やや遅ればせながらだが、以前にここでもふれた、東京立川の自衛隊官舎に反戦を訴えるビラを配った市民団体の3人が、住居侵入罪でタイホされ、6ヶ月の求刑を受けていた裁判で、16日、東京地裁が無罪判決を下した。
判決は、3人が無断で官舎に立ち入ったことについて「住民らの意思に反しており、住居侵入罪を構成する要件にあたる」としながらも、「住民のプライバシー侵害の程度は低く、ビラ入れが憲法で保障された政治的表現活動の一つとして民主主義社会の根幹をなすことを考えれば、刑事罰に値するほどの違法性はない」とし、「ビラ入れは政治的表現の一つで、商業的宣伝ビラの配布に比べて優越的な地位にある。それなのに、正式な抗議や警告といった事前連絡もせずいきなり検挙し、刑事責任を問うのは憲法の趣旨から疑問だ」とも述べているという(16日の朝日朝刊記事)。
まだまだ地裁レベルの判決だけど、ちゃんと「権力に対する言論の自由の擁護」という立憲主義の論理を持ち出しているあたり、その真っ当さになんだかホッとした。(とはいっても、それは本来当たり前のことで、ゼロラインでしかないのだけど、今の日本の雰囲気では、それすら稀有なことのように感じてしまう。)
だけど、この件で、数日遅れながらも、あえてエントリー書こうと思ったのは、以前のエントリーにトラバしてくださったガ島通信さんの次のくだりに「我が意を得たり!」と思ったから。
・・・注意しなければいけないのは、もはや日本において「市民団体」や「戦争反対」という言葉やイメージそのものが、左、赤、そして胡散臭いものとして認知されているということです。
彼らは「正しいことをしている(何が正しいのかは別にして)」と信念を持ってやっているわけですが、思い込みが強すぎて奇異に見える場合がある。服装も多くの場合小汚く、虐げられた自分に酔っているようなフシすらある。これは、労働組合、環境保護団体、NPOなどにも見受けられます。今や戦争にすら広告代理店が介在する時代。「ビジュアルや演出も大事」と思うのですが、そういうことをちらりとでも言おうものなら「軟弱だ」とか「一生懸命やればわかってくれる」など精神的な運動論を展開されてしまうことが多く、嫌になってしまうのです。それでは、うまく世間にアピールすることができないし、多くの人の支持を集めることはできません。
ビラまきやデモ、集会もいいでしょう。「総括」や「徹底糾弾」「平和と人権を守る」「憲法9条を守れ」もいいでしょう。平和や人権は本当に大切ですが、そのような言葉そのものに多くの人が胡散臭さや嫌悪感があることも知らねばなりません。それは、55年体制の中で置き去りにされたような旧態依然とした運動を展開してきた人たちにも大きな責任があります。「息苦しい社会」を作り出しているのは、権力側だけではありません。多くの人がそういうムードを「是」とするからこそ影のように忍び寄り、広がっていくのです。
いやー、まったくごもっとも。小生もピースウォークには何回か参加したことあるし、市民運動にも多少なりとも関わっているから、このへんはよーーーく分ります。(京都は日本で有数のサヨ棲息地だし。)「総括」や「徹底糾弾」のようなサヨ隠語はイッパンシミンを遠ざけるバリアーだってことや、「ハンターイ」とか「ダンコフンサーイ」なんてマイクボリュームいっぱい叫べば、近寄ってくる奇特な人も一人くらいいるかもしれないが、100人は1000歩引くよ、ってのが、どうにも分ってないのが多いと思う。
まぁ、もちろん、ビジュアル的に美しくない格好というのは、たとえば支援してるホームレスのおじさんたちと同じ目線でいたいという想いの現われだとか、そういうことは分るのだけど、道行くフツーの老若男女にアピールしようって時にもそれはどうよ?って、どうしても思ってしまう(←このあたり、ガ島通信さんにトラバしてる現役ホームレスのミッドナイト・ホームレス・ブルー Plus Oneさんのエントリー「支援者たちの失敗」が参考になる)。ましてや、たとえば中国の軍服みたいのこれ見よがしに着てるのなんか見た日には、どうしたらいいのよ?(最近、若いやつでそういうのを実際に見かけて、マジに引きつった。)ウチのかわいい女子学生たちなんかが見たら、「コワイ(><)」としか思わないだろう。
