昨日のエントリーで、痔民党の憲法改正案に、男女平等を否定するクソオヤジ丸出しの項目があることや、ヤツらの基本は「家父長制ネオリベラリズム」であるという問題を取り上げた。
婚姻・家族における両性平等の規定(現憲法24条)は、家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべきである。
それで気になって、痔民党の参院選選挙公約で男女問題に関するものを探したら、これとは真っ向から食い違う内容のものを見つけちゃいました。いうまでもなく、憲法改正案や憲法調査会のほうが本音なのだろうが、一部コピペしておく。はっきりいって悪い冗談である。
七 男女共同参画社会の実現
一 男女共同参画社会の形成の促進
男女共同参画基本法及び国内行動計画に沿い、政策の方針決定過程への参画の拡大や、男女共同参画の視点に立った社会制度・慣行の見直しの意識の改革に向け、関連施策を総合的かつ効果的に推進するとともに、農山漁村における女性の社会参画を促進します。
また、多様化する家族形態などに対応し、様々なライフスタイルに中立的な制度を構築していきます。
こういうことを「公約」に掲げる一方で、憲法調査会(第9回)では、こんなことを言ってるオヤジがいる。
夫婦別姓が出てくるような日本になったということは大変情けないことで、家族が基本、家族を大切にして、家庭と家族を守っていくことが、この国を安泰に導いていくもとなんだということを、しっかりと憲法でも位置づけてもらわなければならない。
・・えっと、夫婦別姓は「多様化する家族形態」には含まれないんでしょうか?ちなみにウチ、夫婦別姓で今年結婚10周年迎えて、仲良くやってます。職業柄、周りにも別姓ファミリーは多々います。普通に解釈すれば、「多様化する家族形態」には、当然、別姓ファミリーもシングル・マザー、シングル・ファーザー、子供なしの夫婦だけのファミリーも含まれますよね?だけど、国の最高法規たる憲法の改正案を論じるとこでは、「夫婦別姓なんてケシカラン」なんて寝言ほざいてるオヤジがいる。耳障りのいい公約は、いつものごとくやっぱりウソということなんでしょうね。
この件に関しては、ウチの妻もブログで書いてますが(読んでやってくださいまし)、オヤジどもの寝言にはいつもウ~ンザリさせられている。原発問題などでもそうだが、保守反動オヤジ――実は保守の名に値しないヘタレな「観念論的保守」だが――の言い分には、何の論理も経験的証拠もない。ただ自分がイヤだからという感情的なものしかない。だいたい、現在離婚が増えてるとしても、それって別に別姓だからというわけじゃない。別姓だと離婚しやすい、家族を大事にしないなんていう経験的証拠などあるのだろうか?で、こんなことをいうと決まってこういうオヤジは、最後は大声で怒鳴りわめきちらす。「だって・・だも~ん」(←その「だって」に意味はない)とダダをこねるガキとおんなじ。年取って権力までもってる分だけサイテーの生き物。
この前も書いたけど、先週の朝マナに出てたとある痔民党オヤジの頭の中では、天皇家の雅子さんを苦しめている「天皇は男性のみ」っていう決まりに固執するのも、女性天皇を認めちゃうと夫婦別姓なども認めることになっちゃうかららしい。裏返せば、夫婦別姓を認めないがために雅子妃には「男の子供を生むしかない」というプレッシャーをかけつづけるという話だ。それって、男女差別であると同時に、相手が皇族だから不敬罪にもなるんじゃないのか?
とにもかくにも(憲法の問題だけじゃないが)、こんなサイテーのオヤジどもが政治の世界の真ん中に巣くっているというのは、日本人として大変恥ずべきことである。別に西欧文化を絶対視するわけではないし、「隣の芝生は青く見える」というのもあるかもしれないが、ヨーロッパやアメリカに行くといつも恥ずかしく思うのは、話題が政治の話に及んだ時にことだ。もちろん立派な政治家はいるだろう。しかし、いったいどんな教育と人生経験をしたら、こんな貧弱で歪んだ世界観・人間観ができあがるのだろうかと「?」マーク百万個つけても足りないくらいの輩が与党の席に座り、しかも憲法改正案を練ってるなんて、悪夢なら早くさめてほしい。そのあまりの幼稚さには、「はいはい坊や、政治ごっこはやめて、ママのところに帰りましょうね」とでも言ってやりたくなるほどだ。
そういう政治家が自分の選挙区にいる皆さん、どうか次の選挙ではよーく考えて投票してくださるよう、よろしくお願いしますよ。(こっちもよーく考えて投票しますから。)