「共謀罪」って知ってます?

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ちょっと前から気になっていたのだが、今度の国会でもしかしたら成立してしまうかもしれないヤバそうな法案に「共謀罪」を定める法案があるという。2000年末に国連総会で採択された国際組織犯罪防止条約の国内担保法という位置付けの法律で、2003年7月に「犯罪の国際化及び組織化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」として第156国会に内閣から衆議院(法務委員会)に上程(衆院先議)、その後衆議院解散による廃案などを経て、今年2月に、ハイテク犯罪取り締まりと、サイバー犯罪条約の担保法として要素を加えて、「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」として、第159国会に再上程、第160国会で継続審議(衆議院法務委員会にて閉会中審査)となっている(経過)。(以上の情報は、国会会議録検索システム衆議院参議院のHPで探せる。)
で、何がヤバそうなのか。日本弁護士連合会(日弁連)の海渡雄一弁護士によれば、共謀罪とは次のようなものだという。

「共謀罪」は「共謀共同正犯」とは違う。「共謀共同正犯」では処罰のためには少なくとも犯罪の実行が着手されていることが必要だった。これに対して、「共謀罪」は、合計500を超える、長期4年以上の刑期を定めるすべての犯罪について、同じ団体の構成員が合意しさえすれば、犯罪の合意だけで共謀罪が成立する。結果が発生することはおろか、電話を掛けるとか凶器を買うなどの準備行為に取りかかることすら必要ないのである。予備罪より前に成立するのが共謀罪だ。
「究極の処罰の早期化・共謀罪にストップをかけよう」より)
その他参考:
自由法曹団: 共謀罪―5つの質問―
自由人権協会: 「共謀罪」の立法化に反対する声明

これの何が問題かというと、海渡弁護士によれば、これは、国際組織犯罪防止条約担保法でありながらも、取り締まり対象の犯罪には「越境性」(国境を越えた犯罪)という要件がなく、国内の団体によるものでも対象になるということだ。法案の該当部分は、「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」(平成十一年法律第百三十六号)の一部の改正に関するところ(法案第三条)で、次の通り。

第六条の次に次の一条を加える。
(組織的な犯罪の共謀)
 第六条の二 次の各号に掲げる罪に当たる行為で、団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を共謀した者は、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
一 死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪 五年以下の懲役又は禁錮
二 長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められている罪 二年以下の懲役又は禁錮
2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、第三条第二項に規定する目的で行われるものの遂行を共謀した者も、前項と同様とする。

ただ、このちょっと前のところには、「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」の第二条「この法律において「犯罪収益」とは、次に掲げる財産をいう。」というところへの追加として、次のような条文がある(強調筆者)。

第二条第二項に次の一号を加える。
五 第六条の二(組織的な犯罪の共謀)の罪の犯罪行為である共謀(日本国外でした行為であって、当該行為が日本国内において行われたとしたならば当該罪に当たり、かつ、当該行為地の法令により罪に当たるものを含む。)をした者が、その共謀に係る犯罪の実行のための資金として使用する目的で取得した財産

これを見ると、越境性の要件を表しているようにも見えるのだが、どうなんだろう?「組織的な犯罪の共謀」の部分は、とくにそのような要件が入っていないので、やはり国内のものであっても対象になるんだろうか?(実は、後でも述べるように、国内のものであろうとなかろうと、市民社会にとっては問題は同じだったりする。)
もちろん、いずれの場合でも、そんな犯罪を共謀したりなんかしなければ、基本的に罰せられることなどないわけだが、必ずしも「善良な市民」が涼しい顔でいられるわけでもないようだ。海渡弁護士は次のような例をあげている。

共謀罪が適用されるとどうなるのか。同じ団体(会社でもNPO法人でもよい)に属するAとBがCを「やってしまおう」と合意したとする。この会話はあいまいで多義的であるが、捜査機関はAとBにはこの段階で殺人、傷害などのいずれかの共謀罪が成立すると考えるだろう。Bがこの会話の録音テープを持って警察に出頭すればBは刑を減免されることが法案に定められている。Aは何の準備も始めていなくても逮捕され、Bが「やる」というのは『殺る』意味でしたといえば5年以下の懲役洌に、傷害の合意であると説明すれば2年以下の刑に処せられることとなる。Aが裁判でこの会話が単なる冗談であったと主張しても、Bが検察官側の証人として法廷に出廷して、「Aは真剣で本当に殺害する意味に私は理解しました」と証言すればおそらくAの主張は認められないだろう。

