気分はもう全体主義?―いやいやそれ以上かも

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さきのエントリーでも触れた君が代強制問題――君が代・問題ではなく、その強制が問題というのがポイントね――で、思い出した言葉がある。『全体主義の起源』を著したハンナ・アレントの言葉だ。

好ましくない個人に対する直接の恐喝や殺害よりはるかによく全体主義プロパガンダの特徴を示しているのは、教義を受け容れようとしない者、あるいは何らかの理由から教化の対象から除外されている者すべてに対する、婉曲で間接的な脅迫である。ここにはすでに、全体主義テロルの完全に発達した最終段階――ますます多くの人々が「罪がある」か「無実」かには関わりなく罰せられる、つまり殺されるようになる段階――が顔をのぞかせている。(『全体主義の起源3』p.69)

人質バッシングなども含め、いろいろ最近の日本社会の「症状」から判断すると、もうすっかり日本は全体主義体制に入っちゃってると考えざるをえないんじゃないだろうか?アレントは、全体主義という新しい統治形式をナチスなどに限定せず、「潜在的には、そしてまた永久に去らぬ危険として、今日以後われわれが存する限り存続することは大いに考えられる」とも述べていた。僕らは、これを単なる杞憂と退ける根拠を、現実知らずの希望的観測以外に見出すことができるだろうか?

 

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