もう一昨日になってしまいましたが、東大駒場キャンパスで開かれたシンポジウム「震災後の正義の話をしよう 〜ポスト3.11の公共哲学〜」に登壇してまいりました。
会場は盛況で、150~200人くらいはいたんじゃないだろうか。ニコ生でも同時中継されてたのだけど、そちらの累計の視聴者数(来場者数)はなんと52,713人。
「公共哲学」なんて世間的にはすんごくマイナーなはずだけど、サンデル効果なのか、それともシンポのテーマ自体に対する関心がそれだけ広まってるということなのか。
いずれにしても、来場された皆さま、視聴された皆さま、有難うございました。
以下は、自分の発表スライド(公開用に多少修正済み)。
「3.11東電原発事故が専門知に突きつけるもの―信頼の危機にどう応えるか」
平川秀幸(大阪大学CSCD准教授)
発表に対しては、会場からたくさんの質問をいただいていたのですが(全体の8割がおいら宛てだったとか)、パネル討論の時間内には、一部しかお答えできませんでした。いま事務局に質問シートのコピーをお願いしているので、それをいただいたら、このブログ上にでも回答を掲載いたします。
ちなみにパネル討論では、「自分は脱原発を支持するが、推進派に説得される覚悟はある」と発言したのだけど、これは討論のテーマの一部でもあった「熟議」にとって根本的に大事なこと。名台詞、
「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」
(フィリップ・マーロウあるいはルルーシュ・ヴィ・ブリタニア)
をもじっていえば、
「説得していいのは説得される覚悟のある奴だけだ」
とでもなろうか。
欠如モデルに基づいて「○○は安全です。ご理解ください」と繰り返す「科学技術の社会的受容(public acceptance)」とかいうものに腹が立つのは、根本的には、「お前ら、自分が説得される覚悟なんて微塵も持ってねーだろ!?」ってのがありありと見えてしまうから。
まぁ、それはそれとして、そろそろ寝るか。