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米国BSE問題―4月19日衆院農林水産委員会の気になる発言

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昨日(19日)のニュースで、こんなのを発見。

民主が農相を厳しく批判 安全委への諮問めぐり
 民主党の鮫島宗明「次の内閣」農相は19日、国会内で記者会見し、島村宜伸農相が米国産牛肉の安全性を食品安全委員会に諮問する際に米国の飼料規制の有効性を「諮問事項としない」と発言していることについて「農林水産行政の責任者としては全く不適格だ」と批判した。・・・・(共同通信) - 4月19日18時45分更新

民主党のコメントはこちら: 【コメント】衆議院農林水産委員会における島村農相の発言に対して

この飼料規制棚上げ問題は、当ブログでも何度か触れているが、果たして政府サイドは本当に米国の飼料規制について考慮せずに、米国牛のリスク評価を食品安全委員会にやらせるつもりなのか――当然ながら、それ抜きには有意味なリスク評価は不可能――と思い、審議のビデオを衆議院インターネット審議中継で見てみた。(ビデオは、「ビデオライブラリー」の検索で、日付を平成17年4月19日、会議名を農林水産委員会、発言者名を山田正彦にすれば見つかります。問題の箇所は、山田正彦議員(民主党)の質疑の17分頃から30分くらいまでのところです。また数週間すれば、議事録が国会会議録検索で読めるようになります。)

で、ビデオを見た結論を端的に言うと、島村農相の答弁に対する民主党サイド(山田正彦議員)の解釈はちょっと一面的で、何か重大なすれ違いがあるんじゃないかということだ。詳しく言うと、議論の本質は、牛肉の安全性に関する日米間の「同等性」についての考え方が、どうやら島村大臣(=農水省)と山田議員の間で異なっていて、その違いにお互いが気づかぬまま質問したり答弁しているので、山田議員サイドから見ると、上記のような解釈になってしまうのだ。

この件については、すでに今年2月24日の同委員会で、山田議員と島村大臣の間で質疑応答が行われていて、今回のはそれを再度確認するものだった。二人の質疑・答弁をまとめるとこうなる。

山田議員
輸入再開条件である米国牛の安全性の基準として、飼料規制、SRM除去、屠殺方法、検査方法の四つの要素の安全性について諮問するのか?飼料規制の有効性も評価するのかどうか?
島村大臣=農水省
飼料規制は、BSEの病原体が牛から牛へ伝播することを防止するための措置であり、牛肉そのものの安全性を直接確保するものではないため、米国産牛肉の輸入再開の条件として飼料規制までは求めない。しかし、輸入再開にあたって考慮に入れるべき事柄であるので、必要な情報は食品安全委員会に提供する。

そして、この答弁のなかで山田議員=民主党は、「農水省は飼料規制を諮問事項から外す」という部分にフォーカスし、これを非難してるわけだけど、実は島村大臣=農水省は、「諮問事項には含めない」という一方で、「米国牛肉の安全性評価に必要な情報として委員会に提供する」ともいってる。これはなんだかすごくあいまいな、どっちつかずのようにも見えるのだけど、そのもやもやは、「日米間での安全性の同等性」についての両者の考え方の違いを、いわば補助線として入れてあげるとすっきりする。いいかえると、両者は、輸入再開条件は、米国牛肉の安全性が日本と同等であることだという点では一致してるのだが、その「同等性」の定義が違うのだ。これを、そこからそれぞれ引き出される諮問内容の違いと一緒にまとめると次のようになる。

山田議員にとっての「同等性」: プロセスの同等性/各論的同等性
米国の飼料規制、SRM除去、屠殺方法、検査方法という安全確保プロセスの4要素それぞれの(安全確保の点での)有効性が、日本におけるこれら4要素の有効性と同水準であることを求める。
=> 「飼料規制の有効性の同等性」の確認も、委員会での評価項目として諮問せい!となる。  
島村大臣=農水省: プロダクト(結果)の同等性/総論的同等性
4要素それぞれが日本と同水準であることは求めず、総体的な結果としての牛肉(プロダクト)の安全性が同水準であることを求める。
=> 「飼料規制の有効性の同等性」の確認は諮問しないが、現状での「飼料規制の有効性」そのものの実態データは、プロダクト(牛肉)の安全性を評価するのに必要なので、情報を委員会に提供し、委員会もそれを考慮して牛肉のリスク評価を行う、となる。

