解放まだ?・・・立ちこめる暗雲

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今日未明の「24時間以内に解放」という声明のニュースから21時間、いまだ解放が実現しない中、にわかに暗雲が立ちこめてきたようだ。
メディアが伝えているところによれば、アルジャジーラは、犯人グループと接点のある人物が、インタヴューで、日本政府が自衛隊を撤退することなどの要求をのまなければ、人質は解放しない、新たに声明を出し、それから24時間以内に要求をのまねば、人質の1人を処刑すると述べたという(関連記事http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20040411i113.htm, http://www.asahi.com/international/update/0412/003.html)。


今のところアルジャジーラも含めてメディアでは、この情報の信憑性は低いとしている。しかし、必ずしも楽観できない要素もある。ここ数時間のうちに、NGO関連のあちこちのメーリングリストに流れている次のメールがそれだ(関連記事「外相ビデオ自衛隊部分の削除要求 「反感あおる」と家族」)。
——引用ここから—————————————–
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緊急声明3 グローバル・ウオッチ(パリ)
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(転送可) 
日本政府へ、そして反戦市民、団体すべてへ
アルジャジャーラにたいする川口外相の声明、外務省報道官の声明は、拉致グループを激怒させるに充分です。
わたしたち、グローバル・ウオッチはバグダッド経由の警告を受け取りました。(パリ時間正午12時15分)
これ以上、日本政府が自衛隊派兵の正当性を主張し、米軍と組んでイラク民衆を攻撃しようとするなら、人質解放の扉は閉ざされる危険性があるだろう、との警告です。
私たちは、日本政府がいっさいの無意味なアジテーションをやめ、今回の人質解放に繋がる道を開いたのは、政府の努力ではなく市民たちのネットワークであることを素直に認めるべきである。拉致グループを含め、イラク民衆が望んでいるのは、あらゆる外国の軍隊のプレザンスの退去であり、占領の早期終結です。
以上のことが尊重されないなら、拉致された日本人の生命に万が一のことが起こった場合のあらゆる責任は日本政府にあると判断されても仕方がないでしょう。
グローバル・ウォッチ/パリ
コリン・コバヤシ
——引用ここまで—————————————–
実は、このグローバル・ウォッチは、事件発覚直後から、在仏および在イラクのイラク人組織やNGOのネットワークを駆使して、人質解放に向けた犯人グループとの交渉を続けてきたらしい(たとえばこれ)。「解放声明」が出る約1日前のパリ時間9日23時には、イラクから前向きの感触を伝える連絡も入っていたという。無神経な政府の対応によって、その努力が無にされるかもしれないのだ。
実をいうと小生、(より大きなコンテクストでの評価は別とした局所的評価としては)今回の事件に対する政府の対応については、比較的ちゃんとやってるんじゃないかというようなコメントを、ここに書いておこうと準備していた。メディアが伝えるところでは、政府(具体的には外務省と警視庁か?)では、今回のような事態に対処するためのマニュアルが昨年末に作られ、今回はそれに沿って行動しているのだそうで、「撤退はできない」という絶対的な拘束条件――そんなことすれば、「日本はチョロイ」と他のテロリストたちが色めき立っちゃうという別のリスクが高まるから――のもとですべきこと、政府にできること――それがどれだけ効果的かは別として――は、それなりにやってるんじゃないかと考えていた(ただし首相の対応は、説明責任の点で為政者としてサイテーである。「撤退のリスクを考えれば、政府としては絶対に撤退はできない。その代わり、できることすべて、然々している」とちゃんと家族に説明すればいいのだし、それをやるのが最高責任者の責務である。また自衛隊撤退は、中長期的かつより大きなコンテクストの視野からはとりうるオプションの一つだと思う)。CPA-米軍との協同行動(これだけだとしたらアホである)だけでなく、部族社会のリーダーへのアプローチも、たとえばヨルダン政府などを通じて、それなりにやってるんじゃないかと考えていた。
しかし「自衛隊も人道支援です」というのは、政府の立場としては主張したいことなんだろうけど、少なくとも相手へのメッセージとしては――メッセージというものは、相手がどう解釈するかを常に考えて作らねばならない――明らかに余計な一言であり、上記のような市民やNGO、イラク聖職者協会だけでなく、政府自体(特に官僚たちが担う実務レヴェル)の努力を台無しにしてしまうものだ。政府内部でも苦々しく思っている人たちは多いのではないかとも思う。ましてや「テロに屈しないという強硬な態度を取ってきたから解放になったんだ」なんてことを、解放されてもいないのに、メディアの前でいう政治家は、はなはだ不用意、無神経、浅慮、軽率(以下、同義語・類義語全部付け足してもたりない)だし、事実を歪めてもいるだろう。
