ここ何回か、クサレ自民党憲法改正案のからみで夫婦別姓の話題を書いた。今日は別件でblogサーフィンしてたらみつけた二つの話題についてメモ。
まず一つめは、kojidoiのチャンネルさんのエントリー。
ここで取り上げられているのは、産経新聞の今年3月12日の社説(もうオンライン上にはない)で、その主張の要点は、例のごとく「夫婦別姓→家庭崩壊や家庭教育の破壊を助長→子供が不幸」という単純図式。これって、考えようによっちゃ、夫婦別姓で子持ちの家庭に対してえらく失礼――小生の知り合いでも元気でよい子に男の子を育ててる仲睦まじい別姓夫婦がいるぞ――な話。それは置いておくとしても、どうして別姓否定派は、こういう未検証な論理をエラソーに振り回せるのだろうか?
そもそも、いま世間で問題になっている家庭崩壊や家庭教育の崩壊がたくさん起きているとしても、その大部分は同姓の夫婦の家庭ではないのだろうか?正確な比率はわからないが、まだまだ日本では別姓夫婦は圧倒的にマイノリティであるわけだし。それとも、同姓家庭と別姓家庭のあいだで、たとえば離婚率に統計的に優位な差があることを示したデータでもあるのだろうか?もしなければ、ぜひ調べて欲しいものである。
だいたい、夫婦仲が悪くなっちゃう原因って、価値観のズレや相性の問題とかを別とすれば、別姓否定派アナクロおやじやおばさんたちがいうような「女性の権利主張の行き過ぎ」なんかじゃなく、女性の人間として当たり前の権利主張を「わがまま」としか思わない男のほうの「わがまま」という部分が大きいんじゃないか?(その手の「男なるもの」の弊害は、自分自身も反省しなくちゃいけないことしきりなんだけどね。)もちろん夫婦の関係のかたちはカップルごとそれぞれで、「亭主関白+良妻賢母」のカップルは、両方がそれで幸せならばそれでいいわけだが、その幸せのかたちをほかのカップルにも押し付けるのはやめてほしい。
また家族の崩壊の原因といえば、kojidoiのチャンネルさんや、SHOW’S DIARYさんの「男女不平等目指す自民党?」、それから東京新聞の社説「男女共同参画 分業逆行は見逃せない」も指摘しているように、やはり「モーレツサラリーマンの長時間労働」や「激増したパート労働などの不安定な労働」、それから女性や男性が出産や育児のために十分な休暇や時間をとれない貧困な日本の就労体制こそを問題とすべきだろう。
ちなみにkojidoiのチャンネルさんのエントリーで笑わせてもらったのは、次のくだり(強調引用者)。
契りを一度結んだ以上いついかなるときも家名を背負って行動すべし、という主張であれば、賛成は勿論できないがいちおう論理は一貫していることは認められる。ところが、そうではないわけなのである。かれらは、役場に届け出た婚姻届上で同姓でありさえすれば、他の公的書類でも日常会話でも一切通称で通してかまわないと言っているのである。
そんなに婚姻届が重要なのか? なにかあの一枚の紙切れに夫婦の絆だか親子の絆だかを維持する魔力が宿っているとでも解釈しなければ説明できない論理だ。 神田明神の結び石 みたいなイメージであろうか。まあオカルトを信じたければ好きにすればいいんだがな。
二つめは、民主党参議院比例区第46総支部長、ふじすえ健三さんのブログから。
このなかで、とくにここで取り上げておきたいのは、「女性の社会進出が少子化を止める!」という次のくだりと、そこにあるグラフ。
先進国においては女性の就業率の高さと出生率の高さは正の相関関係にあり、スウェーデンのように就業率の上昇に伴って出生率が反転した事例もあります。日本は「U」字の一番底にあり、もっと女性の就業率が上がれば、出生率が上がるというようにも読めます。
グラフ 男女間就業率格差と出生率
そうそう、これこれ、このグラフを探してたんですよ。
雅子妃問題をテーマにした先月の朝ナマで、年金問題との絡みで出生率低下が話題になったとき、別の場面で「女性天皇を認めたら夫婦別姓なども増えてしまう」とかいって、女性天皇反対していた自民党オヤジが、「スウェーデンなどと同じ政策をすれば出生率は上げれますよ」というようなことを言っていた。これに対し、別の出演者(民主党議員だったかな?)が、「だったらもっと女性が社会進出できるようにしたらいいじゃないですか」と突っ込んだら、その自民党オヤジ、あわてて「それではダメだ」と否定していた。おいおい、頭の中、どうなってるの?と思ったね。「じゃあ、さっき『スウェーデンなどと同じ政策をすればいい』といったときの「同じ」っていったい何よ!?」
で、まぁ、そのとき、民主党らしき出演者が言ってたスウェーデンなどのデータが知りたかったのだが、今日たまたま見つけたのが、上のグラフ。スウェーデンやデンマーク、ノルウェーといった北欧諸国だけでなく、アメリカやイギリス、フランスも、日本より女性の就業率も出生率も高くなっている。
