昨日(3日)は、実家(群馬県太田市)に帰って、中学の同窓会に参加。卒業から25年、四半世紀ぶりの再会。総勢約300人くらいのうち100名ちょっとの参加。いろいろ世話をかけた恩師たちも数名来ていた。
10年前にも1回めがあったのだが、参加したのは今回がはじめて。10年前の時は、よく憶えてないんだが、招待状が来た覚えがない。といっても、その時の実行委員の連中が「なんで来なかったんだ?」といってたし、招待状も送ったそうだから、たぶん、送った先が実家で、両親が転送し損ねていたというのが真相だろう。おかげで、当時は、「大学院生してるらしい」という噂(これは事実である)やら、「プータローらしい」(これは、院生だから、ある意味当たってるな)とか、「行方不明らしい」というのまで出てたらしい(おいおい)。
それで、今回だが、25年ぶりで、早生まれ以外はみんな40になってるということで、実は内心穏やかではなかった。当時の友達が、みんな思いっきりオジサン、オバサンになってて、見分けもつかなかったらどうしようと思っていたのだ。(←自分は見かけ、若作りで、学生にはよく30代半ばと間違われるので、自分との落差が恐かった。)田舎だし、高校出て、わりと早く所帯持ち、子持ちになったのも多いから、老けるのも早いんじゃないかとも思ってた。
けれど、そんな心配は全然無用だった。ほとんどは、見てすぐ判ったし、まだまだみんな若い。特に女子。化粧の効果ってのもあるんだろうけど、君ら、みんな若いよ。安心した。中には、中学のときとまるで変わらず(息子の同級生にナンパされるんじゃないかと思うくらい)若くてcharmingな子や、当時よりきれいになってる子もいたし。(「女子」とか「子」って表現するのもなんだが。)とてもみんな子持ち(あるいは孫持ちも)には見えない。つーか、うちらの世代だと、上の世代と違って、平均してこんなかんじなのかな。服装や化粧のセンスとか、ボディラインに対する意識っていうのが、やはり違うのだろう。男連中も、やや太ってたのもいたけど、基本的にあんまり変わっていない印象。同期のみの集まりということもあるんだろうけど、ノリも当時のままが多かった。
ただ、一つネガティヴな意味で驚いたのは、この年にしては意外と死人が多かったこと。「多い」というのは印象の問題で、平均的にその程度なのかもしれないが、7人もいた。しかも、死因が自殺も意外と多く、そのうち2人は部活も同じで仲良かった連中だ(そのうち一人は、女子で、たしか自分が大学の頃で、葬式にも行ったのを憶えている)。あと、全くの消息知れずなのだが、「京大に行って、そのあと、はじけちゃったらしい」という噂のあるのもいた。小学時代はよく遊んだやつで、中学時代は、成績トップを競っていたやつだった。まぁ、競うといっても、「テスト前の一夜漬け派」だった小生とはまるで違って、あっちは中学時代ですでに一日4時間以上も勉強してたタイプだったから、小生が首位に立ったのは一回だけなのだが。とはいえ、おとなしいが性格はいいやつだったから、もしも噂がほんとだとすると、可哀相なことだな。ほんと、いま何してるんだろう?(そもそも生きてるのか?)
