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更新情報 & 時々日誌 (2003年1月〜12月)

2003/12/13

今日は来年度からスタートするウチの大学院「現代社会研究科公共圏創成専攻」の入試で、午後2時半頃から判定会議に出席。昨夜、終電一本前で東京から戻ってきたが、会議終了後、夕方までにやっつけなくちゃならない仕事を終えて帰宅後、愛犬ハンナを連れて再び東京へ舞い戻る。明日は消費生活研究所の環境講座で、夕方までやってたのは、そのパワポ資料作り。

講座が終わった後は、小生の古巣(?)の一つでもある市民科学研究室の若手メンバーで、実はICUの遠い後輩でもあるS氏とインタヴュー会合。他にも2人くらいICU卒業生が集まってくれるらしく、とても楽しみ。S氏は、大学時代は、学内でミュージカルをやったりしていたそうなのだが、実は小生も学部の時は、2年の時に『ロッキー・ホラー・ショー』で役者を、4年の時は、『ブルース・ブラザーズ』で演出助手+コーラスをやったりしてたので、きっと明日はそっちの話で盛り上がるに違いない。

ICUといえば、今日の朝日の夕刊の「科学してますか?」のコーナーに、ICUの後輩(ICUで、在学時代の知人・友人について「後輩」とか「先輩」とか使うのはなんかそぐわないのだが)で、ウチの奥さんの同期でもあった占星術師・鏡リュウジ氏(仲間内では「ケムちゃん」と呼んでいる)の写真入インタヴュー記事を発見。う〜ん、ケムちゃん、おじさんになったなぁ(笑)。一緒にいたら、見た目、オレより年上にみえるんじゃないか?と思いつつ中身を読んでみると、けっこう面白い。占星術にのめりこんでる自分と、それに対し懐疑的な<近代人>としてのもう1人の自分との葛藤、そんななかで大学で出会った「科学史」の授業のこと。「最初の授業で教授が黒板に長方形を一つ、斜めに書いた。『でも、斜めというのは黒板を基準にしたから』。別の枠組みで見れば価値観も変わる。」

そういえば、占星術の話をするとき、ケムちゃんは「リアリティの重層性」ということをよく言っていた。それはもしかしたら、この科学史の授業がきっかけで言語化された彼のヴィジョンなのかもしれない。小生の後期の授業「科学文明論」では、ずっと科学革命の話をしているのだが、実をいえば、それを通じて伝えたいと思っているのも、「ガリレオは偉かった」とかそんなことじゃなく、まさしく「リアリティの重層性」ということだ。もう少し言葉を継げば、今ある現実とは違う過去と未来の可能性、そしてそれはいつもここにある、ということである。学生たちの反応は、必ずしもこちらの意図したとおりではないけれど、多くの場合、科学革命の話は、彼女たちにとって今ある現実とはまったく違う世界のリアリティへの驚きにつながっているようだ。なかには、「数学が物理に役立つなんて驚きました(=物理現象が数式で表現でき、予測できることに驚いたということでもある)」とか「天気予報がコンピュータでの計算で行われていることに驚きました」とか、元物理学徒の小生にとっては、こちらがむしろ驚いちゃうような反応もあったりするのだが、それは同時に、この国の中等教育における理数系教育がいかにマヌケなものか——高校時代、それから塾講師時代にリアルに実感してたことだが——を改めて思い知らされることでもある。(高校のとき、物理の時間に、問題を微積分使って解いたら、「それは高校では教えないやり方だから、ちゃんと公式を使ってやってください」といわれてキレそうになったのを憶えてる。物理なんてのは、少数の基本原理から、あとは数学的に体系的に導けるってことに、ある種の世界の美と調和を実感しちゃえるところが醍醐味で、それは高校物理程度でも十分味わえるのだが、公式が断片的にちりばめられた教科書には、そんなものはかけらも見当たらない。それは数学についてもいえる。そこには「意味」というものがない ("It doesn't make sense"ということでもある)。実際、小生の授業をとってる学生の感想にも「高校の数学や物理も、こんなふうにして教えてくれたら面白かったのに」というのがとても多かったりする。そういう「意味」は、多少の好き嫌い、肌に合う合わないはあったとしても、文系・理系なんていうツマラン区別を超えて、誰もが感じられることなんだろう。ついでにいうと、この国の英語教育というのもほんとひどい。ウチの大学の学生も、英語できないのがほんと多いし、「いったいどうやったら、ここまで英語ができない学生、英語がきらいな学生を生み出しつづけられるのだろう」と思ってしまうことさえある。せっかく習っても使う機会がない、継続して英語に触れつづける動機付けがないということでもあるのだろうけど。)

閑話休題

昨日(12日)は、一日中東大でInternational Workshop on Social Decision Making Process for Energy Technology Introductionに出てたのだが、その前に朝8時半から、東大法のS氏と一緒に、同ワークショップの参加者の1人でもある英国サセックス大・科学政策研究ユニット(SPRU)のアンドリュー・スターリング(Andrew Stirling)氏とのブレックファスト・ミーティング。主題は「日本のリスクガバナンスの実態解明」プロジェクトの件なのだが、途中で、彼が委員をしていた英国政府のGM Science Reviewの話を聞いた。実はスターリング氏は、たとえば本年7月26日付英紙インディペンデントの記事The GM Plot: Scientist Tried to Sabotage Work of Top Academic who is a Sceptic(インディペンデントの過去記事は有料なので、リンク先は別サイトのもの)にもあるように、委員会で遺伝子組換え作物について批判的意見を述べていたために、とある地位の高い科学者から「態度を改めないと、お前の研究費や職を奪うぞ」と脅迫されたという貴重な経験の持ち主だ。ミーティングでは、そのあたりのことも含めて、GM Science Reviewの話を聞いたのだが、そのなかで面白かったのは、この委員会のやり方そのものは従来どおりのものであったが、唯一新しかったのは、委員会のアジェンダが「GMについての知識にはどんな不確実性やギャップがあるか」ということに重点を置いていたことだったという話だ。逆にいうと従来は、というか普通は、「どれほど確実か」ということや「危険な証拠はない」ということを示すことに重点が置かれているということであるが、この変化はやはり、BSE危機の教訓がもたらしたものなのだろう。では、同じくBSE危機をきっかけに創設されたわが国の食品安全委員会での議論はどうだろうか?そのあたりはまさに「日本のリスクガバナンスの実態解明」プロジェクトの課題の一つだが、スターリング氏によれば、予定では来春から、この委員会のモデルの一つでもある欧州食品安全庁の実態についての大プロジェクトが欧州でスタートするそうだ。それは「実は欧州食品安全庁もちゃんと機能していない」ということの裏返しでもあるそうなのだが、何らかのかたちで研究交流できると面白い。再来年の春くらいにウチのプロジェクト主催で、国際ワークショップを開いてみてもいいかな。

2003/12/9

(こういうのだけは)予定通り、自衛隊イラク派遣基本計画が閣議決定された。

昨日、ニュースステーションでの派遣候補地のサマワの人々についての報道について書いたが、そのなかで一つ「興味深」かったのは、サマワの町中に掲げられた「歓迎」の横断幕だ。そこにはアラビア語部分と日本語が書かれていて、日本語では「ようこそ自衛隊の皆様(サマワバスケットチーム)」と書かれているのだが、アラビア語では「自衛隊」の文字はなく、単に「ようこそサマワへ 日本人の皆様」と書いてあるだけだという。現地取材し、この写真をとったアジアプレス・インターナショナル綿井健陽氏によれば、日本語のほうは、取材に来た別の日本人ジャーナリストに頼みこんで書いたもらったのだそうだが、原文にはない「自衛隊」の文字を入れたその日本人ジャーナリストの意図はいったいなんだったのだろう?その映像がメディアを通じて日本のお茶の間に流れることで、あたかも「現地の人たちも<自衛隊>を歓迎してくれている」という、日本政府には美味しい印象を植え付けようとでもしたのだろうか?だとしたら、とんでもない行為である。不注意に(かつ正直に、「来るのは日本人といっても自衛隊だよ」ってことで)そう書いたとしても、その政治的効果を考えると、ジャーナリストとしてあまりにうかつだ。いったいどこの輩だろう?

それにしてもコイズミ首相は、記者会見で「日本が自分の国のことだけ考えてはいけない」と繰り返していたが、結局は対米追従、「自分の国のことしか考えていない」ということではないだろうか。(さらにいえば「自分の国のことも国民のことも考えちゃいない」ということだろう)

なお、この件の写真とそれについての綿井氏の説明は、彼のウェブサイト綿井 健陽 Web Journalアーカイブ書庫03年11月23・24日 【サマワ(イラク南部)発 その1】にある。

トップページにちょっと前からリンクしてある映画MatrixをパロったFlashムービーThe Meatrix日本語スクリプトを作成。パロディとはいえ、中身は極めてリアルでシリアス。利益最優先の工業的畜産が持続可能な小規模農家を食いつぶし、動物と人の健康、環境を破壊していく様を描いている。アメリカのNGOが作ったものだが、日本のNGOもこういうセンスが欲しいよなぁ。。。ちなみにflashの制作そのものは、Free Rangeという会社によるもので、この会社は、こういうNGOの広報や、社会的責任を意識した経営をしている企業の広報を請け負っている、いわば「社会的責任広告(socially responsible advertisement)」の会社だ。こういう仕事自体を商売にして(経営的に)持続可能にしてしまったり、それに必要な一種のオタク的センスが、社会的な方向に向いているところがなかなか面白い。日本だと、市民社会的活動が商売として自律したり、ましてやオタクがこういう仕事をするなんていうのは滅多に聞かないから、こういうところはアメリカ市民って偉いよなと思ってしまう。

2003/12/8

ミラノから帰ってきて、早くも一週間。今日は、北の国から来訪した若手倫理学者(=御用学者仲間でもある)とミーティング。研究者にとっての「毒まんじゅう」について語り合う。

ちなみに今週から二週間は、通常授業と補講に加え、ワークショップ2つ(ひとつはこれ)でコメンテータ、別のワークショップでは自分の報告が2つ、消費生活研究所「環境問題から考える21世紀の食と農〜わたしたちの食の安全は、地球環境の明日にゆだねられている」でのレクチャーといろいろ東京と京都を行ったり来たり。すっかり師走モード。それが終われば、ほぼデスクワーク・オンリーの生活になるんだが・・・。しんどい。

学内の決済がおわり、いよいよ日本学術振興会「人文・社会科学振興のためのプロジェクト研究事業」のプロジェクト「日本のリスクガバナンスの実態解明と再構築の提言」が本格スタートする(研究会自体はすでに何度かやってるし、先日のミラノ出張もその一環だったのだが)。間接経費が直接経費に上乗せで○○○万円ついてくるので、研究室の改造案を考える。いろいろ事務作業も増えて、学生バイトを頼む機会も多くなるので、いろいろインフラをそろえなくっちゃ。

ミラノの会議2日目は、午前は参加型テクノロジーアセスメントのワークショップに参加。いくつかの小グループに分かれて、行政官、政治家、企業、NGO、ジャーナリズムなどの視点から、高エネルギー放射性廃棄物の処分問題について考えるというロールプレイング仕立てのワークショップで面白かった。午後はサイエンスショップのワークショップに参加し、日本での状況について情報交換したり。

ちなみに帰る間際になって改めて気づいたのだが、ミラノの地下鉄のあちこちでテロ対策の警察軍を目撃。空港には迷彩服で銃を担いだ兵隊さんもいた。イタリアDQNな首相のおかげでイラク現地では死者が出て、本国もテロリストどもの指名を受けちゃってるから、納得の光景。そして帰国直後にネットでニュースを見ると、日本人外交官殺傷のニュース。ところが、同じくテロ指名もされてる日本国内はというと、イタリアのような警備は空港でも地下鉄でも見かけない。明日にもイラク派遣基本計画を閣議決定なんて焦ってるくせに、そういう危機管理はどこまで体制ができてるんだろう?コイズミ首相お得意の「口先だけ」で、中身ゼロの無責任放置プレーか?どうせなら自衛隊派遣も「口先だけ」にしてほしいもんだ(ほんとは、行けないなら行けないとはっきりいうのが正しいが)。今日のニュースステーションでやってたが、自衛隊派遣予定地のサマワの人たちは、「日本人が来る。電気や水道を治してくれる。俺たちに仕事を持ってきてくれる(よーするにソニーやトヨタが来てくれる、というような期待)」ということで、派遣に大きな期待を寄せているが、「軍隊が来るのはごめん」「いったい何しにくるんだ」というかんじだそうだ。まぁ、水道や電気の工事くらいは自衛隊でもできるかもしれんが、仕事となるとまず願いはかなわないだろう。期待を裏切られ失望する現地の人々、「招かざる客」となってしまう自衛隊の人たち、そして(米軍とか実戦経験のある他国の軍とは違って、おそらく「ソフトターゲット」扱いされる)自衛隊めがけてむらがってくるだろうテロリストたち。それによって失われるであろう現地の治安と、イラク人・日本人(自衛隊員)双方の人々の命。(そういえば映像では、医薬品の不足する病院でなすすべのない白血病患者の幼児の姿があったが、あれはやっぱり劣化ウラン弾のせいだろうか?)イラクの復興支援そのものは絶対必要で、日本もすべきだと思うが、自衛隊派兵——自衛隊「派遣」じゃなく「派兵」だよなぁ——は、その答えじゃないだろう。 ましてや、「まず空自を派遣」なんていうのは、米軍の占領統治の手伝いに来ましたとしか見えないし、絶対とるべきオプションじゃない。

自民党の河野太郎いわく「ここで自衛隊を出さないと日米関係にひびが入る等というのは嘘である。」「ブッシュ再選」のためのシンボリックなだけの「選挙応援」を求める米国政財界の一部勢力以外は誰も喜ばない、誰の得にもならない「派兵」。あるいは喜ぶのは、これを機会になし崩しに日本を「戦争できる国」にしたい——しかし自分たちは絶対戦地に行かないですむ——DQNな連中か?(ちなみに小生的には、集団的自衛権というのは日本も持ってもいいと考えるが、そのためには東アジアで言えば、日米安保体制に対するカウンターバランスとしての中・韓・ロシアをまきこんだ多国間の安全保障体制が必要で、さもなくば日本は、アメリカが戦争したい時にいつでもどこでもついていく「パシリ」にいよいよ本格的に堕落するだけだと思う。)

2003/11/27

名物のストライキにも会わず、無事ミラノに着いて2日目が過ぎた。今日はワークショップInterfaces between Science and Society: Collecting Experiences for Good Practicesの一日目。ビジネスでゆったり来れたせいか、今回はあまり時差ぼけを感じず、午前中はちゃんと聞くことができた。しかし、昨夜も原稿を書いていて寝るのが遅かったため、夕方(日本では深夜)に近づくにつれて、時折睡魔が襲ってきて困った。今日は「社会的に堅固な知識(socially robust knowledge)」をキーワードにして、「不確実性の管理(Management of Uncertainty)」——不確実性を減らす(reducing uncertainty)のには限界があるから、いかに不確実性をやくりくするか(「管理」というより「やりくり」のほうが適訳だろうな)が重要だという意味がある——について、午前・午後それぞれに、全員参加のが一つ、分科会が4つずつ開かれ、分科会はそれぞれ一つずつ参加した。明日は、「科学技術への市民参加」ということで、午前は参加型テクノロジーアセスメント、午後はサイエンスショップのセッションに参加する予定。今日は、欧州での議論がどうなっているか景色がつかめてないので、特に質問・コメントはしなかったが、明日はいくつかやってみよう。ちなみに参加者(全部で約150人)だが、社会科学者や行政官系だけでなく現役の自然科学者や エンジニアもけっこういるようだ。コーヒーブレークで立ち話したイギリス人の若い女性は生物学者で、あるプロジェクトをやるなかで、社会科学者や一般市民とのコラボレーションの必要性と難しさを痛感し、それでこのワークショップに参加してきたそうだ。日本でこの手のワークショップを開いたなら、どうだろう?意外と、同じように自然科学・工学系の参加者は多いような気がする。

そういえば、飛行機の中では、少し寝ただけで、あとは映画(チャーリーズ・エンジェル2とか)を少々見つつ、原稿書きの仕事をしていたのだが、ビジネスだから当然PCの電源はあるだろうと思ったら、なんとアリタリアにはないことを発見。いちおうコンセントはあるのだが、キャビン・アテンダントに聞いたら通電していないのだそうだ。計画では2005年(おいおいそんな先かよ?)にはちゃんと使えるようになるのだとか。まぁ、アリタリアにはめったに乗らないし、次に出張するとしたら、ブリティッシュ・エアラインかヴァージンのプレミア・エコノミー(これらはPC電源あり)を使うつもりなので、構わないが。

2003/11/25

明日から日曜まで、欧州委員会ジョイント・リサーチ・センター主催の国際ワークショップInterfaces between Science and Society: Collecting Experiences for Good Practicesに参加するため、ミラノに出張。アリタリアで行くんだけど、以前に夫婦で行ったときは、アリタリア名物のストライキで出発が8時間遅れ(あれはちょうどシドニーオリンピックの決勝トーナメント第一戦で日本代表がアメリカに負けた夜だった)、ミラノのホテルに着いたのがなんと午前4時だった。空港からミラノの中央駅まではアリタリアがバスを出してくれたが、降りる時に運転手が「駅の周りは物騒だから、近くのホテルでも絶対にタクシーを使え」と言われたもんだから、タクシーを拾おうとしたのだけど、「そんな近くじゃいけないよ」と乗車拒否。結局、同じく乗車拒否にあった日本人留学生の女の子が近いが別のホテルなので、「三角経路ならOKかも」ということで、一時間近く次のタクシーを待って、交渉し、やっとホテルにたどり着いたのだ。今回は、今のところストの連絡は旅行代理店から来てないので、大丈夫だと思う(願いたい)が、リスクは低いとはいえテロ(なにせイタリアと日本は、アル・カイーダからご指名されちゃってるし)も心配だし、何かと物騒である。(ワークショップは木曜の朝9時スタートなので、とりあえず前夜のうちにちゃんと着いてくれることを祈る。)

ちなみに今回は、日程が詰まっているので、贅沢させてもらってビジネス(もちろん格安チケットだが)で往復する。ゆっくり寝たいというのもあるが、しかし、帰ってくるまでに短いものだが原稿を2〜3仕上げなければいけないので、結局寝れないかも。。。

2003/11/7

今日は夕方、夫婦で不在者投票に行ってきた。日曜は、午前中は東京、午後は京都で出席する会合があるため。生まれてはじめての不在者投票だったが、行ってみて驚いたのは、けっこう人が多いこと。最初に不在者投票の「理由書」を書き、名前を呼ばるのを待って投票し、部屋を出るまで、たぶん10分ちょっとだったと思うが、次から次へと10人近く来ていた。しかも、けっこう若い人が多いのに驚いた。ミンセイとかサヨ系やソーカ=コーメイ系の動員だったりしたらガックリなんだけど、「これはもしかしたら」とほのかな期待を抱かせないわけでもない様子だった。しかし明後日の投票日当日は、全国的に天気が悪いらしい。今週初めの新聞各社の世論調査結果が示した「自民過半数」という結果になってしまうんだろうか?暗澹となる思いだ。まぁ民主イエスではないが、とりあえず自民ノーとしての意志は必要である。(そういえば選挙公報で「公に尽す心」なんて書いている候補者がいたのには笑った。小生としても、「公に尽す」ことが日本社会にとって大事だというのは同意するが、「公=国(政府)」という貧困な公共観が支配的なこの国では、それは要は「滅私奉公」のことなんだろうね。)

ちなみにさっき煙草を買いに行ったついでに立ち読みした週刊新潮(だったかな?)によれば、今回の選挙で最大の争点となってる「年金問題」について、財務省案はどうやら「生活保護並みの給付水準」なんだそうだ。さっきやってた「ニュース23」によると、現在年金をもらってる世代は、年金プラス公共事業による社会資本整備などで支払った額に対して、一人当たりプラス約6000万円返ってくるそうだが、20歳世代は逆にマイナス約6000万円なんだとか。コイズミ政権イコール「官僚丸投げ政権」だから、財務省案が通ってしまう可能性は非常に高い。そうなれば、もっと見通しは厳しくなるし、生活保護レベルしかもらえないんだったら払う意味ないやと思う人が増えて、年金制度の存立基盤がますますこわれていくかもしれない。

ところで投票の帰りがけ、京都駅前の信号の前で「ビッグイシュー日本語版」の創刊号を買った。先日ニュースステーションかなにかでも取り上げられていたが、ホームレスの人たちの経済的自立を助ける目的でイギリスで始まった「ストリート・ペーパー」というジャンルの雑誌で、ホームレスの人だけが売ることができるものだ。一部200円で、そのうちの110円が売った人の利益になるのだという。もちろんこれは、ホームレスの人たちの経済的支援が第一の目的の雑誌なんだが、「ストリート系」として、NGOからの情報発信とか、通常のメディアでは乗りにくい視点からの記事を載せていく独立系メディアとしての可能性もあるなぁと、中身を読んでみて思った。しかも、映画や音楽などアート系、カルチャー系のポップな記事なんかもあり、それが単なる商業宣伝的なものじゃなく、ある種の文化批評的なものも含めたものとしての「ポップカルチャー記事」だったりすれば、けっこう独自の価値をもちそうな雑誌である。そしてそれは、たくさんのホームレスを生んでしまう社会の現実をリアルに映し出す鏡となり、その面からも彼らの支援になる可能性がある。

ちなみにニュースステーションの取材では、すでに大きな売上を上げている大阪の「カリスマ・ホームレス」のおじさんが東京に行って、全然売れなかったエピソードを追いかけるなかで、大阪の戎橋では若い人も含めて、目を留めたり買ったりする人が多いのに対し、東京ではほとんど見向きもしない様子を伝えていた。まだ東京では知られていないというのが、その大きな理由だろうが、ちなみに今日買ったときは、その前に大学生くらいのカップルが買っていて、それでこちらも気づいたのだった。なにはともあれ、ストリート系メディアとして育っていってほしい雑誌である。

そういえば、巻末の「市民パトロン」のところに、優生学史など生命倫理・生命科学史の米本昌平さんの名前を発見。さすが米本さん、アンテナが敏感。

2003/11/4

まもなく衆議院選挙ということで、トップページのNotice Boardに、「選挙に行こう!」と、各党のマニフェスト(政権公約)をわかりやすくまとめ、比較できるサイトと、各党へのリンクを追加。ここにも貼り付けておこう。

個人的には、民主党に任せれば大丈夫とは決して思わないが、このまま小泉自民党中心政権に任せたら、日本の未来は確実に暗くなると思うので、とりあえず小選挙区、比例区ともに民主党に入れるつもり。まぁODA(政府開発援助)やFTA(自由貿易協定)の問題点については、社民と共産しかまともに認識して内容なので、これらも一定程度残って欲しいし、その点で「二大政党制」への以降には疑問もあるのだが、このまま小泉政権存続は望ましくないからしょうがない。郵政民営化以外には明確なポリシーも、日本のありうべき将来ヴィジョンもなく、その中身の是非を論ずることなく口をあければ「民営化」と叫び、本来複雑な非線形多元方程式であるはずの外交問題を米国追従路線でしか考えられず、「自民党をぶっ壊す」といいながら、単に橋本派を解体して派閥勢力再編をしただけで、ドーロゾクなど利権政治を温存し、「政治主導」といいながら官僚丸投げ、閣議に上るのもすべて事務次官会合で了承されたものばかりという「はったり」「見かけ倒し」で、詭弁・奇弁を弄して「言葉の営み」である政治を愚弄しつづけるあの政権に、本当に必要な「改革」なんかできるだろうか?とくに外交・防衛政策に関しては、「集団的自衛権の確立」ってのは、小生としても北朝鮮問題があるうちはリアルに必要だと思うが、毎年なんだかんだいって「靖国参拝」を繰り返し、中国につけいられるスキを与えつづけるばかりで、米国へのカウンターバランスとしての日中関係を活用しようとせず、対米べったり路線をひたはしるならば、それは、要は米国の都合に引きづられていつでもどこでも一緒に戦争にでかける「戦争国家アメリカの子分A」に日本を貶めるだけではないだろうか。(ちなみに今日のニュース23で報じられていたが、アルカイダのメンバーが公安につかまったらしい(公安さん、ご苦労様!)。先月、ビンラディンが「日本もテロの標的だ」とメッセージを発したことが報じられていたが、その一環なのか?対米べったりは、そういうリスクも確実に高めてしまう。)とりあえず、しがらみを断ち切って、民主党に政権交代し、霞ヶ関の使い方・付き合い方も含めて政権運営の経験を積ませ、外からも積極的に知恵をつけさせるのがいいと思う。霞ヶ関以外にも、いろいろシンクタンクを活用し、民主党系のシンクタンクというのを育てていくというのもいいだろう。再び政権交代したときにも、野党としての政策形成能力、評価能力をつけられる。

ちなみにニュース番組の党首討論をいくつか見ていて思ったのだが、他党首やキャスターの質問に対してコイズミ首相がいつもはぐらかした答えしかしないのは、意図的にそうしている部分もあるのだろうけど、それだけじゃなく、もしかしたら、質問の意味が彼にはわからないというのもあるんじゃないだろうか。それは頭がいいとか悪いとか、そういう話ではなく、思想がまったく違うのではないかということだ。たとえば「勝ち組み、負け組みというように、日本でも貧富の格差が増大しているがどうするか」という問いに対して、たとえば同じ与党でも公明党の神埼氏なんかは「セイフティネットが云々」ということを答えるのに対し、小泉首相はひたすら「元気な産業や企業もあります。新しい会社もどんどん増えてます」という勝ち組み側の話しかしない。これに対しては管直人氏が「六本木とかそういう場所しか見ていないような話だ。地方に行ってみれば『シャッター商店街』がうじゃうじゃある。そういう現実をどうするのかという問題だ」と突っ込んでいたが、つまり、そういうことに対する返答にはなっていないのである。それは、正面からの回答を避けた「いいとこ取り」の答えを意図的にしているとも思えるのだが、なんだかその答えは、結果の平等は無視して、「機会の平等」だけを叫び、「みんな成功すればいいんだ」的な単純アメリカーン人な発想と似ていなくもない。それはある種の思考の慣習で、そういう受け止め方、答え方しかできないタイプの思想を小泉首相が持っているということの現われなんではないか、そんな気もするのである。

もう一つ。今朝BSでみた海外ニュースで、欧州委員会の世論調査Eurobarometerで、米国や中東、アジアなどの世界14カ国それぞれについて「世界平和に脅威になっていると思うか」との設問に対し、欧州連合加盟15ヶ国全体の平均で、イスラエルが脅威と考える人が59%でトップ、そして53%の人が北朝鮮、イランと並んで米国が脅威だと考えているという結果になったことが報道されていた。日本の新聞でも、たとえば朝日新聞が「53%「米は脅威」、北朝鮮などと同率 EU世論調査 」と伝えている。「実害」という点では、米国はイスラエルと並ぶか、それ以上、あるいは少なくとも北朝鮮、イランよりは上の単独第二位になってもおかしくないとも思うのだが、これに対して米国国務省の副報道官は、「米国が世界平和の脅威であるという認識に関して、もしそういう認識であるならば、実態と非常に異なっている」、「米国の行動は、友好国や同盟国とともに、世界中に安定と平和と自由を拡大したいという願望に基づいている。我々の行動をみればおのずと分かるはずだ」と反論したという(「EU世論調査「実態と異なる」 米副報道官が反論」)。 まぁ、「世界中に安定と平和と自由を拡大したいという願望に基づいている」というのはウソではなく、それは誰が見ても望ましい願望かもしれんが、その具体的な「内容」——たとえば「自由」というのはアメリカの多国籍企業が自由に商売し、相手国の都合も考えず商品を売りつける「自由貿易」の自由でしょ、とか、「安定と平和」も、そういう企業活動が安定してできる自由であり、生活や環境を破壊される現地の弱い人々の抵抗を、米国政府をバックにした現地国政府が圧政でしずめていることでしょ、とか——や、戦後の治安・秩序回復や国づくりのことをちゃんと考えず、「とりあえずなんでもかんでも空爆じゃ」という「方法」に問題があると、欧州人は考えているということなんじゃないだろうか。(欧州人に限らないだろうけど。)ちなみに今回の世論調査の結果は、11月3日に発表されたFlash Eurobarometer 151: IRAQ and Peace in the World(イラクの世界の平和)(PDF3.7MB)という報告書の一部で、設問10(p.78, PDFファイル上では82ページ)にある。全部だとなかなか重いファイルなので、その部分だけ画像ファイルにしてみた。(国名の略記は次の通り。B = ベルギー、DK = デンマーク、D = ドイツ、EL = ギリシャ、E = スペイン、F = フランス、IRL = アイルランド、I = イタリア、L = ルクセンブルク、NL = オランダ、A = オーストリア、P = ポルトガル、FIN = フィンランド、S = スウェーデン、UK = 英国)

ちなみにBBCの記事"Israeli anger over EU 'threat' poll"によると、イスラエルが最も脅威な国とされたことについて、対イスラエル関係を考慮して、欧州委員会委員長のRomano Prodi氏は、「ユダヤ人に対する悪しき偏見の現われ」という角度から問題視しているようだ。欧州だとそういう問題点もあるのかと首肯する部分もあるが、それだけではないだろうとも思う。やはり、イスラエル政府の対パレスチナ政策に対する批判も強いのではないだろうか。

2003/11/1

わりと温暖なのに、いつのまにか11月突入。いろいろしなればならないことは多いのに、今年もあと二月か。。

トップページのNotice Boardのところに、高木仁三郎市民科学基金「市民科学公開講座・助成募集説明会&パネルディスカッション<市民の科学・希望の科学>」(11月9日@京大会館)のリンクを追加。メインは次年度の高木基金助成募集の説明会だが、第1回助成をうけた「吉野川みんなの会」の姫野雅義さんによる同会の「緑のダム」研究の報告があり、パネルディスカッションには、姫野さんに加えて、京都精華大の細川弘明さんと平川も参加します。コーディネータは現社の同僚である飯田哲也さんを予定。近隣の方、ぜひご参加ください。

先日、久々に沢田研二(ジュリーだぜ!)のコンサートに行ってしまった。実は小学校3年(はっきり憶えているのは「危険な二人」の頃か?)からずぅーっとファンなんだが、ここ数日、我が家では、仕事しながら、まだ「肥えて」いないほんの数年前のものまで含めて、あれこれビデオやDVDを観まくっている。「歌謡曲」というジャンルが全盛期だった70年代後半から80年代前半、ジュリーは輝きまくっていた。ちょっとDavid Bowieにも似てある種の「イミテーション」なんだけど、しかしそれを彼は徹底して演じぬいていた。(そういえばカラーコンタクトをメイクで使ったのはジュリーが本邦初だったはず。)とにかく凄いのは、その演技力。「ザ・ベストテン」や「クイズ・ドレミファ・どん」に出てた時だって3分間のなかで完璧にドラマを作り出していた。コンサートのときなんかは、次々と替わる楽曲一つ一つのなかで、回り舞台のように全く違うドラマを魅せてくれる。そしてそれは、小生がずっとジュリーからご無沙汰していた80年代後半から90年代もそうだった。若い頃の、やや金属的というかガラス質な高音の魅力は、円熟した中低音の響きに代わりつつも、やはりイイ。こんなすごい歌い手、ほかにはいない、「ジュリーは日本一のエンターテイナー」だという思いは、いまDVDを観ていても変わらない。「アァ〜」だけで歌えちゃうなんて彼しかいない。(ちなみに「六番目の憂鬱」という曲があるが、これって、きっとジュリーが歌うのでなければ全然つまんないと思うんだが、サビのところの「ハッ、ハッ、ハッ」のあのけだるさ、そして歌メロの最後のあの乾いた嘲いは今聞いてもゾクッと鳥肌が立つ。)

ちなみに、いまこれを書きながら観てるのはL'Arc-en-Cielの1999年のライブ。ボーカリストという点ではラルクのHydeも好きな部類。といっても、ジュリーがライブでもレコードと同じレベルで歌えちゃうのと比べると、ライブでのHydeの歌声はけっこう不安定なんだが、声質がなんといってもいい。それとやはりラルクといえばTetsuのベースがすごい。「ラルクええなぁ」と最初に思ったのって、実はある映画の主題歌にラルクの『虹』が使われてて、重低音がきいた映画館でそれ聞いて、(ギターじゃなく)ベースとボーカルがうねるように絡みあってるのに感動した時だった。もともと小生は、楽器ではギターが好きで、Gary MooreとかRandy Roseとかお気に入りなんだが、ベースとボーカルの組み合わせでカッコいいと思ったのは初めてだった。ビートのある曲聴いても、けっこうプログレちっくなラインを弾いてて、重低音効かせて聞いてるとかなりイイ。ラルクなんていうと、この年代で気に入ってるのってあんまりいない気もするが、世の中広いもんで必ずしもそうじゃないらしい。40才以上に贈るラルクアンシエルなんていうサイトは、開設3年目ですでに24万5千ヒットを超えちゃってる。(ちなみにここ、ほんのちょっと前までは「39才以上に贈るラルクアンシエル」で、「おっ、同い年じゃん」って思ってたら、管理人が一足早く誕生日を迎えてしまったようだ。)

ボーカルといえば、たまには生でジャズボーカルも聞きたいな。秋だし。むかしよく聴きに行った中本マリは、よく関西にも来てるみたいだから、今度行ってみるか?

2003/10/21

一昨日の日曜、ワインのストックが減ってきたので近所のENOTECAに買いに行ったら、祇園にある仏料理屋ぶどうの蔵のパンフを発見。コース料理のメニューと「毎月20日はワイン20%割引」の文句に誘われて、昨夜は久々にフレンチで晩飯。食後酒と葉巻まで楽しんじゃって、ようやく2時間ほど前に酔いがさめたので、ちょっと仕事を開始。といっても興が乗らず(乗らなきゃマズイんだが)、ネットサーフィンでGurdianを見てたら、This should be the end for GM(遺伝子組換えは終わりにすべきだということだ)という記事を発見。

この記事は、本サイトのトップページでも紹介している英国政府の一連のGM作物評価の結果を受けてのもの。国内でのGM栽培認可手続きを開始するにあたって英国政府は、GM作物の経済的評価(コスト・ベネフィット評価)を行った英国首相府戦略ユニットの報告書Weighing up the Costs and Benfits of GM Crops (PDF623KB)プレスリリース)、人の健康と生態系影響について科学的評価を行ったGM Science Review報告書、全英で行われた一般市民によるGM公開討論GM Nation? The public debate in UK報告書を立て続けに発表し、さらに先週木曜の10月16日には、三年間実施した除草剤耐性GMの試験栽培による環境影響評価Genetically modified crop Farm-Scale Evaluations (FSE)結果が公表された。興味深いのは、基本的に政府(ブレア政権)は、GM栽培許可を目論んで、これら一連の評価を行ったにもかかわらず、どれもが総じてネガティヴな結果——少なくとも、目だってポジティヴな結論がない——に終わったこと。

ちなみにFSEでは、三種類の除草剤耐性GMを評価し、そのなかで一つ、GMトウモロコシだけは、比較対照された従来の栽培法による非GMトウモロコシよりも野生生物等の生態系への影響が少ないという結果を出していた。ところが、これについては、Greenpeace UKが、「比較の対象が悪い」と批判し、「環境に有害な農薬を使う在来の方法ではなく、有機栽培と比較すべき」と主張(関連記事:BBC News: GM tests show danger to wildlife)。さらに上記Guardianの記事は、その比較対照とされた非GMトウモロコシに使われていた農薬Atrazineは、先週EU(欧州連合)で使用禁止が決まったことを挙げ、やはり「比較対照として不適当だ」と指摘している。

米国(およびカナダとアルゼンチン)は今年8月に、EUのGMモラトリアムについて、WTO(世界貿易機関)の紛争解決パネルに協定違反だとして訴えているが、今回の英国のScience ReviewとFSEの結果は、その裁定にどのように影響するのだろうか。1996-99年の「合成成長ホルモン肥育牛肉事件」——米国産の合成成長ホルモン肥育牛肉をEUが輸入禁止していたのを米国がWTOに提訴し、結果的にEUが敗訴、禁止継続と引き換えに罰金を払ったうえに、米国が欧州産農作物に100%の報復関税をかけたこと——では、EUは、米国で使用されている合成ホルモンの発ガン性についてのリスク評価が不十分で負けてしまったわけだが、英国だけでの例とはいえ、今回は科学的証拠があるわけだし。モンサントが欧州の穀物ビジネスからついに撤退なんていうニュース(Guardian: Monsanto to quit Europe その翻訳)もあるし、なかなか見所満載な展開になるかもしれない。

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★藤井総裁のイニシャル発言、石原国交相「調査せぬ」http://www.asahi.com/politics/update/1021/002.html
石原国土交通相は21日の閣議後会見で、日本道路公団の藤井治芳総裁と5日に会談した際、藤井総裁が政治家のイニシャルを挙げて道路行政と政治家の不正を示唆したことについて、国交省として独自の調査を行わない意向を表明した。理由については「藤井総裁は具体的な(不正の)話をしたわけではないので」と説明した。(中略)「疑惑と思われる事実は明らかにすべきでは」との問いには、「こういう不正があった、という話がないのにどうやって調査を進めるのか」と応じた。
★藤井総裁イニシャル発言、官房長官「調査の必要なし」http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20031021ia21.htm
福田官房長官は21日午後の記者会見で、日本道路公団の藤井治芳総裁が石原国土交通相と5日に会談した際、複数の政治家のイニシャルを挙げて政官癒着の疑惑をほのめかしたとされる問題について、「真偽を確認するだけの個別具体的な話はなかった」として、調査する必要がないとの考えを示した。

なんだか石原大臣の「言い訳」は、今日逮捕された「有栖川宮」詐欺の女性が、テレビのインタヴューで言っていたのとちょっと似てる。ついでにいうと、コイズミ得意の論理的内容ゼロの「奇弁」「すり替え」、そして「大きなジェスチャーで論理的破綻をうっちゃって誤魔化す」のコピペみたいでもある。そのDQNぶりは、どこかの将軍様並だな。要は身内(ドーロゾクのおじさんたち)からもどやされて、びびっちゃったということか。所詮この政権では、構造改革なんて絶対できないということだね。小泉流の「道路公団民営化」も、結局はドーロゾクの利権温存・拡大と、米国の財政赤字並みの巨額債務40兆円の先送り、高速道路の料金とガソリン税による国民負担の二重取りの永続化ということみたいだし。(ちなみに民主党の「高速道路無料化案」をコイズミは、「これまで10人のうちの1人(利用者)からとってきたお金を、残りの9人に払わせるものだ」とがなりたてて批判してたが、現状で、自動車利用者は全員払ってるという事実が伏せられている、これまた彼の「奇弁」なんだな。民主党案のは、公団の債務を金利の低い国債に借り替えて、高速道路の通行料を無料にしてもなお年10兆円ある道路特定財源の一部でそれを30年で払うというもので、新税はいらないし、通行料無料の分だけ国民負担は減るというもの。また既存道路の整備や新規建設も、残りの道路特定財源でやってくというもの。ちなみにこれの発案者である山崎養世氏によれば、日本の道路特定財源は世界最大級で、国土面積が日本の25倍ある米国とほぼ同じで、欧州最大の道路予算をもつドイツの5倍だそうだ。(山崎養世「<なぜ無料化できないのか・道路関係四公団民営化にみる「改革」の虚妄>小泉・猪瀬路線は国民負担恒久化への道」,『中央公論』2003年11月号;山崎養世の「日本列島快走論」)まぁ、美味しそうな話はよーく毒見してからというのがあるから、この民主党案も鵜呑みにしちゃいかん気がするが、少なくともコイズミ政権では構造改革は無理というのはわかる話である。

ちなみに、上の記事での石原国交大臣とフクダ官房長官の発言だが、ほんとに破綻してる。「不正があったのかどうか」ということがすでに「疑惑」であり、「真偽を確認するだけの個別具体的な話はなかった」のなら尚更、ちゃんと調査して真偽を確かめるべきだ(「調査」というのは、真偽がわからないからこそ、それを明らかにするための行為である)。「こういう不正があった、という話」が現にあったのなら、それはもう疑惑ではなく、少なくとも藤井総裁に任意同行くらい願って捜査開始すべき「容疑」なんじゃないだろうか。以前にもここで書いたが、こういう「レトリック」でもなんでもない、ただの「言語破壊」は、政治という営みに対する根本的な愚弄である。よーするに、(民主・自由合併にぶつけて「解任」話をするという)選挙向けのウケを狙ってみたら、藤井氏が予想外に抵抗し、「イニシャルな人たち」(石原は、「イニシャルしか聞いてない」と今日の会見では言ってるが、最初の会見では「イニシャルや実名で」とはっきりいっていたことは憶えておこう)や、訴訟までちらつかせてきたもんだから、慌てて(火のある)煙を消しにかかったということなのだろう。策士、策に溺れる、とでもいいたいところだが、策とも呼べないくらい幼稚な姑息さだな。

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今朝は、調子に乗って朝まで仕事してたら、一眠りのつもりが、約束の時間に20分も遅刻。来訪者を待たせてしまう。申し訳ありませんでした。

2003/10/17

科学技術予算:ニュートリノ研究は最低評価 総合科学技術会議(毎日新聞:10月17日)
国の総合科学技術会議は17日、各省から提出された科学技術分野の来年度概算要求(198項目)について、優先順位付けをした結果を公表した。財務省が行う来年度予算案の編成に反映される。最優先すべきSランクには、国際熱核融合実験炉(ITER)や高速増殖炉「もんじゅ」の改造工事など32件が選ばれた。なぞの素粒子ニュートリノを人工発生させて性質を探る文部科学省の計画など16件は「見直しが必要」な最低のC評価を受けた。

ニュートリノ研究についての評価は致し方ないような気もするが、ITERともんじゅがSランクというのはアホかとおもうぞ。32件のうちの他のものも見てみないとわからんが、総合科学技術会議、独立性という点で全然機能してないじゃないのか?ちなみにニュートリノ研究で2002年度ノーベル物理学賞をとった小柴昌俊さんは、「国際核融合実験装置(ITER)の誘致の見直しの嘆願書」を、総理大臣、閣僚、衆参両院議長、青森県知事などに求めている。今回の評価結果って、図らずも(?)小柴さんへの報復みたいだな。

米大統領がイラク決議を歓迎 先制攻撃堅持の姿勢強調(朝日新聞:10月17日)
ブッシュ米大統領は16日、遊説先のカリフォルニア州サンベルナディノで演説し、国連安全保障理事会がイラクへの多国籍軍派遣や復興計画をめぐる決議を全会一致で採択したことを歓迎した。さらに「イラクを超えてテロとの戦いは続く」「私たちは再び攻撃される前に敵を攻撃する」などと語り、先制攻撃も辞さない構えで「対テロ戦」を継続する姿勢を強調した。 ……テロ対策については「この新しい戦いにおいて、米国は新しい戦略を用いている。米国はさらに攻撃されるのを待つことはない」と指摘。「米国や私たちの友人たちは、攻撃的であり続ける」として、今後も先制攻撃の構えを堅持する方針を強調した。

ただの基地外だな。(これ演説してる時、目がイッちゃってるのが目に浮かぶ。)

2003/10/6

寒くなってきたので、トップページを秋仕様に模様替え。こういうときスタイルシートは便利。

トップページのNoticeboardにいろいろ追加。「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律施行規則(案)」等に対する意見募集(パブリックコメント)とか、科学技術社会論研究会ワークショップ「公共技術のガバナンス:理論と事例分析」(11月1日@東大先端研)とか。前者は、小生も経産省の審議会委員として関わった法律の施行規則その他です。それと掲載してからだいぶ時間だったけど、遺伝子組換え農作物について考える市民会議「食と農の未来と遺伝子組換え農作物」パネリストの募集も、企画委員として関わってます。大学生・院生の皆さん、ぜひ応募してください。

ちなみに「遺伝子組換え生物等の…」の法律で面白いのは、実際の個々の遺伝子組換え生物(GMO)の認可審査の際にも、ハブコメを募るところ。いままでハプコメは、法律案に対しては慣行化してきてるが、法律を運用において、個々の審査案件についても募るのは本邦初の試み。そのGMOの環境影響等に関する情報を、特にそれが適用される場所や用途に詳しい人から広く集めるためのもので、科学的情報のインプットの回路をいわば「民主化」することによって、科学性を高める狙いがある(このようなことの必要性は、小生も委員としてけっこう強調したことだったりする)。まぁ、運用当初はなかなか情報が集まらないのかもしれないけど、長期的には制度の良い前例となってほしい。

先週末は、日本政治学会の研究大会に参加。「科学技術と政策(決定)過程」という分科会で、「バイオセイフティと国際関係—科学技術ガバナンスとしての争点と課題」というお題で喋った。始まる前は「(セッションの時間が)2時間半は長いなぁ」と思っていたが、実際は、ほとんどはコメンテーターの質問に答えるだけで終わってしまったので、フロアとのやり取りのために「あと1時間くらいあっても良かったかも」と思うくらい、面白かった。少数ながらピックアップされたフロアからの質問には、母校ICUの西尾隆教授からのものも。分科会終了後、あいさつしたとき、「ICU卒らしい報告でしたね」とのコメント(?)を頂く。いったいどこがそうだったのだろうとも思うが、なんだか嬉しい気分になるコメントでした。

2003/9/22

すがすがしい秋晴れとともに、とうとう後期が始まってしまった。自分の授業はまだ明後日からなので、それほどではないが、夏休み中とは別の意味で忙しい日々が始まるかと思うと鬱。。

昨夜の詐欺メールの件は、その後の2ちゃんねるの展開にあるように、メールが経由してきた(スパムの踏み台にしてきた)サーバー所有(これはメールのヘッダーからすぐわかる)のプロバイダに2ちゃんねらーが連絡し、その返事が返ってきてる。「犯人」の特定まではいかないまでも、とりあえず発信元が、大阪市内の「まんが喫茶」が使用している固定IPアドレスの回線とまでは判明したようだ。

ところで2ちゃんというと、ここんところ熱く(笑)見守っていたのは臨時地震板。『週刊朝日』やテレビニュースでもちょびっと報じられたりしていたから、知ってる人も多いと思うが、とある民間の地震前兆現象研究者が、9月16-17日±2日に南関東でM7.2クラスの大地震が来るかもしれない兆候が観測されたという情報を発信した。その詳しい話の流れは、とりあえず2ちゃん有志の「まとめさん」が作ってくれてるまとめサイト2ch@臨時地震板がまとまっている。月に4〜5回は東京に出張してて、ちょうど先々週末(11日〜13日)も東京にいた漏れ的には、これまでもこの研究者の予測はけっこう的中してるという話もあって、「まさかなぁ」と思いつつ、割と気にしてしまいました。

2003/9/21

さきほど下記のような、いわゆる「債権回収詐欺メール」ってやつが、とうとう私のところにも来ちゃいました(笑)。みなさんにも届くかもしれませんので、ご注意ください。

ちなみに、この手の詐欺メール、最近いろんなパターンで頻発しているようで、政府の「国民生活センター」や、「京都市市民民生活センター」でも、注意を促しています。債権回収業者というのは法務省が認可したものしかなく、その他の債権回収業者は全て偽者(詐欺)だそうですので、みなさん気をつけましょう。

また、この手のことは、なにはともあれ"2ちゃんねる"で 情報収集するのがいいので、調べてみたら、やはり「ネットwatch」板に、次のスレッドがありました。

【架空請求!!】債権回収詐欺・・・Part2【被害多発!!】
http://ex.2ch.net/test/read.cgi/net/1060314133/l50

小生のところにきたメールと同じもの(DATA管理番号:BL56485ってのもみんな同じで、芸なさすぎなのが笑える)は、発言番号235番以降にあります。これを見ると、この詐欺メールは今日初登場の「新顔」みたい。なお、2chのこのスレでも書かれてるが、この業者(ま、架空なんだろうけど)が使っている会社の住所(大阪市浪速区元町2-8-4)にあるのは「難波レジデンスビル」という雑居ビル。「404」というのは部屋番号なんだろうけど、ふつうこんな番号は欠番だから、明らかに偽造住所。(ネット世界でいうと「Eror 404: Not found」ってことでもある。)またメルアドのドメインdkc.comは、「データー管理センター」の独自ドメインのようにも見えるけど、".com"っていったら、ふつう米国企業ドメイン(日本はco.jp)だし、実際IPドメインSEARCHで調べてみると、NETWORK SOLUTIONS, INC.というネットワーク・サービス会社のが出てくる。(ちなみにさっき一時間くらい前に検索した時は、"Chan, David K"とかいう管理者名のデータが出てたが、今やった検索結果では「検索が一時期に集中したため先方のNICが一部のデータしか送って来ませんでした」というメッセージも出てきたので、おそらく同じ詐欺メールを受け取った人が大勢押しかけているのだろう。)

※9/22追記:改めてIPドメインSEARCHでdkc.comを検索したら、DKC Communications Inc. という名で登録されているDan Klores CommunicationsというニューヨークのPR会社(広告代理店だな)だった。"Chan, David K"はそのサーバーの管理者名。

とりあえず、警察に通報してあぼーんしてもらおう。(とりあえず「京都府警察ハイテク犯罪対策室」に連絡すればいいのかな?近所の警察署でもいいんだろうか?)

From: info@dkc.com
Date: Sun, 21 Sep 2003 22:55:48 +0900
Message-Id: <200309211355.h8LDtm0p007254@host7.kinet.or.jp>
Subject: 《大至急御連絡致します》必ずお読み下さい
To: hirakawa@kyoto-wu.ac.jp
MIME-Version: 1.0
Content-Type: text/plain; charset=ISO-2022-JP
Content-Transfer-Encoding: 7bit
X-Mailer: Mail Distributer
Reply-To: info@dkc.com
X-SPAFILTER: message

DATA管理番号:BL56485

弊社は信用調査会社様からの依頼に基づいて料金支払遅延者のデーターを一括管理し
ているDKC(データー管理センター)と申します。
この度は貴殿が使用されたプロバイダー及び電話回線から接続された有料サイト利
用料金について運営業者より利用料金支払遅延に関してブラックリスト掲載要請を受
けました。
これまで貴殿の利用料につきましてはコンテンツ事業者および債権回収業者が再三
のご連絡を試みて来ましたが未だご入金がなくまた誠意ある回答も頂いておりません。
以上のような理由から信用調査会社を経由して弊社に貴殿の個人情報を利用料金支
払遅延者リスト(ブラックリスト)掲載要請が弊社に届きました。
貴殿の情報に関しましては既にメールアドレス(フリーメール含む)およびIPから、
プロバイダ・ISP業者から情報開示を受け、貴殿の住所、氏名、勤務先等の情報は判
明しております。
利用料金支払遅延者リスト(ブラックリスト)に掲載されますと、各種融資・クレジ
ット契約・携帯電話の購入および機種交換他、貴殿の日常生活における信用情報に今
後大きな支障が発生する可能性があります。
付きましてはコンテンツ事業者および債権回収業者ならびに顧問法律事務所とも協
議の結果、次ぎの通り最終和解案を決定いたしましたので通知いたします。

合計支払金額:60000円
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■和解金:       50000円
■事務手数料: 10000円
=====================
■■合計金額: 60000円
---------------------
■送付方法:電信為替(電信為替居宅払もしくは電信為替証書払)
  今回の入金受付は郵便局の電信為替のみです。
  それ以外の方法では一切受付しておりません。

■送付先:株式会社データー管理センター
          〒556-0016 大阪市浪速区元町2-8-4-404

■担当:井上正孝

■支払期限:上記宛に平成15年9月24日(水)必着で送付して下さい。
電信為替の送付方法に関しましては http://www.yu-cho.japanpost.jp/s0000000/ssk00000.htm を参考にして下さい。
詳しくはお近くの郵便局で確認して下さい。
なお、郵便局で発生する送金手数料は貴殿の負担とさせて頂きますので御了承下さい。

入金確認後、延滞情報リストから貴殿に関する全データーを削除し、株式会社デー
ター管理センター保管の債権譲渡証明書、内容証明書等の書類一切を抹消させて頂き ます。

ご入金して頂けず、このまま放置されますと最終的に各地域の事務所から数名の集
金担当員が御自宅および勤務先まで訪問をさせて頂きます。
またその際に掛かります費用・調査費用・交通費等の雑費は別途回収手数料も合わ
せてご請求させて頂きます。
また場合によっては裁判所を通じた法的手段にて強制執行による給料差押え等を含
めあらゆる手段対で応させて頂く事となります。

尚、これは最終的な勧告であり、また、弊社人員の対応による時間的損失等の理由
からメール・電話・FAXでのお問い合わせは受け付けておりません。
また、メールアドレス相違、郵便事故、その他いかなる事由により今まで連絡が取
れなくなっていたにせよ、それは弊社に起因するものではなくお客様の責任によるも
のです。
円満な解決を望むならば支払期限までに大至急入金をお願いします。

※注意事項(1)
  管理番号で全ての管理を行っております。
  送金の際は氏名および管理番号の記載をお願い致します。

※注意事項(2)
  本メールは送信専用アドレスより配信されています。
  このメールに返信されてもお返事は届きません。

※注意事項(3)
  昨日までの時点でご入金の確認が取れない方にお送りしております。
  もし行き違いに入金済みの場合はご容赦下さい。


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     株式会社データー管理センター
 〒556-0016
       大阪市浪速区元町2-8-4-404
       担当:井上正孝

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2003/9/20

総裁選は、マスコミの読みどおりコイズミ圧勝。それは自民党の泥沼を示すと同時に、他方でわれわれ選挙民の政治認識の低さも示しているのだろう。青木氏や村岡氏をはじめとする、明らかに政策面ではコイズミと対極の勢力がコイズミ支持に回ったのは、やはり来たる総選挙を視野に入れた行動だろう。「コイズミじゃないと自民党は勝てない。」それは裏返せば、相変わらずの小泉政権の支持率の高さと、それに示されている選挙民の認識の甘さを意味している。(まぁ、選挙民からすると、「コイズミの他に選択肢がない」という、ある意味どん詰まりの日本の政治状況があるんだが。。。)

ところで「改革」ということで思い出したが、経産省の審議会委員として小生に声をかけてくださった(当時)若手官僚の福島のぶゆきさんが、衆議院茨城一区から次の選挙で出馬する。実は7月くらいに、まったく別件でググッてたとき、偶然そのニュースを知ったのだが、先日大学に行ったら、後援会のお知らせが来ていた。昨年、経産省から内閣府構造改革特区推進室に移って、今年4月からスタートした「構造改革特区制度」の立案と実現に携わっていたそうだ。以前には資源エネルギー庁で電力・ガス事業制度の改革にも携わったこともあり、ウチの同僚の飯田哲也氏とも関わりが深いそうだ。

構造改革特区制度は、一面ではいわゆる規制緩和(de-regulation)でネオリベ路線の傾斜があるが、他方でその理念の核心は、地域が国の規制や政策的・制度的・法的枠組みに縛られず、自由な発想と独自の努力で地域社会の活性化の社会実験をやり、それをビジネスモデルやポリシーモデルとして示していくための適切な「規制改革(re-regulation)」ということにあると思う。それを、住民参加に基づく民主的なアプローチでうまく活用すれば、地域のイニシアティヴで、農業、教育・社会福祉、経済・産業の面で、良い方向へもっていけるに違いない。小生が興味を持っている食・農分野でいえば、兼業化と高齢化が進む日本農業の新しい担い手として、営利を目的としないNPOや中間法人を、地域の生産者と消費者が協力して設置してみるなんていうのもできそう。そこで、アルバイト登録で、若い人が農業体験プラス援農なんてのもできるし、雇用創出にもつながるかもしれない。(実際、こういうのは株式会社としては始まっている。株式会社という形式では、たとえば未来バンクのようないわゆる「社会的責任投資(SRI)」の事業とのカップリングも考えられる。さらに、これは営利・非営利どちらでもいいが、「京野菜」のような地元ブランドの復権・開拓を料理面でも地元レシピの復権・開拓と組み合わせて「社会的責任消費」を促していくというのもある。)また、大規模小売店進出による地元商店街の衰退という問題にしても、地元商店街の復権・発展を目指した特区事業を打ち立てて、大規模店進出を規制していく(あるいは小規模小売店の支援をより手厚くしていく)ということだって、国の枠組みを離れてできるかもしれない。(ちなみに大規模小売店規制の緩和策は、出元は米国資本の日本市場進出をすすめたい米国政府だったりするから、農業分野以上に、もろに新自由主義的グローバリゼーションの圧力にさらされちゃうのだが。)昨日も書いたが、国家と市場、規制と自由は組み合わせの妙であり、その加減を模索する社会実験として、構造改革特区制度というのは、どんどん市民の側から活用していくのが楽しいに違いない。

そういう意味で、民主党に福島さんのように、自民党年寄り議員のような利権のしがらみもなく、新しい日本に向けての政策立案に直接携わった有能な若手が加わっていくのはとても面白い。一月くらい前に読んだ読売新聞によると、次回の選挙では若手官僚が(自民党ではなく)民主党から出るケースが他にもけっこうあるそうだ。それがある意味行き過ぎて、たとえば自民党がやってきた(後ろ向きかもしれないが短期的には有効な)農業保護が手薄になって、新産業創出とか、へんな色気にまどわされたものに突っ走っちゃう危険もあるが、しかし、期待はしたい。福島さん、(ホームページでも述べてるように)地域社会に活力を与え、本当に輝かせる、まともな構造改革を実現できるよう、陰ながら応援します。

ちなみに、オルタナティヴな経営体として「非営利中間法人」を創ろう、っていう話は、『戦争をしなくてすむ世界をつくる30の方法』(合同出版、2003年)の「今の企業を非営利中間法人にしてしまおう」という章で、未来バンク理事長の田中優さんが書いてるので、ご一読を!

2003/9/19

トップページのNoticeboardに、2003年度科学技術社会論(STS)学会の年次研究大会のお知らせを掲載。先週頭からあれこれ調整して、ようやくプログラムが確定(私はプログラム委員長だったりする)。

ところで明日は自民党総裁選投票日。マスコミの予想通り、コイズミ圧勝になっちゃうんだろうか。それ自体、非常に暗澹たる気持ちになるのだが、この一連の選挙戦で一番イヤな気分になるのは、なんといっても報道。どのニュース番組やそのなかでの候補者出演コーナーを見ても、常に話題は「票読み」と「派閥抗争/ポスト争い(いわゆる「毒まんじゅう」問題)」の話ばかり。せっかく、コイズミ以外の候補(特に亀ちゃん)が「政策、政策」っていって、政策論を喋りたがってるのに、一向に話題はそっちに移らない。そりゃね、今まで自民党といえば、少なくともわれわれ一般国民からみると、総裁選にしても議員選挙にしても、派閥力学ばかり目に付いてたし、今回のだって基本的にはそうなんだけど、でも、「政策論かポスト争い/派閥論か」という切り口を候補自ら出してきたのは、新しいんじゃないだろうか。

とりわけ重要なのは、亀井氏や、あるいは引退宣言した野中氏——彼こそこれまでの自民党の派閥政治の権化ともいえるが、それは置いておくことにして——が訴える「このまま日本を(アメリカみたいな)弱肉強食の社会にしていいのか、地方切り捨て、弱者切捨てのコイズミ『改革』でいいのか」というコイズミ改革の「ネオリベ(新自由主義)路線」の問題。もちろん民営化が必要なところはいくらでもあるし、こと郵政民営化については、(もちろんすべてではないが)無駄金使いの特殊法人や公社公団に融資され、民間ならとっくに不良債権化してるはずの財政投融資システムにメスを入れることにつながっていて、簡単に否定できないものではある(他に財投問題を解決する方法があればいいのだが)。しかし、その一方で、医療保険や年金の「改革」は、本人負担を増やす一方で、確実に経済的弱者の生活を困窮させている。リストラによる失業者やホームレス、あるいは自殺者も増加の一途を辿っている。ここのところ株価上昇で、コイズミ政権は「改革の成果が見え始めた」というのかもしれないが、それも怪しい。結局、短期資本による「日本株の安値買い」で、外資(とくに米国資本?)の草刈り場にされている恐れはないのだろうか。あるいは地域社会を見れば、大規模店舗規制の「規制緩和」で、簡単に大規模店舗が進出できるようになる一方で、昔からの地域の商店街が押しつぶされていくのは、果たしていいことなのかどうか。あくまで国家と市場、規制と自由は組み合わせの妙であり、どちらか一方に偏りすぎる原理主義(左は社会主義・共産主義、右は市場原理主義のネオリベ)もうまくいかないはずだ。「痛みなくして改革なし、改革なくして景気回復なし」とはいうが、結局、多くの国民にとっては「痛み」ばかりなんじゃないか。低位平準化、底辺への競争まっしぐらなんじゃないのか?(もちろん改革路線そのものが潰えて、昔ながらの土建政治に戻っちゃうのは断じてごめんだけどね。)

ちなみに毎日新聞が9月6日に報じた「消費生活調査:国民の所得格差が顕著化 3.07倍に拡大」によると、「内閣府の外郭団体、家計経済研究所がまとめた02年度の『消費生活に関するパネル調査』によると、世帯間の最低所得層と最高所得層の格差は、94年の2.82倍から02年は3.07倍に拡大、国民の所得格差が顕著化していることが分かった」、「格差は、不況で最高所得層の所得が減少したために96年に2.71倍に縮小したが、その後最低所得層の伸びが鈍り、格差は再び拡大した。中位所得階層と最低所得階層との格差も1.65倍から1.75倍に拡大した」そうだ。

コイズミ改革で、この格差拡大は逆転するのかどうか、痛みの先に本当に「約束の地」はあるのかどうか。そろそろマスコミもそこんとこ厳しくコイズミに問いただし、総裁選でも政策論争を徹底的にやらせ(ほんとうに政策という名に値する政策が各候補にあるかどうか、亀井氏がいう「弱者」が偽装した強者じゃないかどうかとかも、それではっきりしてくる)、そこにフォーカスすべきじゃないか?よく「マスコミが日本の政治を悪くする」という言葉を政治家が口にするのを見聞きするが、この件に関しては心底そう思うぞ。

推薦文献:内橋克人『もうひとつの日本は可能だ』、光文社、2003年。

2003/8/1

今日から8月。昨日までとはうって変わって、今日の京都は蒸し暑い。

ここ数日、先月29日に農水省が発表した「生鮮・冷蔵牛肉に係る関税の緊急措置(セイフガード)の発動」をめぐる一連の報道に、とてもムカムカしている。農水省の措置にではなく、報道の論調に、である。どのチャンネルのどのニュース番組を見ても、「お上が杓子定規に勝手なことをやっている」、「BSEで、農水省は消費者重視に政策転換したといいつつ、結局は消費者泣かせ、生産者重視じゃないか」、「せっかくBSEショックから立ち直りつつある牛肉消費や外食業界に大打撃」とか、そんなのばかり。

まぁ、確かにね、短期的かつ近視眼的に見たら、今回の措置はひどいのかもしれない。BSEでも問題になった一部政治家の影響力みたいなものもあるのかもしれない。収益を失う人たちもいて大変だろう。でもさぁ、牛食べるのって、そもそもそんなに「善い」ことなのか?なにやら「社会正義」みたいなものまでちらつかせながら守らねばならないものなのか?そのへんって、全然考えてないでしょ、あんたら、と思ってしまう。

世界の穀物生産量は、実は全人口を養うのに十分な量があるのだが、そのうち約4割は家畜の飼料用である。なかでも牛は、1kgの肉を生産するのに、トウモロコシ換算で11kg、日本人の好きな霜降り肉だともっと多くの穀物を消費する(注)。人々がより多く牛を食べれば食べるほど、より多くの穀物が家畜飼料として消費され、その分、人間の取り分が減ったり、生産のための農地が必要となる。よく、遺伝子組換え作物の「有用性」を正当化する話として、「これ以上の農地の拡大は森林破壊などにつながるため、できない。だから遺伝子組換え作物で単位面積あたりの生産量を増大させるのだ」といわれるが、農地を足りなくさせている原因の一つが実は「過剰」な牛肉消費(牛ほどではないにしても豚もそう)なのだ。そして、たとえばブラジルのアマゾンの熱帯雨林が伐採されてどんどん森が失われているのも、安いハンバーガー等のための牛肉生産用の放牧地や、飼料となる穀物(とくにブラジルは大豆)のための農地の開墾のためである。牛食いは環境破壊に直結しているのである。

(注)農林水産省『平成14年度食料自給率レポート』によると、畜産物1kgを生産するのに必要な穀物量(トウモロコシ換算)は次の通り;
   牛肉 … 11kg、豚肉 … 7Kg、鶏肉 … 4kg、鶏卵 … 3kg

「過剰」な牛肉消費による環境破壊は、アマゾンだけの話ではない。日本のメディアと同様に今回の政府ガード措置に文句をつけているのが輸入牛肉の主たる生産国アメリカだが、その一大穀倉地帯である中西部では深刻な水不足がじわじわと進行している。もともと降水量の少ないこの地域では、ロッキー山脈を源として何万年かかかってたくわえられた地下水をくみ上げて農業用水にしてきたが、ここ半世紀くらいの穀物の「過剰」生産によって地下水位が低下しつづけ、以前なら数十メートル掘れば水が出たところで、現在では地下300メートルとかまで掘らないと水が出てこなくなっているというのだ。それほど遠くない未来には、深刻な水不足によって現在のアメリカ農業は維持できなくなるのは必至である。そして、アメリカ人はもちろんのこと、日本人がアメリカから大量に牛肉を輸入したり、あるいは家畜飼料として穀物を大量に輸入しつづけることは、アメリカの人々の未来から水を奪いつづけることに等しいのである(こういう食料を通じて輸入される水を「バーチャル・ウォーター」といい、日本はその量が大変多く、1998年の値で年間439 億トン、日本の生活用水(164 億トン)の2.7 倍もの量になる)。これは、牛肉消費に限らない、日本の食糧の過剰な外国依存体制、裏返せば極端な自給率の低さによるものであり、特に日米関係のなかで戦後一貫して続けられてきた農業貿易自由化、食・農のグローバリゼーションのツケである。先月末にモントリオールで開かれたWTO(世界貿易機関)の非閣僚会議、そしてその本番の今年9月半ばのメキシコ・カンクンでのWTO閣僚会議の最大の焦点が、実はこの農業貿易自由化交渉だが、とにもかくにも自由化をおし進めたいアメリカ政府のポジションは、中長期的には自分の首を絞める行為である。そして日本は、その貿易パートナーとして、ますます罪深い共同正犯になり、また、アメリカ農業が維持不可能になったときには、真っ先に食糧危機に陥る国である(いや、将来的には中国のほうが悲惨かもしれない)。

要するに、ここ数日の報道に欠けているのは、そもそも日本の(そして世界の)牛肉消費量は「過剰」であり、それが人類社会と自然環境に対して非常に持続不可能で破壊的なものだという認識である。ニュース23では、筑紫哲也が、一方では、番組の特集で「スローライフ、スローフード」なんていっておいて、今回の件では「農水省はけしからん」なんて多事争論でコメントしていたのなんかは笑止千万である。必要なのは、もっと牛肉(豚肉なんかも含まれるが)の消費抑制のための「食・農・畜産の構造改革」であり、そのなかで牛肉は、かつての日本でそうだったように、「ぜいたく品」となってしまえばいい。少ない消費でも生産者やフード業界がちゃんと利益をあげられるちょうどいい値段あたりで落ち着かせ、食生活の環境負荷を下げねば、飢餓問題も緩和されないし、やがては自分の食生活を破壊してしまうことにつながる。農水省がこんなことまで考えているとは夢にも思わないが(もちろん個人では、そういう問題を憂う役人はいるかもしれないが)、BSE後が「異常」なのではなく、もともとの状態が異常で持続不可能だということをちゃんと認識していなくちゃいけない。

ちなみに我が家では、もともと牛肉はほとんど食べない(最近は肉自体ほとんど食べてない。)そして、本当に美味い牛肉なら、今の値段の数倍払ってもいいと思っている。

2003/7/26

「イラク復興支援特別措置法」—実態は限りなく「米軍線量支援特別措置法」—が今朝未明にとうとう可決・成立してしまった。昨夕の参議院外交防衛委員会での乱闘含みの強行採決(大仁田厚はこういうときのための人材だったのかと思ってしまった・・・)や、一連のコイズミ首相の反論理的で、レトリックとしても全くメチャクチャな答弁にも象徴されるように、この国の「政治」というのは、「言論の府」ともいわれる議会の場において、言葉の力を破壊することだけのために存在しているようだ。憲法との整合性や、米英のイラク攻撃の正統性の議論すらすっ飛ばしてしまうその行為は、言葉、論理、法——この国はどうやら法治国家ですらないらしい——そして政治というものに対する根本的な侮辱である。

詭弁というのもおこがましいような空疎な戯言の羅列を首相が堂々と発し、「これはいい答弁だと思いますよ」なんていっていいながら「数の力」だけで重要な法案が可決してしまうこの国には、もしかして議会制民主主義なんていう統治の形式は、似合わないんじゃないかとすら思えてくる。いったいこの国にとって議会というのは何なのか?行政がちゃんと民意を汲み取る仕組みと、それに相応しい資質をもった役人を増やすほうが、よっぽどこの国を良くすることにつながるんじゃないか?そんなふうにも思えてくる。ちなみに以前、霞ヶ関のとある役所でリスクコミュニケーション関係の話をしていたとき、コンセンサス会議など参加型テクノロジーアセスメントが、日本では行政が行っているのに対し、欧米では議会が行っているという話をしたら、お役人の一人が、「日本では考えられませんねー」というようなことをいっていたのを思い出した。

それにしてもイラクに自衛隊を送り出すとなると懸念されるのは、自衛隊員が、(事実上の)「占領軍」の片棒を担ぎ、第二次世界大戦後初めて他国民——たとえそれが病院を襲ったりする「犯罪者」であっても——を殺害したり、反対に、現在の米軍と同様にゲリラの攻撃対象になったりするという事実の成立だけではない。バグダッドに限らず今回は、都市部でも大量の劣化ウラン弾が使用され、放置されている。湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾の影響と推定されているイラク国民や米軍帰還兵士の被害はすでに深刻で、(米英政府の公式発表以外は)世界の知る事実の一つだが、今回もすでに兆候があるらしい。劣化ウラン研究会の山崎久隆氏があちこちのメーリングリストで流してくださった情報を下記に転載しておこう。自衛隊員もこの劣化ウラン弾のリスクに晒されるのだ。(もちろん米英軍の兵士たち——多くが、それほど裕福でなかったり貧しい家庭や、移民家族の子女だったりする——も悲惨である。彼らやその家族は、実は劣化ウラン弾のリスクについて知らされていないし、軍も何ら対策はしていない。そして何より一番悲惨なのは、その土地にずっと住みつづけなければならないイラク国民である。人類文明の発祥地の一つで、人類文明の皮肉な到達物(=劣化ウラン弾や他のハイテク兵器)によって犯された愚行。その「責任」は、根本的にはなんといってもブッシュ大統領、ブレア首相、そしてコイズミ首相をはじめとする最高責任者たちにこそある。確かに、ミクロに見れば、イラク国民と米英兵士(そして近い将来には自衛隊員も)は、被占領民と占領軍、被害者と加害者の関係にある。しかし、よりマクロに見れば、戦場に送られる米英兵士や自衛隊員もまた、結局のところは、戦争の「大義」とは無関係なところで私腹を肥やし政治的野望を果たそうとする愚者たちの被害者である。絶対に劣化ウラン弾も飛んでこず、クラスター爆弾の不発弾を誤って踏むこともない場所で安穏と人の生き死にを左右しているアンタらこそまず、その手で劣化ウラン除去作業を行うべきである。)

米軍兵士に奇病発生、そして犠牲者も (山崎久隆@劣化ウラン研究会)
 91年湾岸戦争の後に、「湾岸戦争症候群」という病が帰還兵士やその家族(子ども)に多発しました。始めて劣化ウランが注目されるようになったのは、その原因物質として疑われたからでした。しかし米軍はそれを認めていません。
 1999年のNATO軍によるコソボ空襲後に、同様の病がイタリア、フランスなどから派遣されたコソボ平和維持部隊(KFOR)から出始め、ガン死する兵士もいたことで、今度はヨーロッパが震撼しました。それを受けて欧州議会において劣化ウランの使用中止決議が採択されたのです。
 イラク戦争でも大量の劣化ウラン兵器が使用されました。その結果何が起きるか。もちろんイラクの人々に最も重大な影響を与えることは、91年湾岸戦争後に激増したガンや白血病などで明白なのですが、米軍は依然として「環境や人体に重大な影響はない」と主張しています。
 おそらく最初にクローズアップされる犠牲者は米英軍、あるいは「支援部隊」として入っている各国の軍隊からでるだろうと予想されます。その一端であるかもしれない報道が、米国とサウジアラビアから期せずしてほぼ同時に流れました。
 二つの記事を抄訳してお伝えします。これが始まりであるとしたら、どこまで悲劇は繰り返されるのでしょうか。そして自衛隊員も無防備のまま派遣されるのでしょうか。


謎の病気がミズーリ出身兵士を殺す
 スプリングフィールド・ニュースリーダー紙
 エリック・エッカート/ニュースリーダー・スタッフ
 2003年7月16日

ジョシュ・ノイシュは土曜日に死亡;家族は回答を待っている
 17歳のジェイコブ・ノイシュは、兄の持ち物を整理しながら火曜日の朝を過ごしていた。高校時代のユニフォームや優秀選手賞のジャケット。「ジョシュが埋葬されるときに一緒に入れられるのさ」とユニフォームを見つめて語った。
 ミズーリ州軍特技兵ジョシュ・ノイシュ20歳、彼は土曜日にドイツのハンブルグ病院で謎の病のために死亡した。第203工兵大隊に所属していた彼の死は、国防総省の死傷者リストで唯一のミズーリ州出身者である。彼の遺体は、木曜に家族と友人たちが待つ米国に到着する予定だ。
 家族たちは検死結果を待っている。そして両親のマークとシンディ・ノイシュは調査を要求している。
 「彼はこれまでずっと健康だったんだ」と、マーク・ノイシュは言う。「なんてこった。彼はクロスカントリーの選手だったんだ。健康な男がそんなに急に悪化するわけがない。」
 シンディー・ノイシュは、彼女の息子がバグダッドにいた7月2日、急に倒れてドイツに緊急空輸されたと語った。
 医者はそこで家族に「ジョシュの肺には体液が溜まっており、そのため肺炎で苦しんでいるようだ。」と伝えた。けれどその時の彼の肝臓、腎臓、筋肉は、衰弱していたと母親は語った。
 彼女は涙を流しながら「医師たちは、腎臓から体液を排出しようと試みていました。カリウムレベルが上昇しているので、腎臓透析が必要だと、私たちに言いました。」
 家族が到着したときには、彼は薬により昏睡状態にあった。悲嘆にくれている両親は、息子と話をすることはできなかった。しかし両親は、そこに居たことを息子が気づいていたと信じている。
 「私たちは心で、彼が聞いたと感じました。」と、シンディが言った。「あなたにも分かるでしょう。彼につけられた機械。私たちが息子に話しかけたとき、彼の心臓の鼓動が早くなったんです。」
 ジョシュ・ノイシュは次の日に死んだ。
 医師と家族たちは、今でも奇妙な病気に混乱している。説明がなければならないと、マーク・ノイシュは言った。
 彼は病院の検死結果が原因を究明することを願っている。
 「ドイツを離れるときに、彼の体内に何らかの毒素が入ったと医師が言ったことを、私は知っている。」と、マーク・ノイシュは言った。「私たちがそこに居たとき、数人の兵士が同じような症状を呈していたんだ。」
 これまでのところ、公式調査が行われる気配はない。
 「調査中ではない」と、バージニアから来た米陸軍報道官ジェフ・キーン中佐は言った。「私が知る限り、我々はそれ(調査)をするよう求められてはいない。」と、米下院議員アイク・スケルトンのスポークスマンであるホウィットニー・フロストが付け加えた。
(訳注;アイク・スケルトンはミズーリ州選出の民主党下院議員)

原文 http://www.informationclearinghouse.info/article4130.htm


イラクの米軍兵士に謎の病気がつきまとう
 イスラムオンラインネット&通信社
 2003年7月17日
NATO・北大西洋条約機構の専門家は、米軍兵士が苦しんでいる謎の病の原因は劣化ウランにあるとした。
バグダッド−7月17日
 いろいろな謎の病気が、バグダッド空港周辺の米軍兵士の間で報告されたと、NATOに近い軍の情報源が明らかにした。
 7月17日付のサウジアラビアのアル−ワタン紙は、匿名の情報源の発言を引用し、バグダッド空港周辺に配置された米軍兵士の間で、謎の発熱、かゆみ、皮膚にできる傷と茶褐色の斑点といった症状を見せ始めたと報じた。これらの症状を見せた3人の兵士が、イラクの病院では治療を施すことができなかったので、ワシントンで薬物療法を受けるために空輸され、事実を大衆から隠すために、米当局者によって報道管制が引かれているという。
 謎の病気はムチ打つような太陽光線にさらされたことが原因で、アメリカ人は次々に症状を訴え、使い物にならないと彼は付け足した。
 米軍当局者は、症状に対して説明を思いつかなかった。しかしNATOの専門家は、バグダッド空港を防衛するために配備された共和国防衛隊に対して使われた、B2爆撃機の誘導爆弾による強力な放射線に被曝した結果と信じている。
 軍の情報源は、この症状は、米兵が際限なくイラクに残留するということが、米国当局者により発表された後に、兵士の間でパニックと怒りの不安により引き起こされたことを強調した。
 NATOの専門家がイラクの放射性物質による汚染を測定した結果、次の世代にまで被害をもたらすかもしれない、人間と環境に対し破壊的な影響を与える汚染水準にあることを確認したという。
 軍の情報提供者によれば、米英軍が使用した劣化ウラン兵器は、91年湾岸戦争の5倍以上に達すると断言したことを、4月25日付けの英国オブザーバー紙は引用している。

原文 http://www.islam-online.net/English/News/2003-07/17/article03.shtml

2003/6/27

Worksのリストに、『現代思想』2003年7月号に掲載の「リスク、不確実性、悲劇性 — 科学主義的リスク言説が置き去るもの」を追加。いろいろもっとしっかり書きたいポイントもあったのだけど、締め切りを大幅に超過してタイムアウト。なんだか情けない気分と、編集さんにとってもすまない気分で脱稿したもの。いかん、いかん!ちなみに、これを書くためにあれこれ資料収集しているときに見つけたRobert C. PirroのHannah Arendt and the Politics of Tragedyが、昨日Amazonから届いた。夏休みの課題図書1号はこれかな?

明日から一週間、ボストン(正確にはその隣のケンブリッジ)に出張。ハーバードのJ.F.ケネディ行政大学院で、Sheila Jasanoffの主宰で行われるScience and Democracy Networkのワークショップに参加するため。ベルリンの高等研で開かれた昨年の会も、ワークショップの中身としても、一足早いサマーバカンス的な気分としても最高だったが、今回もなかなか充実したものになりそう。おまけに今回は自分の発表はなしなので、その面でも気分がいい(笑)。飛行機の予約が遅かったため、往路はビジネスにアップグレードできず、明日はなかなかしんどい旅路だが、3年ぶりのボストンはとても楽しみ(イタリア人街もあるし、ボストンは食事が美味い)。あとは合衆国独立記念日の7月4日を前にして、テロが起きないことを祈るのみ。(しかし、ボストンは好きな街だが、アメリカでお金を使うと、それに含まれる税金の何割かが軍事費に回って、国家テロに使われるかと思うと、少なくともブッシュ政権の間はアメリカには行きたくないというのもあるのだが。。。)

2003/6/20

今年の梅雨は、例年と比べると、割としっかり雨が降って、梅雨らしい梅雨という感じがしている。

とはいえ、今日は(これはちょっと梅雨らしくないかもしれないが)台風一過で、梅雨の中休み。とくに出張で行ってた東京は、熱いわりに湿度は低く、熱さの心地いい感じの夏日でした。東京駅から出張先の霞ヶ関にタクシーで向かう途中、皇居側の公園の芝生で、昼寝したり日焼けしてる人がたくさんいて、ちょいとうらやましかったり。

ちなみに今日の用件は、経産省でやってた「社会と技術研究会」の出版企画の編集会議。「日本におけるレギュラトリー・サイエンスの確立」をテーマにしたもので、城山氏(下の2003/6/19の日誌参照)も含めたSTS系の研究者と、経産省を中心とした役人の共著本です。本のコンセプトの基本軸は、一方では「規制政策は、しっかりと科学をベースにしなくちゃいけない。今までのように利害調整と混同させちゃいけない」としつつ、それと同時に「リスクの問題は科学だけでは決して解けない。広く社会、一般市民に開かれた双方向的なコミュニケーションや合意形成が不可欠」であるとして、制度作りや人材教育、アカデミズムの意識改革などなどを提言するというものです。どの章も面白いのだけど、とくに役人のメンバーがそれぞれの担当の規制政策について書いた事例編は面白い。なかには「こんなことまで書いていいんですか?」なんてところも(笑)。このまま順調に行けば、秋には発売予定。絶対必読の一冊になるはずなので乞うご期待!

今日は更新はなし。

2003/6/19

Worksに、先週日曜日の日本公共政策学会2003年度研究大会・第15セッション「環境問題におけるリスク・コミュニケーション」での発表レジュメ「不確実性・価値・公共性をめぐるリスクコミュニケーションの諸問題 — リスクガバナンスの非公共化に抗して」(PDF347KB)をアップ。このセッションでは他に、吉川肇子さん(慶応大)の「リスク・コミュニケーションとは、どのような考え方なのか」、酒井伸一さん(国立環境研)の「残留性化学物質の環境移動とリスク解析の試み」の報告があったが、それぞれとても興味深く面白かった。特に酒井さんのは、実際のリスク解析の話で、サイエンスの話としても、PCB問題解決の政策史や、リスク比較やコスト配分の話などレギュラトリー・ポリシーの話としても面白かった。質疑応答は時間延長して昼休みまで食い込んでしまったけど、司会の城山英明氏(東大)のあざやかな論点整理のおかげもあって、これも楽しめました。

セッション終了後は、城山氏と、彼の大学の後輩で専修大教員の藤田由紀子さん(二人はともに行政学)、STS仲間の綾部広則氏(産業総合研究所)と、昼食とりながら、新しい研究プロジェクト<日本のリスクガバナンスの実証研究(仮)>の作戦会議。日本でのリスクガバナンスの実際を、いくつかの事例をもとに、サイエンスの部分からポリシー・メイキング、そこでの審議会の機能まで含めて、学際的に調べてみようというもの。われわれ四人もまだまだ若手だが、とくに大学院生やポスドクくらいの若い人たちを中心に、あちこちから集まってもらおうと考えてます。興味がある方、ぜひ連絡ください。

ちなみに今年は、2月の公共哲学研究会との合同研究会、5月の関西公共政策研究会や、関西社会学会のラウンドテーブル、また10月にも日本政治学会(このときも司会は城山氏)で喋ることになっていたりと、何かと異分野交流の機会が多く、とても楽しい。このような機会を与えてくださった皆さん、とても感謝しております!

2003/6/11(6/15若干加筆)

科学ジャーナリストの粥川準二さんの「みずもり亭日誌」で、こんなくだりが書かれている。

最近、(女性の多い)専門学校と女子大で講演しました、できる限り自分の意見は抑えてクローンやヒトゲノム、遺伝子治療、生殖技術など各技術がどんなものであるかを説明したのですが、感想を書いてもらうと、知識の絶対的な不足以上に「命を質で選ぶなんて許せない」「人体を商売の道具にしてはならないと思う」など心情的な拒否反応がめだちました、一方、DNA50周年のシンポジウムを見に行ったのですが、ゲノム学者たちの議論は一般市民の感覚とまったくかけ離れたものでした、では、人文社会系の専門家たちはどうでしょう、僕は残念ながら、彼らがレイパーソン(素人)の思いをくみ取れているかといえば、残念ながら、首を縦に振ることができません

これは、6月8日に北大で開かれた「人体利用等にかんする生命倫理基本法」研究プロジェクトの公開シンポジウムでの粥川さんの発言なのだが、このなかで出てくる「女子大で講演」とは、実は、小生の講義「科学技術と社会」のこと。いやー、実際、粥川さんが言う通り、実に率直なりアクションがたくさんあった。ある意味、「慣れ」てしまっているこちらの感覚としては、たとえば「本人に了承がないまま、手術で除去した組織や血液検査の血液が研究用に出回っている」なんて話、どこまで「問題」だと感じてくれるのだろうか、などと心配したりもしたのだけど、それは取り越し苦労。実にシンプルに学生さんたちは「それはいやだ」「おかしい」と考えているのだ。

こういう「素人」の反応を、いわゆる専門家は「無知ゆえの不合理な情緒的反応」と考え、「ちゃんと技術について理解してもらわなくちゃいけない」と「啓蒙」に務めるわけだ。現に北大のシンポでもそういう発言が相次いだと粥川さんは書いている。でも、いつも思うのは、「情緒的反応だからって、悪いって、なんでいえるんだ?」ってこと。

ちなみにこういう「専門家」の「見立て」に対してSTSでは、「素人は、専門家とは別の知識や評価基準に基づいて科学技術の是非を判断しているのだ」と言い返す論法を立てる。たとえば、本ウェブサイトにも掲載している「GMOに対する一般市民の認知に関する10の神話」とか、小生が書いた「リスクをめぐる専門家たちの"神話"」がその好例だ。つまり、素人が科学技術に対して否定的・懐疑的態度をとるのは、無知だからではなく、たとえば専門家や行政、企業などの振る舞いの欠陥(情報隠しやウソ、無能力など)の経験から、そう簡単には新しい技術を安全だと受け入れないとか、いろいろあるということだ。でもねぇ、それだけではSTSとしてはいけないような気がする。それって、やはりある種の合理主義なんじゃないか、人間ってそれだけじゃないでしょ?、もっと「割り切れない(=irrational)」ところもあって、人間でしょ?と思ってしまうのだ。

そもそも、たとえば遺伝子組換え食品は「気持ち悪いからイヤ」ってのは、そんなに変なことなんだろうか?遺伝子組換えとはいえ、所詮は食べ物である。「これ気持ち悪いから食べたくない」というのは、普通、そんなに責められることではない。たとえば「ナマコなんて気持ち悪くて食えない」という人が、「そんなのは非科学的だ」と非難されることなんてあるだろうか?まぁ、栄養の面から「ちゃんとニンジンも食べなさい」というのはあるが、しかし、普通のジャガイモもあるのに、遺伝子組換えのジャガイモを食えってのとは話が違う。少なくとも現在出回っている組換え食品に限って言えば、そういうふうに代替策もあるし、取り立てて固有のメリットが食べる人にあるわけでもないのだから。あるいは「××なやり方で作ったものなんか食えるか」っていう「作り方」についてのこだわりも、人によってはあったりするから、「××」に「遺伝子組換え」ってのが入っても不思議じゃない。(「誰それが作ったものなんか食べたくない」というのもあるから、たとえば「モン○ント社が開発したのなんか食えるか」っていうのもありかもしれない。)なのになんで、遺伝子組換えになると、食べないと「非科学的」とか「不合理」とののしられたり、場合によっては貿易摩擦問題になったりして、「危険性について科学的に証明せよ」なんて要求されるのか?必ずしも「危険」だから食べたくないということばかりでもないだろうに。

たとえば電化製品とか車とか、普通の民生工業製品の場合には、感性の対象であるデザインの良し悪しってのが、それが売れるかどうかを大きく左右するものだ。そのとき、売れないからといって、「それは非科学的だ」なんて怒られることはあるだろうか。まぁ、メーカーの技術屋さんは、「性能はこっちのほうがいいのに。ユーザーはデザインに気を取られすぎてる」と文句をいうかもしれない。まぁ、デザインばかり重視で、性能や安全性、耐久性、省エネ性など劣るものも多いから、この文句が正しい場合もあるが、いつもそうとばかりはいえない。客から見れば商品は、デザインも含めて商品である。それと同じように、たとえば遺伝子組換え食品も考えて、なぜいけないのか?

ところで「気持ち悪さ」の原因というのはいったい何なのだろうか?遺伝子組換えの専門家なら、それは、遺伝子組換え技術をちゃんと知らないが故の情緒的反応というのだろうけど、仮に技術について知ったとして、果たしてその気持ち悪さはなくなるのかどうかが疑問だ。あるいは、多くの専門家やその予備軍である学生たちは、その技術について学ぶにしたがって、気持ち悪さを感じなくなるのかもしれない(というか大多数そうかな?)が、ではそれは、果たして技術を「理解」した結果なのか、それとも単に感覚が「マヒ」しちゃった結果なのかは難しいところである。まぁ、確かに、科学的に言えば、どの生物もたった四つの塩基が並んだだけのDNAをもとにしているわけで、そこの部分は細菌も植物も人間も共通している。「種の壁」というのは限りなく薄く見える。けれども、それは、所詮、DNAという共通分母で生物を見た場合の話だ。あるいは生物学というディシプリンに基づいた見方だ。しかし、その一方でわれわれ人間というのは、別の仕方で生物の種の違いとか、あるいはそもそも生物に対する技術的介入の度合いについての限界感覚などの「分別感覚」を、一種の「審美感覚」として、安全性とかとは別のレベル、あるいはそれも含めたもっと包括的なレベルで持っているのではないだろうか?もちろんその区別(分別)には、何の科学的・物質的根拠はないかもしれない。科学的に理解することで、そんなものは幼い頃の白昼夢のごとく消え去ってしまうものかもしれない。けれどもそれが、「学んで蒙を啓かれたから」なのか、「感覚が麻痺」して、なにか大切なものを失ってしまったからなのかは、そう簡単に区別できない。科学的に理解するのとは違う仕方で、われわれは世界や自分自身の存在、その関わりあいというものを把握する方法をもっているのではないか、それが失われてしまうことは、果たして人間にとって素晴らしいことなのかどうか。たとえば、そうした分別感覚や審美観は、絵や音楽の趣味感覚(テイスト)と同じようなものかもしれない。だとすれば、それを失ってしまうことは、人生を味気ないものにしてしまうことなのではないか——そんなふうに「気持ち悪い」を考えてみることはできないだろうか?

ちなみに、審美感覚みたいなものも含めて人間の知的能力に含める(『判断力批判』で美的判断力を論じたカントとか、そこに「カントの隠された政治哲学」を読み取ったアレントなんかはある意味そう考えたわけだよな)という、たとえば美術や音楽の領域で考えれば当たり前のことを考えるなら、「気持ち悪い」も含めて実は人間の(広義の)合理的判断なのだということもできるかもしれない。まぁ、それでも「気持ち悪い」というだけでは、何か言葉が足りない気もする。しかしそれは、別に科学的説明をつなぐことではなく、いってみれば、もっと文学的な方向での言葉の洗練の問題なのだろうと思うのである。

しかし、その一方で、上にも書いたように、「気持ち悪いからイヤ」に対して、「不合理だ」と文句をつけることが正当な場合があるのも確かだ。つまり、「気持ち悪いからイヤ」は無条件に肯定されるわけではない。しかし、それと同時に無条件に否定されるべきものでもない。要するに問題は、「気持ち悪いからイヤ」は肯定されるべきか否定されるべきか、ではなく、どんな場合に肯定され、どんな場合には否定されるべきなのかという条件や規準——たとえば「気持ち悪いからイヤ」が、誰かを差別したり傷つけたりすることにつながっているなど、何らかの不正義をもたらすか否か、その意味で、文句をつける側に正当な理由があるかないかとか——を考えることなのだろう。また、「気持ち悪いからイヤ」が非難されるのはどんな場面か、いったいどんな利害や理由によって、どんな立場の誰が非難するのかということも重要だろう。「理解」か「麻痺」かという判断も、この条件に応じて変わってくるのかもしれない。そういう意味では問題は、ポリティカルなものとして考える必要がありそうだ。

2003/6/9

久々の更新。Worksに、先週土曜日に九州大学21 世紀プログラム課題提示科目「予防原則」の集中講義の資料「欧州GMO 規制における事前警戒原則の経験とリスクコミュニケーション」(PDF363KB)をアップ。この「21 世紀プログラム」は、一学年定員20名で徹底した教養(リベラルアーツ)教育をやるという斬新なプログラムで、実際、イキのいい学生さんたちで、(冗談へのも含めて)反応がよく、とても楽しい講義ができた。