もちろん、これら二つの同等性は、山田議員が要求しているほうがより厳しく、結果としての牛肉の安全性も、そのぶん確保されやすくなる。また牛からヒトへの感染を防ぐという面でも、最も根本的な対策は飼料規制の徹底によって感染の拡大を防ぎ、感染牛をなくしていくBSE清浄化である。しかし、他方で島村大臣=農水省が求める同等性でも、たとえば飼料規制は日本と比べて有効でなくても、SRM除去、屠殺方法が有効に機能していていたり、感染牛の広がり(汚染度)が低かったりすれば、結果としての肉の安全性は日本と同等になりうる。まぁ、実際には、米国の4要素すべての有効性が疑われてるので、総体的結果としての牛肉の安全性も日本より低い(リスクが高い)んじゃないかと疑われてるわけだが。とにかく農水省としては、4要素すべての同等性を米国に求めるのは無理――米国政府・畜産業界にはやる気もなければ、あれだけの大規模生産してれば、その能力もない――と考えて、「とにかく牛肉そのものの安全性が同等ならいいよ」っていう現実的選択をしてる――その意味では米国に妥協している――のかもしれない。

そして、ここで大事なのは、次のことじゃないだろうか?確かに農水省は、上のような同等性の定義の下で、米国の飼料規制の有効性の同等性の確認・評価は、食品安全委員会に諮問しない。けれども、牛肉のリスク評価には飼料規制の実態に関するデータ・情報は不可欠だから、これを委員会に提供するし、そのために米国に提出を求めていく。素直に読めば、島村大臣=農水省の答弁が言ってるのはこういうことである。これを「飼料規制は諮問せず」というところだけ切り取って、民主党として非難コメントを発表し、「こんなこという島村大臣は農相として不適格!」と攻撃材料に使うばかりではいけないんじゃないだろうか。(まぁ、島村氏は、大臣になる前は輸入解禁積極派だったみたいだし、吉○家など輸入解禁派の外食産業団体から献金ももらっていたみたいだし、不適格だとは思うが。)また、これを報道するマスコミとしても、「飼料規制は諮問せず」のとこだけで、「リスク評価には必要」という部分を無視して報じるのはまずいだろう。

とくに懸念されるのは、米国牛のリスク評価を行う際のリスクコミュニケーションの混乱だ。確かに、山田議員の「プロセスとしての同等性」と比べると、農水省の「プロダクトの同等性」は心もとない感じがするが、しかし、その確認のためには飼料規制の実態データも他の要素の実態とともに考慮に入れられるわけだ。そして米国では、4要素のどれにも有効性に対する疑いがあり、それら疑いが真であれば、総論として米国牛肉のリスクは日本より高いという結論になりうる。米国にとっては、各論ごとの、プロセスとしての同等性という高いハードルは外されても、依然として高い総論としてのハードルが残っているのだ。また逆に、プロセスとしての同等性を米国に求めていたのでは、あまりに非現実的で交渉にならないが、プロダクトの同等性に関してであれば、少なくとも現実性はより高い。もちろん、米国にとってはそれすら空想的な目標であり、意味のある、現実的なリスク評価には4要素の実態データすべてが必要だという理屈を無視して、「オレが安全だって言ってるんだから安全なんだ、黙って食え、ゴルァ」と逆ギレしてくる可能性はある(もうそうなってるともいえるが)。しかし、プロセスの同等性を求めるよりはずっと現実的なはずで、日本からの要求は、そこに集中すべきだろう。なのに、もしもプロセス/プロダクトの同等性の違いを無視したままリスクコミュニケーションを行い、たとえば消費者団体はプロセスの同等性を主張して、農水省と対立して議論が紛糾すれば、食品安全委員会の審議も長引き、その分余計に米国をいらだたせ、科学の論理も法的手続きの論理も無視した逆ギレを招きやすくなる。ちょうど、国内対策の見直しにあたって、全頭検査で議論が紛糾し、より重要なSRM除去の有効性(ピッシングなどの問題)についての議論がおろそかになったのと同じボタンの掛け違いが、今度は飼料規制をめぐっておきるかもしれない。米国に対し、飼料規制も含めて実態データを出すよう、政府がタフな態度で望まねばならない時に、国内がそれでいいのかどうか。輸入反対派としても、「プロセスの同等性」ではなく、「プロダクトの同等性」の科学的な確認のために飼料規制のデータが必要であるという主張をして、弱腰になりがちな政府を後押しするというのが、現実的なんじゃないのか。そう思うのだがどうだろう?

