さきほど読んだ、かなりゾッとしたコメント。
ああ、今回の選挙は憲法改悪時の予行演習なのだな、と思った。
―― ★J憲法&少年A★ 悪夢の再来か コメント欄より
意図された「予行演習」でないとしても、きっと同じ手法でやってくるんでしょうね。
「憲法改正こそ改革の本丸だ」とか、「憲法改正なくして成長なし!」、「改正に賛成か反対か!」とか「反対する者は抵抗勢力だ!」、「旧い日本をぶっ壊す」とか。しまいには「憲法を改正できなくて、どうやって年金や財政の問題を解決できるんですか!?」とか言い出すだろう。
「決然」とした言葉で快感=カタルシスを誘い、思考力を麻痺させる。議論はすべてはぐらかし、ワンフレーズを繰り返す。批判力を完全放棄したマスゴミは、これをお茶の間に垂れ流し、全力で世論誘導に明け暮れる――これまた今回の選挙同様に。
ちなみに「彼」らが考える憲法改正案は、「憲法とは統治権力を縛るための命令」という「立憲主義」を否定してる――「現憲法第10章(最高法規)」の削除と「国民の憲法尊重擁護義務」の盛り込み――疑いが濃厚なんだが、それを問われても、きっとこう言うにちがいない。
「人生いろいろ、憲法いろいろ!」
ふざけるな、バカヤロー
それと、上記のコメントには、こんなことも書いてあった。
9/9 赤坂での憲法九条を守る会を覗いてきた。
東大教授の小森陽一氏が今回の選挙の小泉の手法を、ナチス ゲッペルスが使った
沈黙のスパイラルの手法だと言っていた。
第1段階:ファナテイックな断定的な大声で反論を許さない
第2段階:その主張の中身の吟味を許さない
第3段階:敵・味方の二分法による選択の強制
第4段階:大衆動員と異端の排除、恐怖による吸引。
さらに「改革」など快に訴える言葉に印象づけて、快-不快で誘導しているとも。
これって、実は、ブッシュ大統領のやり方にもかなり共通している(米国の場合は「改革」の代わりに、キリスト教原理主義のメッセージが「快」を呼ぶのかな?)。要するに、ナチスの大衆掌握の手法は、戦後60年たった今も、政治家の世界、あるいは彼らに「振り付け」してる広告代理店/PR会社のノウハウとして、しっかり受け継がれているわけだ。第二次世界大戦で本当に勝ったのは、自由世界だったのたか、ナチスだったのか。答えは自ずと明らかだな。
以下、以前に書いた憲法改正がらみのエントリー。
- もしも選挙に行かないと・・(2004年06月28日)
- 茶色い憲法―自民党憲法改正・論点整理案の全文(2004年06月28日)
- ここにもウソツキ公約が(2004年06月30日)
- 自民「憲法改正のポイント」―隠さず全部出せよ(笑)(2004年06月30日)
- 寝言ならいいけど・・自民憲法改正案つづき(2004年07月07日)
- 東京新聞『憲法は今』(2004年07月07日)
- 東京新聞『憲法は今』(続き)(2004年07月07日)
- 国民投票法案「通常国会で必ず成立を」??(2005年01月08日)
- ぜひとも英語で世界発信を―民間憲法臨調提言(2005年05月06日)
本当に勝ったのは自由社会か、それともナチスか…。
僕は大学院でハンナ・アーレントの政治理論を学んでいるものですが、今回の総選挙で彼女のそうした危惧がグロテスクなほど合点できました。
おそらく、改憲論議が加速するだろうということは同感です。だからこそ、徹底的に戦わなければいけない。
ワンフレーズ・ポリティックスに対抗するためには、ラディカルなデモクラシーしかありません。プロパガンダに立ち向かうためにも、われわれは絶えず発言し、説得し、お互いに連帯してきかなくてはならないのだと思います。
むしろ、すべてはこれから始まるのではないでしょうか。希望を棄ててはならない。そう思います。