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「努力するのは貴国のほうだ」となぜ言わないのか

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日本以上に努力すべきは(ほとんど何もしていない)アメリカのほうなんじゃないのか?せめて、「貴国がいつも主張しているように、科学に基づいた(science-based)議論が重要だ。科学には時間が必要だ」くらい(イヤミで)言ってやったらどうだ?

首相「牛肉輸入の早期再開に努力」 米大統領と電話会談(中日新聞)
 小泉純一郎首相は九日夜、ブッシュ米大統領と電話で会談し、大統領は牛海綿状脳症(BSE)発生に伴い日本が禁止している米国産牛肉の輸入の早期再開に向け「首相の尽力を願いたい」と要請した。首相は「早く再開したい気持ちだ。この問題が日米関係を害することがないよう努力したい」と、早期再開に努力することを約束した。ただ「再開の期限を区切ることはできない」として、再開時期の明言を避けた。
 首相は会談後、棚橋泰文食品安全担当相に対し、科学的な立場から安全性を検討している食品安全委員会の審議を加速させるよう指示した。
 会談は米側が呼び掛け約十五分間行われた。・・・

ちなみにロイターが伝える「米国産牛肉の輸入再開問題、関係閣僚と協議したい=官房長官」によれば、細田官房長官は次のように述べているという。(強調筆者。なお内閣官房官房長官会見のコーナーには、まだ発言は掲載されていない。)国内的には、こういうこともいってるわけだが、同じことを直接相手にも言って欲しいものだ。

細田官房長官は、牛肉の安全性を検討している食品安全委員会について、「科学的な立場からの検討状況を見守る必要がある」とした上で、「国際政治的にたいへん波風が高くなっている。そういう見地から対応することがより良いが、いいかげんな結論でいいから早く出せ、ということにはならない」と語った。
 同官房長官は、「米国の産業界などから政治的要請が強まっていることは承知している」とした上で、「科学的知見が大事なので、消費者の安心、安全確保を前提に適切に処理を図らなければならない」と強調。今後、外相ら関係閣僚とも協議していく考えを表明した。
 米国の大統領が直接輸入再開を要請してきたことについては、「政治的な(米国)国内の問題もあろうかと思う」と理解を示した。また、日米間の消費者の安全、安心に関する考え方や基準、制度の違いにも言及し、「(米国側は)すり合わせが必要と言っているのではないか」として、相互に調整が必要との考えを述べた

ところで、この引用の最後にあるように、官房長官は、米国側が相互調整の必要をにおわせているような観測をしているわけだが、果たして本当だろうか?水面下でそういう打診も来ているか?「すり合わせ」といったら、アメリカの側もそれなりに(つーか、これまでのほとんど何もしていない「実績」を考えると、かなりの)妥協に向けた努力が必要なわけだが、そんなことする気が、米国の畜産業界や政界にあるんだろうか。自国のBSE対策について、EUからは、確かにオールNot OKの落第評価をもらっていても、もともと牛肉の対EU輸出は無視できるから、そっちにはほおかむりを決め込んで、あとは属国日本にはごり押しすれば万事OKとか、ナメたこと考えてるんじゃないのか?

ついでにいえば日本は、輸入問題に対する努力以前に、まず国内対策をしっかりさせるために、まだまだ相当の努力がいるらしい。BSE&食と感染症 つぶやきブログさんのところで紹介されているように、日本の特定危険部位(SRM)除去や土壌汚染対策(→回りまわって農場や水の汚染の対策)の状況も、まだまだ改善の余地が大きいことが、意見交換会でのリスクコミュニケーションを通じて指摘されている。

52.5%しかSRMを除去できていないところは改善されたのか?農場汚染リスクは?

また、同じくBSE&食と感染症 つぶやきブログさんが、 「日本初のvCJD患者さんの滞在履歴発表&英仏1日以上滞在者の献血禁止」「普通の生活で、vCJD=人型BSE(狂牛病)が感染しないとは本当か? 」で指摘しているが、献血や美容外科での人のプラセンタ(胎盤)の利用、その他手術や歯科治療の器具の汚染による院内感染の可能性もあるようだ。実際、日本初のvCJD患者さんが、もしも本当に英国に24日間滞在、フランスに3日間滞在している間に感染したのなら、日本国内にもそれなりの数の感染者がいるということになる(ちなみに厚労相は、8日午後の参院予算委員会で、日本初のvCJD患者さんは「日本国内で感染した可能性がないわけではない」とも述べている)。厚労省は今月7日、とりあえず安全を見込んでか、80年から96年の間に英仏いずれかにわずか1日でも滞在した人の献血を禁止した。その数は相当な数に及ぶだろう(英国大使館によれば、日本からの年間の渡英人口は50万人。バブル期をはさんだ80年から96年の間でもこれに匹敵する数だったに違いない)。今後は、プラセンタなど人体組織の利用についても規制が検討されるかもしれない(つーか検討しなきゃいかんだろう)。

まぁ、BSEのリスクばかりに囚われてしまうのは、アレなんだが、日本人からもvCJD患者が現れ、潜在的な感染者がそれなりの数で疑われる以上、これまでの飼料規制やSRM除去、検査によるスクリーニングという「牛まわり」(牛→牛、牛→人)の対策だけでなく、今後は農場まわり(土壌汚染→牛・人)や病院まわり(人→人)についても、努力していかなければならないだろう。リスク評価を担当する食品安全委員会にしても、リスク管理を策定・実施する農水省・厚労省にしても、国内対策だけでも相当の仕事量が待っているといえる。この前も書いたけど、そうした状況が新たに加わる中で、食品安全委員会の審議について「議論のペースが常識はずれに遅い」(町村信孝外相)などといえるのかどうか、委員や事務局の役人たちを追い立てる前に、アメリカにも「もっと誠意をみせろ。さもなきゃ日本の消費者は納得せんぞ」くらいいえないのかどうか、「愛国心」を常日頃大事にしているはずの政治家の皆さんにはぜひ考えてもらいたいもんだ。

あと、もうひとつ。食品安全委員会の科学ベースの審議に対し、米国の圧力やそれによる国際摩擦の恐れなどを考慮することは、「科学に対する政治の介入」として、悪いことだという見方をする人もいるかもしれないが、リスクに関する政策決定、特にリスク管理に関する決定では、政治的考慮をするのは当然のことである。問題は、科学的に論じなければならない事柄の筋が政治的考慮によって捻じ曲げられる――データの捏造や無視、議論すべき論点のすっとぱしなど――ことがないようにすること、そして検討対象となる政治的考慮そのものの社会的正統性――健康保護を目的としたリスク管理にあたって、対米摩擦回避という外交リスクは、考慮に入れるべき要素として妥当かどうか――を吟味することである。

