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ある村の長老の世迷言

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先のセラフィールドの話とは直接関係しないが、原子力ムラの面白い話を一つ。

原子力学会の若手の方たちが作っている原子力青年ネットワーク連絡会掲示板「議論の部屋」に、「青年ではないが」氏――この方はHN通りご年配らしい――の「あえて苦言を呈す」から始まるスレッドが笑わせます(リンク先の掲示板からはデータが消えてますので、原文を読みたい方はInternet Archive保存データをどうぞ。画面が切り替わるまで数秒お待ちを)。「青年ではないが」氏のような方がまだいるのかと思うと暗澹としてきちゃうが、それに一歩も引かず反撃している若手の皆さんの姿が眩しいです。(代替核エネルギー技術の話も面白い。)

ちなみにスレッド中ほどのレス「リスクについての専門家の神話」で、「『青年ではないが...』様の主張に、岩を投げ落とすような話」として紹介されてるのは私の文章です。

氏の記事は長いので、特徴的なくだりを引用しておきます(強調はすべて筆者)。

  • もんじゅは我々の生命線として是非とも維持、発展していかねばならない。そのための努力を若手の諸君に期待するところである。諸君たちの今後の活動のためにも必要不可欠であることを肝に銘じなければいけない。
  • 核燃料サイクルの是非、プルサーマルの推進などに関する意見のなかにあろうことか否定的な見解が述べられていることは驚愕に値する。このような意見が内部から発信されることは、世間に対して負の影響力を与えてしまう要因となろう。・・・今後のためにも過去の議論の記録は抹消することを要望する

「××は我々の生命線」ていうセリフ、先の大戦末期にも似たようなのがあったような。「否定的な見解」が存在しない(存在しても表に出ない)社会って、フツーの社会でも科学技術の世界でも、ヤバイ世界じゃないのか?「過去の議論の記録は抹消することを要望する」って・・・すごいな。

ちなみに「否定的な見解」というのは、どうやら原子力未来研究会「月刊誌「原子力eye」の連載「どうする日本の原子力―混迷から再生へ―」の連載中止に関する資料」にある記事のことのようだ。(掲載中止って、発禁処分ですか。)

  • 最後にリスクコミュニケーションについて、いささか品位に欠ける問いかけがあったが、その中には自身が行っている原子力に対して、十分な配慮と強い意志を感じる投稿があったことには好感をもてるのだが、問いかけを出した人物の見解および品位の欠片も感じないさらなる問いに対して、深い疑念を感じざるをえない。この人物が、関係者でないことを切に願うものである。
  • そもそも、専門家以外の国民にとって甚だ理解しがたいリスクなる概念について、十分な知識を付与し、いたずらに不合理な判断がまかり通らぬようにすることこそリスクコミュニケーションなる活動の真意であることを疑う余地はない。その意味では、扇情的なマスコミやおかしな判断を公にする者にこそ必要な教育である。
  • 国民の多くはリスクに対する行動に合理的とは思えないことを平気でしてしまっている。リスクの高低から判断すれば、判断に苦しむような不可解な行動は限りない。小生にリスクの意味するところを明確にしてくれた「科学技術のリスク」H・W ルイス著には痛快さを覚えるものである。これから、リスクに関する事柄に携わる若手諸君に一読を勧める。

この方が「問いかけを出した人物の見解および品位の欠片も感じないさらなる問い」と呼んでいる「見解」や「問い」って、いったいどんなだったんだろう?(このスレッドのことかな?)「リスクコミュニケーションなる活動の真意であることを疑う余地はない」って、ちゃんとリスクコミュニケーションの専門書読んだことあるのかな?(ないだろうな。)

ちなみに、われわれの業界でリスク問題を語るときにいつも引かれる概念に「トランスサイエンス」というのがある。これは、リスクのような公共政策に関わる科学技術の問題には、科学的に問い答えられる問題だけでなく、「科学に問うことはできるが科学では答えられない問題」、その意味で、科学を超えた(=trans-science)問題、公共的・民主的に答えを出さねばならない問題があるということを表す概念で、1972年に米国の物理学者アルビン・ワインバーグ(Alvin Weinberg)が提案したものだ。たとえば、150ミリレムの低レベル放射線によってマウスの突然変異率が0.5%上昇するかを、実験によって95%の信頼性で確かめるには、なんと80億匹のマウスが必要になる。60%の信頼性でも1億9500万匹必要になる。これは時間と手間、コストをかければ科学的に答えを出せる問題だが、この実験をもとに人間に対する許容線量を規制当局が定めようとする場合には、事実上、解答不可能な問いである。政策決定は、数ヶ月、あるいはせいぜい1年の期限内でしなければならず、しかも投入できる人的・財政的資源はそんなに多くはないからだ。あるいは、ある技術の利用による死亡リスクが科学的に求められたとしても、そのリスクが社会にとって、特にそのリスクに直接曝される人々によって受け容れ可能かという問題は、「素人」である市民も含めた議論によって解決しなければならない公共的・民主的な問いである。

こうした概念を提案したワインバーグ氏は、原子力政策や科学政策にも力を振るった米国科学界の超ビッグネームで、実は日本の原子力関係者のお偉方の中にも、若い頃に彼のもとで学んだ人たちが多いのだそうだ。けれども悲しいかな、小生が親しくして頂いている原子力関係者の方によれば、トランスサイエンスの概念までは誰一人として学んでこなかったのだ。