さらに悪いことに、さきほど見たニュースによれば、米軍が、拘束場所と思われる地域の「個別訪問」をしているらしい。そんなやり方をしたら、解放する気だった連中も、自衛のために人質を盾に使ってくるのではないだろうか?事態は急速に悪化しつつあるように見える。
どうか、これが単なる杞憂で終わって欲しいものだが、いったいどうなるのか。。。
ところでちょっと疑問。
この事件について、特に未だに解放が実現しない現在の状況というのは、十分テレビで特番打ってもいいような気がするのだが、なぜかマスコミはいたって普段通り。「報道規制」を疑ってしまうぞ。たとえば人質になってるのが、外交官など政府関係者、あるいは反戦NGOではない、たとえば企業人のような民間人だったらどうだったのだろうか?
まぁ、あまりに情報が少ないというのもあるのだろうけど、情報なくても番組つくっちゃうのがマスコミなわけだし。
そもそも、最初のビデオ放映に関しても、海外のメディアはどこも流している最も緊迫したシーン(今井氏がのど元にナイフを押しつけられ騒然としているシーン)を、日本のメディアはほとんど流していない。(写真ではスポーツ新聞や夕刊紙が使ってるが、動画で音声があるのとはだいぶ伝わる緊迫の度合いが違う。)たとえばドイツのシュピーゲル紙のサイトにある次のストリーミングビデオを見てみよう。
rtsp://shared.streaming.telefonica.de/spiegel/video/4052.rm
日本のメディアで繰り返し放映されている比較的穏やかな無音のシーンとはだいぶ受け取る印象違うはずである。
それから、人質になってるフォト・ジャーナリストの郡山氏は、数年前まで陸自隊員だったわけだが、そのこともあまり報道では触れられていない。そうした経歴の人物が、反戦サイドのジャーナリストになっているというのは、それなりに興味をそそるネタだと思うのだが。
次に、某掲示板等でずっと幅をきかせている「自作自演説」について。実は小生も最初の一報を見たときには、それを一瞬疑ったりしたのだが、あのビデオ映像・音声や、他の状況を考えるとその可能性はきわめて薄いだろうと思うようになった。これについてむしろ興味深いのは、なぜ彼らは、そこまで自作自演説に固執するのか、また、人質となってる人物のHPの掲示板までわざわざいって罵詈雑言を浴びせるのか、どうして、あそこまで盲目的にコイズミ政権の方針を全肯定し続け、なぜ、死語ともいえる「サヨ/ウヨ」という二分法まで持ち出して、市民社会組織を敵視・口撃するのか――まぁ、いかにも「サヨ」な鬱陶しさというのがあるっていうのはわかる気がするが――など、「病理」的心性のほうである。「(国に)迷惑かけやがってバカヤロー」みたいな意見は、機関たる国家を擬人化し、なんであれ邦人救出は国家の「お仕事」、責務であるということを無視した子供じみた(歪んだ)センチメンタリズムにすぎない(もちろん、機関としての国家の「お仕事」をしてるのは生身の人間であり、それに対しては「ご迷惑をおかけした。すまなかった」という気持ちやその表現は、人情あるいは礼節として当然持ち合わせているべきなのはいうまでもない)。
そうした事柄の背後に見え隠れする思考の麻痺、判断力停止、絶対的な無力感、そして「恐怖心」は、日本社会がかなりの程度までファシズム状態にはまりこんでる証ではないかと思う(ネット社会、とくに巨大掲示板系はあくまで特殊なサンプルにすぎないと考えたとしても)。『全体主義の起源』でハンナ・アレントは、ナチスの「テロル」による恐怖が、人々から判断力と思考の自由、他者との連帯を奪っていったというようなことを書いていたが、ブッシュ政権、そしてそれに追従する日本政府から発せられる「オレンジ・アラート」は、同じ効果を生んでいるのではないだろうか。
最後にもう一つ。ネットだけでなく、マスコミ報道でも時々見られる「被害者たちの自己責任」の強調について。これも何かとても病んだ話である。確かに、政府は避難勧告を出していたし、危険であるのは客観的に明らかであり、それにもかかわらずイラク入りしたとすれば、それは自己責任だというのは正しい。それは他人に言われるまでもなく、本人たちも承知の上、まさに自己責任でイラク入りしたのだろう(もしもそういう自覚や覚悟がなかったら、とんでもないが)。しかしだからといって、あたかも政府には何の落ち度も責任もないかのような議論や、自衛隊派遣や米軍のファルージャ攻撃――イラク側の一般市民などの死者600人、負傷者1000人以上、モスク破壊という惨劇――と切り離したまま本人たちの自己責任をあげつらうのはどうかと思う。ましてや、上にも書いたような「迷惑かけやがって」「結局、政府の世話になるんじゃないか」というのは、明らかに幼稚な思考である。第1に、国家には、なんであれ国民の生命と財産を守る責務がある。医者が、自らの過失で事故にあった患者を「これは自己責任ですから」などといって治療拒否しないように、災難にあった国民を守るのは、国家運営のプロフェッショナルとしての政府の人間の「お仕事」なのである。
第2に、そもそも「いまイラク入りすれば、拉致されたり殺されたりする危険がある」というリスクを生み、高めたのは、いうまでもなく自衛隊派遣であり、さらにいえば、日本政府のブッシュ政権支持、そしてブッシュ政権の露骨な侵略・破壊行為だという問題もある。
