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なんだかなぁな「ロボットカー」―悪の陳腐さ

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17日に放映されたNHKスペシャル「疾走 ロボットカー ~アメリカ軍の未来戦略~」。平和ボケした小生の感覚には、戦争ボケした史上最大の戦争国家アメリカの中の人の思考はわからんというか、とにかく「なんだかなぁ」な番組だった。

戦場での兵士の犠牲を最小限にする無人化したロボット戦車を作るために、米国国防総省(ペンタゴン)の高等研究計画局(DARPA)がスポンサーになって、ロボットカー・レースを企画し、米国内の大学だけでなく、イスラエルからも無人偵察機などを作ってる兵器メーカーの開発チームが参加して、しのぎを削ったという話。(日本人の大学院生もカーネギーメロン大学チームで参加してる。)

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それは、要するに「マンハッタン計画」、軍産官学複合体は今も元気に驀進中っていうことでもある。

つまり優秀な頭脳の持ち主たちの陳腐なまでの思考停止。イラクの、あるいはアフガンその他での米英軍による虐待・拷問を持ち出すまでもなく、そこら中に転がっている、淡々・粛々と巨悪を生み出す凡庸な思考欠如(thoughtlessness)、悪の陳腐さ(vanality of evil)。

たとえば、

みなさんも私たちの国で何が起きているかご存じでしょう?ロボットカー開発の目的はイスラエル人の命を守ることです。それはイラクで同じ苦労を味わっているアメリカにとっても、兵士の命を守る解決策となるでしょう

という、イスラエルの兵器メーカーのおじさんの言葉。

「殺られる側」からみればそれは、こう言い換えられるだろう。「彼らの国が何をやっているかご存じでしょう?ロボットカーの目的はますます無慈悲に――そもそもロボットに心はないのだから無慈悲ですらない――パレスチナ人を殺すことです。それはイラクで同じ恐怖を味わっているイラク人にとっても、自分たちを脅かす最悪の脅威となるでしょう。」

ライト兄弟が初めて空を飛んだときは数百メートル。われわれは12kmも走りました。明日は数百kmでしょう。大切なことは、砂漠での軍事行動で使えるロボットカーの開発に、われわれが本気で力を入れ始めたという事実です。これからの十数年、アメリカの戦場は砂漠です。砂漠に照準を合わせています。

というペンタゴンの中の人の言葉。おいおい、イラクで飽きたらず、これからも中東を破壊し殺戮を続けるんですかぁ?「砂漠に照準」じゃなくて「石油に照準」でしょ?あるいは資本主義と相容れないイスラム経済システムを破壊して、アメリカ市場主義を中東に広めて、アメリカ企業の新たな稼ぎ場=狩り場にするのが狙いでしょ?そしてその明らかに人間的な欲望のドライヴを、ライト兄弟を持ち出すことで、あたかも技術進歩の「自然な」流れであるかのように語るそのセンスがたまらない。。

そして、この「技術進歩の自然化」を裏書きするのが、今回のレースで最長距離を走ったロボットカーを作った、コンピューター科学の世界最高峰カーネギー・メロン大学ロボット研究所のウィリアム・ウィタカー教授の言葉。技術革新を「自然化=超人間化・非人間化」することによって、それに伴う一切の倫理的な疑問を寄せつけなくする魔法の呪文である。(「進化」という言葉も自然化の呪文である。)

地上を走る車の未来は、どこにどう転んでもロボット化です。この変化は止まりません。一歩ずつ着実に進化を続けています。あらゆる分野で研究が進みます。とくに軍事の分野で、著しく進歩することでしょう。この技術は、大きな、本当に巨大としか言いようのない新たなチャンスを生み出します。それはアメリカ兵に犠牲者が出ない全く新しい軍事作戦の誕生です。この技術は正真正銘の本物です。私が生きているうちには実現するでしょう。

ここには、軍事と科学技術がアメリカにおいていかに分かちがたく――ほとんど自然といえるくらい――連続しているかがはっきり読みとれるだろう。そしてそこにある巨大の思考の停止ブロック。一ロボット工学者が、なんのためらいもなく「アメリカ兵に犠牲者が出ない全く新しい軍事作戦の誕生」を語り、それを「大きな、本当に巨大としか言いようのない新たなチャンス」、「正真正銘の本物の技術」と表現すること。アメリカ兵の代わりとなったロボットが何をするのか、その結果がなんなのかは全く語らない――それとも、問題に触れた部分の発言は編集でカットされているだけなのか?――最高級の頭脳の無神経さ。「その一歩先」に対する一切の想像力、感受性を遮断した手前側でフルにその頭脳を回転させるその無邪気さ。そしてそこに、世界中から(日本からも!)若い才能が集まっていく。