<追記>
上では「アメリカに対し、もっとはっきり物申せ」と書いたけど、とりあえず「われわれも早期再開を望んでる」、「再開に向けて努力する」、「食品安全委員会の審議が遅すぎる」と言ってみたり、はたまた作業のロードマップは示して見せるというのは、外交戦術としてはいい手かも、と思った。要するに、ブッシュ大統領からの申し入れで、日本が動いたというポーズ、やる気のあるポーズをせいいっぱい見せることで、とりあえずブッシュをプッシュしてる畜産業界・議員の気をそぎ(ブッシュとしても「私からの申し入れで、ジュンイチロウが動いてくれた」と言い訳をして、彼らをなだめられる)、時間稼ぎをすることもできるからだ。

とはいえ、いつまでも時間稼ぎをしているわけにはいかないから、所詮それは時間稼ぎ以上ではないんだろうな。

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コメント(5)

BSEは専門家ではないので、科学的には少し自信のないところもあります。しかし、GM作物の問題同様、BSEは科学的マターでは無いと思います。そのあたりも、ご理解の上であえて、米国に強く出ろと書かれているのかどうかはよくわかりませんが、日本政府はそんなに強く出られる面はないでしょう。米国が怖いからというより、これまでのやり方があまりに行き当たりばったりだからです。BSEでも最初にボタンの掛け違いがあったと思います。国内で感染牛に出たときに、まずは、国民の不信を払拭するためにと、深く考えずに多大な税金を使って、殆どの牛肉を処分し、全頭検査をするとしました。これは、行政主導と言うより、政治の非常に大きい圧力がありました。亀井さんや、松岡さん、確か鈴木宗雄なんかが大声で、上記の措置をまくしたてていましたよねー。
そのときは、後のことなど考えずに緊急避難処置としてリスクコミニュケーションなど考えずに、押し切りました。多くのマスコミも指摘しない(マスコミは本当に不思議です)未だに不思議なこととして、このときは、国内の在庫を殆ど焼却処分としたのに、米国で感染牛が見つかったときに在庫を食べつくしたことです。どうして、行政は流通を緊急的にストップさせて焼却処分しなかったのでしょうか?吉野家から牛丼が消える日とか、言ってニュースにもなりましたが、マスコミも、消費者団体も何故このときは何も言わなかったのでしょうか?全然、筋が通っていないと思うのですが。在庫を食べつくしても構わないのだったら、引き続き米国産を輸入、消費すればいいと思うのですが。そうは思われませんか?
勿論BSEにリスクはありますが、他の食品によるリスクと比べてどうでしょう?心理的なもの、つまり新型ヤコブ病だのプリオンだという、得たいの知れないものに対する恐怖は、あるとしても、確率から言えばもっと危ないもの沢山あります。確率がはっきり算出できないほどBSEのリスクは小さいと思います。今、食品安全委員で議論している20ヶ月以下や全頭検査云々は、とても低いところでのリスクです。例えば、0.01%のリスクを0.002%に減らすことに、どれだけ意味があるでしょうか?勿論、同じ措置ならリスクが小さいほうがいいですが、多大なコストをかけて0.01%のリスクを0.002%に減らすことがどれだけの意味のあることでしょうか?
BSEの問題は、当初の根拠の無い国内措置の整合性への回答ができないことが一番の問題でしょう。この措置に踏み切った農水省としても、政治(いわゆる農林族)からの圧力の結果ですから、答えようが無いというか、答えたくないでしょう。食品安全委員会に責任転嫁できてほっとしているでしょう。しかし、裏の問題としては、国内畜産関係者の焼け太りがあります。米国産の輸入禁止は、国内畜産業にとってはとてもありがたいようです。BSEによりバブルとなった畜産業者は沢山いるようです。食肉業界もハンナンの例にあるように火事場泥棒みたいに甘い汁を吸いました。美味しい目をしている人たちは、輸入再会を望みません。様々な理屈で輸入解禁に難癖をつけるでしょう。首尾一貫性がなく、無茶苦茶としか言いようがありません。これで、米国に偉そうなことが言えるとは思えません。
国内で新型ヤコブ病の死者が出たことを受けて、厚生労働省は、イギリスやフランスに旅行した人の血液が入っている可能性がある輸血血液を廃棄する措置に踏み切りました。HIVの苦い経験が、こうさせているのでしょうが、この血液から新型ヤコブ病が出るリスクと、この措置にかかる様々な経費や血液が足りなくなるというリスク評価をおこなったとは思えません。日本人の思考がゼロリスクを求めるのは仕方ないですが、行政もそれでいいのか疑問です。こうして、一見世間的にリスクと思われるものを限りなくゼロに近づけるための弊害の責を行政は考えなくていいのでしょうか。リスクコミニュケーションを一番きちんとやらなければならないのは行政だと思います。トレーサビリティーも馬鹿な話だと思っています。スーパーでバーコードから携帯を使って野菜の生産履歴がわかることがそんなに重要でしょうか。それにかかるコストは消費者が払わされます。そんなコストを私は払いたくないです。話が明後日の方向に行ってしまい失礼しました。
言いたいことは、決して非科学的にごり押しをしてくる米国に科学的な政策を取っている日本が力で押し切られようとしているのではなく、日本の行政も無茶苦茶ということです。国内畜産業界との綱引きでしょう。ここでも殆ど、科学的見地は使われていません。北海道のGM規制条例も科学なんて入り込む余地がありません。条例案がHPに出ましたが、額面通りに読むと無茶苦茶でしょう。FOOD SCIENCE
http://biotech.nikkeibp.co.jp/fs/kiji.jsp?kiji=349はいいこと書いています。

赤影さん、こんにちは。
以前に頂いたコメントにお返事せぬままで、失礼致しました。

>そのあたりも、ご理解の上であえて、米国に強く出ろと書かれているのかどうかはよくわかりませんが

もちろん、そのあたりを含めて考えています。「(イヤミで)言ってやったらどうか」というのも、その点を含んでのことです。

>まずは、国民の不信を払拭するためにと、深く考えずに多大な税金を使って、殆どの牛肉を処分し、全頭検査をするとしました。これは、行政主導と言うより、政治の非常に大きい圧力がありました。

