反人権国家ニッポン―再びル・モンドに

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このブログでも何度か触れた立川の反戦ビラ逮捕事件、ついに仏誌ル・モンドにも報道されちゃいました。余丁町散人さんのエントリーで知りました。

三人の日本人が反戦ビラを配ったことで75日間も拘留されている
Trois Japonais ont passé 75 jours en prison pour avoir distribué des tracts antiguerre

LE MONDE | 15.06.04 | 14h50

日本の反人権・反自由社会イデオロギーのパラノイアぶりは、とうとうこうして西欧社会の目にも触れるようになってしまったわけだ。西洋社会の価値を闇雲に絶対視するわけではないが、少なくとも基本的人権は、自由社会を標榜する社会にあっては、断じて守り抜かなければならない価値の一つであるはずだ。それをこうもたやすく傷つけるニッポン社会――それには、こういうケーサツや裁判所、そしてコイズミ政権の不合理を放置してるヘタレな僕ら国民も含まれている――は、同じ価値を標榜する国々の人々の目には、なんとおぞましく、そして滑稽に映っていることだろうか。日本人としてこんなに恥ずべきことはない。
ちなみに、この夏、7月には「科学と民主主義」というワークショップでボストン(ハーバード大)へ、8月には学会でパリに行くんだが、すでに欧米で悪名高い人質バッシングのことも含めて、知り合いや友人からいろいろ問いただされそうで嫌だな。(とくに7月のは、参加者で日本人は小生一人だけ。)ボストンはアメリカ独立のきっかけとなった茶会事件のあった町、パリはフランス人権宣言の都市。どちらも人権思想の誕生地。個人的なことながら、なんとも皮肉なめぐり合わせではないか?
アメリカは、イラクの占領統治・民主化にあたって、戦後日本を成功モデルにしたといわれてる。けれど、結局は日本でも成功したなんていえないんじゃないのか?

 

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2件のコメント

  1. 外から持ってきた民主主義の限界、ということでしょうか。それにしてもこの事件が日本では大きな問題にならないというのはなんだか怖いですね。

  2. ふらんすさん、コメントありがとうございます。
    「外から持ってきた民主主義の限界」というのは、いいかえると、市民の意志と行動の結果として、政治を劇的に変えたことがないという「市民としての成功体験の欠如」ではないかという気がしています。あるいは「民衆の<市民>としての<始まり>の物語」、いわば「市民神話」が欠けているといいかえてもいいかもしれません。
    もちろん、ローカルなレベルではいろいろ成功事例は昔からたくさんあるわけですが、その経験が全国レベルでは全く共有されていません。そういう経験は、ローカルなところではメディアも報じても、全国規模では報じられませんし、またローカルレベルでもそれが世代間であまり受け継がれていないように思います。
    だから、みんな民主主義について、自分たちの力について自信喪失になっている、というのが今の日本社会なのかもしれません。逆にいえば、もしも成功体験の記憶がもっと広く共有され、「自分たちにもできる」という気になれば、世の中は変わるという期待もあると思っています。

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