先日の京都社会フォーラムで買ったマブイ・シネコープのDVD『ブッシュを倒せ-8・29ニューヨーク50万デモの記録』なんかを見てると、それとはまったく違って盛り上がらない日本の社会運動の現状に、いかんともしがたい閉塞感をどっぷり感じてしまうのだが、当の運動の担い手たちに見られる上のような「カルチャー」そのものが、その閉塞感の大きな一部なんだよなとも思うのである。
最後に、ガ島通信さんから、もう一言引用。この「危機感」にはげしく首肯。
今回はラッキーにも「無罪」となりましたが、この真っ当さもいつまで続くか分かりません。時代に応じたアピールと世論喚起の方法を考えるべきでしょう。純粋や一生懸命だけでは世の中にはひびかないのです。
忍び寄る影
「無罪」。自衛隊の立川「イラク派遣反対」のビラを配布し、住居侵入罪に問われていた市民団体の3人に無罪判決が出ました(中日新聞の記事)。
この事件の問題点は、下記の参考HPをごらんいただくとして、私の注目はこの問題を各紙がどう扱うかでした。朝日は一
はじめましてガ島です。私の記事を取り上げていただきありがとうございます。これは、なかなか分かってもらえないのでうれしいです。今のままの「運動」は首を絞める一方ですから…
ビラ配りと憲法
12月16日、東京地裁八王子支部で、立川のビラ事件に無罪判決が出た。 官舎に『
ガ島さん、はじめまして。トラックバックとコメントありがとうございました。
ガ島さんの記事は、ほんとに「我が意を得たり」でした。
記事にトラックパックしている他の方たちにも、同じような危惧を抱いている人がいるようですね。
胃を患い、仕事量を大幅に減らし、自宅にも光回線を引いてネット三昧の日々をすごしております。
恥ずかしながらネット上のマナーについて詳しくないもので、気分を害されたならば無視していただくか削除などお願いいたします。
当初(ビラ配りで逮捕の)ニュースを聞いた感想が「どうやったらビラ配って逮捕されるの?」でした。
私自身の立ち位置は自衛隊イラク派遣支持なのですが、反対論者が封殺されるような気持ち悪い日本にはなって欲しくないのです。
今回の件で幾つかのサイトで様々な意見を拝見させていただきましたが、こちらに挙げられた内容に多々同感できるところがあり、コメント欄に意見を入れさせていただこうと思い立ちました。
何故こうも、所謂左翼的な活動(レッテルを貼るようでいやなのですが適当な短い言葉を思いつかないため)を行う方々が胡散臭く感じられるかというと、単純に彼らのとる手段の稚拙さに問題があると私は思います。URLやサイト名は挙げませんが(これは挙げてもネチケット的に問題無いのであればここで挙げます)、イラクでの米軍による民間人死傷者について、意図的か誤爆かという討論を見つけ、興味深く読ませていただきました。両者とも私などとは違い、知識的にも豊富であるため出てくる用語や背景を調べながらの閲覧だったのですが、どうやら誤爆であるとの主張を行っていた方の意見の方が主張として説得力をもっていることは私にも理解できました、あくまで討論であり、それは事実認定とも誤爆だから人道的に許されるという意見でもありません。しかし、意図的であるとの主張を述べてらっしゃった方はご自身のサイトで、相手を右翼的思考の幼稚な人物であると決め付けた醜悪な個人攻撃をはじめるにつけ、「こうなっては米軍に否定的な意見を述べる方々全体が取り合ってもらえなくなるだろうに」と甚だ不快な印象を抱きました。
内容が今回の件とはずれているかもしれませんが、自分で判断した意見を他者に理解していただくにはそれ相応の技術と誠実さがなければいけないのだと思うのです(その点では小泉首相やブッシュ米大統領もけっして誉められたものではないと思いますが)。少々長文になり失礼いたしました、貴サイトの益々の発展を願います。
【暴挙】札幌市たばこ空き缶ポイ捨て条令の裏の目的
今月、12月10日、札幌市議会にて、自民党・公明党議員による議員提案が提案可決された。 「札幌市たばこの吸い殻及び空き缶等の散乱の防止に関する条令」 一見すると、吸い殻と空き缶のポイ捨て防止に役立つ条
205号室さん、コメントありがとうございます。
>私自身の立ち位置は自衛隊イラク派遣支持なのですが、反対論者が封殺されるような気持ち悪い日本にはなって欲しくないのです。
同感ですね。これは立場の違いによらず、守られねばならないことだと思いますね。
>何故こうも、所謂左翼的な活動・・・