だから、ワインバーグ氏とはむしろ対極にあるH・W ルイスの『科学技術のリスク』を持ち出して、こんなセリフも出てくるわけだ。(HN青年ではないが氏も、ワインバーグ氏に師事した一人だったりして。)

これを読めば、科学技術のあり方に対する見解は自ずと明らかになる。昨今、好ましからざる風潮として大衆による技術評価、採択を実施すべしとの声を耳にするが、科学技術は科学技術がなんたるかを理解する者がそうでない者のために判断を示し、導くことが科学技術立国たる我が国の発展に欠かせないものである。科学技術の選択は、将来世代に対する思いやりと長期的視野をもって、適切に判断せねばならない。

よーするに参加型テクノロジーアセスメント(PTA)のことをいってるわけだが、「好ましからざる風潮」だそうだ。笑いが乾いちゃうぜ。

なおPTAでは「大衆だけで技術評価、採択」なんてことは考えられていない。当然、専門家や、政策決定の責任を負うべきポリシーメーカーも含まれる。要は、今まではこの二者――しかも「専門家」はすごく狭い範囲の専門家だったりする――プラス一部の業界関係者だけで決めてきたのに対し、一般の人々も含めた様々な立場のアクターを入れて、一緒に知恵を出し合い、決定に伴う相応の責任を背負いあいましょうということ。

ちなみに、最近、原子力に限らず、あちこちでこの手のイケイケおじさんを目撃したり、間接的に話を聞いたりすることが多い。一昨年、御用学者をさせてもらってたリスクコミュニケーションに関する委員会が、突如、解散になってしまったが、風の噂では、スポンサー側の某委員会@某省庁のほうにいらっしゃるリスコミ嫌いのお偉いさんのツルの一言だとか。「国民とのコミュニケーションの前に、まず専門家同士のコミュニケーションが必要でしょ?」なんて話も出たり、とっても楽しい委員会だったのだが。。

なんつーか、科学者・技術者が何か新しいもの作れば、四の五のいわず「大衆」が受け容れ、国も企業も個人も儲かってたバラ色の高度経済成長期の「成功体験」から抜けきれてない世代が多いのかもしれない。もちろんそのバラ色の時代は、日本が「公害王国」として世界に名をとどろかせもした時代でもあったわけだが。。

なお、上記スレッドの最後は、次のような投稿で終わっている。

まあ、こう見ますと、「青年では...」氏の見解はあまり意味が無いということは理解できると思います。
で、「青年ではないが..」氏の考え方については、私からもう一つ加えておきます。
端的に言うと、「人権とか権利義務の意識が希薄」なのです。
誰が、何の権利に基づいて国民にリスクを負担させるか?
この意識が、スレッド立てた「青年ではないが..」氏には足りないのです。
国民的議論を嫌がり、一般人やマスコミに腹を立てるのは、おかしい。
本来このような、最悪の場合公衆大災害になるようなリスクを国民に負担させるのは、民主的プロセスを通さなければならないのです。
 ところが、彼の話場合は、国民一般を無知のように位置づけ、民主主義の道具の一つであるマスコミを罵っています。
 もし彼が専門外のことで同じようになったなら、あのエッセーにあるようなことを考えたことでしょう。
 それを考えられないのは、その思い入れゆえでしょうが、彼のような考えを推し進めると、民主主義のコントロールが効かない暴走状態になります。

ちなみにH・W ルイス『科学技術のリスク』の邦訳版の「本書刊行に寄せて」には、とある原子力業界の重鎮の方によるこんなくだりがある。

公的なリスク管理活動を規制といいますが、規制はその趣旨からすれば、リスクの大きさを制限すべきで、技術の採否を決めるべきではありません。・・・また、なんであれ技術の成否が民主的に決定されれば良いとする人がいますが、技術の採否が政治的支持基盤の大小でおこなわれるとすれば、それは技術を使いたい人に対する政治的差別となりましょう。

「政治的差別となりましょう」って、日本で最も権力によって(批判からも市場原理からも)保護された特権的技術分野の方がいうセリフとは思えませんね。

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 不思議なのですが、原子力関係者というのは多くの場合、 「国民・反対派は原発のリスクを忌避したがるもの」と思い、こういう人たちが自動車を運転したり 、通勤したりしているのを例に取り、これらのものにもリスクがあると言い、原発リスクの忌避を 根拠無き感情的... 続きを読む

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こんばんは、MARGARETです。いつもお世話になっています。
企業視点、研究者、市民団体視点、いずれの視点から見ても、アメリカの社会構造には大きな問題があるとの認識から、今回の記事をトラバさせていただきました。内容が少々ずれているようですみませんが、アメリカのスリーマイル原発事故やイラク戦争などの昨今の情勢から、決して無関係ではないと思うのですが、どうでしょうか?
それは違うぞ!そんなんじゃないぞ!というのがありましたら、またご指摘ください。以上です。

 はじめまして...実はお久しぶりです。
 前に先生の文章に感動しまして、その掲示板に投稿したのは私です。
 無断で引用しまして....すみませんね。
 で、ある時から「原子力などゐろゐろ」というブログを、
酔った勢いで申し込みました。
 少し見てやってくだされば幸甚です。

 あと、他人様のですが、面白いブログとして
http://nucnuc.at.webry.info/
というのがあります。
 良ければついでにご覧いただければ幸甚です。

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このブログ記事について

このページは、hirakawaが2005年5月21日 10:12に書いたブログ記事です。

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