講義終了後は、そのまま飛行機で東京へ。日曜日午後の高木仁三郎市民科学基金の研究成果報告会に出るため(九大のプログラム担当教官でもあり基金の審査委員長でもある吉岡斉さんと一緒の飛行機)。羽田から宿泊先の妻の実家に向かう途中、蒲田で本屋により、内橋克人さんの新著『もうひとつの日本は可能だ』を買う。先日、ATTAC京都の事務局ミーティングのとき、「ATTACのことが触れられているよ」と友人から紹介されたものだが、なかなか本屋に行けず買えなかったのだが、高木基金の報告会の記念講演で内橋さんが喋るということもあって買いました。これは、マネー資本主義・市場原理万能主義によって、万物を商品化し、人間を踏み潰していく新自由主義グローバリゼーションに対抗し、それとは異なる人間を大切にするもう一つの社会、もう一つの日本を創りだそうというもの。書名は、ATTACなど、新自由主義グローバリゼーションに反対する世界のNGOがスローガンに掲げる「もう一つの世界は可能だ(Another World is Possible!)」にちなんだもの。グローバリゼーションというと、何か遠い世界の話と感じている人も多いかもしれない。しかし本書は、それがいかに、不況拡大・失業率増加など現在の日本社会の苦境を生み出しているか、そしてこの問題を解決するのだと小泉政権が繰り返す「聖域なき構造改革」が、実際には弱肉強食のグローバリゼーションの暴力装置に他ならないということなど、実に明確かつ深く理解させてくれます。そして、何より、もう一つの世界、もう一つの日本を創りだす種はすでにあるのだ、それはできるんだという力強い夢が語られます。一気に読破してしまいました。絶対お勧めです。

2003/5/1

今日はMay Dayだからか、いつも働き者のここのweb serverが今朝未明3時頃からずっと落ちていたようです。

イラク: 非戦のためのリンク集にいろいろ追加。一つは、劣化ウラン弾の危険性に関する国連環境計画(UNEP)報告書とプレスリリースへのリンク。もう一つは、Information Clearing Houseによる、4月9日バグダッド民衆蜂起映像に関する米国の情報操作の疑いについての記事へのリンク。その記事の日本語訳が、ATTACニュースレターSand in the Wheel日本語版171号に出ていたので、下記に貼り付けておこう。

大規模な報道操作?(Is This Media Manipulation on a grand scale?)
By Information Clearing House
 
 4月6日:イラク国民会議(INC)の創設者アフマド・チャラビは米国防総省によりイラクの町ナシリアに連れてこられた。チャラビは彼の「イラク解放軍」の700人の戦士と共に4機の巨大なC17軍機で空輸された。米国政府はチャラビとINCをイラクの新政府のリーダーとして肩入れしている。チャラビと戦士らはナシリアに着いた際写真を撮られている。
 4月9日:米軍がサダム・フセインの像をフィルドス広場で倒した時「この戦争で最も忘れられない画像」が創られた。おかしなことにチャラビの戦士に異常なほど似た男が写真に写っている。彼はフィルドス広場の近くで海軍を歓迎している。フセインの像が倒されたとき広場には何人のアメリカ好きイラク解放軍メンバーがいたのだろうか?
 フセイン像が壊されるビデオが大規模な民衆蜂起の証拠として世界中のテレビに映し出された。しかしロイター通信により撮られたフィルドス広場周りの長いショットには、米海軍、インターナショナル・プレス、少数のイラク人しかいない閑散としたフィルドス広場が映っていた。多くとも200人程度の人しかいない。海軍が広場を閉鎖し戦車で防御していた。米軍の装備された車がフセイン像を引き倒すのに使われた。
 この出来事全てがベルリンの壁崩壊と同様に歓呼して迎えられた…。しかしロイターによるビデオカメラの長いショットをちょっと見ただけでも、あの出来事がテレビカメラ用に仕立てられた慎重に造られた報道用シーンではないかと見えてくる。

ちなみに「チャラビ」という人物は、4月9日のこのページでも書いたけど、ヨルダンで銀行の頭取やってる時に横領で有罪判決を受けているトンデモ野郎である。

ところで今日もイラクでは、28日にも、小学校を米軍に占拠され、学校再開できなくて抗議デモをしていた市民に米軍が発砲し、15人が殺されたファルージャという町で、再び、この28日の事件に抗議した市民に米軍が発砲し、2-3人が殺され、16人ほどが負傷したという。ある種の人種差別意識なのか、それともいつも「殺せ!殺せ!」と叫びながら行われるという兵士の訓練の「成果」によるものなのか、兵士には「治安維持」なんてできないのだろう。彼らにとっては、自分たちに立ち向かってくるものはすべて殺すべき「敵」であり、空に向かって威嚇射撃するとか空砲鳴らすとか、そんなこと思いつく間もなく反射的に、銃口を水平に向けて引き金をひいてしまうに違いない。(参考ページ:「ファルージャの無差別虐殺事件 −−学校再開を求める一般市民にいきなり発砲」 by アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名運動

こうした暴力は、おそらくイラク全土いたるところで行われてるのだろう。しょせん軍隊でしかない米英軍は即刻撤退すべきなのだろうが、とはいえ今撤退したら、いまだ続いている略奪がさらにひどくなり、場合によっては民族間・宗派間の紛争まで起こるかもしれない。一刻も早く、平和維持活動(PKO)の訓練を受けた国連の平和維持隊(PKF)が入るのが不可欠だが、まだまだ時間がかかるだろう。とりあえずの次善策は、米英軍を国連のPKFとして授権するとともに、住民虐殺など犯罪行為を厳しく監視し取り締まるというタガをはめることなのかもしれない。(一番いいのは、反米英でイラク国民が民族・宗派を超えて一致団結し、治安維持も含めて自治を行ってしまい、米英軍を追い出すことなんだろうけど、それも難しいんだろうな。。。))

2003/4/28

イラク: 非戦のためのリンク集にいろいろ追加。アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名運動のHPにあるイラク戦争被害の記録フォトギャラリー(※残虐な写真が含まれています)、「イラク・ピース・チーム(IPT)」現地リポートなど。それから、劣化ウラン弾の危険性と、今回のイラク戦での米英による使用実態調査と緊急除去の必要を訴えた英国ロイヤルソサエティの声明Royal Society calls on coalition forces to reveal where DU has been used in Iraq (24 April 2003)と、その根拠となっている報告書『劣化ウラン弾の健康被害PART1』報告書『劣化ウラン弾の健康被害PART2』報告書『劣化ウラン弾の健康被害PART1&2要約版』)へのリンクなど。

ところでこのロイヤルソサエティや、米国アカデミー(あるいはその上部機関である全米研究評議会NRC)などは、政治的にけっこうタッチーな軍事関連の話題や、世間で火急の問題となっている環境・公衆衛生関連の問題について、しっかりした報告をあげ、またそのための人的・財政的・制度的基盤がしっかりしてるんだけど、それと比べると日本(学術会議とか?)はとっても情けない気がするのは小生だけではないでしょうね。前に、経済産業省の役人の方から聞いた話では、かつて環境ホルモンが問題になり始めた時期に、日本学術会議に検討を打診したところ、2, 3回会合が開かれただけで霧散してしまったとか。その役人の推測では、「環境ホルモンのような得体の知れないものは扱えない」とか「学術というのは高尚なものであって、環境ホルモンのような世間の問題に手を出すべきではない」とか、そういう声が強く働いたらしいが、「アホ」かと思った。「得体の知れないもの」を究明することこそ、学者の仕事だし、アカデミーたるもの、普通の国では、まさに社会の要請に応える機能を果たすのが当然なのに、この有様は、「そんなもの潰してしまえ」という声が出てきても不思議じゃない。まぁ小生は、つぶすんじゃなくて、徹底的に能力構築を図って再構築すべき、と思ってますが。(今のままなら、学士院同様、おじいちゃんたちの囲碁クラブになりかねん、といったら叱責をかうかな?)

もう一つ、5月3日の関西公共政策研究会5月例会の案内へのリンクを追加。報告者は、平川秀幸「遺伝子組換え作物規制をめぐる事前警戒アプローチの発展とフレーミング問題」&岩崎豪人「工学倫理から見えてくるもの」です。

2003/4/14

風邪をひいてしまった。しんどい。。

Worksに、<平川秀幸「遺伝子組換え作物規制における欧州の事前警戒原則の経験—不確実性をめぐる科学と政治」,『環境ホルモン—文明・社会・環境』(Vol.3, 2003-4), 103-119頁>を追加。この号の『環境ホルモン』(藤原書店)は予防原則の特集。4月16日発売で、週末くらいに本屋さんには並ぶそうです。以下はその目次。

『環境ホルモン—文明・社会・環境』第3号,特集<予防原則—生命・環境保護の新しい思想>のもくじ:

特集のねらい — 予防原則思想の発展を目指して —  (吉岡斉)
歴史に学ぶ予防原則 (宇井純)
水俣病における安全性の考え方 — 予防原則をめぐって —  (原田正純)
原子力政策と予防原則 — 高速増殖炉開発政策を中心に —  (吉岡斉)
カネミ油症と予防原則 (下田守)
シックハウス症候群 (坂部貢)
電磁界基準値の設定をめぐる科学・思想・政治 — ドイツの動きを中心に —  (永瀬ライマー桂子)
遺伝子組換え作物規制における欧州の事前警戒原則の経験 — 不確実性をめぐる科学と政治 —  (平川秀幸)
予防原則 — 子どもの健康保護を超えて —  (テッド・シェトラー/松崎早苗訳)

2003/4/9

イラク: 非戦のためのリンク集の今週末の京都ピースアクション情報を更新。ちなみに4月12日は、米国のInternational A.N.S.W.E.R.が呼びかけている世界同時行動デー。世界1300万人が行動したといわれる2月15日をはるかに上回る規模のグローバル・ピースアクションになるかもしれません。

ところで今日、バグダッドではついに、各国のジャーナリストが宿泊しているパレスチナホテルが米軍の戦車に攻撃され、二人のジャーナリストが殺された。その前にも、アルジャジーラとアラブの2つの放送局の建物が攻撃され、一人が殺された。米軍が、イラクの現状を世界に発信しているメディアの「口封じ」のためにやった、なんていうシナリオは、一見、あまりに馬鹿げてて、いわゆる陰謀論的トンデモ系の話みたいだから、信じたくないが、ほんとはどうなんだろう。ちなみに米軍、「バレスチナホテルのロビーから攻撃されたので打ち返した」などと弁明しているが、それが本当かどうかはすぐわかるだろう。なにせそこには200人近い各国のジャーナリストがいたのだから、戦車を攻撃するような武器が使われれば、そんなのはすぐにわかる。さきほど読売テレビのニュースが伝えていた現地のジャーナリストの報告では、そんな音は誰も聞いていないという。打たれたのがベランダにカメラを構えていたカメラマンだったから、もしかしたら、カメラを武器と勘違いして、「先制攻撃」してしまったのかもしれない。

ちなみに、彼らジャーナリストが命を張って伝えているイラク市民の犠牲者の報道は、アメリカ国内の大手メディアでは、ほとんど報道されていないという。たとえば片腕を吹き飛ばされ、生きているか死んでいるかもわからない顔つきで、力なく、父親か誰かに抱きかかれられた少年を写した写真は、米国のどの新聞でも使われず、代わりに、米軍兵士に保護され抱きかかえられた子供の写真とか、そういう「イラクを解放しにきた英雄米軍兵士」というものばかりが流されているらしい。

もう一つ、今日のおぞましかったのは、米軍が、フセイン大統領や他のイラク政府高官を殺すために、彼らが集まっているとされた高級住宅地にあるレストランに対して、特殊貫通爆弾バンカーバスターを4発打ち込み、10人ほどの市民が犠牲になったというニュース。民間人が巻き添えを食らった(というのは不正確な言い方だと思うが)だけでもとんでもないが、これに加えてひどいのは、バンカーバスターには、貫通性能をよくするために劣化ウラン弾が一つあたり40kgほど使われており、爆発によってあたりが放射能で汚染された可能性があることだ。砂漠の真ん中ではなく、500万都市バクダッドのど真ん中(東京でいえば、皇居周辺の千代田区一番町とか、白金台とか麻布、六本木のあたりのようなもの)で、第2の核兵器とさえ呼ばれる劣化ウランを使ったのである。今のところこれを指摘している報道はみかけてないが、ぜひ、現場に行く時はガイガーカウンター持参で行って、この戦争犯罪を世界に知らしめて欲しい。

ところで米軍は、住宅地や市場で発生している民間人被害について、「それは攻撃対象となりうるような政府機関や軍事施設を民間人居住地域の近くに作っているフセインの政策のせいだ」といっているが、日本だって皇居の周りは、高級住宅地だったりする(たとえば上記の一番町。大学時代の友達の実家がそこにあって、確かSMAPの草薙クンの実家も同じマンションだったはず)。政府機関の集まる永田町周辺も商業地域で、人も住んでる。防衛庁だって、以前は繁華街六本木交差点の近く、今はやはり商業地域(住宅もいっぱいある)の市谷にあったりする。ワシントンだって、ホワイトハウスの周りは商業地域だし、ペンタゴン(国防総省)のすぐ側には「ペンタゴン・シティー・モール」という巨大ショッピング・センターがある。何年か前に散歩がてら歩いたことがあるが、ペンタゴンから15分も歩かない距離にはけっこう高級そうな静かな住宅地が広がっている。もしもペンタゴンが攻撃され、ペンタゴン・シティー・モールの買い物客やご近所の住人が巻き添えを食らったら、米国政府は「私たちの政策が悪い」とでもいうのだろうか?

ついでにいうと、ブッシュとブレアが北アイルランド・ベルファストで会談(ブッシュ的には、戦後イラクを米国が文字通り支配下に置く画策のため)したというのは、なんとも歴史の皮肉を感じさせる。子供の頃、いや、大学生くらいまで、ベルリンの壁が壊されたり、南アフリカのアパルトヘイトが廃止されたり、そしてIRAが英国と和解するなんて日が、自分が生きてる間に来るなんて夢にも思わなかったが、それが今や現実になっている(歴史の残滓はまだ残っているにしても)。そういう意味では、ベルファストという町は、歴史的奇跡、人間の偉大さを象徴する街なのだが、そこに、そういう人間の尊厳をまさに現在進行形で踏みにじってる男どもが集うっていうのは、イスラムの聖地が戦車で踏みにじられるのと同じくらい冒涜的なことなんじゃないかと思う。

ちなみに先ほど、とあるメーリングリストで知った英国の新聞The ObserverUS arms trader to run Iraq(米国の武器商人がイラクを運営する)というニュースは、あまりの露骨さに思わず笑ってしまうくらいあきれた。要するに「占領」されたイラクは、(親イスラエル派でもある)武器商人と「泥棒」——米国政府がイラク人トップに据えようとしている反体制派組織の代表者のイラク人は、ヨルダンで銀行の頭取やってる時に横領で有罪判決を受けている——が頭をとって、フセイン亡き後の部族間・宗派間の紛争と、占領者米軍に対する民衆の抵抗——誇り高きイラクの民は、死の商人と泥棒をトップに頂くなんて我慢できんよな——を抑え込むために(「タリバンから解放されたアフガン」がそうなりつつあるように)、親米軍事政権による強権統治という(これまた南米では昔からおなじみの)、およそ「民主化」とは程遠い状態に突き落とされるというわけ。「フセイン政権からの解放」は本当でも、それは新たな強圧政治の支配の始まりに過ぎない。要は、横領野郎が二代目フセインを襲名し、ハンガリーで米軍の指導で戦闘訓練し、現在イラク入りしている反体制派からなる軍隊組織「自由イラク軍」は、さしづめ、未来のアルカイダ——アフガンのアルカイダはもともと米国CIAが支援していた——になるかもしれない。以下はメーリングリストで回ってきた記事の訳文からの抜粋:

