一昨日から昨日にかけて、今回の美浜の事故の被害者のなかで一番若い高鳥裕也さん(29)のお父さんが、謝罪に来た関電社長に、「こんなことはもうウチだけにしてくれ」と涙ながらに訴えている悲痛な姿がテレビで報道されている。
これを見て思ったのだけど、関電社長も誠意を込めて謝ってるのかもしれないけど、社長本人やその家族は、絶対に高鳥さん父子のような立場には置かれないで済む人たちなんだよなぁ。。あのシーンからすると、高鳥さんのお父さんも原発関係の仕事をしてきて、それで息子さんを育ててこられたようなのだけど、そういうふうにしてきた人が、最愛の人間を、その原発の事故で失うなんていう悲しみとやりきれなさを、社長本人が味わうことは決してないのだろう(原発が大事故起こして、おそらく社長家族が暮らす都会も被害に遭うという最悪の事態は別として)。そこには、互いに乗り越えられない絶対的な断絶がある。
そして、この二人のシーンを見て頭に浮かぶのは、イラクに派遣された自衛隊の人たちや、あるいは、このままほっておくと、将来、徴兵され戦場に送られるかもしれない若い人たちと、派遣を決め、徴兵する側にいて、自分やその家族は絶対に危険の側には立たないと知っている政治家や役人たちのあいだの超えられない分断線。「国のために命を投げ出せる国民を作るために」とかいいながら、改憲論や教育基本法改正に躍起になってる連中は、絶対に自分や家族の命を国民のために投げ出そうなんてことは、夢にも思わないに違いない。
そういえば、長崎で小学6年の少女が同級生を殺害した事件のあった日に、同じく長崎で「こんな事件が起きないように教育基本法改正が必要」なんてほざいた某自民党幹事長なんて、祖父さんはかの有名なA級戦犯にして元首相。戦争やって、たくさんの内外の国民を死に追いやっても、自分たちは何一つ失わず「ウマ~」な人生を送れることを家族の経験をもって知ってる男だ。『戦後政治の崩壊』で山口二郎氏が指摘している戦後民主主義に対する彼の「憎悪」は、祖父さんのひざのうえで聞かされた「戦前・戦中の日本は間違っていなかった」、「日本国憲法は屈辱だ」とかいう繰言によって育てられたのかもしれない。(ちなみにウチの爺さんは父方、母方ともにどこかの南の島で戦死し、遺品さえ見つかっていないから、小生には爺さんの昔話をひざの上で聞くなんて贅沢な思い出はない。)
参考:DoXさん@Nagative Storiesの長崎原爆投下の日のエントリー「歴史は繰り返すのか」
ちなみにこのエントリーへのコメントでも書いたけど、小泉の「構造改革」=「弱者切り捨て&中流崩壊加速化」=「日本のアメリカ化」路線は、結果として、別に徴兵制なんてやらなくても、アメリカのような「巨大な貧困層の存在が保証する事実上の徴兵制」を日本にももたらすことになるかもしれない。
美浜原発事故2―超えられない分断線
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