超ひさびさの交信、じゃなくて更新。
(「交信」と書くと、なんとなくデムパな気がしてくるのはなぜ?
って、そんなことはどうでもよくて。)
苦行のような地獄めぐりのような執筆生活から本日無事開放され、
相方と一緒に「大間にマグロ食べに行きたい!」なんて話になり、
大間の地図をGoogle Mapで見たら、すぐ下に
むつ
の二文字。
その言葉を見ると、おいらの世代で、やはり思い出すのは
原子力船むつ。
JST(科学技術振興機構)の失敗知識データベースの説明によると・・・
1974年8月26日に、洋上での出力上昇試験のため、母港の青森県のむつ湾大湊港を出港、8月28日に青森県尻屋岬東方800kmの試験海域にて、初臨界を達成した。
ところが、9月1日の17時頃、出力実験で原子炉の出力を約1.4%まで上げた時、放射線増大の警報ブザーが鳴る。
原子炉上部の遮蔽リングで、主として高速中性子が遮蔽体の間隙を伝わって漏れ出る「ストリーミング」と呼ばれる現象によって、放射線漏れになったのだそうで。
そして、これをマスコミが直ちに報道。
大湊では帰港反対の運動が沸きあがり、さらに、青森県、むつ市および青森漁連も反対に回った。
・・・というようなことを、ちょうど小4の夏休み明けに見て、
なかなか帰港できないむつ号を「かわいそうだなあ」なんて思いつつ、
やはり、原子力って怖いななんて思っていた。
(あのころは、ノストラダムスの大予言とか、「核の時計、1分進んだ」とか、いろいろ核戦争の恐怖ってのは、子ども心には結構リアルで、小学生ながら、核に対する怖いイメージはすでにあったのだった。たぶん、ブルーバックスか百科事典で読んで、核分裂とか放射線の話くらいは知っていた。)
んで、そんな哀れなむつ号の思い出話を夫婦でしてて思いついたのが、
空気読めないテクノロジー(KYT)
どういう意味かというと・・・
むつの建造計画が持ち上がったのは、60年代前半で、63年に「日本原子力船開発事業団」というのが設立、68年に着工、69年に進水。
つまり、大阪万博より前の時代で、原子力に対する日本人のイメージが、ポジティヴだった時代のこと。
なんせ、日本最初の商用原子力発電所=東海発電所の運転開始が66年で、大阪万博では、開会日の70年3月14日にあわせて、福井県の敦賀原子力発電所一号機が稼動開始、「万博に原子の灯を!」なんていう、関西電力のうたい文句のもと、万博会場に電力を送ったりしてたような時代だったわけで。
そういう時代に計画・建造されたむつは、少なくともその計画の関係者たちにとっては、ワクワクする明るい未来への発進のイメージだったろうし、世間の多くにとってもそうだったはず。
ところが、いざ、それが完成し、出港してみた1974年は、すでにオイルショックやらニクソンショックやらを経験し、高度経済成長から低成長期に移行してしまった後のこと。72年にはローマクラブが『成長の限界』を発表し、「モーレツからビューティフルへ」「重厚長大から軽薄短小へ」「モノからココロへ」とか「スモール・イズ・ビューティフル」なんていうことがいわれていた。73年放映の『ミクロイドS』(原作・手塚治虫)の主題歌では、「こころを忘れた科学には 幸せ求める 夢がない~♪」なんて歌われていた。
つまり、原子力だとか、それが象徴する科学技術に対する世間の「空気」は、原子力船むつが計画・建造された60年代とは、かなり変わってしまっていたわけで、そんな時代の空気のなかで発進し、運悪く放射線漏れまで起こしてしまったむつというのは、なんと言ったらいいか、「空気読めないテクノロジー」だなぁ、なんてことを思ってしまった。
それで、さらに思ったのが、
そういう悲哀に満ちた「時代の空気を読めなかったテクノロジー」って、ほかにも、各時代、いろいろあるんじゃないかと。
で、それを、開発者の思いとか、エピソードとかを絡めて、哀悼と供養の気持ちを込めて、ちょっと悲喜劇的な物語にしてみたら、けっこう面白いかなぁとか。(「逆・プロジェクトX」ともいえる?)
マジメな話で言えば、一種の「イノベーションの失敗学」みたいなかんじで、工学部の学生とかが、その物語集めと分析をやったりすると、いい勉強にもなるかもしれない。
というわけで、
「空気読めないテクノロジー(KYT)ベスト10」
なんてものを探し出してみると、面白いかなと思ってるわけなんですが、
もしも「それ、乗った!」という奇特な方がおりましたら、
ネタ投下、よろしくお願いしますです。
ちなみに、原子力船むつは、その後、あちこちの港を転々としては改修を受け、4度の実験航海を経て、1992年1月に全航海を終了、1993年3月原子炉が撤去され、船体のほうは、ディーゼル・エンジンを載せて、1996年8月からは独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の観測船「みらい」として運航され、撤去された原子炉は、なんと、むつ市のむつ科学技術館で展示されているとのこと。(写真はこちら)
いつか、大間マグロ食べに行ったら、ぜひ供養しにいかなければ!
ちなみに、冒頭に書いた執筆生活の産物はこちら:
『科学は誰のものか ― 社会の側から問い直す』
NHK出版生活人新書 328
2010年9月10日発売
脱稿おめでとうございます!
ご本ができあがるのを楽しみにしています。
「空気読めないテクノロジー(KYT)」おもしろいですね~。
何かないか、ちょっと思い出してみます。
ありがとうございます!
KYT候補、ぜひお願いしますねー。