さきほど武田徹さんの日記を読んでたら、武田さんが主宰している東大先端研の「安全・安心と科学技術」プロジェクト・ジャーナリストコース(専用サイトはこちら)の講師に、売れっ子占星術師の鏡リュウジ氏が登場、とあった。
ずっと以前、ここをblog化する前にも書いたことがあるが、鏡リュウジ氏は大学の後輩で、ウチの奥さんの同期で、共通の友人でもある。(ついでにいうと、武田さんも含めて、4人ともICUの大学院比較文化研究科出身者でもある。)ICUにいた頃は、よく学生ラウンジ(D館ラウンジ)のテーブルで、ホロスコープみながら「今週の星占い」の原稿を書いているのを見たものだ。(彼は高校時代からプロの占星術師だった。)卒業後は、三鷹駅前の日本茶の喫茶店さらさらで偶然会うことが多く、占星術や魔術、科学のことについていろいろ喋ったりしていた。そんななかで、彼がよく口にした言葉に「リアリティの重層性」という概念があった。きっと、ジャーナリストコースでも、そういう話をしたんだろうな。
一昨年の暮れに、朝日新聞の夕刊の「科学してますか?」のコーナーに彼のインタヴュー記事が出ていたことがある。その中で彼は、占星術にのめりこんでる自分と、それに対し懐疑的な<近代人>としてのもう1人の自分との葛藤、そんななかで大学で出会った「科学史」の授業(←小生の師匠の授業かな?)のことについて語っている。「最初の授業で教授が黒板に長方形を一つ、斜めに書いた。『でも、斜めというのは黒板を基準にしたから』。別の枠組みで見れば価値観も変わる。」――「リアリティの重層性」というアイデアは、こんな授業の体験も関わっているのかもしれないと思った。
これにからめて、以前に書いたものをコピペしておく。
小生の後期の授業「科学文明論」では、ずっと科学革命の話をしているのだが、実をいえば、それを通じて伝えたいと思っているのも、「ガリレオは偉かった」とかそんなことじゃなく、まさしく「リアリティの重層性」ということだ。もう少し言葉を継げば、今ある現実とは違う過去と未来の可能性、そしてそれはいつもここにある、ということである。
学生たちの反応は、必ずしもこちらの意図したとおりではないけれど、多くの場合、科学革命の話は、彼女たちにとって今ある現実とはまったく違う世界のリアリティへの驚きにつながっているようだ。なかには、「数学が物理に役立つなんて驚きました(=物理現象が数式で表現でき、計算・予測できることに驚いたということでもある)」とか「天気予報がコンピュータでの計算で行われていることに驚きました」とか、元物理学徒の小生にとっては、こちらがむしろ驚いちゃうような反応もあったりするのだが、それは同時に、この国の中等教育における理数系教育がいかにマヌケなものか――高校時代、それから塾講師時代にリアルに実感してたことだが――を改めて思い知らされることでもある。高校のとき、物理の時間に、問題を微積分使って解いたら、「それは高校では教えないやり方だから、ちゃんと公式を使ってやってください」といわれてキレそうになったのを憶えてる。物理なんてのは、少数の基本原理から、あとは数学的に体系的に導けるってことに、ある種の世界の美と調和を実感しちゃえるところが醍醐味で、それは高校物理程度でも十分味わえるのだが、公式が断片的にちりばめられた教科書には、そんなものはかけらも見当たらない。それは数学についてもいえる。そこには「意味」というものがない(”It doesn’t make sense”)。実際、小生の授業をとってる学生の感想にも「高校の数学や物理も、こんなふうにして教えてくれたら面白かったのに」というのがとても多かったりする。そういう「意味」は、多少の好き嫌い、肌に合う合わないはあったとしても、文系・理系なんていうツマラン区別を超えて、誰もが感じられることなんだろう。
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