昨日(23日)は、科学技術社会論研究会ワークショップ「リスクの社会的意味」に参加。いろいろな分野、いろいろな業界(大学、企業、マスコミ、行政など)の人が集まっての異業種交流=異種格闘技戦は、やはり楽しい。
ワークショップの中身は、濃すぎて紹介しきれないのだが、ディスカッションの時に出た話題で、さもありなんと思いつつも、やはりため息の出る話があった。
化学物質と予防原則の会代表の大竹千代子さんが予防原則について報告し、さらにディスカッサントの一人、名古屋大工学部の黒田光太郎さんが、ご自身が進めているナノテクノロジー・リスクの研究と欧米の動向の紹介をした。後者では、EUと米国の研究では、ナノテクの萌芽的な研究開発の段階から、環境や健康、倫理の問題も含めた「社会的影響(social implication)」に関する研究が進められていることが紹介された。(参考:「ナノテクノロジーの社会的影響に関する欧米の取り組み」←黒田さんたちのグループとは別のもの。)
それで、そのあとの討論で、とある企業関係者の方から、「欧米のナノテク研究は予防原則を意識しているのか」という質問があったので、「ナイス質問!」とすかさず手を上げ、次のような主旨のコメントをした(ここでの説明用にかなり補足してますが)。
意識的かどうかは別として――欧州の研究者は明らかに意識していますが――黒田さんが紹介されたナノテクリスクや社会的影響の研究は、すぐれて予防原則的、予防的アプローチに基づく研究開発だと思います。一番のポイントは、研究開発の初期段階という「上流」からリスクを予測し、それを研究開発にフィードバックしていこうという姿勢です。実用化直前、もしくは実用化後という下流段階では、すでに多大な投資をした後で、技術も固まってしまっていますから、いざリスクがあることがわかっても、なかなか方向転換できなくなりますが、上流段階では、まだ柔軟性が高く、リスク対応がしやすくなります。またそのように先取り的にリスク対応していくことで、その分だけ実用化後の不具合も減ります。
もう一つ大事なポイントは、こうした欧米の動きは、多かれ少なかれ、「遺伝子組換え作物の失敗」を教訓として進められているということです。遺伝子組換えでは、研究者の間では、長年の時間をかけて安全性の研究や試験を積み上げながら進めて来たにしても、社会全体、とくに一般の人々にとっては、ある日突然実用化され、その得体の知れないリスクに直面させられてしまいました。しかも、そうした一般の人々の不安・懸念に対する研究者や行政の対応は極めて権威主義的で、とくに欧州では、長年「人にとっては安全」とされていたBSEが人に感染することが認められた直後でもあったことから、余計に不安や、専門家、行政に対する不信をかきたてるものになってしまいました(日本の場合は、おそらく薬害エイズが専門家不信、行政不信の前例になっています)。ナノテクの研究者は、これを教訓として、研究開発段階から、漠然とした不安も含めて一般の人々の懸念に対応し、また先行的にリスク研究に取り組むことで、リスクを減らすだけでなく、社会的信頼も獲得しようとしているのだといえます。
とまぁ、こんなことを話した後で、ナノテクにも関わってる某研究所に努めている友人に、「日本のはどう?」と振ってみたのだが、その答えが身も蓋もないくらいひどい話だった。
彼いわく「英国のナノテク研究者を呼んで、研究動向の紹介をしてもらった。その研究者は、さかんに「予防原則に基づいて・・」と繰り返していたが、研究所の人間には全然通じなかったみたい。基本的にみんな予防原則が嫌い(しかし、そのわりに発表自体はありがたく拝聴してる?)」、「ナノテクリスクの研究が必要だというと、『今は推進の時。リスク研究なんかやるべきじゃない(=寝た子を起こすな?)』」、「社会的影響の研究といっても、彼らが考えてるのは産業への応用とか経済効果とか、プラスのものしかない」などなど。シンポジウムとか開いても、「リスク研究なんかやるな」という声が飛ぶとか。
よーするに未だに、高度経済成長期のマッチョな技術信仰路線なわけだ。おいおい。。
はっきりいって、恥ずかしくないですか?
欧米のナノテク研究者たちとの国際会議でも同じ発言してるのかな?とか心配になっちゃいますよ。
別に欧米信仰があるわけじゃないけど、この件に関しては日本は原始時代といってもいいかもね。(もちろん、ナノテク研究者のすべてがそうなわけじゃないが、主流はまだまだらしい。参考:「ナノインフォ:フラーレン・ナノチューブ総合シンポジウムに参加して」←これの最後の段落。)
ちなみに「恥ずかしい」といえば、以前にこんな話を聞いたことがある。欧州で開かれた再生可能エネルギー(自然エネルギー)に関する国際会議で、ドイツかどこかの発表者が風力発電の報告をしたとき、質疑応答で、とあるエネルギー関係の日本人(たしかけっこうおエライ人らしい)が「風力発電は風任せで、電力が不安定だ」と発言したそうだ。で、発表者も含めて他の聴衆の反応は「???」。つまり、コメントの意味が理解できない、といった反応。というのも、欧州では、風力発電は、風車を広い範囲にたくさん設置すれば、どこかで風は吹いているので、全体としてかなり安定な出力が得られることや、そもそも風力だけで電力をまかなおうなんてことは考えてなくて、火力なども含めた電力網全体の中に入れてしまうので、風力による変動分は、たいした問題ではないし、全体的な調整で、平均化可能だということが実証済みだからなんだそうだ。これに対し、某日本人は「風車一機」のことを言っていたのだという。
それと、時代遅れのマッチョな技術信仰もやめて欲しい。先日も、その体現者みたいな御方――まぁ、「リスクなんか考えなくていい」なんてこというわけじゃなく、「持続可能性」ということもちゃんと考えていらっしゃる方ではあるのだけど――が仕切ってた科学技術政策関係の会議に出たのだけど、もうゲロゲロでした。昔、浜田省吾の歌で「昨日の絵の具で破れたキャンバスに明日を描く愚かな人」というフレーズがあったけど、思わずそれが浮かんできてしまった。
で、話を元に戻すと、日本のナノテク研究の話で、もう一つため息が出るのは、「遺伝子組換え作物の教訓」の意味。欧米では、もちろん研究者サイドの発想は研究開発促進、産業化推進路線であるわけだが、そのためには、早い段階から社会的影響をプラス・マイナス両面で、環境や健康のみならず倫理的問題なども含めて多角的に評価し、また一般市民も含めたさまざまなステークホルダーを巻き込んだ参加型のテクノロジーアセスメントなんかもやっていかなくてはならないというふうに考えられている。その意味で、そういうことを怠ってきた――生物学的リスクの研究はそれなりにやってきたが、他の社会的影響の研究や、ステークホルダーの巻き込みについては遅きに失した――「遺伝子組換えの轍を踏んではならない」と考えているわけだ。
これに対し日本の場合は、「遺伝子組換えの轍を踏んではならない」がどうやら意味するのは、「遺伝子組換えでは無知な大衆の啓蒙に失敗した。ナノテクでは早いうちからもっとうまく啓蒙しよう」ということらしい。
思いっきり二の轍を踏んでるじゃん。
いや、基本的にそれは「想定内」なんですけどね。。あまりに想定内すぎて、ため息出ちゃいます。
<追記>
経済産業省には「ナノテクノロジー政策研究会」というのがあって、そのなかに「社会的影響WG」というのもあるのを発見(このページのなかから探してください。)。でもまだ話は始まったばかりという段階で、面白い話はしてない。
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