もちろん、農水省あるいは小泉首相がヘタレで、昨日の島村大臣の答弁に反して、プロダクトの同等性の確認に必要な飼料規制のデータすら米国に要求しないということもありうる。でも、だとすればなおさら、「(プロセスの同等性の確認要素として)飼料規制の有効性は諮問しない」というほうにフォーカスするのはまずいだろう。「(プロダクトの)リスク評価に飼料規制のデータ・情報は必要」という発言のほうをしっかり言質としておさえ、それをきっちり実行してもらうよう求めていくのが、現実的で意味のあることなんじゃないだろうか。山田議員にも、「リスク評価に必要なものとして、飼料規制の実態データを米国に求めるんですね?イエスかノーでお答えください」と、ズバリ確認してもらえるといいのだが。

それと、最後にもう一つ、昨日の委員会のやり取りですごく気になったこと。それは、山田議員が「飼料規制も諮問しなくていいのか」ということを食品安全委員会の寺田委員長に尋ねた時の委員長の答弁だ。そのなかで委員長は、島村大臣=農水省と同様に、牛肉のリスク評価には飼料規制に関するデータも必要だという趣旨のことを答える中で、次のように述べている(ビデオで25分30秒頃)。

私ども[=食品安全委員会]は、リスクの評価をするところでございまして、管理機関から評価を依頼されると。だけれども、管理機関と私どもとは、ご存知の通り、独立の機関でございますから、管理機関にこういう諮問をしてくれとか、そういうことはできませんが、科学的にきちっと評価は、諮問が来たら、させていただきます。

これって、まともなことを言ってるようで、実はかなり捻じ曲がったことをいってるんじゃないのか?先日も「生きた牛の末梢神経からも異常プリオン?」のエントリーで指摘したけど、諮問に盛り込まれる「リスク評価方針(risk assessment policy)」は、確かに管理機関が作成するものだが、作成にあたっては、リスク評価の科学的な系統性や完全性(integlity: 必要な検討事項やデータに漏れがないかどうか)、バランス、透明性を保証するために、リスク評価者や他のすべての利害関係者と協議しなければならないということが、コーデックス委員会のガイドラインの考え方である。諮問内容が科学的にみて不適切であれば、科学者として、管理機関に是正を求めることはできるし、しなければならないわけだ。そもそも評価機関と管理機関の独立性というのは、リスク管理において考慮される様々な価値や利害のうち、特定のものが、リスク評価における科学的判断を歪めたりしないようにするためのものである。いいかえると、「管理機関の評価機関からの独立性(independency of risk management from risk aseessment)」もしくは「政治の科学からの独立性(independency of politics from science)」ではなく、その逆が主旨なのだ。

先日も書いたように、科学/リスク評価は、必然的に社会的・政治的文脈に埋め込まれており、特にリスク評価方針によって、リスク評価は、何をどのように評価するかという問題設定の「フレーミング」の点で、社会的な影響を受けている。いわばリスク評価で何がファクトとして、答えとして明らかになるかは、問いかけの仕方を左右する社会的・政治的考慮によって縁取られているのだ。そしてだからこそ、この縁取りが科学的に不完全であったり、社会的・政治的な価値や利害の点で偏向したものでないようにするために、リスク評価方針の作成は透明かつオープンに行われなければならない。リスク評価のリスク管理からの独立性というのは、そのようにして達成されるものだ。そのためには、「諮問作成」は、すべての関係者に開かれており、特に科学的な側面についてはリスク評価側の科学者との協議が不可欠なのである。さもなくばリスク評価は、科学的に偏ったものになり、それに伴って、社会的価値・利害の点でも偏ってしまうのである。(社会的文脈に置かれた科学的主張は、多かれ少なかれ政治的含意をもち、科学的な偏りは政治的な偏りに直結する。)

この点で寺田委員長の答弁は、評価と管理の独立性をまったく履き違えており、食品安全委員会の根本原則であるリスクアナリシス(リスク分析)の考え方に反している。その考え方に従えば、リスク評価方針=諮問は、管理側にとって都合のよい答えを評価者から引き出すための、いわば遠隔操作の「リモコン」になってしまい、まさに評価の管理からの独立性が脅かされてしまうのだ。どうして寺田委員長がこんなことをいうのか、何らかの政治的意図があるのか、単なる誤解やいい間違いなのか(誤解だとしても食品安全委員会委員長として十分重大な誤解だが)、真意はつかめないが、とにかく、この「独立性」と「諮問」の関係は、絶対履き違えてはならない問題である。

