」という「社会的リスク」まで含めて考えていることが報告された。他にも原子力施設の労働安全管理情の問題点なども鋭い指摘や評価がたくさんあったという。(ちなみにこの住民グループは、実は日立の退職技術者だったり、企業コンサルだったりして、労働安全管理のプロであったりする。)また安間川河川整備構想では、洪水対策を考える上で最も役立ったのは農家の知識と経験だったということが報告された。さらにこのプロジェクトでは、小学校の総合的学習の取り組みと連携した調査・啓蒙活動を初めとして、地域住民を広く巻き込んだところが実に面白かった。学校での学習を、地域社会の貢献につながるよう行う「コミュニティ・サービス・ラーニング(CSL)」という欧米で広まっている活動を実践したのである。
ちなみにこのプロジェクトは、静岡県浜松土木事務所による「安間川整備構想」を行政に代わって取りまとめる事業のコーディネーターの一般公募で、浜松NPOネットワークセンターが選ばれ行っているものである。安間川 整備の良い方法はないかと悩んでいた土木事務所の役人の方が、ある日ラジオでデンマークのコンセンサス会議が紹介されているのを聞き、「これだー!」とひらめいて事業計画を立てたことから始まったもので、1997年の河川法改正のポイントの一つ「政策決定への地域住民の関与・参加の促進」の一環として、行政の取り組みや役人のマインドの変化を物語るものでもある。どこかのテレビ局がドキュメントでも作ったら、なかなか面白い全国の手本になる事業だと思う。
このような興味深い報告のあと、ワークショップは懇親会=飲み会(まさにシンポジウム!)に突入。熱い議論は深夜2時過ぎまで及んだ。翌日は朝9時からの総合討論。午前3時間、午後2時間半と、方法論や参加型TAプロジェクトの評価軸(ベンチマーク)とは何か、専門家の役割とは何かといった話題から、市民とは誰か、政策の正当性とは何か、「世論」とは何か――いわば世論の存在論と認識論――といった抽象的だが実態と経験をふまえた濃密な議論が展開された。行政関係者もNPO関係者もいたりするから、このへんの議論は多角的で特に興味深かった。
最後に今回のワークショップが開かれた経緯についても書いておこう。主催はいちおう「科学技術ガバナンス・プロジェクト」となっているが、そもそもの発端は、3月31日の夕方、とある原子力安全関係の委員会の帰りに東京駅の飲み屋で、委員長の北村正晴さん(東北大、原子力工学)、委員の小林傳司さん(南山大、STS)と小生、そして北村さんと一緒に反復型「対話フォーラム」をやっており、この委員会にもオブザーバーで参加している八木絵香さん(社会安全研究所)の4人で飲んだときの会話だった。
そのなかで小林さんが、今回のワークショップにも参加した名古屋大院生の次の発言を紹介した。「もうDBT詣ではやめませんか。何人もの研究者や団体が調査に行って、いつも繰り返し同じようなことを聞いている。それより、国内で実際に活動をしている人々の情報の共有をすべきではないですか。」そう、実をいえば、今回の参加グループの多くが、それぞれのプロジェクトを行うに当たって、「DBT詣」を繰り返していたのだ(小生もその一人。そのときの報告書はこちら)。それも、たったここ2、3年の間にだ。これは相手にとってたいへん迷惑だろうし、そもそも恥ずかしくないか?もうすでに日本でもたくさん経験が積まれてきたし、またTAからもっと枠を拡げて「まちづくり」とかまで拡げれば、参加型実践はけっこう前からたくさん行われている。そろそろ日本独自の文脈での経験を集めて、洞察・理解を深め、翻ってDBTを初めとして、世界の参加型実践の「先進国」に日本の経験を発信していくべき段階ではないか。それが上の発言の意図である。これに飲んでた一同、強く共感し、「じゃあ、『ありがとうDBT』というのも込めて”No More DBT研究会”ということでやろう」、「お金はウチ(平川)のプロジェクトを中心に持ち寄りで」ってことになり、その後一週間ほどで、4人のメールのやりとりを通じて、日程と会場、予算、開催趣旨文、参加者候補リストまで含めて大枠が怒濤のスピードで決定されたのだった、
このように始まりから、実にエキサイティングだった今回のワークショップ。そこで生まれたネットワークを活かし、来年以降も何らかのかたちで続けていきたいと考えている。問題は「お金」なのだが、どこかスポンサーになってくれる財団とかはないだろうか?当方、「カネに色はない」=「スポンサーの意向に左右されない」という立場ですので、どこかよろしくお願いいたします(笑)

 

1つ星 (まだ評価がありません)
読み込み中...

1件のコメント

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください