「自衛隊を撤退させろー!」――今回の人質事件に対するあちこちのデモで聞かれるこの叫びに、小生は今ひとつ、というかかなりの違和感をもって、ノレないでいる。
一昨日、ここにも書いたように、小生的には、今回の事件への対応としての撤退は絶対とれない選択肢だと考えている。そんなことをすれば、「日本はチョロイ」と、今後もますます対邦人テロが続き、場合によっては人命を失うことにもなりかねないからだ。それは、たとえ、「サマワは危険になったから、派遣法に基づき撤退」と理由付けしても同じである。テロリストたちにはやはり「なんだかんだ理由をあげても日本はテロに屈した」としか見えないだろう。「撤退しないこと」は、「国民を守る」という意味での国家安全保障という観点から要請される絶対的な拘束条件であり、この保障に責任をもつ政府には、この条件の下で「人質救出」のためにいかに最大限のことをするかという選択肢しかないのである。
もちろん実際の政府の「不撤退」の理由には、アメリカ・ブッシュ政権に対するメンツとかいろんなクソみたいなものもあるだろうが、それでも撤退しないという結論自体は、上記の理由から正当化されうると思う。撤退させることのリスクが現実にある限り、「ベスト」の答えは、「撤退による解放/救出」ではなく、撤退せず、しかも解放/救出という、いわば北西航路を突き進むような最も困難な途しかないのである。(ただし、日本政府にこの途を突き進むだけの能力と条件が備わっているかどうかは別であり、ここ数日の対応を見ると、相当にそれは疑わしい。むしろ邪魔でさえあるようにも思う。結局、最終的に解放となったとすればその勝因は、(1)イラク・イスラム聖職者協会の働き、(2)人質が反戦・反占領・人道支援の人々であったこと、(3)犯人たちと交渉している市民ネットワークの働きと日本からのアピール、(4)犯人グループがこれら1~3を受け入れるような連中であった――逆にいうと、確信犯的なテロリストでは(どうやら)なかった――こと、かなりの点で「僥倖」に属する事柄に尽きるのではないだろうか。)
そういう意味で、「自衛隊を撤退させろー!」という政府キューダンの声は、犯人側の要求に応える格好で撤退させることに伴う別のリスクを考慮していない無責任さを感じてしまう。意地悪くいうと、人質事件をダシにして、日頃から叫びたい「自衛隊ハンターイ!」を「自衛隊テッターイ!」に言い換えてアピールしてるだけじゃん、という気すらする。もちろん実際は、なんとか三人を助け出したいという気持ちこそがそれを叫ばせているのだろうけど、しかし「撤退した場合のリスクはどうするんだ」とすぐ足下をすくわれるような近視眼的なアピールは、(とくに町行くフツーのひとたちへの共感喚起という点で)戦術として失敗しているし、上記の国家安全保障の観点から見れば無意味で無責任ですらあると思う。
しかしながら同時に、「自衛隊を撤退させろー!」には肯定的な側面も大いにあると思う。
第1にそれは、現時点で政府がとりうるオプションの提起としては無意味だとしても、犯人グループや、それに対して一定の権威を持つ聖職者や、イラク国民一般へのアピールとしては、大きな意味があった(みたい)だからだ。(まぁこれは半分結果論だが。)
第2にそれは、今回の事件が解決した後の中長期の視点からは、非常に重要な、ぜひとも政府が検討すべきオプションである。すでに一昨日書いたように、テロリストだけでなく、聖職者協会やふつうのイラク市民――サマワは別かもしれないが――までが「自衛隊イコール占領軍の一部、米軍の子分」と見ている状況では、これからも同様の事件が発生するリスク――次も今回のように物わかりがいい連中とは限らない――や、さらには日本国内のテロが現実化する怖れだってあるからだ。もちろん、そういうリスクのある場所に民間人がいかなければ問題は起きないという考えもあるだろう。しかし客観的な事情として、軍隊や政府とは独立な個人やNGOによる支援をイラクの人々は必要としている。それは民間人でないとできないことなのだ(コイズミ首相は、そういえば「民間にできることは民間にどんどんやってもらう」が口癖だったよな。)またイラクに行かなくても、国内テロのリスクには、ただ日本に暮らしているだけで晒されているのである。
もちろん、PKO活動など軍隊でないと務まらないような仕事もイラクでは必要とされているだろう。しかし一昨日も書いたように、今のように、米軍の輸送の手伝いをしたり、ブッシュ追従としか見えない――いくら「追従ではない」と言いつのっても、イラクの人たちにそう見えなければ同じである――政府の姿勢を維持したままでは、それは、同様にイラクの人々が必要としているnon-governmentの活動にとってリスクでしかない。対米関係上の配慮ではなく、もしも本当にイラクのためになることを自衛隊を使ってしたいのならば、ファルージャ攻撃のような米軍の凶行、米国政府の軍事力一辺倒の姿勢を改めさせ、国連主導の体制になるよう外交努力を重ね、自衛隊についても本当の意味での復興支援になる活動に限定するなど、大幅な枠組みの再構築が不可欠である。そうした努力をすることなく、これ以上イラクに自衛隊を置き続けることは、結局はその責任をとりきれないほど大きなリスクを、無責任に垂れ流すだけではないだろうか。外務次官をはじめとして、政府関係者が強調する人質の「自己責任論」は、自分たちの責任能力の決定的欠如を覆い隠す体のいい方便のように見える。
ところで、この自己責任論に関連して政府の一部では、今回の事件の「教訓」として、これまでのようにイラクなど危険地域からの民間人の退避勧告をするだけでなく、渡航禁止という強い制限を設けよういう考えも出てきているらしい。いうまでもなくそれは、復興援助の核心部分の手を縛り、またジャーナリストの渡航禁止は、紛争地帯の真実を外部の人々の目から覆い隠し、とんでもない蛮行を放置する危険を伴う。それゆえ、行きたい人はやはり行くことになるだろう。その場合、リスクを承知で現地に赴くNGOや個人、ジャーナリストは、「もし事件に巻き込まれても、国家による救済は要りません。家族にも求めさせません」と宣言書にサインしてから行くことになるのだろうか?まぁ、今回の三人も含めて、現に入ってる人たちは、そういう覚悟を多かれ少なかれしているのかもしれないし、自分がその立場だったら、きっとそうだとは思う。
しかし、だからといって「すべて自己責任でヨロシク~」っていうのは、一昨日も書いた理由で、国家の責任放棄でしかないよな。それは国家に対する「甘え」などではなく、基本的な国民の権利、国家の義務であるはずである。某新聞社の社説にある「自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係機関などに、大きな無用の負担をかけている」などという弁は、「おかみのお世話になる」というような、機関としての国家を擬人化した幼稚で歪んだセンチメンタリズムの現れでしかない(だいたい医者が「勝手にこんな怪我して無用な負担をかけやがって」と患者に文句いうか?いったとしたらそれは医者失格だろう。もちろん機関=システムとしての国家を運営し「お仕事」してるのは生身の人間であり、その人情の部分に対しては「ご迷惑をおかけした。すまなかった」という気持ちは人間として当然あるべきなのはいうまでもない。「お仕事」とはいえ外務省の役人とか政府の中の人たちは残業、休日返上で働いてるんだろうし)。そもそも、このような事態になるリスクは、予想されたことであり、本来はその対応コストは「必要経費」として織り込まれているべきことである。さもなくば、それは多重防護も緊急停止装置もなしに原子炉を動かすようなものだ。「大きな無用の負担」などという言い草は、ただの責任放棄の弁でしかないし、またそもそもこのような混乱を招き悪化させている米国主導の戦争行為と「戦後」の占領政策の失策――とりわけ直接的にはファルージャ攻撃――の責任を覆い隠すごまかしにすぎない。
※参考: 外務省設置法、第四条「外務省は、前条の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる」の八と九:
八 日本国民の海外における法律上又は経済上の利益その他の利益の保護及び増進に関すること。
九 海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全に関すること。
閑話休題:
そのいち。
数日前から気になってはいてもうまく表現できない疑問がある。それは、人質になっている三人の行動は、どこから「自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動」と呼ばれるようなものになったのだろうか、ということだ。いいかえると、もしも彼らが拉致されないで、当初の目的――高遠氏であればストリート・チルドレンの世話――を遂行していたら、それは「自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動」といわれるものになっただろうか?そういうふうにいわれるようになったのは、とりもなおさず拉致されたからだが、その責任の一部は、もちろん危険なところに危険で承知で行き、またもしかしたら何か判断ミスなど過失があったかもしれない本人たちにあるのは確かだろう(ついでにいえばこうした責任は、出来事の後から事後的に構築/帰責されるものだ)。しかし、それ以上に大きいのは、当然ながら拉致という犯罪行為を行った犯人グループの責任である。そしてそれ以前に、そもそも「人質になった3人がイラクに入ること」をリスクのある行為にし、また犯人グループたちが犯罪行為に手を染める動機を形作った(と考えられる)米国の攻撃と占領政策の失策、日本政府の米国追従姿勢とそのもとでの自衛隊派遣――少なくとも現地の人たちにはそう見える――という事態があり、これらの選択を行った米、英、日その他の政府の責任はなお大きいはずだ。いってみれば「自己責任/自業自得論」は、性犯罪被害者に対して「あんたも男を誘うようなスキがあったんだろう」と責めるセカンド・レイプの構造とよく似ているのである。
そのに。
被害者家族の家や連絡先に嫌がらせ電話やメールが殺到しているという。某BBSには、連絡先のtel番号を晒して、それをあおるような投稿もあると聞く。これって一種の犯罪教唆とかにあたらないのか?サヨも迷惑だが、このところのネットうよは犯罪的にウザイぞ。
そのさん。
ニュースで、天皇がチェイニー米副大統領と会談してる様子を見て、おもわず「陛下!そんな極悪人としゃべってはなりません!穢れます!」と口走ってしまった私は何者!?