ここで指摘されている問題は、「何が犯罪の共謀と見なされるか」の解釈が、取り締まる側(警察)によって恣意的に行われる危険性である。犯罪の結果の事実が生じていたり、凶器の準備など物証があるのとは違って――もちろんその場合も冤罪の可能性はある――「合意」という構築物は、元来多義的な言葉というものによって成り立っているため、より柔軟に、あるいは恣意的に解釈が可能であり、しかも、「共謀者」の誰かが――たとえば仲間割れとかで他の人たちをハメてやろうとしたりして――「それは実はこういう意味でした」と証言したりすれば、その恣意的解釈を覆すことも難しくなるのだ。とくにこの証言者が、最初からその団体に警察側のスパイとして入って、他のメンバーをハメるという場合には、恣意的解釈そのものが意図的であり、それを覆すことは非常に難しくなるだろう。
もちろん、このような想定は、ただの杞憂か難癖のようにみえなくもない。だけど、ちょっと待てよ?たとえば、今年の参院選前のワールドピースナウのピースパレードでのタイーホ劇とか、自衛隊派遣反対のビラを自衛隊宿舎のポストに配った――チラシを配ること自体はピザ屋でもやっている――のをタイーホされ、75日間も拘束されたり(その結果、逮捕された人たちは、アムネスティによって日本初の「良心の囚人」認定された)なんていうキナクサイ事件が続発してる。政府の方針にそぐわない活動をしている市民団体――ふつう市民団体というのは、社会問題に関しては多かれ少なかれ政府には批判的であり、そうでなければ存在意義がない――が共謀罪のターゲットにされる可能性は十分にあるんじゃないだろうか?
また、この共謀罪に越境性の要件が課せられようと課せられまいと、市民団体への恣意的適用という危険は変わらない。このグローバル化のご時世、いまや市民団体だってグローバル化している。海外のグループと協力して何かをするなんてことはよくある話だ。仮に共謀罪が越境的なもののみに適用されるのだとしても、このような市民の国際協力はモロに対象になりうる。
ま、それでも大多数の人たちにとっては、そうやってターゲットにされるのは、いわゆる「香ばしい」人たちたちだけで自分には関係ないと見えるかもしれない。でも、法運用が恣意的に行われ、「政府に反対するだけでターゲットにされる」というメッセージが世の中に広まり、人々がみんな畏縮してしまえば、それは民主主義社会の終わりである。
たとえば東京新聞の記事「超監視社会』の前夜? 標的は…労組と市民団体」から抜粋してみる。

◇ケース1 某所でマンション建設反対運動を進める住民が、話し合いに応じない建設業者に対し、現場にピケを張り着工の実力阻止を計画した。業者側から相談を受けていた警察が、住民の中の協力者から通報を受け、ピケ当日、住民を組織的威力業務妨害の共謀罪で一斉に逮捕した。
◇ケース2 リストラで労使紛争が激化するある会社があった。これまで労働組合の団体交渉要求を拒んでいた社長が、ようやく出席を認めた。労組側は交渉のめどが付くまで、社長を退席させないよう計画。これを察知した会社側が警察に通報し、警察が労組執行部を組織的監禁の共謀罪で逮捕した。

こんなのは、別に香ばしい人たちでなくても、ひょんな不幸で遭遇しそうなケースではないだろうか?
フツーの人たちにも及ぶ、より分かりやすい危険――とまではいわなくてもイヤ~なことは他にもある。電話や電子メール等の傍受がより合法化・強化されることだ。海渡弁護士は次のように指摘している。(現在審議中の法案が「情報処理の高度化」にも対処するものであることに注意。)