政治的圧力があったというのはそのとおりだと思いますが、同時に、当初の時点での全頭検査に関しては、当時は月齢確認が今のようにできなかったので、とりあえずその体制が整うまでは全部まとめて検査するしかないという事情もありました。したがって、現在アメリカに対して「当初の根拠の無い国内措置の整合性への回答ができない」というわけではないと思います。また、回収処分についても、リスクの程度がどれくらいか知れない当初の段階では、警戒措置・危機管理措置として、仕方ないものだったと思います。

しかし、やはり、政治家主導(当時の大臣の武部氏は北海道が地盤でもありますし)で、大きなプッシュがあったという点は見逃すべきではないとも思います。そしてそれは、いまアメリカの議員が畜産業界のために対日制裁をほのめかせてきているのと全く同じことです。とはいえ、業界の損失を避けるというのもリスク管理・危機管理の仕事の一部ですから、それはそれで妥当なことだと思います。問題になるとすれば、第一に、業界の利益を守ることが消費者の利益(とくに健康保護)を守ることと対立しないかどうか、第二に、業界保護が、リスクの発覚やリスク管理(または危機管理)措置の実施による「損失」の回避・緩和を超えて、逆に利益増大(焼け太り)を狙った(商売として)アンフェアなものでないかどうかだと思います。

この観点から見て、日米を比べた場合どうかというと、まず第一の点については、日本の場合は、検査や回収・処分に対する税負担という面での「消費者側の損失」はあったわけですが、同時に、その対価として、リスクを避けることはできたわけです。もちろんそのリスク水準は、当初考えられていたよりもずっと低いのが実態のようですが、1頭目が発見された当初の段階ではリスク水準は不明で、安全寄りに考えて、今からすれば過剰に見える措置をとることは危機管理として妥当だと思います。(検査費用については、消費者価格に上乗せしても微々たるものですから、税負担する必要はなかったし、少なくとも途中から価格上乗せに切り替えても良かったと思いますが。)

他方米国牛はどうかというと、吉野家の牛丼が食べられないとか、米国産の安い牛肉が手に入らないという消費者側の損失はあるでしょうが、その一方で、日米協議の中で、飼料の交差汚染などの問題点が確認されているだけでなく、EUによるリスク評価でも、飼料規制、化製処理、SRM除去すべての点でNot OKと評され、また現場労働者や検査官からも問題点の指摘がある米国のリスク管理の現状、少なくともそれに対する「疑い」を放置したままで輸入再開するのは、いくら他の種類の食品リスクと比べて低いとはいえ、健康保護という目的にとって問題だと思います。(他と比べてリスクが低いことを理由に、疑いを残したまま再開するとすれば、それはEUの対策水準なども無意味ということになってしまいますし。)そして、リスク管理体制への疑いは、科学的な問題(アメリカの体制におけるリスク水準へ疑い)を含むものですから、そこについてはやはり、ちゃんと科学的に検証すべき問題だと思います。BSE問題の大部分は政治経済的な問題ですが、やはり人の健康に関わる限りは科学的な部分も含むわけです。その点については、イヤミではなく、ちゃんと筋を通して欲しいと思います。月齢確認方法一つとっても、日本側が要求した追加の統計学的情報の提出を拒んでいるようでは、話になりません。

いいかえると、お互い、業界保護という政治経済的配慮(これもリスク管理にとっては本質的要素ですが)を抱えている点ではイーブンだとしても、リスク管理のより本質的な要素である健康保護の点では、明らかに米国側の努力が足りない、あるいは少なくとも「十分努力している」ことを納得できるような状態ではないわけで、その点を明らかにせず、日本だけが譲歩しつづけるというのは、健康保護の点から不合理ですし、国際交渉としても、あまりにお粗末だと思うわけです。

しかしながら、それとは別に、「消費者保護」を隠れ蓑にして、業界の利益の「増大(焼け太り)」やその維持を目論むのは、やはりアメリカに対してフェアではないでしょう。健康保護に伴って発生しうる業界の利益の「損失」を回避・埋め合わせしようとするのはリスク管理の一部ですが、焼け太りを手伝うのは、明らかにリスク管理の範囲を逸脱しています。他方、この「業界保護のフェアネス」の点で米国政府(または業界利益を代弁する一部政治家)の言動はどうかといいますと、一見それは、日本側の禁輸のせいで生じている「損失」を減らそうとする行為であるわけですが、そもそもの原因は国内でBSEが発生したことや、その後の対応の不備や欠陥、あるいはそれらに対する疑いを晴らすような努力をしていないために生じてるわけですから、要するに自業自得です。また日本側には、全頭検査の「政治的維持」という「やましい」部分もあるものの、食品安全委員会の審議に時間がかかっているのは、基本的には食品安全基本法に定められた手続き上の問題です。あと、別の記事にも書きましたように、事務局等のマンパワーの問題もあるでしょう。もちろん、委員会に対して、「早く結果を出せ」、「検査は緩和しろ」という圧力のほかに、「審議を遅らせるように」とか「検査は維持の方向で」という反対側の圧力が政治家ないし役人を通じて働いていることは十分考えられますが。(どちらかというと、「緩和しろ」の圧力に押されているように思えますが。)

>(マスコミは本当に不思議です)未だに不思議なこととして、このときは、国内の在庫を殆ど焼却処分としたのに、米国で感染牛が見つかったときに在庫を食べつくしたことです。どうして、行政は流通を緊急的にストップさせて焼却処分しなかったのでしょうか?

この点は、何度かこのブログでも触れていますが、私も本当にいぶかしく思っています。マスコミも本当に不思議ですよね。吉野家の在庫セールはあれほど報道するくせに、その矛盾を全然つかないというのは、本当に理解に苦しみます。全然筋が通っていない。消費者団体については、当時どんなことを言ってたか、ちゃんと見ていなかったのでわかりませんが、少なくともマスコミに出てくる場面では、消費者団体からの問題の指摘はなかったですよね。その辺もほんと不可解です。私としては、上にも書きましたように、日本が当初の時点で回収処分・買い上げ措置をしたのは、あの時点では、健康保護という観点からも業界の損失回避という点からもリスク管理ないし危機管理として合理的だったと考えていますから、本来ならば米国産も直ちに回収廃棄すべきだったと思います。それがなぜ行われなかったのかが不可解です。

>今、食品安全委員で議論している20ヶ月以下や全頭検査云々は、とても低いところでのリスクです。

確かに低いリスクですよね。その点で「0.01%のリスクを0.002%に減らすことに、どれだけ意味があるでしょうか」ということには、全く同意します。それにかける人的・財政的資源があるなら、他にもっと大きなリスクの対策にまわすべきでしょう。