 戦後のイラクでの人道支援と復興を監督することになる合州国の 退役将軍、ジェイ・ガーナーは、合州国のイラク侵入にとって必須 のミサイル・システムに関連する決定的な技術支援を提供する兵器 企業の社長だ。
 ガーナーの企業人としての背景は、国連の場で、また様々な救援 組織の間に、深い懸念を引き起こしている。国連とこれらの救援組 織は、国連の権限と無関係に合州国がイラクを支配することへの反 対を既に表明しており、さらに兵器産業に関連した1人のアメリカ 人が指名されたことは、戦後のイラクの国家運営にとっては「最悪 のシナリオ」だと主張している。
 ガーナーは、防衛電子産業に関わる企業グループ「L-3コミュニ ケイションズ」−−イラクで使われているパトリオット・ミサイル・ システムに関する技術サービスや助言を提供している−−の子会社 で、ヴァージニア州に基盤を置く「SYコールマン社」の社長なのだ。 パトリオットは1991年の湾岸戦争の際、サッダーム・フサインのス カッド・ミサイルによる攻撃からイスラエルとサウジアラビアを防 衛するために使われたことで、有名になった。ガーナーは、イスラ エルでの同ミサイル・システムの配備に関わっていたのだ。
(中略)
 ワシントンにある「国家安全保障ニュース・サービス」の、防衛 問題に関するアナリストであるデーヴィッド・アームストロングは、 「合州国の軍事作戦にとって非常に重要な装備−−たとえそれが防 衛的なものであれ−−を提供する企業に出自をもつ人間が、人道的・ 行政的な任務を始めるというのは不適切に思えます」と述べている。
 オクスファムのフィル・ブルーマーは、「最悪のシナリオという のは、合州国あるいはイギリスの兵器産業や石油産業に関連した人 物が復興の担当者となることでしょう」と言う。
(後略)

2003/4/6

2003年度時間割をアップ。

先ほど読んだasahi.com「イラク軍の死者、最大で3000人 空港や首都攻防戦」というニュース。「米中央軍のウィルキンソン報道官は6日、イラクの首都バグダッドと周辺でのイラク側死者数は2000〜3000人とフランクス司令官に報告があったことをAP通信に語った。3日夜から始めた国際空港の攻略から5日の市街地侵攻までの通算推定で、開戦以来、米側が公表した一地域での死者数としては最多だ。」

で、気になるのは、次の部分:「とくに5日の侵攻では相当数が殺害された模様だ。米陸軍第3歩兵師団に従軍したニューヨーク・タイムズ記者の報道によると、米部隊は、沿道の民間人にまぎれて襲う民兵らを次々に銃撃、米兵らは『道路脇に数え切れないほど横たわった人々』『イラク兵だけでなく市民も巻き込んだ死と破壊』を目撃した。」

ちなみに米軍では(他のところもそうかもしれないが)昔から、戦闘に対する兵士の恐怖心を抑え、戦闘意欲を維持するために、一種の麻薬を使っているそうだ。兵士といっても人の子、やっぱり殺されるのも殺すのも恐ろしいと感じ、びびってしまう者がかなりいて、それをなくすために使うのだそうだ。特に、どこから弾が飛んでくるかわからないような地上戦やゲリラ戦、市街戦で、それは使われるという。その場合にはもはや兵士には、目の前の人間が民間人なのか兵士やゲリラなのかの区別などつかないだろう。ベトナム戦争で繰り返された「村を丸ごと焼き尽くした」とか「村人全員射殺」なんていう悲劇はそうやって起きたのだろう。今回のバグダッド侵攻でも、同じことが起きつつある可能性があるし、薬を使っていなくても、民間人と兵士を区別している余裕なんてないに違いない。丸ごと機銃掃射だろう。いまのところIRAQ BODY COUNTは、民間人死者数を最小値876人、最大値1049人と推計しているが、メディアや医療関係者、国際赤十字などがこの殺戮現場に入れるようになった日には、いったいどれだけ数が増えてしまうのだろうか。。。

2003/4/4

イラク: 非戦のためのリンク集を更新しました。

頭を吹き飛ばされた子供、火葬場で焼かれようとする我が子を前に泣き叫ぶ父親、傷ついた我が子を抱きしめてやることしかできない親の途方もない無力感、薬もなく手の施しようのない患者を前にした医師たちの絶望。。。これが地震のような天災ならば、もしかしたら人々は「アラーの思し召し」だといって自分たちを慰め納得させることもできるのかもしれない。けれども、この苦しみをもたらしているのが、同じ人間だと知っている時、その怒りはどうやったら癒されるのだろう。。。しかも、圧倒的な大本営発表報道の影に隠れて、犠牲者たちの存在は、ほんの一秒すらも、戦争支持に熱狂する米国市民の記憶には留まらないかもしれないという悲しみ。。。PICTURES: Victims of the Anglo-American Aggression。バグダッド駐在記者Robert Fisk氏が公開している犠牲者の写真。(衝撃的なものが多いため、不得手の方はご注意を!)

2003/4/1

う〜、とうとう今日から新学期。片付け終わってない仕事は山ほどあって、とっても憂鬱な新学期。

日本語トップページの一番上に、先日紹介したIRAQ BODY COUNTのカウンターをつけました。今こうしている間も、バクダッドやバスラは英米の爆撃によって、何の罪もない子供たちのいのちや夢、未来、両親が奪われている。91年湾岸戦争で大量使用され、その後、12年にわたって何十万人ものイラクの人々(とくに子供)や米軍帰還兵士の家族を白血病やがんで苦しめ、命を奪いつづけている劣化ウラン弾を、英米はまた使っているという。それも500万都市バグダッドで。それ以外にも、現代科学技術文明とやらの産物である膨大なハイテク兵器が、古代文明の発祥地の一つであるこの都市を攻め立てているというのは、「野蛮」以外の何ものでもないでしょう。

ところで、3月28日にバグダッドの住宅地アッシュウラで50人以上の死者が出たミサイルの着弾事件で、米軍は「イラクのミサイルかもしれない」などとほざいて「誤爆」の可能性を否定していたが、イギリスの新聞インディペンデント紙が30日伝えたニュースRobert Fisk: In Baghdad, blood and bandages for the innocentによれば、現場から発見されたとされるミサイルの破片にある番号"MFR96214 09"が、米巡航ミサイルの製造企業レイセオン社のロット番号と一致することが国防総省の調達関連の資料から分かったという(関連記事:「住宅着弾のミサイル、「破片に米企業の番号」 英紙報道」)。

ちなみに米英の軍や政府(それにつられてマスコミも)が多用する「誤爆」という表現は非常に人を欺くものだと思っている。その基本的用法は、「民間人の被害は誤爆によるもので意図したものではない」と言って、責任逃れをするときに使うわけだが、技術というものは何であれ、常にある程度の「誤差」は折込済みで正常作動するように作られ使用されるものだ。もちろんまったく想定外のエラーというのは常に起こりうるわけだけど、それ以外に、想定済みのエラーとしての誤差は、機器のスペック(仕様)に含まれているのである。したがって、少なくとも、この折込済みの誤差によって起こる被害は「想定された被害」であり、断じて「不幸な偶然の産物」としての「誤爆」なんかではなく、当然ながら使用者や開発者の責任の範囲内である。ちなみに現在イラク攻撃で使用されているトマホークやその他の「精密誘導爆弾」のスペック上の誤爆率は7〜10%だそうで、少なくともこの範囲内の被害は、最初から予測され織り込まれた犠牲であり、要するに、軍事目標を攻撃するということのうちには「民間人も7〜10%の割合で攻撃する」ということが折り込まれているということを意味している。(ちなみに開戦から今日までに米英軍は8000発以上の精密誘導爆弾を使ったというから、そのうちの560〜800発は、軍事目標以外のものを「狙っていた」ことになる。)

さらにいえば、このスペック上の誤爆率は、攻撃対象である軍事施設の位置情報に誤りがあれば、どこまでも(ひどい場合は100%まで)広がりうるものである。たとえばコソボ紛争の時にも、米軍が、古い情報を元に爆撃したら、それが実は中国大使館だったなんてことが起きているが、今回も同じケースは多々おきているに違いない。実際、米軍が入手しているイラクの軍事施設に関する情報は、亡命したイラク反体制派の人々からのもので、実は非常に不正確でいいかげんなものだという西欧政府関係者の指摘もあるそうだ。(反体制派ってことは、フセイン体制派内部の機密情報をあまり知らない、ということだろうし。)まぁ、要するに「精密誘導爆撃」なんてのは、頭の中で描いただけのファンタジーに過ぎないのであり、「精密誘導だから民間人の犠牲は最小限に抑えられる」なんてことをほざいて攻撃を正当化しているやつらは、(うちの国の某首相たちも含めて)ただのペテン師だということだ。(だいたい「最小限」って、いったいどれくらいなんだ、っていうのもある。やられたほうからすれば、一人家族が犠牲になっただけで、それはもう「最小限」なんかじゃないだろう。所詮、某日本国首相も繰り返す「最小限で最大限の効果」なんてセリフは、攻めてる側の、しかも自分たち自身は絶対に砲弾も劣化ウランの粉塵も飛んでこない快適なところにいるやつらの戯言でしかないのである。)

ついでにいえば、そもそも今回のイラク攻撃や、一昨年に始まり今尚続いているアフガン攻撃、それから京都議定書からの離脱を初めとするユニラテラリズムなど、一連のブッシュ政権の政策自体が、「圧倒的な軍事力を背景にした世界の米国一極支配」というラムズフェルト国防長官、チェイニー副大統領をはじめとするネオコン(新保守主義)野郎たちの巨大なファンタジー(「妄想」ともいう)の産物ということなのだろう。はっきりいってネオコンは宗教カルトの一種であり、その盲目さによって、あらゆる現実の側からの「反証」が突きつけられても、「信仰」が絶対に揺らぐことのない域まで達しちゃってるのは間違いない。「精密誘導爆撃」やら、「イラク国民は米英軍を解放軍として歓迎してくれる」などというくだらないファンタジーは、この根本的幻想の一部でしかない。ちなみに、戦争演説するブッシュが、もう、ドQソカルトの信者や教祖サマに特有の「イっちゃってる」アブナイ目をしていると感じてるのは、小生だけだろうか?

おまけのニュース:
英紙ガーディアンは1日、米政府が極秘に進めているフセイン政権打倒後の暫定政権構想について、内閣の首班と23省庁の閣僚をすべて米国人が独占する計画を立てたと報じた。これに対して、イラク人主導の暫定政権づくりを進めてきた亡命イラク人団体などから不満の声が上がっているという。[記事全文, Gurdian記事原文"US draws up secret plan to impose regime on Iraq"]

やっぱり、侵略・占領するんじゃん!

イラク: 非戦のためのリンク集を作成しました。(もとは、ATTAC京都"Walk Now Together for Peace"で作ったリンク集。)

2003/3/29

下に同じく、更新はちょこちょこしていたものの、更新情報アップデート、ずっとサボってました。

それにしても、もう3月も終わりに近づき、あと3日でもう入学式、再来週月曜には授業スタート。というわけで、新学期の授業用の掲示板ページを更新したり新設したりしました。

しかし、それにしても米英イラク攻撃はひどい。民間人にも日々多数の被害者が出ていることはいうまでもないけど、制圧した空港に"Bush International Airport"と名づけるとは、なんとも素直なアホぶり。それじゃ、ただの侵略・征服戦争です、って自ら告白してるようなもんじゃん(これみよがしに制圧地に星条旗立てるし。)おまけに、戦後復興も、国連じゃなく米国主導で、なんてほざいて、英首相ブレアとも対立してるそうで、ほんと侵略意識丸出し(すでに開戦前に米国政府は、イラク戦後復興事業の国内受注[実際はほとんど談合のようなものだが]を取り付けて、たとえばチェイニー副大統領が以前にCEOを勤めていた石油会社ハリバートンが、油田関連事業を引き受けることが決まってたりする。)

ちなみにイラク民間人の死亡者推計は、IRAQ BODY COUNTが、多数の報道データをもとに最小値と最大値を出して、日々アップデートしてます(ここで"BODY"とは「死体」という意味)。いったいこの数字がどこまで増えれば、米国民とメディアのマジョリティが反戦に傾き、戦争は止まるのだろうか?(the answer is blowing in the windか?)

それと、小生がいちおう代表やってるATTAC京都でも、「イラク攻撃に対するマニフェスト」というのを出しました(メディアリリースはまだだけど)。いちおう、わがニッポンの首相が米国支持のよりどころとした「北朝鮮の脅威」論法にも配慮したつもり。要するに、この問題も日米関係の(ということは要するに米国主導の)枠組みではなく、多国間協調に基づく東アジア安全保障体制(NATOに対応する東アジア条約機構EATO)を創設したりとか国連という枠組みを使って、外交的に対応すべし、ということ。ちなみに昨日、日本初の偵察衛星が打ち上げられたけど、あれも、他国に非公開なんかにしないで、中国、ロシア、韓国、台湾、そして北朝鮮のみんなで使いましょ、とすればいいのにと思ったり。このままじゃ、北朝鮮だけでなく中国だって刺激しかねない。(ついでにいうと、せっかく衛星打ち上げても、そのデータを解析できる人材が日本にはほとんどいないのだそうで、結局、解析は米国に外注ってことになって、「日本独自の情報収集能力」なんてのは、当分絵に描いたモチらしい。)

2003/3/5

近頃、なんだかとっても忙しく、ここの更新情報、ぜんぜん書いてませんが、更新自体はまめにしてます。

2003/2/3

週末に開かれた第7回公共哲学研究会+科学技術社会論合同研究会で報告した「リスクガバナンス/科学技術ガバナンスと予防原則」のレジュメをアップ。Worksからリンクしておきました。「異業種交流」というか「異種格闘技」という様相の研究会は実に刺激にあふれ、これからの自分の研究の掘り下げ・展開にとって、とーーーっても有益な論点をたくさん発見できた。ここ数年、STS業界では、『公共のための科学技術』の著者を中心に、科学技術と公共性の問題を扱ってきて、STS内的にはそれなりの地歩は築いてきたけれど、「社会」とか「市民」とか「公共」とか「公共空間」といった概念の理論的掘り下げ、分節化が次の課題だなぁと思っていたところに、実に強烈なお勉強インセンティヴを与えられてしまいました。まずは、ここしばらく、とりあえず「積読」状態にして溜めていた政治哲学系の本たちを読んでいくかなぁ。。。以前から目をつけてるアレント的な「闘技的公共空間」とか「判断力」の問題も、ちゃんとやっておきたいし。それと同時に、とくにリスクガバナンス(とくに予防原則)の制度論的な話も、実証ベースも含めて展開するのが、今年後半あたりからの課題。(文科省の新しいプログラムについてのシンポジウム「我が国の学術研究の動向を考えるシンポジウム—特に,人文・社会科学を中心として」の意見発表でも、これを課題として提案するつもり。)ちなみに、欧米のSTS業界では、後者みたいなタイプの研究は蓄積が多いのだけど、前者の政治哲学・公共哲学的な理論的掘り下げはまだまだ「穴」になってたりする。6月末から7月初めにハーバードでやる「科学と民主主義」というワークショップでの発表では、そのあたりのさわりを扱ってみてもいいかもしれない。それと今年は、国内的には、5月に関西公共政策研究会、6月に日本公共政策学会、10月には政治学会でも喋ることになってて、異種格闘戦のチャンスがたくさんあるので、これを最大限活かしたいと思っている。

ついでに言うと予防原則やリスクガバナンスの問題は、責任論—法的なものだけでなく倫理的なものも含めて—や、Judith Shklarの「不正義」論の話に絡まざるを得ない気がしている。そんなわけで、早速さきほど、ShklarのThe Faces of InjusticeをAmazon.co.jpで注文してみた。

2003/1/29

2003年、最初の更新。トップページに、ヴァンダナ・シヴァ講演会(3/25@東京 & 26京都)(「いらない!遺伝子組換え食品全国集会—食の企業独占は許さない」)へのリンクを追加。

過去の「更新情報」

2002年2000-2001年