共謀罪が導入されれば、犯罪の捜査のあり方が一変するだろう。共謀罪では人々の会話や電話・メールの内容そのものが犯罪となる。盗聴法の適用範囲の拡大、室内盗聴の導入、サイバー犯罪条約で導入が提案されているメールのリアルタイム傍受などが次々に提案されてくるだろう。市民団体へのスパイの潜入も日常化するだろう。いま、ほとんどの街の主な街灯に監視カメラが設置され始めている。このカメラに顔の認識システムと高性能マイクが連動したら、街頭の会話からも共謀罪が立証できる。

まぁ、リアルタイム傍受というのが技術的にどこまでできるのかは分からないが、別に犯罪なんか意図してなくても、そうやって傍受されてるかと思うとキモチ悪い。しかも、先に述べたような恣意的解釈や、市民活動のターゲット化の危険もある。「世の中を良くしたい」「問題を解決したい」と本人は思っても、それがたまたま時の政府に都合の悪いことであれば、ターゲットにされるかもしれない。また、そうした恐れが、ネット上での言論に対する威嚇・畏縮効果をもたらすことも考えられる。(→実際にそういう畏縮が起きている例。)
なお、この法案は、そもそもは国際テロ組織犯罪やハイテク犯罪など、現在われわれの生命や財産を脅かす脅威に対処することを目的としている。仮に、上記のような恣意的運用が行われることがあったとしても、本当の犯罪にも適用され、われわれの安全を守ることになる法律である。
しかし、ここで二つほど考えてみたいことがある。といっても今すぐ答えが出せるわけではなく、むしろ、答えを出すために「どう考えていいか」を考えたい問題であり、どちらも「安全のためのコスト」の問題ということができる。
一つは、海渡弁護士からの最後の引用が示すような「超監視社会化」に対する「キモチ悪さ」の問題だ。引用にあるような傍受はなぜキモチ悪いのか?なかにはキモチ悪いとは思わない人もいるかもしれないが、そのような人でも、私生活をくまなく誰かに覗かれていたり、電話を盗聴されたりすることはキモチ悪いと感じるだろう。そして、そういう見知らぬ誰かによる「プライバシーの侵害」と、警察などによる侵害を区別するものは何かといえば、多かれ少なかれ警察のする行為に「公共性」を認めているからだと思われる。しかし、警察とはいえ、この頃は信用できない。職権を濫用して、文字通りの覗きや犯罪捜査とは無関係な盗聴情報の収集と、その悪用をする者がいないとは限らない。
ま、それでも、そういうリスクはあるとしても、安全を守るためなら仕方ないと考えることもできるかもしれない。けれども、いくら安全のためとはいえ、そこまでプライバシーを曝してしまうことに問題はないのだろうか?あるいは、こう問い直したほうがいいかもしれない。もしも問題があるとすれば、それはどういう問題で、またそれが問題であることをどう基礎付けられるのか、と。一つには、人間にとってプライバシー(私秘性)の剥奪/喪失は、心理的に有害であるという具合に、心理学的・精神病理学的に基礎付けることができるかもしれない。もう一つは、政治学的な考え方ができるかもしれない。政治理論としてどう基礎付けられるのかは分からないが、この場合には私秘的な内面のものよりはむしろ、他者の間としての公的領域における個人の思想信条の自由――自由に意見を言える自由――であるとか、結社の自由とか、なんらかの社会性のなかで、個人が権力の干渉や監視を受けずに自由に振舞う権利をどう正当化するかという方向で考えられるのかもしれない。権力による介入は、たとえ監視による威嚇・畏縮効果であっても、それが人々が自由に考え、その意見を他者と交わせ行為することに圧力を加える力をもつ限りは、人間の「複数性」(cf.ハンナ・アレント)に対する「暴力」として考えられるかもしれない。
ちなみに何でこんな基礎付けにこだわるかというと、今日の日本、あるいは「テロの脅威」なるものによってセキュリティ社会化した世界では、そうした脅威からの自由=安全と比べれば、思想信条の自由とか結社の自由とか、基本的人権は軽いと考える人たちが増えていそうだからだ。とくに日本の場合、別にテロの脅威なんかなくても、そうした人権意識が低い国だし。(自分の権利をケンリ、ケンリと言い立てないのは、慎ましさという日本人の美徳かもしれないが、他者の権利の主張を同じ理由でもって諌めることは、時には抑圧的な暴力になるという意識が薄い気がする。)
まぁ、これについては、この辺にしておこう。