ただ、その一方で、リスクの低さについては、まだ不明なことも多いようです。「日本での発生確率0.9人」など、食品安全委員会の報告書で出た数字も、かなり乱暴な計算だということも言われています。また委員会のリスクコミュニケーションでもしばしば委員会側から説明されていますが、20ヶ月齢以下で、異常プリオンの蓄積が少ないからといって、それを長期にわたって食べつづけた場合の体内での蓄積効果や最少発症量(閾値)については、あるのかないのか、あるとすればどの程度なのかは、まだ分っていないそうです。したがって、「若い牛だから何もしなくていい」というわけではないようです。たとえば蓄積効果があっても、若い牛ならば、それを一生涯食べつづけても最少発症量に至ることはないというのなら、放置しておいて構わないでしょう。しかしまだ、それを前提にできる段階ではないのが現実のようです。

もちろん、だからといって、20ヶ月齢以下も検査せよというのは無意味だと思います。現在の検査法の検出水準と、これまでの感染牛の発見数から推定される日本の汚染状況では、20ヶ月齢以下の若い牛で感染牛が見つかることはほぼないと言えるでしょうから。必要なのはSRM除去や飼料規制の徹底です。(将来的に高感度でしかも生体牛も検査できる手段がリーズナブルなコストで使えるようになれば、SRM除去より効果的でしょうが。)

ただ、これについては、欧州と比べて日本の対策はまだまだ改善の余地が大きいようです。いいかえると、0.01%を0.002%に下げるのではなく、0.01%(つまり十分低くacceptableなリスク水準)を実現・維持するためにしなくてはいけないことがあるということです。少なくとも、蓄積効果について不明な点がある以上は、20ヶ月以下の若い牛に関してもSRM除去の実施体制を強化する必要はあると思います。もちろん、いずれ蓄積効果や最少発症量について信頼できる知見が現われてきた場合には、現状レベルでも十分であったという結果になるかもしれませんが、分っていない以上は、とりあえず警戒レベルは保ったままにしておいたほうがいいと思います。(他にも、筋肉や末梢神経、炎症臓器など現在定義されているSRM以外の部分での異常プリオンの蓄積の可能性を示唆する知見も最近になって出てきたりしていますから、SRM以外の部分がどれくらいリスクを相対的に上げるのか、そのあたりのことが判明しないと、SRM除去で十分とは断言できないのかもしれません。感度の良い、できれば生体牛を扱えるような検査法の早期の開発が必要なのかもしれません。いずれにせよBSEはまだ不明な点の多い問題のようです。)

ちなみに、この「警戒レベル」云々で重要な課題として、当初設定した高い警戒レベルに基づく措置を、知見の蓄積にしたがって、いかに世間の納得を取り付けつつ下げるかという問題があります。これはおそらく日本固有の問題ではなく、世界的に共通した課題だと思いますが、これがなかなか難しいんですよね。(先月号の中央公論で中西準子さんもこの問題を指摘していましたが。)全頭検査緩和をめぐる問題も、基本はそこにあったはずです。先に全頭検査には、当初の時点では政治的配慮以外に科学的な正当性もあったことと書きましたが、月齢確認体制が整った以上、その点はもう失効しているわけです。まぁ、消費者から見ると、月齢確認のために牛の耳につけてる標識を偽るなど、不正の疑いはあるので、そういう不正排除や、SRM除去の徹底が前提となる話ではありますが。(逆に言うと、不正に関する不信感が全頭検査継続を望む声の背景の一部になっていると思います。)しかし、その点をちゃんとしていくということであれば、全頭検査の緩和を消費者に納得してもらい、したがって業界にも(消費者は納得してくれるから損失は生じないと)納得してもらうことは、ちゃんと説明することはできたでしょう。実際、農水省・厚労省が食品安全委員会に宛てた諮問書では、検査だけでなく、その他の対策の維持・強化も含まれていましたし。

けれども、この点で大きな障害となっているのが、米国BSE発生と、輸入再開圧力の存在です。全頭検査緩和自体は、すでに米国BSE発生以前からアジェンダにあった話ですが、それが米国が絡むことで議論が変質してしまったわけです。単なる国内対策の見直し・再構築の議論がそのまま輸入再開条件の議論とリンクしてしまい、そのなかで、特にマスコミの報道が一気に検査緩和問題に集中してしまいました。本当なら、輸入再開条件にしても、その中には検査以外の対策の問題も入るわけですが、とにかく月齢-検査問題だけが肥大化してしまいました。以前、このブログにも書いたことがありますが、この点で、全頭検査の維持は、科学的には合理性が(もはや)なくなっても、政治的には、依然疑わしい段階にある米国からの輸入再開を避ける防波堤として必要、というような構図が生まれてしまっているのだと思います。食品安全委員会のリスクコミュニケーションなどを見てみると、それが全頭検査維持を望む消費者サイドの声、あるいは危機感の背景のかなりの部分を占めているように思います。もちろん、中には「焼け太りを維持したい」という国内畜産関係者の声も含まれているでしょうが、逆に、輸入再開で消費者が牛肉全般から離れて(産地ラベルの偽装を疑う消費者も少なくないでしょうし)、禁輸で得している分を大幅に下回る損失が出るかもしれないという危機感も国内畜産関係者には強いと思います。もちろん、前者(焼け太り維持)はリスク管理を逸脱してるアンフェアなものですが、後者はやはり回避しなければならないでしょう。

ただ、「損失回避」という意味での業界保護という点で一貫してないと思うのは、禁輸で損失を出してる外食産業への対応ですね。難しいというのももちろんあるんでしょうが、畜産業界と比べると、やはり政治的圧力の差(不平等)があるのかなぁとも思ってしまいます。もちろん、外食産業への対応が、疑いの残ったままでの輸出再開なんていうのは、問題外ですが。

ただ、こういう首尾一貫性のなさはすごくあるにしても、政治家の頭の中は別として、問題そのものはすべてが政治的配慮だけの無茶苦茶なものではないのも本当だと思います。健康保護という点からみたら、やはりアメリカの現状は疑ってかかるべきだし、その疑いを晴らすよう、EUや日本国内並みの(全頭検査は除く)対策レベルを実行してもらうよう、科学的な議論を踏まえて、堂々とアメリカに要求していくべきだと思います。