やがてこの技術が実用化され、砂漠で黒光りするロボット戦車の前によこたわる累々とした屍の写真を見ることがあったとして、彼らは何て言うのだろうか?「科学技術の進歩には犠牲が伴う」とでもいってごまかしますか?(殺人を目的としたマシーンを開発した場合には、その犠牲は「進歩の犠牲」ではなく、戦争やそれに荷担する行為によるものである。)

ちなみに以前に、対人地雷開発をした技術者が、次のようにあっけらかんというのをテレビで見たことがある。

私は技術者です。技術者としての仕事をしたまでです。その結果どうなろうと、それは私の責任ではありません。

これと同じコトをロボットカーの開発者たちも言うのだろうか?

あるいは、ロボットカーの技術は、地雷という兵器以外の何ものでもないものと違って、たくさんの民生利用を「スピンオフ」として生み出すかもしれない。イスラエルの兵器メーカーと違って、レースに参加した大学のグループの人たちにとっては、たまたまチャンスとカネをくれたのがペンタゴンであっただけで、自分たちとしては幅広い応用可能性を持ったロボット技術の開発が目的だと考えてるかもしれない。あるいは、もっと「純粋」に、そういうチャレンジングな研究・開発に挑むこと自体、「好奇心」として面白いという気持ちもあるだろう(そういう面白さは、小生も理系出身なのでよーくわかる)。

だけども、たとえそうだとしても、兵器開発に関わったという事実に伴う「罪」――そもそも罪だと本人たちは認識していないのかもしれないが――は、やはり消せないのではないだろうか。実際にその技術が殺人マシーンに結実したとすれば、その実用化にあたっては、明らかに、兵器としての設計、開発、技術的洗練が行われる。そのためには、ロボット工学者たちの「協力」はもちろん、それぞれの大学研究室の出身者が兵器メーカーやペンタゴンに就職して直接開発に携わるということがなければならない。技術という、いわば「脱人格化」「脱行為化」されたものではなく、その開発・利用に関わる人間の行為の連関に注目すれば、明らかにそれには「責任」というものが問われるべきだろう。逆に言えば、技術の行為性、責任性を、たとえば「技術そのものは中立的」なんていうclichéでごまかしてはならないのだ。それは正当化ではなく、単なる言い訳でしかない。

また、スピンオフによる民生技術の向上を狙うのであれば、最初から自動車メーカーや運輸行政と組んでそうすればいい。その場合、もしかしたらペンタゴンほど気前よくカネを出してくれないかもしれないが、そうだとすれば、その技術に対する民生技術としてのニーズはその程度だということである。もしもその技術が本当に社会にとって必要であり、企業の利益にもなると信じるならば、一所懸命メーカーや国を説得し、それでもダメならあきらめればいいだけの話だ。「技術の進歩が遅れる」というかもしれないが、それは技術の進歩そのものを目的とする倒錯した見方だろう。技術の進歩をドライブするのは、第一にニーズであり、次いで、そこからの意図せぬ偶発的波及効果だ。あるいはこう言ってもいいだろう。「技術のより速い進歩を!」という主張を正当化できるのは、その技術に差し迫ったニーズがある場合であり、さらには、そのニーズそのものに正当性があるかどうかが検討されなければならない、と。より速い技術の進歩を望み、兵器開発にコミットするとすれば、それは、戦争への歯止めをより少なくし、より無慈悲に人を殺すというニーズを肯定するという軍事的判断にコミットするということにほかならず、このニーズあるいは目的の正当性にコミットする判断を下す点で、研究者は、その(少なくとも道義的な)責任から逃れることはできない。逃れられるとすればそれは、単に責任を感じることから逃れる場合だけである。

あるいは、「技術の進歩が遅れる」というのは単に、自分たちがやりたい研究が進まないというだけのことかもしれない。そうであれば、なおさら、余所の国の何の罪もない人たちの命を奪うような企てには荷担すべきではないだろう。あんたらはどう思っているか知らんが、世界はあんたたちのために回っているんじゃないんだから。「好奇心」の満足と引き替えに、メフィストテレスとの契約なんぞにサインをしちゃいけない。

ちなみにこの問題は、それがもたらす結果のおぞましさという点では比較にならないかもしれないが、例のWinny開発者47氏逮捕の話にも関係するものである。どうか47氏には、上記の地雷開発者のような「言い訳」だけはしないで欲しいと思う。

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このページは、hirakawaが2004年5月19日 05:24に書いたブログ記事です。

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