左翼的な人たちがみんなというわけではないし、左翼だけに限られないことだとは思いますが、そういうレッテルを貼りたくなるような(いわゆる)香ばしいものには、「思い込みによる決めつけの激しさ」という特徴がありますよね。おそらく205号室さんが「稚拙さ」と表現されていることと直結していることだと思いますが、私自身としては、そういう「激しい決めつけ」に、強い不快感を感じてしまいます。自分の立場は、イラク戦争反対(かといってフセイン放置はすべきではなかったと考える)、自衛隊派遣反対(米軍兵士輸送などせず、100%人道支援をやるならともかく)ですが、それでも、「ハンターイ」とか「テッターイ」とかいう街角のアジテーションや、ビラの文章には「あんた見たんかい?」と、思わずツッコミを入れたくなります。「それじゃあ、大多数の人たちは話を聞いてくれないよ」と思ってしまいます。
ちなみに以下は、以前に書いたものからの抜粋です。
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ところで、こういう市民団体のデータ収集力というのは、日本は決定的に弱いような気がする。昨年夏にボストンに行った時に、となりのケンブリッジ市のハーバードとMITの中間くらいのところで、イラク戦争反対を唱える地元のおじちゃん、おばちゃんのグループに出会ったのだが、そのときもらったパンフレットにも、ブッシュ政権の政策の問題点を数字で示したデータがいろいろあった。それは、縦横ほんの数百メートルの区域の小さな住民グループだったのだが、それでもそういうデータが集められていた。日本だって、政府の公式統計を使うだけでも、けっこういろいろなことが示せると思うのだが、そういうデータをたくさん集めた市民団体のパンフレットは見たことがない。「主張をデータで裏付ける」、「事実に語らせる」という文化がないのだ。イデオロギーで頭でっかちだったかつてのサヨク運動の弊害かとも思ったりするのだが、どうして日本ではそういう文化が市民のものにならないのだろう?(つーか、年金制度改革論議にも見られたように、政府にもそういう文化はないともいえるのだが。。)
ちなみに以前、市民運動やってる京大法学部の学生に、「ちゃんと統計データを集めたパンフレット作れば?ソースは政府とか、国連や世銀のでも十分意味あるから」といったら、あろうことか、そいつはこういいやがった。「ボク、文系なんで数字弱いんです~。」「英語苦手なんです~。」・・・マジ、キレそうになりましたよ、私は。「クタバレ、糞サヨク!」と本気で思いました(今も思ってる)。その昔、小生の師匠の一人が、「日本共産党を決定的に嫌いになった理由」として、ソ連の水爆に対して「プロレタリアートの水爆はクリーンだ」といいやがったことを挙げていた。それほどではないにしても、上の出来事は、小生がサヨクを毛嫌いする多くのきっかけの一つにはなっている(もちろん一例からの一般化はいけないけどね)。
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追記:
胃を患ってらっしゃるとのこと。どうぞご自愛ください。
既に新たな記事を書かれているようなので何度も当記事へのコメントを入れるのもどうかと思うのですが、どうしてもお礼だけ、ご容赦を。
ひらかわ様、拙文への丁寧な返答、ありがとうございます
恥ずかしながら今日になってこちらのBlogが大学の研究室のものであると気づきました、また、「 ▼コメントは原則受け付けておりません。せっかくコメントいただいても、なかなかレスポンスできないと思いますので」との注意文にも関わらず、不用意なコメントをいれてしまったことをお詫びします。
以上、返礼とお詫びとして。
研究室の皆様の卒業研究が順調にすすみますように。
市民団体の課題
ガ島通信で、平和をはじめとする市民団体への苦言が載っていた。
すべてを理解したり賛成したりするわけではない。しかし、面白いし、実際当たっていると思うことが大半だった。
実は、わたしは以前ある平和市民団体にいた。しかし、その中でのプチ・ファショとも…
『支援者たちの失敗(5)』
この一連記事はわたしの経験、あるいは見聞で書いているので、これらボランティア諸兄あるいはホームレスを擁護する意見を持つ諸氏は実在する。で、社会運動系もどきの利己的ボランティアの典型例としてモデルにさせてもらっている方から、先日、苦情を承った。わたしはボラ