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ちょっと新聞だとアジアがギクシャクしている問題で、影も形もないのだが、1月頃アメリカが牛肉の輸入解禁を求めているニュースがあった。   ライス国務長官がアメリカに輸入許可を迫っているが、日本は断固としてほとんど拒否に近い保留を保っていると言うもの。最. 続きを読む

■感染ヤギと羊の場合、肉や乳を通して感染物質が人間の体内に入る可能性、という報道 仏、ヤギやヒツジのBSE検査を強化 (4/19) http://health.nikkei.co.jp/bse/child.cfm?c=0 >「ヤギや羊では牛に比べ体内の多様な組織に感染物質が広がりやすく、肉や乳を通して人間の体... 続きを読む

コメント(3)

たいへんよくわかりました。
確かに相手(米国)のあることなので、「現実的で意味のある」進め方が必要ですね。
食品安全委員会には、その成り立ちから期待していますので、委員長にはしっかりしてほしいものです。

こんにちは。
手続の同等性vs結果の同等性というアイデアはなるほどと勉強になりました。

今後のイメージとしては、評価手法についても、国民に見える形でタイプや基準を提示する必要があると感じました。つまり、たまたま米国相手だから取るべき個別的な手法なのか、といったことについてです。

次に、「管理側にとって都合のよい答えを評価者から引き出すための、いわば遠隔操作の「リモコン」についてですが、ちょっと一般論でお話します。
わゆる建設公共事業のコンサルティング業務などに関わってみますと、リモコン関係があまりに日常的なので、どんどん鈍磨してしまうのですが、完全にこうした政治的論理で事業が行われているのをしばしば目にします。

一見科学的で精緻なリスク・シュミレーションにおいても、不確実な部分は必ずあります。だから不都合な結論を防止するために、あるいは経験知に反する結論を避けるためにパラメタを操作するとかいう過程がかならず入ります。政治的に望ましい結論を導くこともたやすい。そうなると、データ捏造ですが、一般の人が気がつくことはまずないでしょうね。あからさまな二重工事すらなかなかバレません。
役所の予算の関係上、最初から管理手法のイメージが決定されていると耳打ちされて、下請け孫受けが評価&コンサルティング業務をすることがあります。。いやこれはある意味で非常に効率的な態度だともいえます。大雑把な絵は大手コンサルがつくります。「描いたとおりになるように詳細調査をしてくれ」と子会社ないし下請けに暗に命じます。役所にしてみれば評価者が予算の都合をわかって最終的に管理手法の提案をしてくれれば行政は何も考える必要はないから楽です。
しかし、正直、インチキになりやすいことは否定できません。評価者が本来リスク管理のハード(構造物)は不必要だと考えているにも関わらず、「構造物は不要です」とは報告できないので小細工するわけです。技術者は良心がありますから皆さん自分の仕事をいかに膨らますかがなにより大切だと大声ではいいませんが、小声ではいうわけです。

行政と評価主体との関係がつねに建設業界ほど歪みまくっているとは思いませんが、ひとつの主要なパターンであることは確かだと思います。

利益団体などからの圧力が容易に予測されるケースでは、リスク評価が歪みやすい。環境保護団体がダム問題などで指摘していることは結構正しいです。

こうしたゆがみにもっと自覚して、食品安全委員会などは範を示さなければいけないと私は思いマス。

お返事遅くなり失礼しました。
n_ayadaさん、swan_slabさん、コメントありがとうございます。

>食品安全委員会には、その成り立ちから期待していますので、委員長にはしっかりしてほしいものです。

ほんとに同感です。従来の審議会とは違うんだということを見せて欲しいですね。

>こうしたゆがみにもっと自覚して、食品安全委員会などは範を示さなければいけないと私は思いマス。

食品安全委員会の設立は、まさにそうした「歪み」を正すためのものでした。その青写真となった「BSE問題調査検討委員会」の報告でも、政官業癒着と科学の無視・軽視の問題が大きくクローズアップされていました。

評価が政治的プレッシャーにさらされることは当たり前のことですが、それに負けてばかりでは、困ります。日本政府にもっと対米外効力があれば、話はもっとシンプルだったのでしょうね。

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このページは、hirakawaが2005年4月20日 11:32に書いたブログ記事です。

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