要するに、非科学的な背景からごり押しをしてくる米国に対して、日本も同じく非科学的な部分(それにはリス管理措置として正当化できるものもあればできないものもある)をいっぱい抱えているにしても、それがすべてではない。やはり通すべき筋を政府は通すべきだし、その筋に関しては日本のほうに理があるのではないかということです。もちろん日本側の政治家や業界関係者の焼け太りの維持・拡大を狙った「悪乗り」は、米国が自国の不備を棚に挙げて日本ばかりに無理を言ってくるのと同様に、非難されてしかるべきです。


>HIVの苦い経験が、こうさせているのでしょうが、この血液から新型ヤコブ病が出るリスクと、この措置にかかる様々な経費や血液が足りなくなるというリスク評価をおこなったとは思えません。

やっていないでしょうね。ブログには書いてませんでしたが、このニュースを知ったときは、我が家でも献血事業への影響は話題になりました。とはいえ、初期段階では、こうでもしないと、「輸血対策はしなくていいのか」と、対応の遅さを非難されたり、一日滞在でなく、たとえば「一週間以上」とすれば「その一週間という根拠はなんだ」という話になって、後々話が面倒になるのを避けるという点では、現時点では致し方なかったのかなとは思います。まぁ、「輸血事業・医療現場への悪影響(カウンターリスク)も考慮しなければならないので、しばし待て」くらいは言えた(ただし、いつまでに結果を確定するという作業スケジュールも示した上で)かもしれませんが。とりあえず現実的な課題としては、この後、カウンターリスクの評価をどうやって、結果的にどのくらいの水準で線を引くかを決めるかですね。そしてこれを、ちゃんと作業工程として示していくことも、措置の「緩和」を社会が受け入れるために必要なことだと思います。さもないと、行き当たりばったりに見えてしまい、要らぬ不信を招きますから。とにかく今は、初期段階の緊急避難措置で、最も警戒レベルを高めていて、カウンターリスクも含めたリスク評価など知見が得られ次第、より現実的な措置に移行していくという筋道と論理を、できれば「これくらいのリスクならこれくらいの措置で大丈夫」という評価基準と一緒に、できるだけ早い段階で提示することが大事だと思います。


ちなみに、このブログでも過去に何度か書いてますが、私も、(食品だけに限っても)より大きな他の種類のリスクがある中で、BSEのリスクばかりに血眼になるのは視野の狭い不合理なことだろうと思っています。特に、リスク全体の管理を担っている行政が、特定の問題に集中しすぎるのは、全体として事態を悪くする怖れがあるでしょう。けれども、現在の行政が置かれている社会的状況を考えると、そんな不合理なことでも、ある程度はしなければならないのだろうとも思います。食品安全に限りませんが、消費者、あるいは国民の行政に対する信頼は決して高くはありません。BSEに関する議論の中でもしょっちゅう引き合いに出されるのは薬害エイズで、それは食品安全の一翼を担う厚生労働省の事件です。農水省にしても、「日本では絶対にBSEなど発生しない」とタカをくくっていたという汚点が知られています。カネミ油症事件や森永砒素ミルク事件などの経緯も知っている消費者団体の場合には、行政に対する不信は相当に根深いものがあります。そうした不信の壁が立ちふさがる状況では、どんなに行政や専門家がまともなことを言ったりやったりしても、疑いが残り、額面どおりに受け取ってもらえないでしょう。また「ゼロリスクの要求」に見えることの裏にも、そういうリスク管理の「システム」に対する根深い不信が相当にあると思います。「安全です」あるいは「リスクは十分小さく無視できる/管理できる」と言っても、それを主張する組織が信用しきれない。また、たとえリスクが小さくても、万が一被害にあった場合に、誰がどう責任をとるのか、どんな補償や救済策があるのか、そもそも救済措置はとられるのかどうか、そのあたりに不安=不信感があれば、よりリスク回避の要求が厳しくなるのは自然な反応でしょう。

ついでにいえば、そういう責任問題や救済措置について行政は滅多に確約しませんし、そもそも措置があっても、適用条件が厳しく、泣き寝入りの可能性が高いことは、過去に数多の例があります。BSE/vCJDのように潜伏期間が長いものの場合は、異常プリオンを摂取したという「原因」ははっきりしても、いつ食べたどの肉なのか、あるいは肉以外の加工食品などからなのかが分りづらく、従って「責任の所在」も分らなくなってしまうようなものの場合には、なおさら不安は大きいでしょう。食品安全委員会を中心とする新しい食品安全行政に対しては、「果たしてこの新しいシステムは、私たちのことを第一に考えてくれるのかどうか、昔どおり一部業界の利益を優先するだけのものなのだろうか」と、期待と不安・不信が入り混じった心理が、リスクコミュニケーションの現場を見たりすると、見えてきます。そういう状況の中では、信頼回復のために支払うべきコストとして、科学的には不合理で過剰な政策がしばしば必要なのではないか、政治的には意味があるのではないか、そうやって信用されるようになって初めて、より現実的な水準の政策に徐々に移行していくことができるようになるのではないかと思うのです。(もちろん程度によりますが。)現段階で国民が最も必要としているのは、行政が実際に国民のためになる政策をしているかどうかということだけではなく、国民自身の目から見て、そうであると納得・信用できる「主観的経験」ではないかと思うわけです。ところが米国BSE発生以来の状況は、国民(もちろん輸入再開賛成という人もいますが)から見れば、期待を裏切りそうな方向にどんどん進んでいってます。米国牛肉の問題で、私が一番懸念する問題は、BSEのリスクそのものではなく、不信・対立の構造の(拡大)再生産です。それもあって、余計に、食品安全委員会や農水・厚労省には、法的な段取りと科学的な筋を通して欲しいとも思うのです。