ここで注意しなければならないのは、これを「日本政府がブッシュを支持したから、自衛隊を派遣したから、こういうことになった」という因果論で議論せず、「このリスクをもたらし高めた責任は誰にあるか」という「責任論」で議論することだ。因果論でいうと、「そもそも論」を進めれば進めるほど、「風が吹けば桶屋が儲かる」的な因果関係の希薄さが高まってしまう。しかし、ブッシュ支持をしたり、それのもとで自衛隊派遣をすることには、こうしたリスクが不可避に伴う――これは首相自身がはっきりと認めている――こと、そして、そうしたリスクを伴う選択を行った主体には、そのリスクに対処する責任が伴うということは、因果関係とは別に成立することだ。(成立しないとすれば、それはただの無責任の承認にすぎない。)この意味でも政府には、リスクの現実化である今回の事件に対処する責任がある。
ちなみにこの「責任」について、自民党の安部幹事長は早速、とんでもない議論のすり替え、appropriationをしているようだ。毎日新聞の記事によれば、幹事長は11日のフジテレビの報道番組で、イラク邦人人質事件に関連して「(憲法が禁止していると解釈されている)自衛隊による海外での邦人救出を可能にしなければならない。邦人の救出はいわゆる武力行使とは違う」と述べ、自衛隊の海外での活動のあり方を見直すべきだとの考えを示したという。おいおい、今回のような事件で、自衛隊が出張ったとして、解決に至ると思っているのか?余計に相手を硬直化させ、人質を危険に追いやるだけではないだろうか。まぁ、政府の行動オプションの幅を広げるという意義はあるかもしれないが、米軍のようにあまりに軍事力に頼ることは、かえって状況を悪化させるのは明らかである。
自己責任論議についてもうひとついえば、人質となっている彼らは、決して自分たちの欲求の満足(だけ)のためにイラクに行ったわけではないことが重要だろう。もちろん人間である限り、多少なりと、自らの行為に対する満足感なり達成感なりの追求というのはあるかもしれない。若い今井氏には、もしかしたら何らかのヒロイズムの満足みたいなのがあったかもしれない(なかったとすればこれは失礼だが)。けれども、それ以上に彼らの行為は、他者から、イラク現地の人々から客観的に求められ必要とされているものでもある。特に高遠氏の場合には、現に彼女を必要としているストリート・チルドレン(=戦争孤児)の子供たちがおり、今回の事件でも、子供たちが、彼女を解放してくれるようメッセージをあちこちに送っていたらしい。しかもそれらは、自衛隊のミッションには入っていないし、またやろうとしても軍隊である自衛隊にはできないことでもある。たとえ自衛隊の側は全くの善意でやろうとしても、武器を携えた、しかも、自分たちの親兄弟を殺した米軍と協力関係にあると、少なくとも彼らの目には映っている日本の自衛隊を、国家とは独立な個人である高遠氏のように信用し、慕ってはくれないだろうし、救われたと感じもしないだろう。要するに、イラクに必要なことには、軍隊でもできることとできないこと、市民の立場、NGOの立場でしかできないことがあり、それを高遠氏らは危険を承知で――死んでも国葬もなければ保証金もないという、それこそ自己責任で――行いにいったということだ。その部分を無視して、まるで彼らが観光気分でいったかのように語るのは、あまりに歪んでいる。(もちろん観光気分で紛争地域に行った馬鹿者がいたとしても、上述の「国家の基本的お仕事」として国家は救済する責務を追っている。)
ちなみに軍隊の活動とNGOの活動は、紛争地域においては本来相補的に働くべきはずだ。しかし、少なくとも、「ブッシュ支持」、「米軍兵士の輸送も担当」なんていう枠組みのもとでは、たとえサマワで自衛隊が、現地の人たちに役立つような意味のある支援活動をしていたとしても、自衛隊の駐留とNon-govermentの活動は、互いにとってリスクになり、排他的関係に陥らざるをえない。もしも本当に日本政府が、ブッシュ政権ではなくイラク国民のことを第1に考えているのなら、この枠組みを大きく変えていかなければ、「自衛隊も、人質の三人と同様に人道支援してます」なんていうメッセージは、「なめとんのかワレー」と相手の怒りを買うだけだろう。

 

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2件のコメント

  1. イラクで拘束された日本人への非難に批判的なブログ

    2004年4月にイラクで拘束された日本人への非難に批判的なブログを集めました。ただし、ここで紹介するほとんどのブログからリンクされている、宮台真司さん・神保哲生さんのブログは載せていません。ほかにも、人質非難に批判的な記事を載せたブログはありますが、比較的…

  2. イラクで拘束された日本人への非難に批判的なブログ補足説明

    「イラクで拘束された日本人への非難に批判的なブログ」で紹介したブログのうち、拘束事件発生後から記事のあったものについての補足説明です。

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