どちらが不自然?

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今朝の京都新聞にも出ていた共同通信配信の記事「日本熟知の声明に違和感 政府、背後関係解明も」:「イラクの武装勢力にしては「日本の国内事情に詳しすぎ、不自然だ」(政府高官)」という内容だ。
某掲示板等でシツヨーにスレを消費し続けてる「自作自演説」や「日本○軍関与説」のようなものを政府も疑ってる、ということをにおわせる記事だが、可能性としては、そういうのもありうるとはしても、ちょっとその根拠に揚げてることが、あまりに「田舎くさい」発想で目眩がするぞ。


そのいち。
「文中に「日本の街の声に耳を傾けた」とあることや「自衛隊の(イラクでの)存在は不法なもの」とイラク復興支援特別措置法と憲法の整合性をめぐる国内論争を念頭に置いた記述が目立ち、「まるで日本人が書いたような違和感を持つ部分が多すぎる」(官邸筋)」。
日本の事情って、アルジャジーラが家族の声とともに伝えているわけだし、人質の三人が、身の潔白を示すために、自分たちは自衛隊派遣は違憲だと考えているとか、同じ立場の多くの――たとえそれが日本のマジョリティではないにしても――人々が声を上げている(そうした人たちのデモの様子やメール・メッセージ、NGO代表の生出演アピールもアルジャジーラは伝えている)ということも、ふつうの成り行きとして訴えてるんじゃないか?そうしたことから、犯人たちが「日本の街の声に耳を傾けた」とか「自衛隊派遣は不法だ」と書いたとしても、何ら不自然ではない。(まぁ、報道や聖職者協会の働きかけによって、人質たちが自分たちの敵じゃない、友人だと思うようになった犯人たちが、人質たちといわば「和解」して、一緒にメッセージを作ったというのはありうるかもしれないが。)
ふたつめ。
「「友人たる日本の人々にイラクにいる自衛隊を撤退するよう日本政府に圧力をかけるよう求める」と、政府と国民を区別する姿勢を打ち出していることについて、「そういう視点がアラブ世界の人間にあるとは思えない」と分析。」
これも決めつけ、思いこみにすぎない可能性はないだろうか?上記と同じ経緯で、犯人グループが日本国民と日本政府を区別して考えるようになったということは十分考えられる。つーか、だからこそ解放する気になったんじゃないのか?
ちなみに昨日の朝日の記事「イスラム宗教者委員会、人質解放呼びかけの文書作成」によれば、犯人グループに人質解放を求めたイラク・イスラム聖職者協会の理事が、「米軍認定の書類などを持ち、米国がイラク入国を正当化した者」としての「占領軍の協力者」と、それ以外の民間外国人を区別し、後者については「人質を丁寧に扱い、解放するよう」求める文書を、同協会の緊急理事会が10日に作成していたと話しているという。また日本人人質について同理事は、(彼らは)「ボランティアやジャーナリストなどで、拉致は正当ではない。解放されるべき者たちだ」と述べる一方で、日本の自衛隊については「米国の意向を受けて派遣されており、(占領軍の)協力者とみなされる」との見解を示したという。
また「解放訴える家族の姿、バグダッドの街の声変えた」という同じく昨日の朝日の記事も興味深い。3人が拘束された当初、街では「米国に協力する日本からの者はすべて米軍と同罪」と突き放すような意見が目立ったのだが、、「イラク復興のために行った」などと訴える人質家族の映像が流れたことで、態度を変えた人たちがいるという話だ。たとえば記事の最後で紹介されている63才の弁護士は「あれを見て180度考えが変わった。人質が我々の友人だとわかり、胸が痛んだ」といい、「自衛隊も民間日本人も、みんな米軍協力者」との見方が変わり、「人道援助をする民間人と軍隊を同一視するのはよくない。3人の速やかな解放を心から希望する」と話したという。もちろんこれは特殊なサンプルであるかもしれないが、それでも人の見方は変わるということの証ではあるだろう。(そもそも「(政府と国民を区別する)視点がアラブ世界の人間にあるとは思えない」というが、その違いをよーく身をもってわかっているのが、フセイン圧制下で長年生きてきたイラク国民ではないのか?)
みっつめ。
「米国による広島、長崎への原爆投下に言及している点などから「イラクのゲリラが広島や長崎を知っているのか。日本国内の人間とつながっている可能性も否定できない」」
ヒロシマ、ナガサキは、アジアや中東では誰でも知っているという話があるがどうか?中東の人たちが日本を好きなのは、「米国に原爆を落とされたのに、あれほどの経済大国なったすごい国」という評価があるからだといわれている。またあるメーリングリストで流れてきた在日アフガン難民の支援活動をしている人のメールによれば、アフガン難民の人たちは日本人を「ヒロシマ・ナガサキのことがあっても、アメリカと敵対せず仲良くやっている国の人たち。平和と友好の国の人たち」と認識し、ヒロシマ・ナガサキについても「アフガンでは学校で習う。(原爆投下後)日本は戦争をしていない。アフガンや中東と戦争していない。法律(憲法)でそう書いてあることも知っている」ということで信用に足りる国の一つとして、幼いころに学校等で教えられるのだという。
さらにいえば、昨年のイラク攻撃で日本がいち早く米国支持を打ち出した時には、「日本人はヒロシマ・ナガサキを忘れたのか」と叫ぶ商店のおじさんなどイラク市民の声を、多くの現地入りしたジャーナリストたちが伝えてはいなかっただろうか。
まぁ、あらゆる可能性を考えること自体は大切だけど、なんだか政府関係者の弁は、「無学なイラク人に国家と国民の区別なんかできるわけがない、広島も長崎も知るはずがない」とでもいうような、実に「世界の田舎ニッポン」的な侮蔑意識の現れなんじゃないかと思うぞ!

 

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