それともう一つ、信頼回復の努力と並行して重要なのは、やはり政策決定現場への国民のインボルブメントだと思います。最終的に政策をつくるのは、作成段階では役人、決定段階では政治家であっても、とにかくそのプロセスに、いろいろなかたちで国民参加・市民参加をすすめていく。それは信頼回復とか、情報・意見の提供という面でも重要ですが、それと同時に、最近重要なんではないかと思ってるのが、政策決定の現場、「政策決定者の視点」を、国民・市民の側が理解するという効果です。国民・市民の立場というのは、ある意味無責任でいられて、他の要因は脇に置いておいて、言いたいことを言いっぱなしというところ、いわば一元方程式的なところが大きいわけですが、これに対し、実際に政策を作る側は、いろんなことを考慮して多元連立方程式を解かないといけない(わけわかんない政治家の横槍もあるし)。特にリスクに関して言えば、カウンターリスクや行政資源の問題も考慮しないといけないし、国民全体を対象にするため、統計的な見方もしなくちゃいけない。ちなみに食品安全や化学安全、あるいは原子力安全の分野では、いま盛んに「リスク論的考え方」や「確率論的思考」を普及させようとしてますが、これらは実は数学・自然科学の問題であると同時に、統治論・行政論的な問題でもあります。つまり国民・市民にとっては、リスクについて、科学的に理解するのと同時に、あるいはそれ以上に必要なのは、政策決定者の視点に立った政策の考え方、問題のたて方についての理解だと思うのです。この前、農水省関係の人と話してて、冗談半分・本音半分で出た話題ですが、「消費者団体やその他の利害団体の人に、一日課長補佐をやらせたい。そしたら、自分たちの言ってることがどれくらい実行可能性のないものかわかるだろう」というのがありました。別に、国民・市民の側が、すっかり行政官の視点になれ、というわけではなく、「自分たちの見方以外に、そういう見方もあるし、政策決定には必要なんだ」ということを理解してもらう、そういう二つの眼で、いわば立体的に政策を考えてもらうということです。


北海道のGM規制に関しては、また後ほど。

お忙しいところご丁寧に答えて頂いてありがとうございました。

何かが起こったときに、よく分からないから緊急避難的な措置を取るということは行政として仕方がないと思います。もっと行政はフランクになれば良いと思います。あの時は、よく分からないから、疑わしきは全部止めたと。その後、いろんなことが分かったから、警戒レベルを引き下げると言えばいいのに、最初の措置にこだわりすぎのように思います。最初の措置を取った人への配慮でしょうか?ご指摘のように、矛盾があるのは仕方が無いと思います。人間ですから。「すみません、間違ってました」と言った方がかえって信頼が得られると思います。しかし、それをしないで、無理やり辻褄を合わせようとするので、どんどん矛盾が膨らんでくるように思います。

BSEに関する措置は、専門家でないのでよくわかりませんが、米国の規模を考えれば検査の実効性とコストのバランスは疑問です。日米間で目くそ鼻くそを笑うという気がします。いずれにしろ、米国の圧力で輸入を再開したという印象は、行政に対する不信を増大させるので、避けて欲しいとは思います。マスコミがそういう方向に議論を持っていっているように思います。勿論、マスコミは行政に批判的であっていいと思いますが、徒に不安を煽るような報道の姿勢は如何なものかなと。いわゆる消費者団体は消費者の意見を代表するものではないと思います。消費者、あるいは、国民が政策決定にインボルブメントされるべきというのはおっしゃる通りと思いますが、サイレント・マジョリティーの声を拾うことが出来なければ本当の意味での国民的合意とは言えないと思います。そのための良いアイデアがあるわけではないので、無責任ですみません。

それから、肉骨粉については、農水省はもっと早くに流通を止めようとしたけれど、畜産業界から止めてくれるなという圧力があったとききます。やはり牛の育ちが違うらしいです。それでいて、BSEが出たときに農水省に責任を押してつけたので武部さんもぶちきれたと。これは又聞きなので真偽のほどは定かではありませんが。

まとまりがなくてすみません。

北海道の条例案は、余りにバランスを欠いていると思います。それこそ、緊急避難措置として、道内農産物の保護を目指したとしても、現段階で条例を作る必要があるでしょうか?少なくとも滋賀県の指針のように、道民理解の促進も盛り込まなければ、単に道内でも大量消費しているGMを鬼っ子扱いして終わりです。全農が国産大豆の差別化を図り、非GMを差別化の謳い文句にしていますが、国内大豆の生産はボロボロです。このままでは、本当に日本の農業は壊滅します。

マスコミは不安を煽るばかりと書きましたが、昨夜のニュース23では、BSEの議論は日米が科学的でない議論をしながら科学的に解決を図ろうとしているという矛盾をきちんと解説していました。筑紫さん、ごめんなさい。筑紫さんというより、解説の人が筋の通ったことを言っていたのですが。

東京都のなんとか曼荼羅の結果を楽しみにしています。

こん**は

>もっと行政はフランクになれば良いと思います。

そう思いますね。
ただ、その場合でも先日書いたように、最初の段階で「現段階のは最高の警戒レベルであり、今後の情報・知見の集積に応じて緩和されることもありうる」と言っておいたほうが混乱が無くていいと思います。

>最初の措置を取った人への配慮でしょうか?

それも多分にあるように思います。

>「すみません、間違ってました」と言った方がかえって信頼が得られると思います。しかし、それをしないで、無理やり辻褄を合わせようとするので、どんどん矛盾が膨らんでくるように思います。

これは、他のいろんな分野で共通した行政の姿勢の問題ですね。本当に、「すみません、間違ってました」というだけでも、だいぶ状況は変わると思うのですが。

>米国の規模を考えれば検査の実効性とコストのバランスは疑問です。

「検査」に限っていえば、そのとおりだと思います。そもそも異常プリオンの蓄積が検出限界以下にあるような若い牛では、検査には何の意味もありませんし。

しかし、だからこそ重要なのがSRM除去の徹底と飼料規制の徹底なんですよね。米国に対して日本が本来求めるべきは、そこであるべきなのですが、なぜか、検査とそれに絡んだ月齢確認方法の信頼性の話ばかりになってしまっています。検査にこだわる限りは、それこそ互いに政治的な要素が大半で、「目くそ鼻くそ」です。日本側には若い牛で全頭検査を維持する科学的根拠はありませんから。でも、SRM除去と飼料規制に関しては、必ずしもそうではないのではと思います。

飼料規制については、先日も会計検査院がその実施体制の信頼性を疑わせる報告をしたばかりですが、日米協議の初期の段階では、日本側から交差汚染(飼料工場で、牛を材料に鳥・豚の飼料を作るラインと、鳥・豚を材料に牛の飼料を作るラインが不分離であるため、感染牛の材料が牛の飼料に混ざること)の可能性などを指摘していたにもかかわらず、昨年10月の最終協議(http://www.maff.go.jp/www/press/cont2/20041023/jp.htm)で、外されてしまいました。SRM除去もベストを尽しても完全ではない限り、根本的な対策は飼料管理しかないわけですが、それが外されているわけです。そもそも米国では、現行では腸全体と扁桃以外は、30ヶ月以上でないと除去しません。(EUは12ヶ月以上はすべて除去、日本は全月齢で除去となっています。)また飼料管理が不十分であれば、汚染の拡大が放置されるわけで、そのままいけば、かつてBSEが猛威を振るっていた時代に英国で20ヶ月の発症牛が見つかったように、若い牛でもかなりの量の異常プリオンが蓄積したものが、食肉に紛れ込む可能性もあります。(まぁ、かつての英国ほど米国が汚染されている、もしくは近い将来にそのレヴェルに達するとは思えませんが。)

