二つ前のエントリー「寝言ならいいけど・・自民憲法改正案つづき」で、右寄りな改憲論者たちは、「日本を戦前みたいな軍国主義国家にしてやろう」など大それたことは考えていないかもしれないと書いたが、こと9条改正=集団的自衛権確保に関しては、はっきりした目的があるかもしれない。その背後にあるのは、経済のグローバル化を背景にした経済界の思惑である。ま、ひとことでいえば「浅ましい」話だ。
以前に、エントリー「武装論者=弱虫君」にならない論理」でも紹介した『月刊現代』6月号掲載の斉藤貴男氏による寺島実郎氏のインタヴュー「経済人はイラク戦争に責任を自覚するか」には、こんな話がある。(寺島氏は、いわゆる深く掘り下げて思考する思想家タイプではないが、経済人としての経験の上に、独特の落ち着きをもった幅広く柔軟なヴィジョンを語れるリベラルな経済人として、小生はかなり信頼している。)
かつて、JIPC(イラク・日本石油化学会社)という三井グループが総力を挙げてイランとの間で展開したプロジェクトがあった。このプロジェクトは、結局のところ、イラン革命やイラン・イラク戦争に翻弄されたあげく撤退を余儀なくされた。斎藤氏によれば、これをきっかけに日本の財界人のあいだに、「海外でのカントリーリスクを軍事力でカバーしてもらいたい」という意思が芽ばえたのだという。
これについて斎藤氏と寺島氏は、「軽武装・経済国家は悪いのか」という見出しの後で、次のように語っている。ちょっと長いが丸ごと引用しておこう。(「――」の部分はインタヴュアーの斎藤氏。)
―― ・・・JIPCの話に戻りますが、ホメイニ革命が起こったとき、工場が革命で接収される可能性もゼロじゃなかった。仮にそうなったときに集団的自衛権で海外派兵ができたら、「接収を抑えられるんじゃないか」とか、あるいはその後、イラクと戦争になったときに、イラクに出兵し「工場を爆破するな」とブラフをかけると。そういうところまで踏み込んで考えている財界人に時々お目にかかるんですけれども、それってアメリカがやってきたことと同じですよね。
寺島 JIPCは三井グループが5000億円もつぎ込んで失敗したプロジェクトです。私自身もイラン政府との交渉のための情報活動に巻き込まれました。そういうなかから得た教訓があるんですよ。それは、いま僕が発言してきた話と腹の中ではずっとつながっている。
あそこで突きつけられたのは、救援機を一機も飛ばせないのが日本なんだという現実です。革命が起こり、ほかの国の人たちがワーッと引き揚げていくなかで、日本はまともな邦人救出ができなかった。
それがダメだと言っているわけじゃない。日本というのはそういう国なんだ、だからこそ軍事力で問題解決することで得られる名誉とは、違う質の名誉を追いかける国なんだということです。
この国はいま、軽武装・経済国家としての誇りを名誉とするという選択肢を強く確認するのか、あるいは一部の人が主張しているように、「日本は軍隊がないから生ぬるいんだよ」という議論に回帰していくのか、その岐路に立たされているんです。武力に頼ってしまう弱さをどっかで断ち切らないといけない。しかも21世紀の世界は、日本が9条で掲げているような理念が孤立を生むのではない。
――これから生きる理念ですね。
寺島 日本が持っている憲法理念というのは、確かに解消しなければならない矛盾もあるけど、これから重要な意味を持ってくるという認識を強く持たなければいけない。実はいまこそ、国際社会のなかで敬愛と信頼を得られるチャンスなんです。
――力の論理だけではない。
寺島 そうです。何が力なのかということを考えなくてはいけない。僕がくどいほど言っている「ICC(国際刑事裁判所)構想」の進捗だって同じことです。国際社会はアメリカの力の論理によって動こうとしているんじゃなく、国際協調と国際法理を作り上げることで運営していこうという方向に向かっています。