もう一つ考えたいのは、いわば「リスク管理の二面性」という問題だ。先にも書いたように、共謀罪に関する法律は、犯罪の摘発、とくに「予防的摘発」のためのものであり、そのためにリスク要因となる犯罪の萌芽としての「共謀」を常に監視するということになるわけだが、これは実は、化学物質や食品、環境などに関するリスク管理における予防原則(事前警戒原則)を、犯罪リスクに適用したものだといえる。(さらにこれを国家安全保障に適用すると、アメリカの先制攻撃論が出てくる。)実際、両者は同じ論法に則っているのである。
環境や公衆衛生におけるリスク管理では、まずリスク要因として、危害の素となる危害因子(ハザード)を特定し、さらにそれがもとで実際に危害が起きる蓋然性(確率)を科学的・定量的に求め(リスク評価)、これを基礎にして、そうしたハザードやリスクの管理を行うことが基本となる。しかしながら、すべてのハザードやそのリスクが予め知られているわけではないから、未知のハザード、リスクが現われても手遅れにならないように、事前警戒措置として、新たなリスクの出現を監視したり、疑わしいものについては、実際に被害が生じていたり有害性を示す(リスクに関する)科学的証拠が不十分でも、何らかの規制手段をとったりするのが予防的リスク管理である。そして、このような論理構成は、実はそのまま「共謀罪」の法律にもあてはまる。つまり、犯罪を犯すのは必ずしも既知の犯罪組織ではないのだから、事前警戒として未知の犯罪組織の出現を常に監視し、疑わしい場合には、犯罪成立はおろか、リスクの現実化を促す凶器等の準備がなくても摘発するという論理である。そしてどちらも、われわれの生命や財産を守るためという同一の目的を共有し、かつ、目的を遂行するにあたっては、誰かしらの自由を規制することになる。
いいかえれば共謀罪は、環境政策・公衆衛生政策における予防原則を、安全保障や犯罪予防の分野に拡張しただけのものだといえそうだ。
しかしながら後者は前者の単なる拡張・応用なのだろうか?「われわれの生命や財産を守る」こと、そしてそのためには誰かしらの自由の犠牲が伴うという点だけを見れば、両者は同じに見える。けれどもここで考えなくてはならないのは、第一に「犠牲になるのは社会的にどういう立場にいる人間の自由なのか」ということだ。社会というのは、特に権力関係――あるいは、他者や自らの行為(の選択)に対する権能・権限の程度――において常に非対称性がある。ある人々や集団、組織はより多くの権能・権限をもち、他はそれが少なく、いわばもっぱら他人に権限を握られている状態にある。そして、もしも環境リスク管理と安全保障・犯罪リスク管理を区別するとすれば、そのような非対称な権力関係のある社会の中で、環境問題などの場合には、一人一人の個人よりずっと大きな自他に対する権限・権能をもった企業等の行動の自由が規制対象となるが、安全保障・犯罪リスク管理の場合には、より力をもたない個人や団体などの自由が犠牲になる危険がある、という区別ができるかもしれない。要は、「より力のあり、犠牲を払う能力のあるものが犠牲となるように措置を設計する」という単純な原則だ。
もちろん、必ずしもこのような二分法が当てはまらないことはままあるだろう。たとえばBSEの規制では、一方には消費者や、全頭検査部分緩和や(疑わしい)米国牛輸入で混乱のあおりをくらいかねない生産者がいて、他方には、たとえば仙台の牛タン焼きの店主さんたちがいる。どちらも自分たちだけでは状況をコントロールできない人々だ。(なかには団体として政治家に影響力を持つ場合もありうるが。)また、犯罪リスク管理の場合は、当然ながら犯罪集団は厳しく管理しなくてはならない。しかし、少なくとも共謀罪には、運用に関する法的・技術的縛りがない限り、この「犯罪集団」とそれ以外の善良な集団・団体を区別する境界が曖昧で、しかも恣意的な線引きが行われる危険もある。力のない個人やその集団の自由が犠牲にされるリスクは大きいのだ。また、この「恣意的運用の危険」ということでいえば、共謀罪による犯罪リスク管理の問題は、「誰の自由が犠牲になるか」という問題に加えて、「そもそも守られようとしているのは誰の利害なのか」も問われる。つまり、「(自らを守る力をもたない)人々の生命・財産を守る」という大義名分のもとで、実際には、より力をもつ人々の利害を守るために法が運用される危険だ。(まぁ、これは、環境や公衆の健康を保護するという名目で、特定の集団の利害を守るというふうに、環境リスク管理などでもありうる危険なのだが。)
と、こんな具合にいろいろ書いてみたが、うまく考えがまとまらない。とりあえず今日はここまでにしてこう。
あ、あと最後に一つ。
共謀罪の制定を含む「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」、よく見ると第一条に「刑法の一部改正」というのがあって、そのなかで、

