生きた牛の末梢神経からも異常プリオン?

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RSSリーダーをいつものように巡回させていたら、BSE&食と感染症 つぶやきブログさんの次の最新記事が目にとまった。

複数の生きた牛の末梢神経からもプリオンが検出されていた
■「OIE/BSEコード改正に関する専門家会合」を傍聴しての情報

94か月齢の死亡牛の末梢神経から見つかったというのは、去年11月にあったけど、今度のは、起立困難だがBSE症状ではない生きた牛とのこと。末梢神経ということは筋肉組織に入り込んでいるわけで、異常プリオンの量によっては「危険部位を取ってるからオケー」ってわけにはいかないことになる。


「OIE/BSEコード改正に関する専門家会合」というのは、先日ここでもメモしておいた、OIE(国際獣疫事務局)が来月の総会に向けて、BSEに関連した牛肉の貿易条件を緩和する案を出しているという動きに対するもののようだ。マスコミが伝えるところでは、日本政府としては緩和案に反対らしいので、こういう「危険部位取ったからOKなんていう緩和案は問題ある」ということをアピールできるような知見がクローズアップされてるのだろう。
食品安全委員会の動きを見てると、どうも役所側=政府側は米国牛輸入再開のほうに引っ張りたがってるように見えるんだけど、その一方でけっこう米国に対して頑張ってるもいる。そのへんの政治力学が分ると面白いのだけど、リスクガバナンスの問題として見たとき興味深いのは、どういう科学的知見がクローズアップされるかというのは、結局は、その知見が持つポリティカルな意味と、それを取り囲む政治的文脈がどうなってるかによるのだということ。
で、たぶん、このことは、それ自体は悪いことではないと考えるべきなのだろう。たとえば人の健康や環境にとって都合のよい知見が抑圧されるのも、クローズアップされるのも、どちらも何らかの政治的文脈によっている。だとすれば、「科学が政治に歪められている」とか、「所詮、科学ではなく政治なんだ」という言い方には意味がなくなる。そうした言い方は、どこかに政治的文脈から切り離された「ピュアな科学」というのを想定したロジックに立つものであり、これに対し現実は、常に科学は政治的文脈に埋め込まれているのだ。
まぁ、これはいわゆる社会構成主義の基本的な考え方なわけだが、この見方に従うならば、分析的に大事なのは、ある政治的意味を持った科学的主張が政治的に通用するのは、どういう政治的文脈の時なのか、どういう文脈では抑制されるのかを腑分けすることだろう。また、場合によっては、当初通用しにくかった主張が通るようになったとすれば、そうなるように政治的文脈を変化させるためにどんなタクティクスが用いられたのかも見るべきだろう。(もちろんこのタクティクスは、科学的主張と政治的主張の合作であるはず。科学的主張の内容、ファクトが政治的文脈を変えることは度々ある。)また実践的・規範的には、そうしたタクティクスをいかに働かせるかが重要になってくる。日本ではあまり知られていない米国の科学哲学者Joseph Rouseの”認識論的連合(epistemic alignment)”(see Engaging Science: How to Understand Its Practices Philosophically)という概念を使えば、ある望ましい政治的意味をもつ科学的主張――もちろん科学的にも妥当なものでなければならない――に力を持たせるような科学的・政治的な連合をどう作るかが大事なわけだ。
この観点から、現状のポリシー・メイキングの問題点を指摘するとすれば、それは、この認識論的連合を形成する過程が、外から見てあまりに不透明かつ閉鎖的で、特定の議員やその背景にある利害とか、アメリカ様のご意向とかに左右されやすくなっているということだろうか。ちなみに今月末発売の岩波の『思想』(2005年第5号)に書いた論文の脚注で、ここでも以前に触れた「リスクアセスメント方針(リスク評価方針)」に関する食品安全委員会のBSE審議の問題点について、次のように指摘しておいた。

・・日本の食品安全行政ではリスクアセスメント方針は、農林水産省・厚生労働省から食品安全委員会への「諮問書」として与えられるが、その作成過程は今のところほとんどの場合不透明で政治的バイアスのかかりやすいものになっている。たとえば国内BSE対策見直しに関する諮問書(二〇〇四年一〇月一五日)の質問項目は、全頭検査の緩和など、背景にある米国牛肉輸入再開問題を強く意識したものになっており、科学的に見ても一面的で矛盾があることが二〇〇五年三月二八日の同委プリオン専門調査会で指摘されている。諮問内容が科学的に問題があれば、リスクアセッサーがそれを正したり、答申にも独自の判断が追加されるべきだが、「諮問内容に即していない」との理由で十分に反映されていない。両省の意図はどうであれ、少なくとも結果的には、方針が米国牛肉輸入再開に都合の良い答えを導く誘導尋問として機能した疑いがある。「アセスメントの系統性・完全性・バランス・透明性を保証するには、アセスメント方針はリスクアセッサーや他のすべての利害関係者と協議して作成しなければならない」という原則の重要性を痛感させる事例だといえる。

要するに、諮問書=リスク評価方針が、どうやらリスクアセッサー(科学者)に対してさえ不透明かつ閉鎖的に作られていて、そのため諮問書が、リスク管理機関(農水と厚労省)が食品安全委員会をコントロールする「リモコン」になってるんじゃないかってことなんだけど、この問題については以下を参照。

国内対策見直しに関する食安委・プリオン専門調査会の最後の会合(3/28)は、たまたま出張で上京中だったので傍聴したのだが、その場でも確かに、「諮問はこうなっていないから・・」云々の議論をしていた。「そこまで諮問書のワーディングに縛られる必要はあるんだろうか」というのが、その時思った素直な疑問だった。これは、現在準備中のリスク評価方針に関する欧州の研究者との共同研究で取り上げるべきネタの一つかもしれないな。
ちなみに上記のRouseの議論は、以前はずいぶんとフォローしていたのだけど、最近は、どちらかというと制度論的な視点からリスクガバナンスのことを考えている。今後は、Rouse的な見方でもアプローチしてみようかな。
<追記>
そういえば、先ほど共同研究者から、昨年設立された国際リスクガバナンス・カウンシルの今年の総会(9月20-21日@北京)の話が回ってきた。去年は知らずにいけなかったので、今年は行ってみたいのだけど、時期的に後期の授業開始しと重なりそう。後期は10月にも海外出張の予定があるのだが、ウチの大学は、学期中の海外出張は一学期あたり一回までという大変不便な慣例があるので、どちらかを選ばないといけないかもしれない。うーん、困った。

 

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1件のコメント

  1. アメリカの食肉処理の現場で内部告発が続いている

    昨年の、米国最大食肉加工企業のタイソン社労組の内部告発や農水省への陳情書提出、米国食肉検査官組合の告発などに引き続き、米国は内部告発が続いているようです。
    ■(4/9)「米農務省はBSE秘匿の疑い」元食肉検査官が告発
    http://health.nikkei.co.jp/bse/child.cf

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