日本はいま、ちょうど100年前と同じような大変な正念場にいます。100年前の日本は、歴史のゲームの本質を見誤りました。アジアにおいて民族自立だとか国民国家という構想が生まれていたにもかかわらず、列強の植民地主義のゲームの中に自らを追い込んでいった。「欧米がやっているのに俺がやって何が悪いんだ」という発想に取り憑かれた結果が、満州国の夢を追いかけ、孤立し、最後には血まみれになった。
21世紀初頭のいま同じような正念場に立っているのに、この国は世界史のゲームをどういうゲームだと認識しているんですかと、僕は問いたい。アメリカの掲げる価値が力の論理で世界に浸透していくような、単独覇権主義の論理で世界を見ていたんじゃダメなんです。
――いい悪いは別にして、あれほど強いアメリカがそれだけ苦戦しているわけですから、力に頼る秩序はもう通用しないということですよね。
寺島 そうそう。液体を紐では縛れないということです。本当にそれを思い知らされているわけですよ。
――でも相変わらず経済人の大半は、今後も経済大国でありたいと思っている。必然的に軍事大黒でもなければならない、という意見が多いようですけど、それはおかしいですね。
寺島 そう。経済大国であり続ける日本を支える理念は、国際社会を国際法理と国際協調で作り上げていくことであって、そここそが日本の国益にかなっているんです。つまり敵愾心だとか憎悪というものを煽らずに、協調と連帯の枠組みの中に持っていくことが、この国の最大の国益なんです。
それを認識したならば、日本が何のために汗かかなきゃいけないかという話は見えてくるはずなんです。だからこれは、協調を重視する人と武力に魅せられている人との間の、どこまで歴史が見えているかというゲームでもあるんです。
ようするに、試されているのは、既存のパラダイムが用意するあれかこれか――護憲か改憲か、非武装か軍事大国か――を超えて、第三、第四の方角を見通す「想像力」。年金問題、教育問題、財政問題、地域活性化問題、およそあらゆるドン詰まりの問題もそうだろう。
ただのピースパレードでさえタイーホされちゃう茶色い時代、思考も心もこわばってしまいそうになるこんなご時世だからこそ、まぶしい青空のもと、おもいっきり腕を広げて深呼吸、ぽわわ~んと虹色の夢を描いてみるのがいいのかもしれない。(ただし、この季節、紫外線にはご注意を!)
ぶちまけろ!
ある意味自○党より厄介なものに 手をつけてしまいました(^^) オホーツク海に浮かべられるんじゃないでしょうか? かあさん、先立つ不幸を、許してほしいわけで。 いや、こんなところで死んではたまらないわけ
未来から今の私たちの責任を考える
太平洋戦争を振り返って、日本の戦争責任をきちんと考えることが、平和への第一歩だと高橋哲哉、東大教授は言う。歴史を一歩一歩丹念にたどって何が起こったのかを知ることはできる。しかし、戦後世代の私にとって太平洋戦争を身近に実感をもって感じるのは難しい。そこで…
SIERRAです。少し前の記事ですが、TBさせていただきました。
実はTBの記事とは他の目的でこの記事を探していたのですが、どこのblogで見たか思い出せず彷徨してました(がついにたどり着きました)。たぶんこの記事の「試されているのは想像力!」という檄が潜在意識にあったのだと思います。想像力を働かせて作ってみたのがTBさせていただいた記事です。ご覧いただけたら幸いです。
SIERRAさん、TB&コメントありがとうございます。
TB元のエントリーのうち、自衛隊員の棺の話、最初、「フィクションです」というのに気づかず、焦ってしまいました。ちょうど先週は海外にいたため、「日本のニュースを見ていないうちに、こんなのがあったのか、それにしても全然騒がれてないのはどうして?」とか。
それだけこの「フィクション」がリアルなんですよね、このご時世。