現・刑法
(強制執行妨害)
第九十六条の二 強制執行を免れる目的で、財産を隠匿し、損壊し、若しくは仮装譲渡し、又は仮装の債務を負担した者は、二年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

を、

(強制執行妨害目的財産損壊等)
 第九十六条の二 強制執行を妨害する目的で、次の各号に掲げる行為をした者は、三年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。情を知って、第三号に規定する譲渡又は権利の設定の相手方となった者も、同様とする。
一 強制執行を受け、若しくは受けるべき財産を隠匿し、損壊し、若しくはその譲渡を仮装し、又は債務の負担を仮装する行為
二 強制執行を受け、又は受けるべき財産について、その現状を改変して、価格を減損し、又は強制執行の費用を増大させる行為
三 金銭執行を受けるべき財産について、無償その他の不利益な条件で、譲渡をし、又は権利の設定をする行為

と改めるとなっている。より細かく犯罪構成要件を規定し、さらに刑罰も重くしている。これって、問題があって反対も強いような公共事業でも、よりスムーズに断行しちゃったりするためにも使われるわけだけど、よりキナクサイところでは、例の有事法制のもとで、米軍や自衛隊のために個人の財産を強制収容する時の抵抗を殺ぐという目的もあるのかもしれない。

 

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5件のコメント

  1. こんにちは。記事を拝見いたしました。大変勉強になりました。
    共謀共同正犯の場合は、1.実行と評価できる程度の共謀関係があり、かつ、2.誰か一人が客観的に実行に着手する必要があり、さらに3.正犯意思が必要といわれます。
    しかし、共謀罪という共犯概念をつくると実行と評価できる程度の共謀関係のみで共犯に当たるか否かが判断される可能性があるわけですよね。
    う~ん。そもそも、共謀段階では誰の法益も侵害されていないのに処罰する根拠は?国家的法益か?犯罪予防の政策的判断?とか疑問噴出ですね。
    しかし、未遂罪という概念とちがって、実行に着手もしていないのだから、共謀しただけでどれだけ客観的な危険性を評価できるかは怪しいと思います。
    このリスク評価をどれだけ定量的に把握しうるかといった話になると、じゃあ、武器などの物品が大量にあればそれだけでリスクが高いと評価されかねない。
    いろいろなことを考えさせられる問題です。

  2. 共謀罪について

    これからの日本の世の中、例えば、薬害問題などで苦しむ方々やそれを支援、または、応援する人たちが、今度、製薬会社の前に座り込んで抗議をしようとか、を話し合ったり、相談しあったり、議論をしただけで、実際

  3. お返事が遅くなりましたが
    swan_slabさん、こんにちは。
    リスク分析/リスクコミュニケーションについて近い問題意識で考えておられるようで、こちらもswan_slab さんのサイト、大変勉強になります。
    共謀罪というのは、法益侵害の「可能性」を罰するということですよね。「可能性」なんていったら、その大小を客観的に示すものがない限り、必然的に恣意的なものになってしまいます。
    そのうち「犯罪遺伝子」のようなトンデモものを真剣に探し出すようになるかもしれませんね。(『DNA伝説』という本などによると、米国ではそういう傾向が既にあるようですが。)

  4. ネット上の人権侵害情報 新ルール適用、少年の写真削除

    なんでもありのインターネット。匿名性を利用して、誹謗中傷、倫理を無視した写真の公開など。これからはプロバイダーに責任が科せられそうだ。

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