それからSRM除去については、いちおう最終協議では、「あらゆる月齢の牛から除去する」ことが合意されていますが、米農務省やFDAのサイトを見る限りまだ実行されていないようです。また、最近も検査官労組が告発したように、すでに行われている30ヶ月以上での除去ですら、相当に信頼性が低いことが懸念されています。また、SRM除去にしても飼料管理にしても、EUによるリスク評価で米国は、最低ランクに位置付けられています。

これらを考えると、食品安全の問題として考えれば、少なくとも日本は米国に対して、SRM除去と飼料管理(単にルールだけでなく、そのコンプライアンス実態について)に対する疑いを晴らすような証拠を求める、できれば日本からの査察を要求すべきでしょう。もちろん日本国内も、これら二つについては、EU諸国と比べてもまだまだ改善の余地が大きいようですが、だからといって、日米ともに、現状のままでいいというわけにはいかないですよね。

>マスコミがそういう方向に議論を持っていっているように思います。

マスコミ的には、そういう「絵」のほうが面白いと考えているのでしょうか。まぁ、実際、その通りという部分もあるのでしょうが、しかしマスコミが話をねじれさせているところも多いように思いますね。

>いわゆる消費者団体は消費者の意見を代表するものではないと思います。

これはそのとおりだと思います(いい意味でも悪い意味でも)。かといって、無視するわけにはいかないですよね。また消費者団体と一口に言っても、必ずしも一枚岩ではありませんし。

>サイレント・マジョリティーの声を拾うことが出来なければ本当の意味での国民的合意とは言えないと思います。

そういう声を拾い上げる仕組みが必要ですね。
難しいのは、サイレント・マジョリティーは、同時に「無関心層」とも大きく重なっていたりするんですよね。無関心だから、判断するための材料もあまりもっていない。そういう状態にある「声」をもって、「国民的合意」といってよいのかどうか。まぁ、無関心に見えるだけで、実は判断するための情報を求めており、けれども、どの情報を参照したらよいのかわからないから、判断保留で、傍から見ると無関心に見えてしまうということも多いと思いますが。みんな忙しいですし、ネットで検索するとしても、わざわざいろいろなサイトを見て回って、賛成、反対、中立のいろんな情報や意見を集めるなんていう人は、少数でしょう。まず(1)関心をもってもらう、(2)いろいろな情報をバランスよく集めたり、それを咀嚼するだけの時間的余裕を持ってもらうえるようにする、さらに(3)真剣に考えてもらうために、責任感を感じてもらえるようにする。そうした条件付けというか環境を用意しないといけないでしょうね。具体的には、市民陪審のように、市民の中から、年齢、性別、職業、居住地域など人口動態的な要素をもとにランダムに選んだ人に、予備知識の収集・咀嚼と、討論のための時間を持てるよう、勤め先などとも調整して、参加してもらうなどの便宜があったほうがいいでしょうね。でも、他方では、実は関心はあるし、機会があれば時間を削ってもいいと思っているが、その話題について議論し、それが実際の政策決定に活かされるような機会や場がないから、調べたり考えたりしてもしょうがないと思ってる人もとても多いと思うんですよね。だから、そういう機会を、国レベルでも地方自治体レベルでももっとたくさん設けるだけでも、だいぶ変わってくるように思います。

またサイレント・マジョリティーのもう一つの問題は「当事者性」が希薄なことです。もちろん、当事者で無いからこそ、上記のようにうまくインセンティヴや条件整備をすれば、特定の利害に囚われない視点からの判断ができるというのもありますが、その一方で、当事者で無いから分らない、問題のリアリティが分らないという制約もあります。当事者になって初めて、問題意識や関心をもち、意見を探ろうという気になるというのもありますよね。また当事者と一口に言っても、その立場は一枚岩ではないでしょう。いろんな意見や問題意識があるはずで、「反対派vs推進派」というかたちは第一次近似にしかすぎないでしょう。そして、そうしたきめ細かい多様な意見を汲み取り、それぞれが何を求め、何を望んでいないか、どこが対立やすれ違いの原因になっているのか、などを見えるようにすること(コンフリクトアセスメントといいます)で、現実的な答えが見えやすくなるということもあると思います。


このあたりは、まさに私自身が研究者として、いろいろ実験的に取り組んでいかなきゃいけない課題なのですが。日本に限らず、比較的、そういう仕組みや実践が進んでいる欧州でも、今後さらに取り組むべき課題になっています。

土曜日のMANDALAでも、会場からいろいろな声が拾えるようにしてみたいと思っています。


>それから、肉骨粉については、農水省はもっと早くに流通を止めようとしたけれど、畜産業界から止めてくれるなという圧力があったとききます。

それは、さもありなんの話ですね。

北海道の条例については、私は、「科学的ではないとしても、政治的・手続き論的には意味がある」と思っています。「政治的・手続き論的には」というのは、前回のレスでも書きました「信頼の構築」のためです。いいかえると「急がば回れ」です。これは、条例の検討委員会の座長をされた北大農学部の松井博和先生のお考えでもあります。

確かに、おっしゃるとおり、「道民理解の促進」が含まれていないことや、すでにGM品種が日常に出回っているという事実を伏せてままでいることは、大きな問題だと思いますが、しかし「道民理解の促進」を盛り込んだとしても、それだけでは摩擦は消えないと思うのです。逆にいうと、まず信頼が成り立たなければ、理解促進も進まないでしょう。また道民に仮に納得してもらったとしても、道の施策の及ばない道外の消費者がそのままでいれば、風評被害が生じてしまうのは不可避です。だからこそ、日本植物生理学会など6学会が、政府のバイオテクノロジー戦略会議に提言書を提出したのだと思いますが、信頼が成り立っていない状態では、どんな努力をしても限界があるでしょう。理解不足で誤解や不安が生じてる部分も大きいでしょうが、それと同時に、行政や企業、専門家など、研究開発やリスク管理を担う「システム」が信用しきれないとか、どの意見や情報を信用したらよいのかよくわからないということも大きいでしょうから。にもかかわらず、道が何もせず、国で審査され、定められた基準に基づいてリスク管理してるから大丈夫というだけでは、国に対してもともと不信感がある人から見れば「なぁんだ、道も同じか」とソッポを向かれてしまうでしょう。