ちなみに午後3時スタートだった会は、なんと5次会まで続き、結局、午前2時半近くまで飲みつづけてしまった。5次会ですら20人近く残っていた。大部分の連中は10年前も参加してるのだが、それでもやはり、幼馴染同士の気の置けなさがある。話しているうちに、いろいろエピソードも思い出してくるし。たとえば、晩秋の月食観測を肴に、夜中に男女6~7人で学校に集まり、校舎に忍び込んで「深夜の学校探検」をしたこと。真夜中の音楽室でピアノひくやつまでいて、敷地内に住んでた用務員のおじさんが起きたりしないかハラハラしたなぁ。。他にもテストで友達にカンニングさせてやったこととか(「あのときはありがとう」と2人から言われた。よく覚えてたね。俺は忘れてたよ)、高校入試前にクラスで、小生が講師役で、「直前ウィークポイント克服講座」を放課後やったこととか、部活(水泳部)を引退してヒマになった頃に、友達の家に毎日集まって、麻雀と一緒に煙草も憶えちゃったこととか。あるいは中3のときに男子だけで担任に引率されて山に行き、その担任が前任校で教えていた当時高校二年生のお姉さんたちとキャンプしたこととか(彼女たちはいま何してるのだろう?)。
それと、同窓会のアトラクションのクイズに出てきて話題になったのが「学校の引越し」。学校まるごと元の場所から3.7km離れた別の場所に移ることになって、1年の終わりに引越し作業をやったのだけど、そのとき自分たちで机や椅子をもって歩いて新校舎まで行ったのかどうか、最後まではっきりしなかった(クイズそのものは元のところから新しいところまでの距離だった)。
それから、3年になって、「昼休みのBGMがつまらんな」ということで視聴覚委員になって、校内放送で好きな曲かけまくってたら、教員から文句がきたので、職員室には流れないよう、スイッチを切ってたこととか。音楽といえば、2年の時の文化祭でバンドをやることになって、学校にもギターもってって練習してたら、ある日校長室に呼び出されて、「ギターはもしかしてエレキかね?」と尋ねられて、「そうです」と答えたら、「エレキはいかん!あんなのは不良の楽器だ」なんていわれて唖然としたこととか。まぁ、考えてみれば、あれは1979年の秋。いわゆる「バンドブーム」なんてのよりずっと前の頃のこと。ましてや校長先生の世代じゃ、そういう反応も仕方なかったのだ。でも、どう言いくるめたかは忘れたけど、結局、エレキは使用OKになった。
ちなみにその文化祭、当初は、何か学校の都合で開催されない予定だった。それを春くらいに年間行事表を見て知って、それで「文化祭実行!」を公約に生徒会長に立候補したんだった。そういうわけで、見事公約実現。視聴覚委員になったのは、その生徒会の任期が終わってヒマになった頃で、副会長のやつと一緒にやったのだった。(ちなみに高校のときも生徒会長やったのだが、そのときの公約は「校長の横暴と闘うぞ!」。ウチの高校はかなり自由というかルーズでいいとこだったのだけど、2年の春に新しくきたその校長は、何かと厳しく、生徒になんの断りもなく、パーマ禁止にしたり、(煙草の吸殻探しで)抜き打ち部室検査したり、現場の教職員の苦労を増やすような小テストを導入しようとしたり、とにかく息苦しかった。それで選挙演説で開口一番「最近、みなさん息苦しくありませんか?そう、その原因は、校長先生、あなたです」とかやったのがウケて受かったのだった。生徒総会のパンフでは、当時話題になった羽田沖日航機逆噴射事故をパロって、「や、辞めてください校長先生!怒りの逆噴射1981」という表紙を前日夕方に生徒会顧問の先生たちに内緒で作って、そのまま当日朝、生徒全員に配ったりしたし。生徒にはもちろんウケたが、先生たちも困った顔しながら、内心( ̄ー ̄)ニヤリッって感じだったな。)
そんなわけで、初めての同窓会をたっぷり堪能。遠く忘れていたけど、こんなところにも自分の居場所があったんだということを思い出させられたというか。人によっては変な感覚ではあるけど、「故郷」というものに、はじめてリアリティをもてたような気がする。それで次回は、5年後に、小生が代表幹事でやることにもなった。もちろんこちらは京都住まいなので、実質的なところは、初回、今回と実行委員をやった地元組が仕切ってくれるのだが、いちおう生徒会長だったので、一回は引き受けないといかんということで。次は温泉1泊というのもいいかなぁ、なんてアイデアも出たが、まぁ、具体的なことは4年後かな。とりあえずは、これを機会に、もう少し、地元に顔出してみようかと思う。
なにはともあれ、次に会うまで、みんな元気で幸せに!
<追記>
そういえば、高校の同窓会ってまだやってなかったな。。確か、各クラスごとに同窓会担当者を決めていたような気もするけど、やはり元生徒会長が音頭取らなきゃいかんのだろうか。ウチは男子校だったから、イマイチ、この年だと同窓会やるインセンティヴがみんな働かない気がする。コンビだった女子高と合同なら、みんな集まりそうな気もするのだけど。。