ちなみに、このグラフ、U字型をしているから、ちょうどその底にある日本の選択肢としては、左側、つまり、チリやコスタリカ、トルコ、クウェートのように女性の就業率をもっと下げるというのもあることを示してもいる。だけど、サラリーマンの平均年収が下がりつづけ、年金崩壊もフィクションじゃなくなりつつある――少なくとも支給額はどんどん減っていくことは確実な――今のご時世では、専業主婦はもちろん、パート労働すら多くの国民にとって贅沢な選択肢になりつつあるのが実情だ。そもそも、仕事したい女性を無理矢理家庭に押し込めるのは人権侵害である。まぁ、だからこそ自民党腐れオヤジ(と一部のオバサン)どもは、憲法改正して、両性の本質的平等を定めた憲法第24条を修正し、教育基本法も変えて、子供のうちから女性が社会進出とか基本的人権とかの意識をもたないよう洗脳しようって腹なんだろうな。ま、そうなったら、少なくとも西側諸国からはいっせいに侮蔑の対象になるだけだろう。(地元の選挙民、とくに利権がらみの選挙民しか見えていない田舎議員でしかないやつらには、世界の目はちっとも痛くないし、意識したこともないのだろうが。)
なにはともあれ、少なくとも上のグラフは、「女性を家庭に戻す(=押し戻す)」ことだけが出生率回復の唯一のオプションじゃないということは、はっきり示しているといえるだろう。
あともう一つ。
日本ですでに「合法的な選択的夫婦別姓」が適用されている国際結婚の経験にもとづいた夫婦別姓論の議論。さっき、「夫婦別姓→家庭崩壊や家庭教育の破壊を助長→子供が不幸」という単純図式は、子持ちの別姓家庭に対して失礼と書いたが、同じことは別姓国際カップルの家庭についてもいえるね。
(追記)
さきにも書いたように、夫婦別姓の問題は、憲法第24条も含めた包括的な憲法改正論議と直結している。それは、各論が暴論に満ちているだけでなく、総論としても間違ったものだ。なぜなら、憲法とはそもそも国民から統治権力に対する命令であり、それが法律(=統治権力から国民への命令)よりも上位に置かれるのは、国民からの命令の範囲内でのみ統治権力は国民に命令しうるものだからという立憲主義のイロハのイを完全に無視(つーか理解できてい?)して、やたら統治権力の縛りを緩める一方で「国民への命令」を増やすヨタ話に終始しているからにほかならない。(参考:Miyadai.com blog「憲法が憲法として機能するための国民常識とは何か?」)
そういう意味で明日の選挙は、日本が立憲主義そのものをかなぐり捨てて野蛮国家に転落するかどうかの瀬戸際に立った選挙である。そして、仮に自民が負けても自民党政権が続くかもしれないし、仮に、参院選歴史的ボロ負け→小泉辞任→衆議院選挙→民主党に政権交代しても、腐れアナクロ政治家は民主党の中にだっているだろう。
そこでひとつ提案。
今回の選挙や改憲案をめぐる報道を見ても、日本のマスコミは全然当てにならない――東京新聞は稀有な例外――ことははっきりしているから、もしマスコミを使うとしたら、海外メディアに頼るしかないかもしれない。その場合、プレス・キャンペーン第一弾として、たとえば自民党の改憲案を英訳して、それを欧米の新聞社や、良識派で知日派の議員にみんなで送ったらどうだろう?「恥の文化」ともいわれる日本にあっては、日本の恥を海外にさらすのは抵抗ある人もいるかもしれないが、もっと大きな恥をこれからかきつづけ、侮蔑の対象となるよりはずっとマシだ。もしも自民党がイチャモンつけてきたときは、「この素晴らしい改憲案を海外に紹介するお手伝いをさせていただいております」とでも言ってやればいい(笑)。
みなさん、ちょっと本気で考えません?
TBありがとうございました。じわじわと情報を共有できはじめているので、何かが起りそうで楽しいです。英訳、乗りたいですねぇ。私でどれだけお役に立てるか分かりませんが。私、実はまだ本格稼働してませんが英文でアメリカで運営されているtypepadでもアカウントを持っていて、英語のblogを書いていますので(時間がないので試行段階)、落ち着いたらチャレンジしてみよっかなと思っています。
どうせあの記事を指摘するのなら
最近はblogのご近所付き合いも活発になりつつあり、嬉しいです。ああこれがブログ
国連女性差別撤廃委員会の勧告
1979年、国連で「女性差別撤廃条約」が採択されて今年で25年。 しかし、 「事
どうせあの記事を指摘するのなら
最近はblogのご近所付き合いも活発になりつつあり、嬉しいです。ああこれがブログ
どうせあの記事を指摘するのなら
最近はblogのご近所付き合いも活発になりつつあり、嬉しいです。ああこれがブログ