また、道の条例は、農水省の「第1種使用規程承認組換え作物栽培実験指針」を拡張したものでもあったりします。同指針は、カルタヘナ法の対象外である同種栽培作物等との交雑や混入の防止、情報提供などについて、栽培実験が国民の理解の下で円滑に行えるよう、農林水産省所管の独立行政法人に向けて定めたものですよね。道の条例は、目的の重点は、交雑・混入による生産・流通上の混乱を避けるためとなっていますが、適用形式としては、農水省所管独法以外の試験研究機関にも、同様のものを課すかたちになっています。(道の農政部道産食品安全室の説明では、この点について農水省とは調整・了解済みとのことです。)指針も条例も、試験栽培にあたって、説明会などを開くよう求めていますが、そういうことを地道に続けていくことが、理解とともに信頼を築いていく近道であるように思います。

それから将来的には、医薬GMなどが登場してくるわけで、モノによっては今以上に交雑・混入に気をつけないといけないですし、その分、人々の懸念も大きくなるでしょう。その時に、農水省所管独法以外には規制が無いというのは、やはり傍から見ていて不安や不信の種になるのではないでしょうか。モノによっては、食品衛生法に基づく審査以前の段階で栽培実験をするもの(指針がいうところの「食品安全性未承認作物」)もあるでしょうし、場合によっては医薬品と同じ安全審査を要求されるものもあるかもしれませんし。

確かに、「規制するくらいなのだから危ないのだろう」という連想を招く怖れは十分ありますが、「これくらいちゃんと安全を確かめながらやっているのだから大丈夫だろう」という効果もありうると思いませんか?

そもそも、話の順番から言って、人々にとって最初にあるのは不安や疑いです。もちろんそれは理解不足によるものもあるでしょうが、行政や企業、システムの過去の数々の失態に由来するそれらに対する疑いも根強いと思います。こと食品に関しては、ここ数年、偽装表示など不正のオンパレードです。また、新しいもの、研究・開発段階のものとなれば、そのリスクを懸念することは必ずしも単なる杞憂とはいえないでしょう。そんな状態で、国など、疑われている当の対象が、人々の納得するようなプロセスを経ず、「国と専門家がちゃんとやってるから大丈夫」とか「素人は口出すな」などと言って強引に推し進めれば、そんな人たちを世間はそう簡単に信じられはしないし、かえって余計に不信を深めることにつながりかねません。(実際、北海道では起きている話です。)

いずれにせよ、プロセスを大事にして、それを地道に繰り返すことしかないと思います。条例の存在だけを考えると、「規制するくらいなのだから危ないのだろう」という懸念を招くばかりで百害あって一利なしに見えるかもしれませんが、その運用の面で実績を積み、信頼を得ていけばいいのではないでしょうか。その点で、親条例の食の安全・安心条例で設置される「食の安全・安心委員会」の果たす役割が重要だと思います。

また、この委員会そのものでの議論を見たり、試験研究機関で行われる説明会に参加し、実際に研究者たちと議論することで、組換え作物の科学的内容についての理解も、また研究者や研究活動、安全審査の中身についても、より効果的に、より意味のある理解が深まるのではないでしょうか。また、研究者の側も、人々が何を不安に思い、何を知りたいと思ってるのか、何を望んで何を望んでいないかを理解することもできるでしょう。リスク管理の面でも、思わぬ盲点に気づかされるということもありうるでしょう。(実際、北農研で一昨年、組換えイネの栽培試験をやったときの地元住民等との「コンフリクト」のなかであった話です。)

もう一つ言えば、これは、今回の条例の範囲を大きく越えた話ですが、試験栽培のように、研究開発の流れの中では、どちらかというと「下流」の部分だけでなく、もっと上流の部分でも、研究者と消費者・生産者の交流をすすめ、ニーズとシーズのマッチングや、後者の懸念や、それに基づく、先読み的で、人々が懸念する社会経済的影響や倫理的問題なども含めた影響評価を反映した研究開発、いわば「参加型研究開発」ができるようになるといいと思います。そうした取り組みは、欧米では「リアルタイム・テクノロジーアセスメント(reat-time TA)」とか「コンストラクティヴ・テクノロジーアセスメント(CTA)」と呼ばれていて、近年ではナノテクノロジーを題材にした実験プロジェクトがいくつかあったりします。欧米ではナノテクの研究開発プログラムの一環として社会的含意研究(studies of social implication of nanotechnology)の研究が、研究開発と同時並行的に進められており、そのなかでいろいろなreat-time TAやCTAの手法が試されていたりします。

日本でもおそらく今年中には、同様の研究が本格スタートしてくるはずですが、GMあるいはより広く植物バイオでも、これからの新しい研究開発では、そうした手法を取り入れてみるといいのではないでしょうか。


最後に一つ。

>このままでは、本当に日本の農業は壊滅します。

大豆生産はともかくとして、日本農業の産品はそれだけではありませんし、野菜などいろいろな作物で特色を出していく道もあると思うのですが、どうでしょう?個人的には私なんかは、野菜大好きなので、嬉しいのですが。日本では、食事の西欧化やファストフード化が進む中で、どんどん野菜消費量が減っていて、それによる栄養不足を補うためにサプリメントが流行ったり、肥満やそれによる成人病が子どもの間でも増えたりしているようですが、それはやはり歪んでいると思います。技術の面だけでなく、食生活・食文化・味覚のあり方も変えていかないと、それこそ日本農業は、大量生産、輸出補助金(米欧)、低賃金(中国など)による安い輸入品と、粗末なファストフードに駆逐されてしまうと思います。

それと、日本農業にとってのGMの経済的メリットについても、そろそろ定量的な評価や予測をしてもいい頃かもしれません。既存の品種にしても、経営形態や補助金など条件の違う米国等の実績例を引くばかりでは、必ずしも説得力はありませんし、また今後の品種開発を行う上でも、どういうものなら経営的にプラスにつながるかを考える材料になるでしょうし。英国では、2003年に首相府戦略ユニットによる報告書"Field Work: Weighing up the Costs and Benefits of GM crops"(http://www.number-10.gov.uk/output/Page3673.asp)があります。

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このページは、hirakawaが2005年3月10日 14:39に書いたブログ記事です。

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